第一章27 「始まりが終わった場所から」
「特に忘れ物はないよな」
旅に必要な物を入れた小さめの袋を片手に、忘れ物がないかを確認する。
野営の道具、着替え、新調した剣、その他諸々の必需品を忘れていないかを、今日をもって出ていく宿の自室で、レンは袋の中を覗き込んで確かめていた。
スノーの手を取ってから三日が経過し、その間にレンは旅支度を整えていた。
長旅に必要と思われる物をできるだけ買い揃え、最低限の礼儀として一応関係各所には挨拶に回った。
といっても、レンがこの都市で関わりを持っているのは、冒険者ギルドと魔術研究所の職員ぐらいだ。そして、冒険者ギルドにわざわざ挨拶に行く道理はない。つまりは、ブルーノのところに行けばいいだけ、というほどのものであったが。
「……当然といえば当然だが、エルマンさんや他の研究員達からは残念がられたな」
彼等とは私的なことで親交を深めていた訳でもなく、ただのビジネスライクな関係だった。
それでも当然「貴重な空間魔法の情報の入手源がー!」だの「もう少しだけでいいからこの都市に残ってくれ! 頼む!」だのと、惜しまれはした。しまいには「私達もその旅についていくわ!!」とか、勢いに任せた寝言までほざく始末。
だが、これも当然丁重にお断りしたし、ブルーノもそんな研究馬鹿な人達を苦労しながら宥めてくれた。
「空間魔法のこととなると、テンションがおかしくなるからなあの人達」
もっとも、それも仕方のないことだとは思う。空間魔導士と直接会う機会などそうそうない。まして、生の研究データなど魔術、魔法を研究する者にとっては垂涎ものだ。――それでも、限度というものがあると思うのだが。
しかも、レンはいつもの態度で接していたというのもあり、いつもなら有り得ないテンションの差が生まれるという、酷すぎる絵面はなかなかに堪えた。
そうしたひと悶着があったものの、どうにかこうにか旅の準備を整えることができたのだが。
「ブルーノさん達には無事に菓子折りを渡せたし、あの人達からも個人的なお礼と餞別をかねた品を貰えたしな」
それ以外にも、秘密裏にあの魔道具も使わせて貰えたのだ。今回は大きいサイズのものに刻むことができたので、旅のほうも特に心配することはないだろう。彼には感謝しなければ。
「――大丈夫そうだな」
住み慣れた一人部屋を見回し、口の中でひっそりと確認をとる。
三年近くもの間、この宿のこの部屋を利用してきたのだ。少ないとはいえ、それなりに私物も置いていた。それら全てと、先日買った物で袋に入れ忘れた物がないかを二重にチェックし、レンは荷物を背負って部屋の扉を開け、そのまま宿からも出る。
宿の扉を開けた先、輝く陽光に顔を照らされる白い少女の立ち姿が、レンの死んだ瞳に映りこんだ。
レンが出てきたことに気付いたスノーは、ゆっくりとした足取りでレンに近づいて来て――、
「なんで朝から、そんな豆鉄砲を喰らった鳩のような顔をしてる。俺の顔に何か変なものでも付いてるのか?」
「あの、その……何というか……」
碧い瞳に戸惑いの色を浮かべ、言葉を濁すスノー。
スノーはレンの顔を見た瞬間に、まるで信じられないものを見たかのように目を見開いていたのだ。
もにょもにょと、スノーは言いずらそうに口を開けては閉じてを繰り返す。
そんな言葉が喉につっかえているスノーに変わり、彼女の白髪からひょっこりと銀色の毛玉が飛び出した。
「よくもまぁ、あれだけ弱音と醜態を晒してたくせに、そんな『目』と『表情』と『態度』で接してこられるね。最早呆れを通り越して感心すら抱くよ」
「ちょっとベル!? いつも不用意に出てこないでって言ってるじゃない! それにそんな真っすぐに言わなくても……」
「えー、だって本当のことだし。彼の頑固さも筋金入りだと思ったものだから、ついね」
いたずらっぽく少しだけ舌を覗かせるベル。だが、やはりその金の瞳には、レンへの警戒が色濃く出ていた。
ベルはレンがスノーに何か変な事をしないよう、釘を刺しに出てきたとういことか。
「『ついね』じゃないの! それに私は頑固なんかじゃ……。ともかく! ベルは早く戻って!」
――それに加えて、頑固という単語に反応したスノーを揶揄う目的もあったようだが。
「はーい」と生返事をするベルは、金色の瞳でレンに睨みを効かせてからスノーの髪の中に潜っていった。
これからこの面子で旅に出るというのだから、少しくらいはそれも薄れるかと思っていたが、そんな甘い事は無いようだ。
