言い出せないこと
生身の人間に対してのジャミング弾は、三十分間視界を失うだけ。 それが普通なのだが、不幸にもイチイは気を失った間に高熱を出した。 そのせいか、ジャミング弾の影響が三十分以上続いていた。 熱は下がったものの、視界を失っているのは不便だ。 なので───。
「イチイ、調子はどうだ」
「問題ありません」
ビャクシンが身の回りの世話をしてくれていた。 最初は何度も断って、別の隊員に頼むと言ったのだが却下された。 そもそも今はその隊員達も療養中だ、手が空いているのはビャクシンくらいしかいない。 途中でもう諦めて全てを受け入れた。
「そうだ、渡し忘れていた」
病室の窓を開けて空気の入れ替えをしてくれていた彼は思い出したように言って、何かを取り出した。
「手を出してくれ」
「はい」
彼が手のひらに乗せたのは、イチイがいつもつけている髪留めだ。 イチイは自分の髪に触れるが、確かに結んでいる髪ゴムにはいつもの髪留めがついていなかった。 恐らくあの日倒れた時に外れてしまったのだろう。
「ありがとうございます。 大切なものだったので、助かりました」
ビャクシンは髪留めを見た。 鳥の形の綺麗な髪留めは彼も見覚えがある。 それは彼女の母親も肌身離さず持っていた。
「形見か」
「はい。 お父さんがお母さんにプレゼントしたものらしいです」
親を亡くして十七年、彼女はどれだけ寂しい思いをしたのだろう。 十四歳でハイミリテリオンにやって来た時、ビャクシンは彼女を見て驚いた。 まさか両親と同じように技術者を目指すとは思わなかった。
彼女も両親が死んだ後、ビャクシンはイチイとの関係を断つことになった。 彼女は孤児院へ引き取られ、何処にいるのかがわからなかった。 ただの技術者だったビャクシンに、それを調べる権利などなかった。
ここだけの話だが、ビャクシンはどうしても彼女を技術探索科に引き抜きたかった。 副局長の権力を使ったのもそれが初めてだ。 やっと見つけた上司の子供、彼女を守らねばと強く思った。
ビャクシンは何も言えず、ただ静かに佇むことしかできなかった。 大きな機械の尻尾が音もなくしな垂れる。 ジャミング弾で視界を失っている間は虚像を使わないようにしていた。 彼女に触れることができないと不便だった。
自分のこの大百足の尻尾は、イチイに見せたくない。 彼女の両親は大百足に殺されたのだからこんなもの見ない方がいい、本当は側にいない方がいい。
そう分かっていても離れることはできなかった。 彼女の成長を見守りたかった、危険な事から守りたかった。
いつの間にか、自分の隣には彼女がいた。 それが普通だと、そう思うようになった。 自分は、醜い尻尾を持っている凶暴な殺戮者だというのに。
「……明日、再び廃施設の探索を開始する予定だ」
「え? みんなは……」
「私一人で探索に行くつもりだったが、皆連れて行けとうるさくてな。 怪我の癒えている者は連れて行く」
「副局長、私も……」
「お前は待っていろ」
案の定、そう言われると思っていた。 イチイが悔しそうな顔をして、そして拗ねたように毛布に包まってしまう。 そんな反応をするイチイのことは初めて見るので、ビャクシンは少し驚いたように目を見開いていた。 彼女は二十四歳で、それでも他より大人びている。 そんな彼女にこんな一面があったとは。 だんだん微笑ましくなって、ゆっくりとベッドへ近づいて彼女の頭を撫でる。
「心配せずとも、お前の仲間達の安全は保証する」
「副局長もです。 ちゃんと、帰ってきてください」
「ああ」
ビャクシンが短く別れを告げて踵を返す。
イチイは毛布の中から出てきてその後ろ姿を見た。 実は、視力はもう戻っているのだ。 でもどうしても言い出すタイミングがなかった。 一人きりになった病室でイチイは考える。
「こんなの、副局長の親切心を踏み躙ってる……。 言わなきゃいけないのに、なのに……」
彼はいつになく柔らかい表情をしている。 それが珍しくて、どうしても長い時間見ていたいと思ってしまう。 別に今まで気になったことなどないのに、彼の低い声でああやって優しい表情をされると妙な気分になる。
「それに、あの尻尾が、あんなの……」
いつからこんなに自分は不誠実になってしまったのだろうか。 イチイは何度目かわからない大きなため息を吐いた。