十、バベリー男爵家への訪問
(1)マリアとの面会
五十年間の寝たきりって、筋力が無くなって歩けなくなるように思うんだけど、シャーロットさんは最初から歩けたわ。 その歩行はとてもゆっくりだったけど、貴族のお嬢様の作法なんだと思ったら、それ程不自然ではない感じよ。
「シャーロットは言わば、魔力の海の上で浮かんでいたようなもんだから、お前さんが見てきた下町の爺さん婆さんと一緒にするでないよ」
とオリビアさんに言われるほどだから、私の疑問は顔に出てたみたい。
「あら。 本当は歩くのはきついのよ。 でも、足を萎えたままにはしておけないでしょ」
とシャーロットさんは笑って答える。
優雅だわ~。 何が?って、 その笑顔がよ。
親と同じくらいの年代に見えるんだけれど、笑うといきなり少女のような表情になるの。それでいて気品があるって無敵よね。
こんな女性を『ケセラ』の儀式で犠牲にしたなんて、泣いた男性はいっぱいいたと思うわ。
オリビアさんは、シャーロットさんに責任を感じてるみたい。
オリビアさんは何も語らないけれど、世界樹が『ケセラ』をアマウス国に貸すのを手伝ったのかな?と思ってる。
エイブリーさんがお弟子さんの所から帰ってきて、シャーロットさんをエイブリーさんのお弟子の所で引き取ろうかという話が出てきたんだけれど、オリビアさんがいい顔をしないの。「他所で苦労しなくてもいい」って思ってるみたい。
でも、このエンセスター村は普通の人間はいないの。
私も十五歳を過ぎたら出ていかないといけないって言われたわ。十五までは子供で半人前だから許されるんだって。
だけど、シャーロットさんを普通の人かどうかって、悩むところよね。
シャーロットさん本人は今後どうしたいか聞いてみたら、弟に会ってから決めたいという答えが返ってきたわ。
ガルクか。 今どうしてるんだろ?
以前、オリビアさんにイムル河がどうなったのか聞いてみたら、「竜神との話はついてるみたいだから心配しなくていいよ」って答えが返ってきたから、故郷の事を考える事を辞めてたのね。マリアママの事があったから、バベリー男爵家や王都の幼馴染みたちの事を考えるのが私の中で鬼門になってる。
エミリーが私の事を思ってくれてることはわかる。『ケセラ』の儀式の時の姉の態度も、決して私を身代わりにしようとしてなかった。『ケセラ』の事がなかったら、私が生れてきていたかはわからないけど、生まれてたとしたら、普通の姉妹として仲良くやれてたんだろうなと思う。
わかってはいるんだけど、なんだろう? そことは距離を置きたい気分なの。下手に触れたら、自分が何を言うかわからない。
そんな話をエイブリーさんと話してると、
「そのマリアって人に会うかい?」実に、簡単に言われたの。
「会えるの?」
「だって、アンナはオリビアの『マリアは大丈夫』という言葉に納得してないんだろう? だったら、本人に会って確認するのが一番簡単じゃないか」
「納得してない訳じゃないわ。 マリアママだったら大丈夫だってわかってる。ただ、マリアママに会えない私が可哀想なだけ」
「アハハ! えらく正直だね。 そろそろ冥界での審査が終わって、向こうでゆっくりするのか、さっさと生まれ変わるのか決めている頃だと思うよ。オリビアの愛し子だったんなら、オリビアの下で精霊になるだろうと思うがね。違う人生を選ぶこともある」
「マリアママ、生まれ変わるのかな?」
「さあね。 ただ、そんなに焦らなくてもあんたは、そのマリアさんに会えると思うよ。一度できた縁はそんなに簡単には消えないからね」
「お願いします。私、会いたい」
「一日待っておくれ。あんたを冥界に連れていく訳にはいかないから、中間地点で待ち合わせをしないといけない。向こうとも話をつけないといけないからね」
翌日の朝食後に、エイブリーさん宅に行くと、エイブリーさんは待ってくれてた。
「おはよう。向こうとは話はついてるから、出かけようかね」
と言って、エイブリーさんは奥から全身を覆うことが出来るローブを持ってきたわ。
「今から行くところは、生者には身体に悪いからね。これで全身を覆いな」
「わかったわ」
「死者と生者の境目には、向こう側に行けなくて藻掻いている中途半端亡者がうろうろいてね。油断したら、向こうに引っ張られるから気を付けるんだよ」