「えっと、ほら! ベルも悪気があった訳じゃないし、その……気にしなくても大丈夫よ!」
「別に、気にしてなんかないし、気になってるのはお前の方だろ。――さっさと行くぞ」
「あ、もう……しょうがないかぁ」
溜息交じりの呟きが背中にかかり、先を行くレンの隣に人一人分の距離を空けてスノーが並ぶ。
いまや『魔術都市』は本当の意味で日常に戻っており、冒険者の姿も散見される。
通りには行商人の地竜が荷台を引いて走っていき、ローブと白衣姿の集団が巻き上げられる砂埃に咳き込んでいた。
「そういえば、お前に渡さなきゃいけない物があった。エルマンさんからの預かり物だ、受け取れ」
「わっ、とと……これは?」
ふと思い出して、レンは懐から出した巾着袋をスノーに投げ渡す。それを慌ててキャッチしたスノーは、何の変哲も無いそれを目の前に掲げながら質問を飛ばしてきた。
もっとも、中身については既に見当がついているようだったので、スノーが聞いているのはそういうことではないだろう。
「例の件の報酬だ。『正式な場で讃えられないのは心苦しいから、せめて個人的な礼ぐらいはさせてくれ』とのことだ。後は『それで好きな物を買って欲しい』とも言ってたな」
『悪魔』討伐の功績は、亡くなった聖騎士達に押し付けた。故に、本当はレンとスノーがやったという事実は明るみに出る事は無く、それを讃えられることも無い。
つまりは、何の褒賞も得ることは出来ない訳だが、ブルーノからすればそれは申し訳ないのだろう。
袋の口を開けて中身を確認するスノー。彼女の瞳には、ぎっしりと詰めこまれた聖金貨が入り込んだ。
「こんなに沢山……お礼なんてしなくても良かったのに」
「貰ってやれ。エルマンさんはそれでも、お前がしたことへの対価としては少ないぐらいだって言ってたんだ。それに、お前にはそれを受け取る権利も義務もある」
「……分かったわ、それじゃあありがたく貰っておきます」
先のレンの動作を逆再生するように、スノーはそれを自らの懐に仕舞い込む。
それからスノーも思い出したかのように手を叩き、
「私もレンに渡したい物があったの。ちょっと待ってて」
道の端で立ち止まり、スノーは別の小袋を取り出し、その中から明らかに入りきらないであろう栞を取り出した。
「はい、これ。あの花屋さんで買ったの。レンは本の栞とか使ってなかったから、あったら便利かなって思って」
スノーが差しだしてきたのは、レンの通いつけの花屋で売られていた押し花の栞。
白い花が使われており、スノーが自分で選んだのだと一目で分かる。
「……そうか、使わせてもらう」
受け取り、レンはそれを内ポケットの中に入れた。
「――」
レンはスノーが今渡された栞を入れていた袋に目線をやる。
スノーは何でもないようにその袋を元の場所に戻すが、それの価値を本当に分かっているのだろうか。
どこでそれを手に入れたのか気になるところではあるが、余計な詮索はするべきではないだろう。そう思い、レンは心の内に言葉を留めた。
「そういえば、花屋さんで思い出したのだけれど……」
目線を元に戻し再び足を進め始めた時、スノーは顎に指を当てて疑問を形にするように話し始める。
が、そこで後に続く言葉を言い淀んだ。そしてレンの顔を見上げてくる。スノーの観察するような視線を怪訝に思い、レンは続きを催促する。
「けれど、なんだ?」
「ううん、やっぱり何でもない。今、分かった気がしたから」
その視線は優しいものに変化し、スノーは微笑みながら言う。
スノーの中で何かが繋がったのか、脈絡もなく自己完結してしまったようだ。
唐突に話しかけられ、その後すぐに自分で解決したスノーに、レンは思わず溜息を零し、
「考えてすぐに答えが出せるようなら、思ったことをすぐ口に出すな。意味が無いし迷惑だ」
無機質な声でスノーを咎めるレンに、スノーはどこかあっけにとられた表情をした後、小さく吹き出す。
その後もクスクスと笑い続けるスノー。予想外の反応にレンは顔を顰め、
「何がそんなに可笑しい」
「ふふっ、あぁ、ごめんなさい。何でもないの、何でも。これは私の問題だから」
笑いを堪え手で顔を仰ぎながら謝るスノー。よほど彼女のツボにでも嵌まったのか、発作が落ち着いた今でもその頬には淡い赤が差していた。
レンは小さく鼻を鳴らし、それ以上スノーの奇行を気にしないことにした。
「……それで、竜車や馬車の手配は必要ないって言ってたが、長旅になるんだろう? 移動手段が徒歩とか、まさか俺の『ゲート』をあてにしてる訳じゃないよな」
