火浣布
人の気配が消えたのを確認して、鳥樺はふうと息を吐く。
演出は完璧だろう。
周りから見た鳥樺は、宙に浮いて舞う火の精だった。
鳥樺が居るのは岩の裏だ。
岩の真下には洞窟があったのだ。
上からは見えない。
暗すぎて、今は覗き込んだとしても洞窟の存在も見えないはずだ。
水に落ちて素早くそこに入れば、あたかも姿を消したかのように見えただろう。
「ほう、そんなところに陸地があったのか」
(!?)
頭上からの突然の声にびくりと跳ねる。
岩の上から羊笙が覗き込んでいた。
――――――
鳥樺は空き部屋にてすでに着替え、壁の隅に置かれた長椅子に座って濡れた髪を拭く。
羊笙は鳥樺の座る角の椅子の体角にある長椅子に寝そべり、どこから持ってきたのか知らないが、甘い香りのする紅茶を楽しんでいた。
檸檬を加え、蜂蜜をかき混ぜている。
そのうえ月餅をつまみながら何かの資料を読んでいる姿は、だらしないのに何故か様になっている。
数刻前の女装の件は、かわいそうなので忘れよう。
(そういえば、あの月餅美味しかったな)
どの月餅かといえば、外交官の死亡事件の前に音繰に乗じて鳥樺も買った月餅である。
羊笙がつまんでいる月餅も同じものだろう。
机にはあと二つほど積まれているので、是非ともお裾分けが欲しい。
同じ部屋にいるのは居心地が悪いが、しっとり濡れたまま部屋を出て廊下を歩くわけにもいかないので割り切って堂々としている。
羊笙は相変わらず咳が酷い。
たしかにこれでは宴には出たくとも出られないのだろう。
「遠くから見ていたが、本物の火の精かと思ったぞ」
「それは何よりです。こちらの服はどうすれば?」
「そこに置いておいてくれ。また別に服を用意する」
「いえ、私は村に帰―――」
そう言いかけて、思い留まる。
羊笙は天女の微笑みを向ける。
その目は鳥樺を黙らせるだけの力があった。
鳥樺及び羊笙が最上の笑顔を浮べながら睨み合い固まっていると、いきなり戸が開けられる。
「羊笙、いるか?」
驚きで、鳥樺はびくりと跳ね、羊笙はついには死ぬのではないかというほど酷く咳込む。
「白鶯さまっ、呼ばれたら行くのですから、わざわざ来られなくても」
羊笙は呼吸と体制を整えながら疲れたように白鶯を見る。
主役の片割れがここにいるということは、どうやら宴は終わったらしい。
服装もそのままなので、会場からそのままここに来たのだろう。
「構わんだろう。妻に気づかれぬように忍びで来るのが楽しいのだから。それに、お前に無理はさせたくないしな」
(そんな楽しみ方はやめておいたほうがいい)
白鶯はかなり茶目っ気がある、悪く言えば浮気性であるらしい。
堂々としていればいいものを、わざわざ妻に気づかれぬように来ているのなら、もう羊笙は領主の愛人ということにしておけばいいだろう。
「おい、何か失礼なことを考えてないか?」
「滅相もございません」
羊笙が的確なところをついてきたが、速やかに否定する。
「先程の演出、実に素晴らしかった。どうなっているんだ?教えてくれ。それと、今の私は領主ではないので、そこまで気を張らなくても良いぞ。好きにやりたいことをしてくれていい」
白鶯は鳥樺の座る角の椅子の向かい角にある椅子に座る。
部屋のそれぞれの角に一人ずつ座っている配置だ。
(何だ、この変な配置は)
羊笙は早速、白鶯に茶を出したあとは相手が飲むのを待つことなく飲んでいるので、鳥樺も髪を拭きながら説明に入ることとする。
「まず、火浣布の元となる火鼠は今のところは存在しない生物とされています。ですが、火をつけても燃えぬ布は存在します。昔、とある男が皇帝の寵愛を得るため、その布を火鼠の皮衣と称して献上しました火浣布は火鼠の皮衣と称されるようになったのはそのためです」
「なるほど、その火浣布は石綿だということか」
予め、羊笙には燃えぬ布の原理は説明しておいたため、羊笙は納得したようにつぶやく。
白鶯もその話は聞かいたことがあるのか、意外そうにかすかに目を見開くものの、納得したようだ。
