私の幻想になくてはならないもの
傷はコードが治してくれる。 なのだが、イチイは未だに頬と左肩の怪我を治療している最中だ。
あの一件から半月経ったが、探索科としての仕事は休暇を貰っている。 怪我や病気は治療コードで治す事ができるがイチイはそれを希望しなかった。 たった一瞬で無くなっていい傷と痛みではないと思ったからだった。 この痛みは、ビャクシンがずっと抱えてきた痛みだ。 彼がどういう経緯であの機械尾を持つことになったのかは知らない。 だがきっと彼は長い間苦しんできた。 その苦しみと痛みは彼にしか分からないもので、分け与えることも出来ないものだが……。
「イチイ」
「ビャクシンさん、もう勤務は終わったんですか?」
共用のカフェテリアで本を読んでいたイチイはビャクシンに声を掛けられて顔を上げた。 いつもの白衣を羽織ったビャクシンがのそのそと歩いてきて、対面にあった椅子に座る。
「……残業になりそうだ」
「…………」
仏頂面のままそう言われて、イチイは彼につられて同じような顔になった。
「そんな顔をするな」
「またみんなのお願いで尻尾を見せてあげてたんですか」
彼はもう虚像を使っていない。 あの機械尾は探索科の技術者達が興味津々で、仕事も忘れてメンテナンスや構造について議論している。
「次のメンテナンスで、刃を収納できるようになりそうだ」
「良いですね。 成果が出てます」
今までむき出しだったあの鋭い刃が自分の意思で収納できるのならば良い事だ。 それと引き換えに業務時間が削られて残業になってしまっているのは、仕方がない事だろう。
「私ができる事があればお手伝いします」
「いい、お前は休んで。 本来ならば部屋に篭っているべきだというのに、なぜここに出てくる」
ビャクシンは傷のことをかなり心配して毎日顔を見にくる。 本来ならば恐らくすぐにでもコードを使いたいはずなのに、彼はイチイの意思を汲み取ってそれをしてこない。
「部屋にいたままじゃ退屈ですし、それに……」
「あ、いたいた。 イチイ」
ふと後ろから声がして振り向くと、黒髪の青年が手を振っている。 黒い髪と黒い制服の彼はビャクシンの姿を見て少し不機嫌になる。 相変わらずの反応だが、この両者は和解をしたおかげで仲が良い。
和解をした経緯も内容も色々と強烈なものだが、それは別の話……。
「ビャクシンもいたんだ、なんで?」
「なんで、とは? お前こそなぜここに来たララリィ」
「まあ二人に話があったから丁度いいんだけどさ。 サザンカの件だけど、こっちで調整ができたからいつでも」
「早いな。 助かる」
サザンカは自らの申し出で警邏科へ転科することになった。 と言っても技術探索科には引き続き所属して、警邏科で戦闘面を鍛えるそうだ。 彼はヘイブの一件で負い目に感じている事があるようで、自分を鍛え直したいと言っていた。 そしてもう一つの理由が。
「斎李、って聞いてまさかそうなのかとは思ってたけど、代々王家を護る騎士を輩出してる名門だ。 昔サザンカはそうじゃないと言ってたけど、なにが心の変化だったわけ? お前が何かしたんじゃないの、義兄さん」
「剣を渡しただけだ」
「王家の紋章が入った剣をだろ! そんなんだからサザンカが騎士になるって言い出して、王族って自分勝手だなぁ」
「お前も王族に連なる者だが」
「一ミリだけね! 自分勝手さはお前ほどじゃないよ」
仲が良いなぁとイチイが本に栞を挿みながら聞いていると、ララリィの後ろからスミレとサザンカがやってくる。 サザンカは小柄なので、スミレと並んでいるとまるで女子のように見えてしまう。 あんなに華奢な身体をしているのに戦闘技術はララリィと互角だというのだから驚きだ。
ララリィ自身も細身だが、しっかりと筋肉はついている。 サザンカと違う面はそこだろう。
「統括、それに主任。 身勝手を許していただきありがとうございます」
サザンカがその場に跪く。 所作が本物の騎士だ。 イチイはいつもと違うサザンカの雰囲気にギョッとしたが、ビャクシンはただ静かに彼を見た。 今は家を出ているとはいえやはり王族、ビャクシンは慣れている様だった。 イチイは横目でビャクシンを見る。 きっと実家では何百人もの騎士や従者達が彼に跪くのだろう。 信じられない。
「励め。 業務に支障が出そうであれば言うといい、調整をする」
「はい。 与えられた機会を無駄にはしません。 ……主任、迷惑をかけます」
「そんなことないよ、頑張って。 応援してる」
サザンカは立ち上がると、腰に帯剣している剣の柄に触れた。 ビャクシンから貰った、装飾の美しい王家の剣だ。 一度目を閉じた後、サザンカはゆっくり瞳を開けてイチイを見つめた。 そして真剣な表情で言う。
「私は貴女のことを愛しています」
「ん?!」
イチイが思わず手から落としてしまった本を、ビャクシンは尻尾で器用に受け止めた。 彼の言う『愛している』は恐らく敬愛のことだが、突然そんなことを言われると驚くのも無理はない。
「だから貴女を護ります。 私が仕えるのは王弟殿下であるビャクシン様ですが……」
サザンカがビャクシンを見て、彼の機械でてきた左腕を目線で辿る。 黒い布手袋の上に光るそれを見ると彼は微笑んだ。 そしてまたイチイへ向き合う。
「王弟妃になるのですから、貴女のことも護る」
「…………は?!」
イチイは勢いよく立ち上がって後ろへ飛び退く。 椅子が音を立てて倒れて転がった。
「そんなつもりない! 勝手なこと言わないで!」
「ではどうしてそれを受け取ったのですか」
「う、受け取ってない! 預かってるだけ!」
「あーあ始まった。 横槍入れてもいっつもあれなんだよな」
呑気にララリィが言うと、隣にいたスミレも首を傾げる。
「イチイさん、ずっとあんな感じですね。 もう毎日です」
「義兄さんいいの? 先は長そうだけど」
「構わん。 何もかもゆっくり、教えていけばいい」
イチイが読んでいた本を開くと、その本にはアクセスキーのことが詳しく書いてある。 ビャクシンは微笑んだ、彼女に託されたあのアクセスキーの謎を、いつか教える日が来ることを願って。
頬を赤くして未だに反論を続けるイチイの首元には、ビャクシンの左薬指にはめられている指輪と全く同じものが、ペンダントとして輝いていた。
第一章 完
第一章はこれで終了です。
次回にキャラの設定画とか載せれると良いなと思ってます。