巫女の娘
旋風が走り、草を揺らす広大な草原、一族の伝統ある衣装に身を包んだ娘が、草を食らう馬にまたがり暗灰色の髪を風になびかせながら横笛を吹く。
細やかな装飾のなされたその横笛は年季が感じられ、それでも現役に、高く繊細な音を響かせていた。
羊が百数、馬が十数。
これが娘の部族の財産だ。
実際には他にもあるが、大まかな分はそれだけである。
遊牧民は羊と馬を飼って生きていく。
娘の名は鳥樺といった。
この部族を治める一族の族長の一人娘であり、催事を担う巫女である。
笛が甲高く音を上げる。
その瞬間に、大空から逞しい鳴き声を上げながら一羽の鳥が弧を描きながら舞い降り、革手袋を付けた鳥樺の手にとまる。
「いい子だね」
鳥樺は空いているもう片方の手で鷹の毛並みにそって優しくなでる。
鷹も気持ちよさそうに目を細めた。
鳥樺は鳥を使役する特殊な一族の人間だ。
愛玩動物としてではなく、相棒として鳥を飼う。
一族では全員がそれぞれ一羽は鳥を飼い使役している。
「鳥樺さま」
突然名を呼ばれ、鳥樺は後ろを振り向く。
鳥樺の小間使いまがいのことをしている娘だ。
遊牧民とは、いくつかの一族が集まって生活している。
鳥樺の一族はその中の長的なもので、他の一族は鳥樺らに世話を焼く。
いわば部下的なものである。
この娘は鳥樺の一族の子ではないが、じきに養子となって次期巫女になる予定だ。
今は鳥樺の弟子という形になっている。
その娘だが、多少ながら息が荒れている。
走ってきたらしい。
「どうしたの?」
「貴方さまを妻にという男が・・・」
「断りなさいと言ったでしょう?」
「申し訳ございません。男がなかなか引き下がらず、巫女を出さねば戦争だと言い出しておりまして」
そういって娘は小さくなる。
厄介な男が来たらしい。
この子がわざわざ言いに来たということは、ここより大きな部族の者なのだろう。
鳥樺は深くため息をつくと、鷹を空へ飛ばして馬から華麗に飛び降りる。
「今行く」
鳥樺は悠々とした余裕ある態度で例の男のいる天蓋に向かった。
―――――――――――――――
(またこの系統か)
もちろん期待はしていなかったが、これまた面倒くさい男である。
「我妻にしてやろう。我が一族に来るがいい。光栄に思うがよいぞ。このように小さな部族よりも良い暮らしであることは間違いなかろう!」
目の前の、何やら勘違いした傲慢そうな男は鼻高々によく喋る。
名は忘れた。
最初によく覚えておけと名乗っていたが、最初から聞く気などなかったもので、まったくもって覚えちゃいない。
ちゃんと自ら出向いているのだけは評価してやる。
身だしなみから男の言う通り、遊牧民にしてはそれなりに裕福な暮らしをしているのだろう。
話によれば、鳥樺の一族がもつ部族よりも男の一族がもつ部族のほうが大きく、羊や馬も多いらしい。
多少は盛っているだろうが、男は自信満々であるし、状況的にそこまで大きな嘘はついていないだろう。
確かに、戦になれば面倒かもしれない。
鳥樺は男を一瞥すると懐に手を入れたと思えば、天を長く美しい人差し指で指す。
その瞬間、天蓋の外の篝火の炎が勢いよく燃え上がった。
「な、なんだ!?」
鳥樺はそのまま指を鳴らした。
それに合わせて炎の色が鮮やかな青へ、明るい緑へと変わる。
驚く男をしり目に、鳥樺は近くに置いておいた銅鏡をその火に近づけると、銅鏡は漆黒の輝きを持つ物に変化するとともに、炎は紅く変化した。
「神の怒りがみえませんか?」
「な、何を・・・!」
「神は酷くお怒りになっていますよ」
鳥樺は珍獣でも見るように目を細めて薄く笑う。
もちろん種はある。
これは神の怒りでも何でもない。
だがその知識のないものにはこれが本当に神の怒りに見えるのである。
