銀の盃
「呪いなんてありえませんね」
鳥樺は気を取り直して、持論を述べる。
「それは―――」
「巫女がそれを言いますか」
羊笙が何か言いかけたのを、別の声が後ろからかき消した。
ぱっと振り向くと、音繰がそこにいた。
仕事中の音繰は気配もまるで違うので一瞬誰か分からなかった。
「音繰、来るのが遅いぞ」
「羊笙さま、昨朝も昨夜も言いましたが、今日は休みを取らせていただきます。呼んでも来ませんと言ったでしょう?」
「そういえば、そうだったな」
音繰は呆れたように海より深くため息をつく。
どうやら、羊笙に呼ばれてきたらしい。
昨朝昨夜と二回も言われているのに忘れるとは、羊笙は馬鹿なのかもしれない。
そんなどうしようもない羊笙に呼ばれても、音繰は呆れつつも来ているのだ。
従者の鏡である。
羊笙は強めの咳払いをして、本題に移る。
音繰も部屋を出る様子がなく、少し残るらしい。
「さて、これが葡萄酒の話の文だ」
糸で纏められた紙が放り投げられる。
紐には美しい翡翠の玉がつけられている。
嫌な予感しかしない。
しかしここまで来ては立場的にも気分的にも引き下がれないので仕方がなく文を覗き見る。
(ふむふむ)
中央にある都で玉の一族によって国の重鎮も参加する宴が行われたようだ。
玉の一族がどんな一族なのかは知らないが、多分それはどうでもいいことだろう。
宴では、玉の一族の所有する銀盃で葡萄酒が振る舞われたらしい。
そこで振る舞われた葡萄酒を飲んだ人間が体調不良を訴えたということだ。
銀盃の色が変わることはなく、毒見役が飲んでも変わらなかったことから葡萄酒に毒はないということになったらしい。
そして話は呪いだという方向に転げていると。
羊笙の言った通り、たしかに鳥樺が好きな類の話だ。
だが、なぜ羊笙がその話と関係があるのだろうか。
文脈から、西都の領主は参加していないだろう。
鳥樺が疑問に思っていると、羊笙は察して答えてくれた。
「その葡萄酒を送ったのが私なんだ。その毒見役も私が選んだ人間だった。後は言わなくても分かるだろう?」
(うわあ)
羊笙は疑われているわけだ。
現に、こうして文も届いている。
差出人は玉の一族。
親しい仲なようで砕けた文調だが、よく見れば羊笙が疑われていること、そして玉の一族自身も羊笙を疑っているということが示されている。
「私がやらかしたことでならまだしも、無実の罪で断罪されるのは御免だ。巫女、どうにかしてくれ」
(投げやりな)
呆れつつ音繰をみると、音繰もこくりと頷く。
こういう人なんだ、許してくれ、という言葉が聞こえた気がした。
同時に、いつもこんな無茶ぶりに答えているであろう音繰に同情する。
よくもまあ、こんな上司のもとで働き続けられるものだ。
「これが例の葡萄酒だ。毒がないことは確認されているから飲んでもらって構わない。向こうで飲まれたのと同じものだ」
「ありがとうございます」
鳥樺は一緒に用意された普通の徳利に酒を注ぐ。
洋酒に徳利は似合わないが、この器で味は変わらないはずだ。
(おお)
洋酒を口に入れた途端に広がるまろやかな甘みと程よい苦み。
品を感じさせる香りと色。
「美味いだろう。高級品だからな」
「はい、それはもう」
鳥樺は満足気に深く頷く。
この仕事は受けてよかったかもしれない。
余計なことを言わないように気を付けてさえいれば、ただ美味しいだけの話である。
「酸っぱい葡萄酒が特殊で、宴でも人気だったらしい」
「酸っぱい?」
鳥樺は思わず聞き返す。
酒は確かに甘かった。
鳥樺はもう一度口にするが、やはり甘い。
「甘い酒でしょう?」
「そうなのか?」
質問に質問で返さないでほしい。
「羊笙さまは飲まれていないのですか?」
「ああ、私は飲んでいない。飲んだのは音繰だ」
そう言うので鳥樺は部屋の隅にいる音繰を見る。
残ってくれていて助かった。
「音繰さま、酒は甘かったのですか?」
「ええ、甘かったです」
(味覚が違う、いや、音繰は中央の人間だから、向こうの人間と味覚は同じか)
酒の味が変わったのだ。
そう考えられるのは酒が酢になったことだ。
この暑い中運んだとするならばありうる話だ。
(でもそれで体調不良はねえ)
酢を丸呑みすれば気分も悪くなるものだが、そこまで完璧に酢になっていれば気づくだろう。
「単に、酒の飲みすぎという可能性は?」
「その宴には国一番と言われる酒豪が参加していた」
(酔うことはない、と)
考えられるならば銀盃に毒が塗られていたことだが、果たしてそんなことが可能だろうか。玉の一族が暗殺やら羊笙の失脚を企んでいたとすればありうる話だが。
銀に反応しない毒も多い。