『ゲート』――正しくは空間連結魔法――は、便利な反面当然制限がある。
といっても、その制限は長距離転移と同じようなもの。
術の発動者が行ったことのある場所、または現在地から認識可能な位置、もしくは事前にポイントをつけた場所にしか『ゲート』を開く事は出来ない。
それに加え、繋げられる空間の距離の限界もあるが、これは今は関係ない。
ともかく、レンが行ったことがない場所に繋げることは出来ないので、今回の旅に関してこの魔法は無用の長物、馬のいない馬車だ。
そして、自身が三日前に言ったことへの追及に、スノーは首を振って答える。
「もちろん、そんなわけないじゃない。いつも私が乗ってる子がいるから、その子にレンも一緒に乗せていくよ」
「じゃあ、そいつを先に回収するんだな?」
「回収って言い方はどうかと思うのだけど……」
スノーはレンの言い回しに苦笑いして苦言するも、再び首を振り、
「その子はもうここにいるから、このまま正門に直行よ」
「何を言って……まさか」
『キミの想像通りさ。スノーはいつもボクの背中に乗って旅をしているんだ。……キミを乗せてあげるのは、スノーにお願いされたからだ。そうでなかったら、誰がキミみたいなニンゲンを……』
「そう邪険な態度を取らないの。確かに、ちょっとだけ危ない目には遭ったけど、私はベルのおかげで無傷だし、レンもちゃんと謝ってくれたじゃない」
『そうは言っても、本当に反省してるのかなんて分からないじゃないか。ボクはいつ背中を刺されやしないか、戦々恐々としてるよ』
「もう、ベルは疑り深いだから。レンがそんなことする筈ないじゃない」
そこで「ね?」と、スノーがレンに水を向けてきた。
レンはそれに顎を引き、
「俺がそんなことをする必然性がいったいどこにある? 俺がベルの背中を刺したところで俺は死ねないし、なによりしたところでデメリットしかない」
仮にレンがベルの背中を刺した場合、いくら狂気的なまでにお人好しなスノーとはいえ、レンへの協力は止めるだろう。
スノーはあの時『必ず』と言っていたが、それも彼女達との関係が壊滅的なまでに崩れなければの話、ということだ。
レンのもっともな正論パンチに、ベルは『うむむむ』と小さな唸り声を上げる。
それよりもレンが気になるのは、どうやってあのベルの小さな背中に乗るのかという、至極単純な物理的問題だ。
といっても、その方法など一つしか思い浮かばず、それしかないと思うのだが。
「で、ベルは巨大化できるからその背中に乗って『森林都市』まで移動すると。……こういうことか?」
「あれ、そのことって教えたっけ? ……まぁ、細かいことはいいわ。レンの言う通り、ベルは大きくなれるからその背中に乗せてもらうの。ベルの毛並みはフワフワで、とっても乗り心地が良いのよ」
何度も経験しているからか、やけに実感がこもった声で、スノーはベルの毛並みと乗り心地を賛美する。
これからそのベルの背に乗って行こうとしている、スノーに教えられたレンを殺せる可能性を秘めた場所。名を『森林都市』という、緑が生い茂る森のど真ん中にある都市だそうだ。
その都市まで、いくつかの都市や町、村を経由して行く予定となっている。
喋る狼の背に乗って旅をする。なんともファンタジー感の溢れた旅になるだろう。
もっとも、これはレンが死ぬための旅で、決して観光旅行などではない。
この『森林都市』並びにレンの死地を探す旅のガイドを、レンの隣を歩くスノーが務めるという訳だ。
そして、スノーに毛並みと乗り心地を褒められた、彼女の保護者兼タクシーのベルはというと、
『……はぁ、キミのせいでボクの気苦労は絶えそうにないよ。やっぱり、もっと強硬に反対すべきだったかなぁ」
その囁きは一体どちらに向かって言っていたのかは分からないが、どちらにせよレンとスノーの耳には届いていなかった。
以降、特に二人と一匹の間に会話は無く、黙って『魔術都市』の正門へと向かっていたのだが、突然二人の背後から大きな声がかかった。
「スノーさん! お久しぶりです!!」
その声にレンとスノーは同時に振り返る。冒険者のパーティーらしき集団から抜け出し、駆け足で近づいてくる少女の顔には見覚えがあった。スタンピードの時に死にかけていた少女だ。
少女はレンの顔を見て一瞬表情をこわばらせ、スノーがすぐさまその身をもってレンと少女の間に壁を作った。
「こんにちは、アメリーちゃん。あれから調子はどう?」