「そそそんなもの知るか!神なんざ、どうでもいい!!」
(言うねぇ)
男は顔を青くしつつも威勢を張る。
だが指先も膝も瞳孔もすべてが震えているので随分と滑稽だ。
「ふふっ」
「なにがおかしい!?」
「いえ、神なんざどうでもいい、ですか。随分といい加減なことを言いますね」
あまりの滑稽に笑いが漏れてしまった。
誤魔化しも込めて、炎の勢いを上げる。
今度は深い紫色だ。
男は腰を抜かす。
「私はこの草原の一部の催事を担う巫女です。神の声も聞こえます」
(我ながら滑稽な)
己こそ、神の声が聞こえるどころか、神すら信じていないというのに。いい加減なのは自分のほうだ。
種さえ分かっていれば誰でもできるような奇術で神の使いを騙り、巫女の地位に就いているのだから。
「神を信じずして神の使いたる私を勝手に妻にしようなどおこがましい。このまま引き下がらないというならば、こちらにも考えがあるというものをお忘れずに」
「あ、あ―――っ!!」
男は声にもならない叫び声を上げながら弱弱しく逃げていった。
あんな男は到底夫にはできない。
もっと頼りがいのあるほうが理想である。
炎の色を変えるのも、銅鏡の色を変えるのも、全ては幼いころに旅人に教えてもらったものだ。
神の御業でもなんでもない。
神の声も聞こえない。
神の怒りも見えない。
皆が信じる神を鳥樺は信じていない。
にもかかわらず、それらを騙ることで草原の半分を支配している。
我ながら世紀の大噓つきであろう。
「さすが、神の加護を受けし鳥樺さまです」
そんな娘の戯言を聞き流し、鳥樺は天蓋を出てだだっ広い草原を眺める。
(神の加護?神の御業?奇跡?そうとも言えるかもしれない)
巫女という存在により、多くの者が神を強く信じていた。
特に鳥樺のいる部族はどの部族よりも信仰深い。
あがめる対象が目の前にはっきりあるのとないのとではその心にある信仰心は全く異なる。
神とは本来存在するのかも定かではない故に、一般的には偶像などを作ることで存在すると自分に暗示をかけている。
一方で鳥樺の部族では鳥樺が神の使いとして神の存在の証明たる奇術を操ることで、神の存在を確かなものに至らしめている。
思い込みと確信。
これは似て非なるものだ。
確信を得た信仰は、偶像崇拝とはわけがちがう。
共通の神を信じ、加護があると確信して戦う鳥樺の部族は他と比べれば少数ながら、その数倍の力を持っていた。
そこの強さには神の御業も加護もない。
そこには神の名と姿があるのみだ。
鳥樺はただ、そこにあるだけの神の名のもとに奇跡とされる出来事を故意的に起こしただけに過ぎない。
だが誰もがその奇跡を神の御業だと信じたことで、不確かな神の形は確かなものに変わる。
具体化された神の存在により、人々は団結、結果的に数の暴力を覆すだけの力を手に入れた。
それは神の御業、神の加護とも言えるだろう。
齢十五という若さで達観した思考と理解力。
草原の半分という多くの人間を治める統治力。
そして神の御業、奇跡といえるだけの事象を起こせるだけの知識。
それだけの騙りを突き通せるだけの度胸と覚悟。
その噂は、遥か東の都にまで広がっていた。
数日後には、鳥樺はもうここにはいない。
とある役人の来訪。
それが鳥樺の人生を狂わせる新たな事の始まりである。
なぜたかが西方の北の草原の遊牧民の巫女にすぎない鳥樺に目がつけられたのか。
それはただ単に、鳥樺が目立ちすぎていただけである。
お読みいただき、ありがとうございました。
気分で投稿していこうと思っております。
明日二話目を投稿できればと考えております。
どなたかの暇つぶしにでもなれば幸いです。
これから引き続き、よろしくお願いいたします。