第一章7 「性悪」
「それに答えてくれたら話したげよう」
弱弱しい表情と声音で、しかし目だけは鋭くしてそう言ったのは銀色に輝く毛並みの小狼だ。
突然変異個体の精霊――ベルはゆっくりと四肢をついて立ち上がり、腕を組み鋭い眼光で黒髪の少年を見据える。
小狼の視線の先、無表情を貫き体の前で手を組む少年――レンはそっと息を吐き、
「俺が何者か……だったな。お前が期待している答えは出来ないと思うが」
「別にそれでも構わないさ、聞かせてくれ」
ピンと糸を張ったように、先ほどまで弛緩していた空気が張り詰め、ベルが放ったものとはまた違う緊張感が生まれる。
ベルは三角の耳ピクピクと動かし、スノーは真剣な面持ちでこちらを見つめてきた。
もともとはスノーの方が聞きたいことがあったはずだが、聞きたかった内容とは別に自分が一体何者なのか――そこも彼女は気になるらしい。
一人の白髪碧眼のエルフと一匹の金銀狼精霊に見つめられる中、レンは小さく息を吸い、
「……俺は、ただの冒険者。どこにでもいる一般人だ」
「……」
簡潔に答えたレン。この答えに一切の嘘偽りはない。――どこにでもいるという点では、自分でも若干違うとは思うが。
ベルは金色の瞳を細めに細め、スノーは美しい相貌に翳りを見せる。
ベルが気にしていた精霊の数と位階、これは生まれつきのものだ。そもそも、精霊に好かれるかどうかはその人物の資質によるところが九割五分。
そして、それもまた魔法使いとしての才能に直結するのだが、今は関係のない話だ。
長い沈黙が場を支配する中、ベルはレンを睨みつけ……睨みつけ…………、
「……そうか」
ふぅっとベルは小さく息を吐きだし、張り詰めた場の空気を和ませるように表情を和らげる。
「すまなかったね、どうやらボクはキミについて邪推していたようだ」
「別に、俺とは初対面なんだ。普通用心深くなるもんだろ」
「……そう言ってくれるとこちらも助かる」
「ね」と片目を瞑りながらベルに同意を求められたスノーは、肯定した方がいいのか否定した方がいいのか分からないといった様子で、曖昧に笑う。
ベルはこう言ってはいるものの、その金の瞳には疑念の色を残しているように見受けられる。まだ完全にレンが只人だと信じた訳ではないだろう。
彼女の疑念は正解でもあり、不正解でもある。だが彼女の問いに対する答えとしては、レンが言ったことは間違っていない。
「それで、レンは何を私たちに聞きたかったの?」
気まずい沈黙が場に広がりかけるが、それを阻止するかのように手をたたいて話を進めたのはスノーだ。
彼女は丸い瞳で目配せして、レンに話すよう促す。それを受けて小さく顎を引き、レンは口を開いた。
「ベル、お前は空間魔法を使うことができるのか?」
空間魔法の術式が突然形を崩した時から今までの会話の内容を踏まえ、ずっとこの事を考えていた。
他人の発動前の魔法術式に干渉する。言葉にすると簡単だが実際にやろうとすると容易ではない。
それが空間魔法ともなれば尚更。
さらに言えば、どんな魔法――空間魔法を使おうとしていたこともベルは見抜いていた。
彼女が精霊神に最も近しい存在ならば――、
「キミは少しばかり勘違いをしているようだが、ボクは使うことはできないよ。あれはボクが精霊だからこそできた芸当さ」
「………」
欠伸を押し殺しながらのその答えを聞き、内心吐息をこぼす。
――期待外れ……だったか。
この世界でもイレギュラーな存在ならば、今の停滞している状況を打開できると考えていたが、そううまく物事は進まないようだ。
「俺が聞きたいことはもう聞けた。これ以上お前たちに用はない、これで失礼させてもらう」
椅子から立ち上がり、漆黒の衣装を翻してドアノブに手をかけたレン。印をつけ彼女達を残してその場から去ろうとしたが、そこをベルが引き留めた。
「差し支えなければ、もう少しだけボクたちの方に付き合ってもらえないか? スノーが聞いたことにまだ答えてもらってないのだが」