私はエイブリーさんと村の入り口まできて、一気に死者と生者の境目まで飛んだの。
死者と生者の境目は不思議な場所だった。
宙に浮かんだ浮島のような場所で、薄い霧に覆われているの。下は深い渓谷で、見上げると虹の階段が現われては消えてを繰り返してる。
「アンナ」
霧の向こうに女性の人影が浮かんだ。
私を呼ぶ女性は、マリアママの面影はあったけれど、ずっと若くて奇麗だった。
「ほら、何してるんだい? あんたの大事なマリアさんだろ」
固まってしまった私の背中を、エイブリーさんがそっと押してくれる。
「ママ … 本当にママ?」
「ええ。 アンナ よく来てくれたわね」
マリアママの声だ。 幼い頃、寂しくて寒くて仕方なかった私を慰め温めてくれたのは、この声だわ。
「ママ …… ママ ごめんなさい。 私のせいで、 私が死ぬはずだったのに 本当に ほんと …う に ご めん さい」
どうしよう。涙が止まらない。
そしたら、ママに抱きしめられた。 ママの匂い。 うん、間違いなくマリアママの匂い
「泣かないで。 別にアンナのせいではないし、それに、わたし少しも後悔してないんですよ。 寧ろあの時、アンナを連れて逃げ出せた自分を褒めてやりたい気分」
「ママ」
「アンナ、ずっと立っているのもいいですが、あそこにある長椅子に座りませんか」
マリアママがそういうと、長椅子が霧の向こうに現れたの。
マリアママに促されて長椅子に座ると、マリアママが話を続ける。
「少し前にね、ケセラの魔法で身動きできなかった三人がこちら側にきたんですが、マリアはその三人に凄く感謝されましてね」
「三人?」
「ええ。ライアン君とソフィアさんと、魔術師のトーマスさん あのまま、ケセラの中にいたら、魂の消滅もあったっていうから、本当にいいタイミングだったんですよ」
「シャーロットさんは二人だって言ってたけど、やっぱり居たんだ三人目」
「トーマスさんが一番早くに亡くなったそうで、その存在がなくなりかけてましたから気付かれなかったのかもしれませんね」
「ママはどうやって、 いや、やっぱり いい」
「私がどうやって亡くなったかですか」
「うん」
「実は、アンナが連れ去られようとしたときに、警備兵の一人に飛び掛かりましてね。払いのけられて頭を強く打ってしまいました。えへへ。私自身の遣らかしです」
「えへへ じゃないわよ。 寂しいじゃないの。眠れない夜に誰に暖めて貰えればいいのよ。辛くて仕方ない時に誰に愚痴ればいいの。 優しくしたいと思った時にいないなんて、そんなの、そんなの いやだよ」
「アンナはまだまだ子供だったんですね。 十三歳のお姉さんになったと思ってたのに」
「なんでよ。 揶揄わなくてもいいじゃない」
「アンナ 人は必ず死にます。 アンナも絶対に死ぬの。だから、私が亡くなったことで誰かを恨まないで欲しい。 それと強くなりなさい。貴女にはあなたの味方になってくれる人達が現われるから」
「わかったわよ。 ていうかわかってるわよ」
マリアママの事は、私が乗り越えていかなければならない事だって、本当はわかってるの。今、ここにいるマリアママは清々しい姿をしている。それをわたしの泣き言で汚しちゃいけないってのも十分にわかってる。
― わかってるのよ。
「アンナは、色々な花を育ててるそうですね」
黙って見ていたマリアママが突然話題を変えた。
そして、悪戯気に右手の人差し指をくるくる回すと目の前の霧の空間が晴れて、私の薬草畑で木蓮の苗木の世話をしているディガーさんの姿が見えたの。
木蓮の木は、樹皮はお腹の薬になるし、つぼみは痛み止めになるって言ってわ。それ程高くはならないし、暑さにも寒さにも強いからお勧めですって押されたの。「木蓮の花は薄紅糸で春に咲くんです。楽しみですね」とも言ってたけど。
「こうやってね。 アンナが今どうやってるかな? って思ったら見る事ができるんですよ。ディガーさんは有能ですね。心から花を慈しんでる」
「ママは、私の事をよく眺めているの?」
「ええ。しょっちゅう。 後、同じ寮で過ごしていた同僚たちが理不尽な目に合ってないかとか、 昔勤めていたお城の若様が無茶をしていないかとか、マリアは結構忙しくいろんな人を眺めています」
