第一章3 「ファーストコンタクト」
あれから時間は過ぎ、時刻は明刻の五時。東に沈んでいく太陽が組合内を橙色に照らす中、多くの冒険者が酒を飲み、話に花を咲かせていた。
冒険者達がそうして酒杯を交わす最中、レンは陽光が届かない最早定位置となっている片隅の席で、一人読書に勤しんでいた。
朝から妙な夢を見たり、嫌な事が立て続けに起きたりしたものの、それ以降は特に何もなく、普段通りにクエストをこなして現在に至る。
「空間に干渉し特定の座標に入った物体に反応……この時込めたマナに比例して……」
ブツブツと、誰にも聞こえない小声の早口で本の内容を復唱しているが、レンの思考の何割かは別の事に向いていた。
今朝方、首を吹き飛ばしたのが、やはりいつも通りその痕跡など跡形もなく残らず元通りなってしまった。いや――なってしまう、と言った方が適切か。
傷跡すら残らないのは、肌を傷物にされないという点で女性にとっては有用な気もするが、レンにとってはひどく憂鬱な案件だ。
もっとも、こんな呪われたような力を欲する人はいないと思うが。
「……人によっては、欲しがる奴もいるか」
本のページに目を通しつつ、ぼそりと口の中で言葉をこぼした。なにせ、自分が持つ力は人によっては喉から手が出るほど欲しい物なのだから。
それはそれとして、今朝がた見た夢には何かしらの意味があると思っていたが、ただの思い過ごしだったようだ。
予言、予知、未来視など、いくらここが異世界だからといって自分にそのような力などないのだから。
――あるのはやはり、望んだわけでもない呪いのようなこの力だけで。
レンは毎日、死んでいるかのように同じ事を繰り返す。朝早く起きて、日課をこなし、シャワーを浴びて、開店一番に組合に到着。
魔獣の討伐クエストを午前中の内に済ませ、その後は図書館に行って本を借りるか、借りていた本を組合で読むかの二択。
今日の場合は後者なのだが、いつもより――というより、ここ数か月ずっとそうなのだが、クエストをこなすのに時間が掛かっている為、読書の時間が短くなっているのがここ最近の変化だろうか。
「――」
ふと、冒険者達の話声ではない別の音が聞こえたので、レンは本から顔を上げた。
耳に入ってきたのは組合の扉が開いた音と、備え付けられたベルが軽やかに鳴ったものだ。
本を片手に、顔だけを出入口に向ける。こうして誰かが組合に入ってくるたびに誰が来たのかを確認するのは、レンの習慣とも癖とも言える。
冒険者組合の扉を開けた人物の背後から日が差しこむことで逆光となり、シルエットだけが映っているので誰が来たのかはまだ分からない。
コツコツとその人が足を進める音が静かに響き、やがてその扉は軋みながら閉まった。
そして新しく迎えた人物の姿が露わになると、騒がしかった組合内が水を打ったかのように静まり返る。
全ての人が、新しく入ってきたその少女の容姿に目を釘付けにされた。
その人は目が覚めるような美少女だった。男性は間違いなく、同性の女性ですら思わず見惚れてしまうような美貌。
色白で透き通った肌に、編み込みの入った真っ白でストレートの髪が背まで伸びている。その肌と髪はまるで、何者にも踏まれていない新雪のように綺麗だ。
宙を舞い、多くの人を優しく撫でる粉雪を連想させ、儚くも美しい雪の結晶のような少女。
どこか儚げな雰囲気を纏っており、その容姿は可憐の一言に尽きるが、サファイアのように碧く輝く瞳の奥には、儚げなんて言葉を吹き飛ばすような強い意志が宿っている。
服装は白を基調とした簡素な旅装に、純白のローブを羽織っていた。肌の露出は少なく地味目だが、そんな物は彼女の魅力と魔貌の前には関係ない。
身長は百六十五センチより少し高いか。そして、その十七、八歳程に見える美しい少女の耳先は、ほんの少しだけ尖っていた。
冒険者なんて荒っぽい職業に就いているのが不思議な程に見目麗しいその少女は、組合の中を軽く見回して、少しだけこちらに目を向けた気がした。
「……」
気のせいだろうと、レンはその一言を胸中に留め、クエストボードの方に長い脚を向けた少女を尻目に読書に戻った。