目を瞬かせながら真面目なトーンでそう言ったベルに、心の内で「喧嘩売ってんのか」と罵倒する。
しかし、レンが口を開く前に涼やかな声が割って入る。
「ベル、今日はもういいわ。ベルも私のために無理しなくていいの。もう少しで日もすっかり暮れちゃうし。……何より、レンは話したくないみたいだから」
スノーは半分瞼を閉じているベルに向き直って、首を振りながら言う。
背中越しに聞こえる彼女の声、そこにはギルドでの事に対しての申し訳なさが含まれてた。
スノーは背を向けるレンの方に顔を向けて、
「話に付き合ってくれてありがとう、できれば次の機会にまたお話させてもらってもいいかな?」
優しく語りかけてくる声にもう会うことはないだろうと思いつつ、後ろ手に手を振る。そして今度こそ空間魔法を使いレンはそのまま扉を開けて、宿の自分の部屋に直帰した。
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「……良かったのかい? 彼から話を聞かなくて」
「うん。今は、まだ」
「ふーん、ま、気長に頑張ればいいさ」
ふわぁと鋭い牙をのぞかせつつ、大きな欠伸をするベル。その眦に涙を浮かべつつも、ベルは話を続ける。
「それにしても、スノーが初対面の相手にあんなに直接的に聞いたのは、今回が初めてなんじゃないか? そんなに彼――レンは酷かったのかい? ボクにはそんな風には見えなかったけどなあ」
「最初は私もそう思ったんだけど……」
そこでスノーは言いよどみ、首を小さく横にふる。一人と一匹が取り残された部屋の中、大きく傾き地平線の彼方に沈もうとする夕日が、白髪の少女の美しい横顔を照らす。
心優しく、愛おしい少女の顔には、彼に対する憂いが浮かんでいた。少女の心を占める少年に、少しばかり嫉妬。
彼女の視線は先ほどまで部屋に居た少年が、出て行った扉に向けられ、
「でも違うの、レンは今までの人たちよりもずっと……」
「そっか。スノーがそう言うんなら、そう……なん、だ?」
「ベル? どうかしたの?」
何かが、おかしい。それに気付いたベルの眠たげだった金の瞳は驚愕に見開かれ、スノーの全身、頭のてっぺんからつま先までくまなく少女を観察する。
「そこかっ」と、ベルはスノーの手首に飛びつき、更に入念に調べ始める。そうして調べ始めて数十秒、ベルは「やられたっ」と叫び、
「スノー、悪い知らせだ。彼、キミと話をするつもりなんてさらさらないみたいだ」
「え! どういうこと!?」
「詳しい原理は分からないけど、キミの体に変なマナの残滓が取り付けられてる。このままじゃ、彼とは話すどころか会うことすらできない」
「そんな!? ……これからどうしよう」
うなだれて凹むスノー。その姿はひどくベルの嗜虐心をくすぐるが、スノーを困らせた原因がレンにあるので心境は複雑だ。
しかし、今大事なのはそこではないとベルは顎に前足をやり低く唸る。正直、ベルとしてはスノーとその家族以外のニンゲンがどうなろうが、心底どうでもいい。
だが、スノーが望むこと、願うことには、自分にできる限り応えてあげたいのだ。そのできる範囲が広い事を、ベル自身認識している。
さらに言えば、この事はベルにとっては専門分野。ならばこそ、ここで彼女の力にならなければ。
「いや、待てよ」
一つ、可能性があるかもしれない。このマナは十中八九レンのものだ。彼が魔法を使う場面も見たため、間違いない。
さらに、状況証拠と少年のあの態度から、彼がこのような対応をするとベルには断言できる。
そして、何らかの方法で察知しているのならば――、
「フ、フフフフフ」
「べ、ベル?」
「スノー、解決案が浮かんだ」
「っ、ほんと!」
「ああ」と頷き肯定する。彼の方から分かるというのなら、こちらからも分かるということだ。ならば、利用しない手はないだろう。
――彼が一番嫌がることをしよう。
心の中でそう呟き、ベルは牙をむいて獣らしく獰猛に、悪い笑みを浮かべるのだった。