「ママ、それって恥ずかしいから、たまにでいいよ。それに私が育ててるのは、薬草ね。 花にだけに限らないわ」
「アンナは薬師になって、薬草学の本を作るんですもんね。わたし、それをアンナから聞いた時は本当に感動したんですよ。貴族の人たちは、癒しの魔法があるけれど、魔法を使えない者は、薬に頼るしかない。なのに、薬はとても高価で本当に必要な人には回らない。それに文句を言いたくても、薬の専門家になるには、凄くお金をかかるから、高価なのも仕方がないんです。アンナが薬草学の本を作れば、自分の努力で薬師になれる人が現われます」
ごめんなさい。 私、そんな高尚な考えなかった。 金儲けがしたかっただけなの。
「アンナお嬢様は、賢いですからね。楽しみです。 マリアは、生まれ変わるか聞かれたのですが、しばらくアンナお嬢様の生き方を上から観察することを選んだんですよ」
「ママはずっと私を見てるの?」
「ええ。 アンナを守ってよかったと思い続けられるように、生きて貰わないと」
「生き様を見るって事ね」
「まあ。 随分古風な言い方をご存じなんですねぇ」
死者と生者の境目という場所は、生者がずっといる事は良くない場所のようで、エイブリーさんから、もともと面会の時間は短い事は告げられてたの。
「もう、そろそろ時間じゃ」
でも、実際に別れの時間を言われると辛かった。
「エイブリーさん、アンナの事よろしくお願いします」
「ああ。 わかってるよ」
行きとは逆に、エイブリーさんに触れると、今度はエンセスター村の入り口に立っていたわ。
(2)バベリー男爵家への訪問
シャーロットさんがガルクに会いに行きたいというから、同行することになったの。
人は、大昔に分かれた姉が、それも死んだと思われた姉が、自分よりずっと若い姿で現れた時素直に認められるでしょうか。
答えは否よね。
亡くなった時の姿そのままならまだしも、それから大分成長しているし。『ケセラ』の儀式から逃れられたのだとしたら、若過ぎるし。
そう思って、身柄保障の為にシャーロットさんと王都を訪れたの。
私たちを送ってくれたセオドラさんは、王宮の方へ行ってる。っていうか、今回のアマウス国の訪問は、王宮に用があるセオドラさんに便乗して連れてきてもらったのね。
今回の訪問で一番驚いたのは、やはり王家が追い出されてた事ね。
竜神様はアマウス王家を許さなかったのね 当たり前だけれど。
セオドラさんは、今王宮にいる人たち、アラランド国から派遣された臨時政権の主たちと知り合いみたい。
土の精霊と知り合いってどんな人なんだろう。
今回のイムル河の件で、竜神様を宥めて、帝国軍を巻き込んだのは、オリビアさんとエイブリーさんとセオドラさんの三老人の仕事だと思うから、セオドラさんが訪ねていくのは不思議ではないんだけど、きっと凄い人なんだと思うの。紹介して貰いたいとは思わないけれど。
バベリー邸は以前よりひっそりしていたわ。
でも、荒れてる雰囲気はなかったから、それなりに上手くやってるみたい。
だけど、以前ならいた門番のお爺さんがいないから、中への取り次いでもらえなくて困ったわ。
まぁいいか
「困ったわね。人はいないのかしら? やはり、先触れで許可を貰てからでないと無理なのかしらね」
シャーロットさんは横で言ってるけど、あの村にいてそんなことは不可能なのよね。
戸惑い気味のシャーロットさんの手を取って、勝手に敷地内に入ったわ。
礼に欠けるかもしれないけど、この家の者で私にそんなものを期待する人なんていないでしょ。玄関のドアに手を触れたんだけど、
「どちら様?」
と向こう側から開いたの。
開けてくれたのは、何と、この家の令嬢のスーザン嬢 私のお姉さんなのでした。
なんだろう。 私、少し緊張してる。でも、すんなり姉さんって呼べたの。
「お姉さん、ガルクいる?」
「挨拶位したらどう?」
姉は少し呆れた表情を浮かべてたわ。
「硬い事は言いっこなし。 それより」
私は、シャーロットさんの腕に自分の腕を絡ませて「ジャーン、この方、何とガルクのお姉さんなのでした」とシャーロット様を紹介したの。
「まぁ」
姉は驚いたようだけれど、思い当たる事があったみたい。
姉もガルクのお姉さんが、【神の花嫁】だったことを知ってるのかな?