なにやら周りがにわかに色めきだつのを感じつつ、先程まで読んでいた箇所を探す。
「――――」
静かになっていた組合内、しかしその静寂を破る声が二つ。
目線だけを動かして、声がする方を視認する。――どうやら、白髪の少女はチャラそうな男性冒険者に絡まれているようだ。
どうせただのナンパだろうと、レンはそれ以上新しく来た少女に目を向けるのを止めた。
普通なら――本当の所、普通かどうかは良く分からないが、もし小説の中の出来事なら主人公が割ってはいるのだろうシチュエーションだと、レンは文献を読みながら思う。
だが、レンはわざわざ少女の事を助けようとは思わない。木製の椅子に腰を落ち着かせ、その成り行きを傍観すらしない構え。
面倒ごとに首を突っ込む気はさらさらないし、少女を助ける義理などノミほどもありはしない。
それになにより、
「よーいっしょ!」
「へ? ……かはっ!」
――少女を助ける必要がない。一目見て、それなり以上に戦える人物だとレンは見抜いていた。
歩き方、体運び。そういった物は、ある程度武術を嗜んでいる者ならば、自ずと普段から滲み出てくる要素だ。
男の体は宙を舞い、床板に投げつけられて鈍重な音を響かせる。男が咳き込む音が聞こえる以外に何も聞こえない。
二度目の静寂、しかしそれは、多少の間が入ってからのドッと出た笑い声を前に消え去った。
酒を吹き出す者、腹を抱えて大笑いする者、涙目になって男を指さし嘲笑う者。なんと受付嬢まで笑いを堪えきれていない。
「……」
再び賑やかになったのを余所に、レンは本のページをめくった。今度は余計な思考に囚われず、理論と論理で出来た魔法という大海原を思考という名の船で漕いでいく。
そうして読書に集中しようとしたレンだったが、それを邪魔する不貞の輩が彼の視界に乱入してきた。
「ねえ君、少しだけ聞きたい事があるのだけれど、いいかな?」
優しく寄り添うように、その人物はレンに声をかけてきた。その声音は他者を優しく包みこむように穏やかで、聞く者を安心させる。
が、それはレンを安心させるのではなく、逆にささくれさせただけだった。
話しかけられたレンはのっそりと本から顔を上げ、半眼で声の主へと顔を向ける。
いつの間にか近づいて来ていたのは、ついさっき組合に入ってきた少女だった。
少女は、顔にかかった絹のような白い髪を指で耳にかけ優しく微笑みながら、中腰でこちらを覗き込んでいる。
「――っ」
その少女の蒼穹をそのまま閉じ込めたかのような碧い瞳を見て、動揺がレンの全身を駆け巡った。
レンはその瞳の奥の光に見覚えがあった。彼の最愛の人のと、その光は鏡映しかのように似ていて……、
「……何を聞きたい」
レンは動揺を押し殺してから、本を閉じて低い声でそう応じる。
うろんげな視線を少女に向けるが、当の彼女は特に気にした様子もなく、一呼吸置いて目線を合わせてから唇を震わせた。
「ありがとう。それじゃあ、お言葉に甘えて。私は、君がどうしてそんな『目』と『表情』をしているのか、それを聞きたいの」
少女がそう問いた瞬間、ピシリッと、その場の空気が氷ついた。誰も魔法など使っていない。レンが放つオーラが、周りにそう錯覚させたのだ。
不穏な空気がレンの周囲に立ち込み、彼は不躾な質問をしてきた少女を睨めつける。
この組合で初めて見る顔、故にどこか別の場所からやってきたのだろう少女の凍りついた笑顔の下には、『失敗した』と分かり易い焦りと怯えが生まれていた。
レンは彼女の言葉を聞いて直ぐさま椅子から立ち上がり――、
「話は終わりだ」
少女を上から見下ろし、苛立ちを隠そうともせず早口でそう言って、その場から立ち去ろうとする。当然だろう。レンにとっては、会っていきなり自分の過去の事を聞かれたも同然なのだから。
少女の方はというと、予想していた事と違ったのか、どこか間抜けな表情で呆然として、滑稽な様子のままその場に固まる。
去り際、何故か少女が立っている場所からは、少女のものではない溜息が聞こえた気がした。




