火の精霊
(居ないな)
白貴人は煙のごとく消えてしまった。
白は目立つからすぐ見つかるかと思ったが、残念ながらどこにもいなかった。
特に無理して探す理由もないので探すのは諦めて、酒瓶を抱えてそそくさと部屋に戻る。
羊笙のはからいで、狭いが一室を用意してもらっていたのだ。
荷物等はそこにおいているし、そ着替えもそこで行うつもりだ。
(ああ、飲めないなあ)
机においた酒瓶を見つめ、うっとりとした恍惚な表情を浮かべる。
飲むのが勿体無い。
だが今すぐ飲みたい。
こんな高級酒、二度とお目にかかれ無いに違いない。
そもそも生きている間にお目にかかれるとは思ってなかった。
(ああ、着替えないと)
出番はすぐにやってくる。
用意しておいた衣装に着替えているその時、勢いよく扉が空いた。
あまりの衝撃に言葉を失う。
飛び入ってきたのは羊笙。
だがいつもと違うのは、女物の服を着ていることである。
羊笙は勢いよく扉を締めて、扉を抑えながら耳を当てて様子を窺う。
本物の傾国だ。
とんでもないものと鉢合わせてしまった。
揺れる絹髪、雪のような白き肌。
憂いを含んだ美しい瞳に長いまつ毛。
桜色の紅をさした唇と滴る汗は色気を増す。
「ッ・・・はぁ、危なかった」
「な、何をしているのですか、羊笙さま・・・?」
「なッ!!?!?」
きっと、この部屋を鳥樺が使っていたことを忘れていたんだろう。
鳥樺は引き気味な問いに、普段の羊笙には伺えない、この世の終わりのような表情を浮かべる。
暫くの沈黙のあと、羊笙は床に崩れ落ちた。
なんだか、可哀相だ。
「羊笙さま―――」
「言うな・・・余計傷つく。その前にお前は服を着ろ」
鳥樺は自分が前掛け腰布の下着一枚であったことを思い出す。
なんという醜態を晒していたんだろう。
慌てて服を身に纏う。
羊笙は、弱々しく音を上げる。
「まず、この格好は白鶯さまにやれと言われたからやっているだけで、趣味じゃない。絶対に会いたくない人がいたから逃げてきたら、お前がいた」
あの白鶯ならたしかに言いそうである。
羊笙が哀れで仕方がない。
そして、羊笙の人使いの荒さはおそらく白鶯譲りだということも分かった。
また沈黙が生まれる。
実に気まずい。
「あの、羊笙さま?」
「なんだ」
「とりあえず着替えられては?」
「・・・そうだな」
運の良いことに、この部屋には男物の着替えもある。
羊笙は素早く着替え、疲れたように鳥樺の向かいの壁に置かれた椅子に座る。
「お前は、大丈夫そうだな。頼んだぞ」
「はい。羊笙さまが会いたくない人物と申しますが、私が出る際に確認して参りますのでご安心ください」
「ああ、助かる」
鳥樺はゆっくり扉を開けて外を確認する。
人影一つもない、月明かりが唯一の光源の暗い廊下だ。
「大丈夫そうです。私は行きますね」
鳥樺はこの気まずい空間を早々に離脱した。
――――――――――
髪は濡らしたあと乾かさず、濡れた布で一つに纏める。
服は予め用意した火浣布でできた舞踊用の裙を履く。火浣布製の裙の周りには燃えやすい薄い裙を重ね着して。
火傷を防ぐために肌着は水で濡らし、下に着る長袖もまた水を染み込ませておく。
好都合なことに、西都の夜は気温が下がるのですぐには乾かない。大変寒いが、そこは我慢だ。病気にならないように気をつけなければならない。
舞は屋敷の池の畔、先日確認した岩の上で。
松明は炊かず、屋敷から漏れる光と月光が唯一の光源となる。
故に、立ち上がる炎は際立つだろう。
「こちらでゆっくりとお話を」
「そうですね」
特使と領主の声が近づいてくる。
特使と領主の姿が見えた瞬間が狙い目だ。
(今だ!)
鳥樺は薄い裙に火をつける。
舞踊用の裙はくるくると回ると大きく広がり、炎もまたたくまに広がって揺れる。
朱い炎は夜の闇によく映える。
それに対して黒い岩は夜の闇に溶けていて、鳥樺は空に浮いているようであった。
それだけでは終わらない。
炎は緑へと色を変えた。その後、青、黄、白、紫へとまた変わる。
「こ、これは・・・」
外の警備をしていたのであろう武官たちもそれを見て唖然となる。
頬をつねる者もいれば、目を赤くなるまで擦る者もいる。
しかし当然光景が幻覚であるはずもなく、最終的には頬を勢いよく叩く者もいた。
見た者すべてが言葉を失う。
夢かと疑う。
この世ならざる美しさ。
鳥樺は舞踊が得意だ。
巫女として、収穫を願う祭事のときはいつも舞っていた。
草原という、蓉と栄鴉。その国境付近だからこそ発達した、栄鴉の軽快で力強い足踏みの舞踊と、蓉のしなやかで妖艶な舞踊が混ざりあった独特の舞。
羽衣が舞、裙が舞、炎が揺れ、鈴が鳴る。
炎を纏って宙で舞う姿は、まるで火の精だ。
誰もが目を奪われていた。
建物の中の演奏と舞が揃ってはずれてを繰り返す。しかしそこには一定の拍と法則があり、独特の舞に馴染んで味を生んでいた。
今建物から漏れ聞こえるこの曲も、鳥樺のために演奏されている。
世界はこの精を中心に回っている。
そう錯覚するようであった。
時間が止まる中、鳥樺だけが動いている。
(気分が良いな)
舞踊が半ばに差し掛かり、炎が羽衣にまで移り華やかさを増す。
しかし薄手の裙は燃え尽き、火浣布に燃え移った火は弱まってくる。
(そろそろ限界か)
鳥樺は最後に力強い足踏みで韻を踏む。
その流れに乗じて炎が池の方に飛んだ。
炎は音もなく池に消え、同時に火の精は姿を消していた。
誰もが唖然とし、動けなかった。
数秒後、特使が慌てて池に駆け寄るが、そこにはもう何もいなかった。
燃えていたはずの、純白の火浣布たる裙のみが池の水面に浮いていた。