姉は、シャーロットさんを凝視している。魔力を抜かれてカラカラに乾いていた姿を見てるから信じられないんでしょうね。
姉のそんな無礼な態度に、シャーロットさんは微笑で対応している。
姉が貴族社会で生きていくために、男爵は家庭教師を雇っていたけど、表情が読みやすいわ。貴族令嬢、失格ね。
「ガルクは、もう」
「死んだの?」
「勝手に殺さないで。 お父様がいる別荘とこちらを行き来しているから、屋敷を出たと言いたかったの」
ガルクって、まだこの家で働いていたんだ?
バベリー男爵家のこと嫌いだから、とっくに捨ててるって思ってた。
私、ガルクの行く先を聞くつもりでここに来たのね。
「ガルクって、もういい年でしょ。 あまり頼るのもどうかと思うけど」
「そうね。 ジェイソンが当主になるのと同時に、引退するのが決まってるのよ。 それまでは頑張るって、本人が言ってるの」
「男爵は引退するの?」
「もう男爵じゃないわ。 アマウス国が認めた爵位は取り上げられたの。その代わり年金をもらってるから、仕方がないわね。後一年でジェイソンが貴族学校を卒業するから、ジェイソンが、それと同時に当主になるわ」
ガルクが戻ってくるのは一週間後だというから、一旦戻ることにしたの。
姉はそれまでの滞在を勧めてきたけど、私たち二人の滞在を許すほどに余裕はないように見えたわ。私は貧乏暮らしで育ったもんだから、気にはならないけど、シャーロットさんは、生粋の伯爵令嬢だもの。本人は気にしないかもしれないけど、ことらは気にするわよね。
王宮から戻ってきたセオドラさんは、男爵のいる別荘に送ってくれるって言ったけれど、私は元男爵夫妻に会いたくないのね。
「シャーロットさんだけでも行ってくれば」
「何を言っとる。アンナが身柄保障してやるんだろう?」
「そうですわ。私をガルクのところに連れて行ってくれないと、私は今のガルクの顔を知らないのですよ」
二人は私が持ってる男爵夫妻への感情を知ってるから、無理強いしなかったわ。で、一週間後に再び訪問することになったの。
その日、バベリー男爵家に着くと、ガルクは玄関先で待ってたわ。
私たちを待っているガルクは、私が知ってる悪人顔から脂分が抜けた素の顔をしてた。素の顔をして、シャーロットさんの前に立つガルクは、見掛けの年齢差は逆なのに、ちゃんと姉と弟に見えた。
「姉上」
「ガルクはすっかり、お爺さんになってしまいましたね」
「姉上、私は姉上の前に顔を出せる立場ではないのです。コリンズ家を守れませんでした」
「今となったら、そんな事、どうでもいいじゃありませんか。国自体がないんですもの」
私たちは、姉弟を二人きりにして、その場を離れた。
私は、今日、ここに連れてきてくれたオリビアさんに、自分が育った離れを案内したの。
私の部屋とダイニングとキッチンしかないだけど、不自由を感じたことはなかった。
「随分、工夫を重ねて暮らしてたんだね」
オリビアさんは、マリアママが修理した鍋を見てた。
鍋の取っ手が外れたんだけど、外れた木の部分がもう使えないからって、同じくらいの木の枝を拾ってきて直していたわ。
考えてみたら、家政婦の仕事ではないわね。
「この離れ、どうしたいか希望はあるのかしら」
って、姉に聞かれたけれど、好きにしていいって答えたわ。
だって、あの時、全部捨てて家を出たんだから、振り返らないのがいいと思うの。
シャーロットさんとガルクの間にどんな話し合いがあったかは知らないわ。
ただ、シャーロットさんは今まで通り、オリビアさんの側で暮らす事を選んで、ガルクは修道院へ行くことにしたという結果だけ聞いたの。
ガルクは規律の厳しい修道院を選んだそうよ。
「もういい年なんだから、何もそんなに厳しいところを選ばなくてもいいのにね」
「いい年だからだそうです。埃まみれの人生だったから、少しでも奇麗に洗い流して、神のもとに召されたいと申しておりますの」
シャーロットさんは、少し寂しそうだったけど、ガルクらしい気もしたわ。
「な~に 心配なら時々見に行けばいいさ」
「でも、それだったら、規律の厳しい修道院の意味がないんじゃ?」
「向こうに気付かれなけらばいいのさ。方法ならいくらでもあるから」
本当に、オリビアさんはシャーロットさんに甘い。
でも、それでシャーロットさんが幸せそうなので、いいのかもしれない。