「やはり分からんか」
羊笙は頬杖をつき、銀色の洋杯をしなやかな指先で持ち揺らす。
馬鹿にされているようで苛立って羊笙を睨んだとき、あるものが鳥樺の目にとまった。
鳥樺は羊笙が手にもつ、陽光に輝く銀色の物体を指差す。
「羊笙さま、それはなんですか?」
「水だが?」
「いえ、その洋杯についてです。何で出来たものですか」
「鉛だったはずだが?」
(なるほど)
鳥樺の中ですべてが繋がり、一つの真実が浮かび上がる。
やはり呪いでもなんでも無い、少し考えればもう少し早くわかったはずの問題だった。
しかし、これが事実ならばある意味問題だあると感じられた。
「羊笙さま、酒は、酢になることがあります」
「ああ、そうだな。聞いたことがある」
「つまり、そういうことです」
「は?」
いきなりのよく分からない説明をする鳥樺を怪しむ羊笙に向かって、鳥樺は煽るように鼻で笑う。
「まだ分かりませんか」
羊笙は眉間にしわを作る。
「鉛は、劣化などで酢で溶けることがあります。銀は溶けません」
「・・・そうか、なるほどな」
ようやく察した羊笙は険しい表情を浮かべて手に持つ洋杯を眺める。
鉛の洋杯は、詳しくない者から見れば銀の洋杯に見えるだろう。
要するに、銀盃は銀製ではなく、鉛製であった可能性が高いということだ。
銀盃が玉の一族にとってどれほどの価値があるのかは分からないが、文によると、玉の一族の銀盃は他とは一味違い、有名な工芸家が細工を施したもので、天下一の玉盃と称され有名らしい。
最初から銀盃だと偽っていたのか、偽物とすり替えられたのか。
実際に見ても居ないのだから、真実はわかるわけもない。
分かるのはそこにある可能性のみだ。
「ああ、もう、面倒だな」
羊笙は頭を掻く。
男用の質素な銀簪で軽く結われた絹髪が乱れる。
金製の派手な花簪のほうが似合いそうだな、と思いつつも、空になった鉛の洋杯に水差しの水を注ぐ。
熱い飲み物や酒などは念のため鉛製の器を使わない方がいい。
だが、水くらいなら問題はない。
「玉の一族は私のこと嫌っているし、これも鉛盃であることを知っての嫌がらせだろう」
なんで嫌われているのかは知らないし聞く気もないが、これが玉の一族の嫌がらせならかなり狙ってきている。
羊笙をどうにかして蹴落としたい、いや、殺してやりたいというような殺意さえ感じる。
もしなんの言い返しも出来ずにこの話が進めば、死刑もありうる大きさの問題だろう。
だがそれは、当然鳥樺は関係のない話。
それよりも、鳥樺への疑いの行方のほうが気になる。
一応羊笙の望む答えはよこしたはずだが、気づかないうちに余計なことを言っている可能性がある。
「羊笙さま、他に何かありますか?」
「そうだな、一つ問おう。お前は先程、呪いはありえないといったな?本当に呪いは存在しないのか?」
羊笙は俯き気味に、心なしか不安げな声色で問う。
てっきり、もう少し素性を探るようなことを聞いてくると思っていたので、何を今更、と怪しみながらも、鳥樺ははっきりと言い放つ。
「ありません。あるというならば、私が呪いなんて馬鹿げたものでないことを証明します」
羊笙は顔を上げる。
「その言葉、信じていいか?」
「ええ。そのことに関しては、大船に乗ったつもりでいてもらって構いません。呪いなんてありませんから。
貴方さまだからいいますが、呪いや神の奇跡と言われるものを故意的に発現させて、神とかいう存在を否定する。これが何もない草原での私の一番の娯楽なんですよ」
鳥樺は呪いやら神の力やらは否定する派である。
否定するために、神の声が聞こえるなどと嘘をついてまで巫女をやっていると言っても良い。
このことを人に言うのは初めてだし今後人に言うつもりもなかったが、羊笙にも音繰にも火浣布の正体は教えているし、どうせ鳥樺の奇術の仕組みも後から知られるのだから、保身のためにも先に言っておいたほうがいい。
彼らなら人に言うようなこともないはずだ。
ある意味信頼である。
「お前は性格が悪いのか?」
「・・・それなりに?」
疑問に疑問で返すな、とついさっき思ったことだが、自分がそれをしてしまった。
性格が悪いと人に言われたのは初めてだが、我ながら性格は良い方ではないことは自覚している。
「まあ・・・そうか、呪いは、ないか」
羊笙は力なく立ち上がると、扉のほうに向かう。
鳥樺は頭を下げて羊笙が部屋を去るのを待つ。
どうやら、いい答えが出せたらしい。
羊笙が安堵する鳥樺の丁度横を通り過ぎたとき、耳元にやや暖かい風が当たった。
「感謝する。今はお前を信じることにしよう」
鳥樺は耳を抑えながら慌てて振り返る。
すでに羊笙は居なくなっていた。




