第一章8 「チェイサー」
扉の向こう側に『ゲート』を開き、直接宿の自室とつなげ部屋へと入る。そのまま靴を脱いで、ベッドへと身を預けた。
手の甲で視界を遮り、寝返りをうって仰向けになり、レンは物思いに沈む。
長々と溜息を吐くレンの胸中を占めるのは、失望と落胆だ。レンは血の味がするほど強く、奥歯を噛み締めた。
が、出血はすぐさま止まり、残ったのは錆びた鉄の匂いと、虚無感のみ。
彼女に対する期待が大きくなっていた分と比例して、余計に気分が落ちているようだ。
それに――、
「いや、これでいい。……これで、いいんだ」
自分に言い聞かせるような繰り言。レンは目を瞑り、意識を切り替える。
彼女が鍵とならないのならば、今まで通り日々を過ごすだけだ。
ただ、一つ気がかりがあるとすればあの少女の……、
「…………五月蠅い」
レンは顔を顰めて、聞こえてきた声を一喝。彼等を黙らせる。憂鬱だ、今日は本当に厄日だと思いつつ、ふと魔刻砂に視線を移す。
サラサラと落ちる青色の砂は、ちょうど六本目の半分ほどが落ちているところだった。
「もう、こんな時間か」
この部屋に帰ってきてから、かなりの時間が経過していたらしい。意外と長く物思いに耽っていたようだ。
「……ちょうどいいか」
気分を入れ替える意味でも、腹の空き具合という意味でもちょうどいい。レンは柔らかいベッドから、上半身を起こす。
それからベッドから降りて靴を履き、部屋を出ていつも通りギルドに向かおうと足を進める。
先ほどは尾行されないようにと『ゲート』を使ったが、いちいちあんなものを使うのは疲れる。
それに加えて術式の構築も面倒臭く、どこかへ移動しようとするたびに使おうとは思えない。
「……っ」
廊下を出て階段を下りているところで、レンは眉間に皺を寄せる。彼が覚えたのは違和感。何かがこの場所へ近づいてくる反応がある。
何か――ではない。あの魔法を他人に使ったのは、今回が初めてだ。故に、該当するのはたった一人。
――まずい。
こんなことが起こりうるのだろうか、という焦りが生まれる。その焦りがレンの思考を鈍らせ、それがさらに行動の遅れを発生させる。
あれは実験や検証、前世の知識から偶発的にできたた産物であり、もともとこの世界に存在しなかった術式だ。
レン自身も、この魔法を実際に使う日が来るとは思っていなかった。
だが、あの目をした少女ならば、絶対に自分の事を諦めないという変な自信があった。だからこそ、あれを使ったのだが。
空間魔法の応用、GPS機能と似た働きをする魔法。それが、レンがスノーに使った魔法だ。
一定の範囲内、さらに対象に意識を向けないと効果は発動しないという条件はあるが、印をつけた対象がどこにいるのかが分かる。
この魔法の名称をレンは『マーキング』と名付けたが、名付けたところで他に使える人はいないので、特に意味は無い。
使える人はいない――つまり術式の効果が分かる人はいないというのに、その反応は迷いなくこちらに向かって来ていて、
――まさか。
「逆、探知……?」
それこそまさかなのだが――いや、現状を正しく認識するならば、それしかありえない。
あの少女がそんな高等な技術っを持っているとは思えない。ならば、当てはまるのは、
「ベルっ……!」
あの狼精霊なら、これぐらいの事はやってのけそうだ。レンがこうやって考え事をしている間も、その反応はレンの元へ猛スピードで迫っている。
レンはそこでようやく止まっていた足を進め、階段を駆け下り宿から出ようとするが、
「あいたっ」
扉を押した手に何かが当たる感触と、どこかで聞いた声が宿の周辺に広がった。
レンが開けた扉の先、額を両手で抑え涙目で地面にしゃがみ込んでいるのは、白い髪をした少女だった。
少女はそのままこちらを見上げ、
「いたたた。あっ、そのっ、き、奇遇だね。こんな所でまた会うなんて」
眦に涙を浮かべ、目を泳がせどもりながら少女――スノーは再びレンの前に現れた。
そして、当然ながら彼女がいるということは、
「やあ、さっきぶりだね、レン。ホントに偶然だね、まさか同じ宿に泊まることになるなんて」
しらじらしい態度と悪い笑顔で話しかけてきたベルに、レンは盛大に顔を顰める。ベルはスノーの艶やかな髪から顔だけ出し、
「キミがスノーにつけた変なマナ、外してくれないかな? あれって、キミがスノーの居場所を知る為のものだろう? もし外さないというのなら……」
ベルはそこで声の調子を変え、轟く『風』をレンに叩きつけ、
「こっちも実力行使させてもらうし、永遠とキミに付きまとうぞ」
牙をむき出し、低く唸って威嚇をするベル。その『風』は先ほどのとは訳が違う。頑強な建物すら揺れているような錯覚を覚え、冷や汗を浮かべて半歩後ずさるレン。
これが、彼女が本気で放つ覇気。精霊王の最上位に位置する、突然変異の精霊が持つ力。だが、それでもレンはベルの『風』を真っ向から受け止め、
「お前がどうやってこの場所を……俺がいる場所を突き止めたのかを話してくれたら、解除してやる」
「自分が優位に立っていると勘違いするなよ若造。こっちはその気になれば、すぐにでもお前を殺すことが出来るんだ」
獰猛な唸り声をあげるベルの脅迫は、残念ながらレンの場合まったく意味をなさない。むしろ、レンからすれば、それが実現する方が願ったり叶ったり。
しかし、絶対にそんなことはあり得ない。故に、レンに引くつもりは微塵もない。
一人と一匹も視線が交錯し互いに戦意を高める中、スノーの澄み切った声が割って入った。
「ちょっと、二人ともこんな場所と時間にやめて。それにベル、私はそんなこと望んでないよ。どうしてそうやって、何でもかんでも暴力で……」
そこでスノーは一旦言葉を区切り、ベルを摘まみあげてジト目になって彼女を見る。
「ベル……あなた……また、嘘をついたよね」
冷たい声音でそう断言したスノーに、ベルはびくっと毛を逆立たせ『風』が消失する。どうやら図星のようだ。
「だって、彼がスノーにつけたのって、推測ではあるけど、キミの居場所を察知するための物なんだよ!? そんな、いつでもスノーの居場所を知れる魔法なんて、気持ち悪いじゃないか!」
「でももだってもありませんって、さっき言ったばかりじゃない! それに、ベルがいるなら逆説的に私たちもレンの居場所を知れるから、おあいこよ!」
スノーとベルはレンの事など眼中にない様子で、わあわあぎゃあぎゃあと口論を続ける。
レンはこの様子ではベルからは何も聞き出せまいと思い、そっと『マーキング』を解除してから、彼女達にばれないように、自然な動作で立ち去るのだった。




