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今日も家に帰ってくるなり編み物に取り掛かった。レイナルド殿下のタイということもあって、少しも気が抜けない。目の大きさがそろうように、糸がほつれたりしないように。気を遣いながら編むのは思った以上に心身が疲労する。でも少しずつ出来上がってくるのを見る度に胸がわくわくするのも事実だ。
しばらく集中して作業していたせいか、ノックの音にも気が付かなかったようだ。ふと顔を上げたらレベッカがお茶の準備を整えて出ていくところだった。びっくりした。全然気が付かなかった。そのまま視線をずらすと、紅茶や焼き菓子と共に手紙が置かれていることに気が付いた。私は編み物の手を止めて休憩をすることにした。
『言いたいことは色々あるが、何から書けばいいんだろうな。
とりあえず、お前が俺に婚約者をつくってほしくないと思っていることだけはわかった。
それだけは。
心配しなくても俺はしばらく婚約者をつくるつもりはないから安心してくれ。まあ、安心しろという表現が正しいのかどうかはわからないが。
家族もそんなに焦って婚約者を探している様子もないし、しばらくそんな話は出てこないだろ。
どうしてそんなに婚約者をつくらせたくないのかは、わからなかったことにしておいてやる。あんなことを間違ってもレイナルドには言うなよ。というか、他の奴にそんなことを言ってほしくない。お前の評価を下げるだけだよ。
ルーチェリアも言っていた通り、ルーチェリアとは長い付き合いになってきているけれど、正直まさかあんなことを言われるとは思わなかった。
振られそうになっている恋人や婚約者にでも言うことだろ。婚約解消されかけているとか、別れ話が出ているとか、浮気されているとか、そういった類の理由でもなきゃ普通言わないぞ。
とにかく、俺に婚約者はしばらくできない。
編み物が得意だっていうのは初めて聞いた。刺繍が得意なご令嬢の方が多い気がするがルーチェリアは編み物なんだな。俺には別世界の趣味だ。刺繍は下絵の上に色を付けていくってイメージだからまだわかるが、一本の糸で編んでいく編み物はどうなっているのか全くわかる気がしない。
お前意外とすごいんだな。作った作品を見たわけじゃないから想像しかできないけれど。
俺の部屋の机の引き出しはお前からの手紙でほとんど埋まってるよ。俺もお前専用の文箱を用意するべきだな。完全に机がお前専用になってるよ。
レターセットに気を遣ったり、シーリングスタンプにこだわったりっていうのは俺にはないな。いいんじゃないか。お前らしくて。
でもお前のせいで俺は筆まめだと使用人に思われているみたいで、レターセットは山ほどあるよ。お前と手紙のやりとりをしていることは使用人には知られてるし、お前の方が変わったのに気が付いたら、使用人が俺の方も変えるかもしれないな。
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・』
なんだかいつもより長い手紙を開くと、すぐ出てきた内容にひとりで軽く赤面する。我ながらとんでもない手紙を送ってしまったものだ。心優しいアドレアン様には感謝しかない。
でもよかった。アドレアン様にしばらく婚約者ができそうにないと聞いてほっとする。恥ずかしい手紙を贈った甲斐があるというものだ。
気を取り直して編み物を再開することにする。白い糸で編まれた大きなサイズの薔薇の間に、金色の小ぶりな薔薇が入っているのが見ていて美しい。金の色もあまり強くないものを選んだ。これならレイナルド殿下が首に巻いていても不自然な色合いではないだろう。繊細な花びらの模様を編みながら、今度はレイナルド殿下のことを考える。
レイナルド殿下と初めて出会ったのは、アドレアン様に出会ったのと同じあの日。王宮でのお茶会だ。お茶会の席で見たレイナルド殿下はどこから見ても完璧な王子様だった。完璧すぎてまるで遠い世界の人のようだった。温室で話しかけられた時、妙に胸がもやもやしたのは今でもよく覚えている。レイナルド殿下のことを考える時は、今でもわりとそんな気分になる。以前よりは落ち着いてきたような気もするが、それでも胸がもやもやして落ち着かない気分になってくる。最近はその落ち着かなさが増したような気がする。レイナルド殿下のことを考えてドキドキするほど、どうしたらいいかわからない焦りにも似た落ち着かなさともやもやが襲ってくる。他の人相手にはそんなことないのに、レイナルド殿下相手ではいつもそうだ。落ち着かない中にどこか愛しくてたまらないような気持ちが潜んでいることに最近気が付いた。もやもやすればするほど、愛しさも募っていくような気がするのだ。この気持ちは何だろう。まるでレイナルド殿下に惹かれるのが初めから決まっていたようなそんな気にさえなってくる。