そして、ふとなにかを思い出したような顔をしてから、にまりと笑う。
「では、ひとつ噂話をしよう。
過去にその布を献上された皇帝は、その布を縁起が良いとして好んで纏ったらしい。やがて皇帝が病でこの世を去り、その布は東宮に受け継がれた。だが、東宮もその子もまた同じ病で若くして世を経つことになった。やがてその布は呪われた布と称された」
それには心当たりがあった。
「石綿から出る粒子は人体に有害です。石綿から出る粒子を吸い込むと、治すのが困難な病になりやすくなります。短期間ならば問題はありませんが、身に付けていたとなると、影響が出てきて当然でしょう」
「ほう、ならば、この布は特使殿に渡すべきではないな」
「ええ。気に入られて身につけられれば、数年後には必ず体調不良、最悪死に繋がります」
「ふむ・・・」
白鶯はなにかを含んだ笑みを浮かべる。
何を企んでいるのだろうか。
くれぐれも悪用はしないでほしい。
「それでもあの舞は本物だった。他にも仕掛けがあったのか?」
「ええ、それはもちろんです。本物であるから、神の奇跡などと称されるのです」
鳥樺は真剣な目つきで白鶯らを見据える。
「さて、他の仕掛けですが、そこまで難しいことはしていません」
「ああ、それは大体は把握できた。火が飛んだのは裙を投げたから、浮いているように見えたのは黒の染料を塗った岩の上で舞っていたから、そして水に落ちる音がしなかったのは投げ落とした裙の上に着水したからだろう?」
迷うことなくスラスラと言ってのける羊笙。
面白みがない。
一応これを売りにしている鳥樺としては正直、簡単に見破られて気に食わないが、すべて羊笙の言うとおりだ。
裙は隙を見て脱いで池に投げ落とした。
暗闇の中、先程まで舞っていた炎が飛んでいけば、人の目はそちらを追う。
炎の光で目が暗闇に慣れていない中では、鳥樺の存在など闇に紛れてしまえば見えやしない。
飛んでいく炎のみが見えるだけ。
暗闇に長くいれば、目は慣れて暗闇の中でもある程度見えるようになる。
しかし、その中に強い光があれば、目が慣れることはなく、それどころか暗闇はより一層暗く見えてしまう。
そこにある黒い岩も当然見えにくくなるものだ。
浮いているように見えたのはそのためだ。
布が浮いた水面に落ちれば、着水音は小さくなる。
石綿は固めの布。音はそれほど大きくなく、近くの宴会場の音でかき消される。
飛んで火が消えて、周りを見てもがやがやとした音がするだけでそれらしい人は誰もいない。
人が水に落ちた音もそれらしい音はない。
そして極めつけに燃えていたはずなのに燃えた痕跡もない純白の布。
そうなると、もう誰もが本物の精霊であったと思うだろう。
人間には共通する癖や特徴があるのだ。
考えて行き着くところは殆同じ。
それをうまく利用すれば、その者がこれからする行動を当てることもできる。
逆に、その者に自覚させずに操ることもまた可能だ。
「正解です。羊笙さまは知識が豊富ですね。簡単に見破られて少々気に食いませんが」
「そうだろう」
「・・・」
なぜが羊笙の代わりに誇らしげに頷く白鶯。
流石の羊笙も目を見開いて白鶯をみる。
「なるほど、大体のしくみは理解したぞ。でも何故火の色が変わったんだ?その説明はなかったぞ」
「おや、羊笙さまも分かりませんでしたか」
(おっと、つい)
少し嫌な言い方になってしまったが仕方がないと割り切る。
人の努力の結晶を躊躇いもなく溶かして屈辱を味わわせたことへのやりかえしである。
羊笙は頬を丸く膨らませる。
今回は非常に可愛らしい。
これを見れば大抵の男が惚れるだろう。
「そうですね、一度やってみますか」
鳥樺はある程度乾いた髪を結い終えて、すくりと立ち上がった。
新たに別の作品掲載をはじめました
作者はアイン・スペンサーですが、中身は紛れもない鷹瓜自身です。
読んで頂けると幸いです
これからもよろしくお願いいたします