「……はい! 大変ですけど、元気に頑張ってます! あの……もうどこかに行ってしまうんですか?」
「そうね、少し用事ができちゃったから」
「……その人と、ですか?」
その声には不信感を露わにし、アメリーはスノー越しにレンの顔を訝しむように睨んでくる。
そんな少女の態度にスノーは特に気にした様子は見せず、
「ええ、そうよ。……大丈夫、何も心配はいらないわ」
「そうですか……あの、あたしが言うのもおこがましいと思うんですけど……」
「あっ」
「えっ? どうかしまし――」
スノーが漏らした声にアメリーは言いかけた言葉を飲み込み、代わりにどうかしたのかと疑問を口にしようとする。が、アメリーがそれを形にするより、彼女の背後に立つ影の方が速かった。
「何やってんだお前はぁ!」
「ぷぎゅ!」
強烈な拳骨がアメリーの頭に直撃。殴られたアメリーは涙目になって頭を押さえる。
少女を殴った彼女のパーティーメンバーと思しき青年は、スノーではなくその背後にいるレンに向かって、
「すいません、コイツ冒険者に成りたてで、色々と覚えさせてる途中なんすよ。ハハハ、それじゃあ失礼します」
口早に謝罪の言葉を述べ、速攻でその場から離脱しようとアメリーの襟を掴んだ。
「ちょっ、いきなり何をするんですか!」
「お前が俺たちの言う事聞かねえからだろうが! ほら、さっさと行くぞ!」
「ええ!? 別にそんなことしてないですよ! ああっ、そんなに引っ張らないでください! えっと――スノーさん、気を付けて行ってきてくださいね!!」
「え、えぇ。あなたもね、アメリーちゃん」
アメリーは笑顔を見せているが、スノーは今度こそあっけにとられ、言葉少なげにアメリーに手を振る。
スノーに見送られ、青年に引きずられるアメリーは最後、レンの方にその顔を向けた。
「――」
アメリーとの視線が交錯し、そして彼女はレンに向けてあっかんべーと舌を出してきた。
それに気付いた青年にアメリーは再び殴られ、殴った方の青年は「すいません、すいません」と、平身低頭で何度も何度もレンに頭を下げ、二人の冒険者は嵐のように去っていった。
その場には沈黙が広がり、二人は再び黙って歩き出す。
そして少し経ってから、スノーの方が口を開いた。
「……ねえ」
「なんだ?」
「レンは一体あの人に何をしたの?」
「……俺とあいつは初対面だ。あの顔は見たことはあるが名前は知らないし、話したことも無い」
「……そっか。うん、君はそういう人だったよね」
「なんか言ったか?」
「ううん、何も」
また何かに納得したような雰囲気を醸し出すスノー。
一体今の会話の中で何が分かったのか、レンの知る由ではないし、聞こうとも思わない。
そうこうしているうちに、二人は正門に到着。
そのまま特に問題も無いまま検閲を終え、街道へと出た。
それから暫くの間、人目につかない所まで歩いて移動する。
「もう大丈夫かな。ベル、出てきてもいいよ」
「おーけー。それじゃあ、いっくよー」
長閑な掛け声と共にベルが艶やかな白髪の中から飛び出し、その姿が光に包まれる。
その光が晴れた時、余裕で二人の人が乗れるほどの銀色の巨狼が姿を現していた。
スノーは巨大化したベルに颯爽とまたがり、スノーが座る後ろの方をとんとんと叩き、
「ほら、遠慮しないで乗って」
「その台詞はボクが言うようなものだと思うのだけど。……それに、たとえそうでも、ボクは絶対にそんなことをコイツに言ったりしないぞ」
「ベルったらまたそんなこと言って。……どうしたの?」
「いや、何でもない。じゃあ、失礼させてもらう」
ベルに近づき、横向きになってその背に腰かける。
なるほど、確かに柔らかく、沈み込むような座り心地だ。
「うん、大丈夫そうね。それじゃあベル、お願い」
「――りょうかい。しっかり捕まっときなよ」
そう言われベルの毛を掴んだ瞬間、景色が走り出した。
初速を得る時こそその衝撃に身を伏せたが、それ以降はまるでベル自身が風になったかのように、何の振動も感じない。
緩やかに駆ける四本の脚が地を蹴り、グングンと前に進んでレンとスノーを運んでいく。
長い長いプロローグは終わり、長い長い旅に出かける。
十七年目の異世界生活が、咲き誇る花と共に始まった。
これにて第一章終了です。この後は幕間を投稿してから二章に移行しますが、二章開始までは時間が開きます。
作品への応援として、広告下にある星をこうポチッとしていただけると、今後の執筆活動の励みになるので、どうかよろしくお願いします。




