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教室に着くと自分の席を探した。成績順で決められたこのA組にはさすがに平民の生徒はいないようだ。貴族の家では幼いころから家庭教師について学ぶが、平民ではそれも難しい。上位のクラスに入ろうとすれば並大抵でない努力が必要となるだろう。だが平民は家の手伝いをしなければならないことが殆どなため勉強の時間がとりづらい。必然的に下級生の頃は上位クラスに貴族、下位クラスに平民といった構造になりがちだ。しかしこの学園に通う平民たちはそんな環境の中入学試験に合格し、奨学金をもぎ取ってきた猛者たちだ。学年が上がるにつれて上位クラスに食い込んでくるのも当たり前のことだった。
私は席に着くとさりげなく周囲を見回した。特に知った顔はいなさそうだ。今までほとんど社交もしてこなかったし、まあ当然の結果だった。男子生徒に比べて女子生徒は思ったよりも少なそうだ。
(この中の誰かとお友達になれるといいんだけれど。)
そのまま観察していると視線を感じた。振り向くとそちらには女子生徒がいた。が、本を読んでいる。私は気のせいかと思って振り返ろうとしたが、はっとして視線を止めた。女子生徒が読んでいる本、その本が間違いなく私の愛読書の一つと同じだったからだ。
(貴族令嬢と王子様の恋物語・・・。間違いない。最近発売されたばかりの大衆恋愛小説だわ。お母様ご推薦で私もお気に入りの一冊だもの。間違えるわけがないわ!)
私は完全にその女子生徒のことが気になっていた。今はたまたま読んでいただけで、普段はそんな本は読まないのかもしれない。
(それとも普段から読んでいて他にも素敵な本を読んでいるのかしら。
だとしたらぜひお友達になりたいわ!)
思わぬところで出会った大衆恋愛小説ファン仲間に胸が高鳴ったが、一度冷静になろうと思い直す。
貴族令嬢が大っぴらに大衆恋愛小説を読んでいると吹聴するのは体裁が悪い。レイナルド殿下にはつい伝えてしまったが、本来はあまり良しとはされないのだ。だからしばらく様子を見ることにした。
(もし他にも大衆恋愛小説を読んでいるようだったら、その時には声をかけてみましょう。)
こうして教室でのひそかな楽しみができた。
今日は初日だったため授業はオリエンテーションのようなものだけだった。早々に教室を後にした私は、お兄様が用事を終えて馬車に来るのを待つ間、学園を探索しようと思ってまだ行っていない方角に足を向けた。お兄様はレイナルド殿下の側近として生徒会役員を務めているので、その関係で用事があるらしい。1時間くらいかかるから先に帰ってもいいと言われたのだが、せっかくなので学園を探索しようと思って待っていると伝えたのだ。
学園は広く、ところどころに木々が生い茂り木陰が心地よさそうだ。木々を見ながら渡り廊下を歩いていると、木の根の間に足が見えた。
近づいてみると木の根元に燃えるような赤が揺れている。
私は足音を消してその赤いものに忍び寄った。
「アドレアン様!!」
耳元で大きな声をあげると、アドレアン様は驚いて飛び上がった。幽霊でも見たかのような表情でそろそろとこちらを振り返る。
「アドレアン様、お久しぶりです。」
つい満面の笑顔がこぼれ出る。
「ルーチェリア・・・。驚かすなよ。心臓に悪い。」
アドレアン様は変わっていなかった。相変わらず真っ赤な髪は燃えるようだし、こちらを射抜く瞳はちょっと鋭い。身長こそだいぶ高くなったけれど、昔のアドレアン様のままだ。
「アドレアン様はこんなところでまたお昼寝ですか?アドレアン様が全然変わってなくて嬉しいです。」
「俺もお前が全然変わってなくて嬉しいよ。俺の昼寝の邪魔をいつもしてくる。」
アドレアン様は皮肉っぽくそう言うと、大きく伸びをした。その横顔が以前より精悍になっていて、アドレアン様もやっぱり男の人なんだなぁ、となんとなく思った。
私がぼんやりアドレアン様を眺めていると、アドレアン様がニヤニヤしながら言ってきた。
「入学式見てたぞ。お前新入生代表だったんだな。領地での勉強の成果が出てたみたいでよかったじゃないか。」
「~~~!!もうアドレアン様、どうしてそういうところだけはちゃんと見ているんですか!居眠りでもしててくれればよかったのに!」
「お前が領地で手紙も書かずにどんな勉強をしていたのか気になったんだよ。」
アドレアン様との手紙のやりとりを意図的に減らしたため、アドレアン様には心配をかけてしまったようだ。
「それは・・・。アドレアン様も学園に入るし、あんまり手紙を書きすぎるとお忙しいところご迷惑かなぁ?と思って・・・。」
つい言いよどんでしまう。
「ふぅん?まあ元気なようでよかったよ。2年も会ってなかったからちょっと心配ではあった。」
「ごめんなさい。」
私は素直に頭を下げた。
「いいよ。クリストフにもほとんど会ってなかったんだろ?クリストフがいつも寂しがってた。
その度にレイナルドまで一緒になって寂しがるから結構鬱陶しかったんだぜ。」
「はい。お兄様とお父様にはすごく寂しい思いをさせてしまったみたいで。ちょっと反省してます。
しかもレイナルド殿下まで・・・。」
最近のレイナルド殿下の反応はそれが原因かと思いいたる。私が領地にこもっていたことがいろんなところに変な影響を与えていたようだ。
「前に手紙で書いてたけど、レイナルドのファンは見ただろ?生で見た感想はどうだった?」
レイナルド殿下がしゃべったり、微笑んだりする度に巻き起こっていた黄色い悲鳴を思い出す。
「やっぱり王子様ってすごいんですね。生きてるだけでおとぎ話の世界の人みたいでした。」
その後も、アドレアン様が馬車の前まで送ってくれるまで私達はしゃべり続けた。
アドレアン様と会うのは久しぶりだし、領地に戻ったばかりの頃まではひどい精神状態だったからこんな風にしゃべれる日がまた戻ってくるなんて思っていなくて、とにかく嬉しかった。
アドレアン様に手を貸してもらって、後ろ髪をひかれる思いで馬車に乗り込もうとした私にアドレアン様がかけてくれた「またな。」の言葉に泣きそうになった。