夏には避けて通れない戦い
『助けて、死ぬ〜』
中島 三月は、そのメールを一瞥しただけで放置して、鉛筆を持ち直した。
八月三十一日。悪友の、古屋あんりから届いたメール。真相は、考えるまでもなく明確だった。なぜなら三月自身、それに追われていて、助けを求めたい気分だったから。
――ナツヤスミノ、シュクダイィィィッッ!
なんとなく格闘技ぽくに言ってみた。
さすが小学校六年間の集大成、無駄に量が多い夏休みの宿題。お受験組への配慮のかけらも感じられない。自分関係ないけど。
これでも夏休みをエンジョイしようと七月中にも宿題をこなしたのだ。――簡単なやつを。で、後回しにしておいたものをすっかり忘れてしまって、翌月の月末に至る。
この一か月何をしていたのよっ、と自分の行動に愚痴る。遊んでいたんだけど。
優等生ぶっている双子の弟、弥生はとっくに宿題を終わらせているが、お姉ちゃんを敬う気持ちはなく、非協力的だ。そんな彼の宿題を、泣かしてでも強引に写していたのは去年までの話。自分はもう、来年は中学生なのだ。そんな子供っぽいことはしない(母親に告げ口され、そのお仕置きが怖いことを、六年目にしてようやく悟ったこともある)。
とにかく自分の力だけで、この難敵に立ち向かってやろうじゃないの。
手にした鉛筆を動かす。腕も指も問題ない。いつでも働く準備はできている。けれど問いの答えが分からなければなにもできない。うーん。
鉛筆を人差指の上でくるくる回す。三回転に成功したとき、ぴぴぴと再び携帯が光った。
『……も、だめ。ぐふっ』
死んだ。
まぁ、いいや、これで静かになるだろう。
三月は消しゴムを手に取り、ドリルの半分を覆っていた落書きを消す。消し終わったら消しゴムが真っ黒になった。見栄えが悪いので、白いところを擦って綺麗にする。ついでに究極の球体を目指してみる。
ぴぴぴ……
『三月は冗談だと思った。ところが新学期。踏み入った教室の美少女あんりちゃんの机の上に置かれていたのは一輪のバラ……』
死人がメールを打つな。
ていうかこんな長文を……と呆れつつ、三月はふと思った。もしかしてこいつ、暇?
宿題を手伝ってほしいのなら、電話して頼めばいい。メールを打つよりずっとてっとり早い。
しかしそれをせずに、わざわざメールを打っているということは、単に、自分をからかって遊んでいるだけかもしれない。そんな余裕があるってことは、宿題は終わっている可能性、大。
三月は考えた。ここはうまく話を合わせる。そして助けるふりをして、彼女の家に押しかけよう。もちろん、宿題を持って。あとは泣き落としでも何でもして宿題を写すっ!
さっそく、あんりに電話をかけてみる。だが呼び出し音はすぐに「ただいま電話に出ることが……」に変わった。仕方ないので、メールに付きやってやる。
入力する。
えーと、『どした? 助けてって、宿題?』
『夏には避けて通れない戦いなのだ』
三月は思いっきり避けたかった。それができないからこうしているわけで。
えーと、『了解。助けにいってしんぜよう』
『来るときは新聞を持ってくるが吉』
新聞? さては、日記の宿題だな。一か月前の天気なんて覚えてない。だから昔の新聞を見て書くつもりか。
『なければ、スプレーでも可なのだ。むしろ良』
スプレー? なんだろ。もしかして自由制作か。てことはあんりは自分より遅れている可能性がある。それじゃ役に立たないじゃん。
…………
ま、いっか。面白そうだし。優越感にも浸れるし、転換したい気分だったし。
えーと、『分かった。それまで死ぬな』っと。
メールを送信した三月は、宿題一式と適当な日付の新聞一部(全部じゃ重過ぎるし、すでに古紙回収に出ていてそんなにない)を持って、家を出た。蛍光塗料のスプレーは見当たらなかったので持っていかない。あんりからすればぜんぜん役に立たないだろう。けどかまわない。
目的は、転換したい気分(気に入った)と優越感だ。もし宿題を写せる部分があったら、ラッキー。とそんな気持ちで、あんりの家に向かった。
☆☆☆
やつを逃がしてその存在におびえるよりは、ここで一戦を交えてしとめるべきなのだ。
そう決断して真っ先に扉を閉めた。退路を断つ。おかげで武器は取りにいけない。家族は不在。なんとか携帯を使って、近所の三月を呼んだ。相手を刺激しないように、通話ではなくメールで。
もうしばらくしたら、三月が駆けつけてくれるだろう。なんか勘違いしているみたいだったけど、一人より二人。来てくれるだけでもいいので、放っておいた。
ふと思い出す。
そういえば三月も、あの活発な性格に似合わず、この「黒い虫」は苦手だったっけ。
…………
ま、いっか。面白そうだし。
☆☆☆
「っぎゃぁぁぁぁぁ!!」
構想時はタイムリーなネタだったのですが、すっかり季節遅れとなってしまいました。反省です。