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プロトタイプ  作者: 如月皐月樹
第一章
25/29

第一章24 「花束は何処に」

 この感覚はいつになっても、何度経験しても、未来永劫慣れることはないだろう。

 痛みを感じる暇もなく自害するという、誰の得にもならない無駄な技術を試行し、レンの視界は暗転。意識が急速に深い海の底まで落ちていく。


 しかし、決して完全に意識を手放すことはない。うすぼんやりと、意識の欠片がどこかを揺蕩うように、(てのひら)を掠めていき、ぽつんと残った。


 思考する頭はないというのに、何かを考えることも、感じることもできる。

 茫洋とした闇の中を漂うような錯覚。生暖かく、気持ち悪いに感触が全身を包み込んでくる。


 ただ、それだけではなく、視覚情報が強制的に遮断されているからか、それ以外の感覚は鋭敏になる。

 こうして倒れ体が再生へと向かっている間、視覚を除いた五感だけは、それを感じ取る器官がないのに生きている。

 自分が今何に触れているのかも、その場の匂いも、音も、味も、感じることができる。

 はっきり言って、ホラーとしか言いようがない状態だ。


 固い地べたと短く刈り揃えられた芝の感触を背中全体で味わい、朝の冷たい空気を肌で感じ取る。

 カラっとした早朝の空気。この乾いた匂いも、肌に感じる冷ややかな空気も、精神を強制的にリセットするために必要な重要な要素だ。

 これが仮に雨の日となると、冷涼な雨粒がなくなっている頭を冷やしてくれ、その匂いが体に満ちて落ち着かせてくれる。


 この広場は都市の片隅の開けた場所にあり、風がよく通る。今もまた、柔らかい風が辺りを吹き抜け、肌を撫でていった。

 その涼やかな朝の風も、荒波のように乱れた心を整えてくれる。


 精神が凪の状態になり、体が再生するのに掛かる時間は体感で五分弱といったところか。

 だが、実時間では五秒にも満たないだろう。


 そうこうしているうちに、斬り飛ばした頭は再生。視覚が戻ってきた。両の瞳を徐に開ける。レンの紫がかった黒い瞳には、昇ってきている太陽が、流れる薄雲に光を差し込んでいる光景が飛び込んできた。


 地面に片手をつき、起き上がる。そして体に付着した朝露に濡れた草を軽く手で払っているところで、恐る恐るといった様子で、人が近づいてくる足音が耳に入ってきた。


 瞳を細めるレン。足音の方向、路地へと顔を向ければ、一人の少女が戸惑うようにゆっくりとした足取りで、此方に向かって歩いてきていた。

 いつの間に後をつけてきていたのか。スノーの気配を感じ取れなかった自分が恨めしく、小さく舌打ちをする。


「キミは……一体何者だい?」


 そうあの時の問いを繰り返すように尋ねてきたのは、スノーの肩に座っている銀の小狼だった。

 ベルは警戒を顕にするように、金の瞳を鋭くしている。


 だが、レンはもう誤魔化すのは無理だろうと思いつつ、しかし僅かな可能性に賭けベルの問いには答えずに、逆にスノーへと問いを投げかける。


「……見たのか?」


「――」


「見たのかと聞いている」


 淡々とした冷えた声に圧を込め、主語を省略してスノーに問い質すレン。

 それに対し、スノーはローブの裾を掴み、ただ痛ましげな表情で口を閉ざし、こちらを見つめてくるだけ。


 これは最早手遅れだろうと、睨む瞳を閉じて下を向き息を吐くレン。昨日はほぼ怪我を負う事なく『悪魔』を倒し、スノーに勘付かれないよう細心の注意を払っていたというのに、それが水泡に帰してしまった。

 アレはアレで余裕はあったものの、かなり苦労したのだ。その苦労が報われなかったとくれば、それ相応に気が滅入る。


 これがバレたところで、何か直接的な害が己に齎されるわけではない。だが、自分にこうして付き纏ってくる少女に、あの突然変異の精霊に――他人に、自分の秘密がバレてしまったのは、この上なく面倒くさい。


 正面、顔を上げたレンの目の前で足を止めたスノーは、未だに口を開かない。

 しかし、逡巡するようにスノーはその碧い双眸を泳がせ、それからこちらを真っ直ぐに見据えると、


「うん」


「――そうか」


 スノーの小さな答えに、今一度吐息を零すレン。この少女と精霊のことだ、一昨日と同じように、いつまでも追いかけてくるに違いない。

 ならば、仕方がない。彼女等がこれ以上付き纏ってこないよう、あの日の問いに対してもできる範囲で答えるしかないだろう。


 それをどうしたものかと考えるレン。だが、スノーの肩から浮遊したベルは、黙り込んだレンに痺れを切らしたのか、幅広の尻尾を乱雑に振り、苛立たしげな口調で、


「それで、ボクの問いには答えてくれるのかい?」


「そうだな……明刻九時半、その頃にもう一度ここに来い。その時、教えてやる」


「そんなことを言って、また姿をくらますんじゃあないだろうな?」


 訝しむように、威嚇するように、ベルは声を低くする。彼女のもっともな疑念に対し、レンは瞑目することでその意志がないと示す。

 それでもやはり、ベルの信用を得ることはできず、彼女はさらに顔を厳しくした。


 ベルを納得させようと、レンは言い訳――もとい、その理由を口にする。


「俺にだって都合がある。それに、この方がお前達にとっても良いと思ってこう言っている」


「その言葉をどれだけ信じられると――」


「ベル」


 語気を荒げ不信感を隠そうともしないベルをしかし、スノーが口を挟みその手で制した。スノーはそのまま一本前に足を踏み出して、ベルの方へと振り向き、


「私はレンが嘘をついてるとは思わない。きっと、この約束は破らないと思うの」


「そうは言っても、根拠なんてどこにもないだろう? 彼がこの約束を反故にしない根拠なんか」


「そう……だけど。……でも、私は信じたい」


 一拍、スノーはそこで間を空けて首を横に振り、レンの方に顔だけで振り向いた。

 そして、今にも溶けて消えてしまいそうな儚い微笑みを浮かべ、


「ううん、信じてる」


 完全に理外の存在を目にして、それでも微笑んでみせたスノー。よくもまあ、他人が死んでそこから生き返る光景を見た後に、あんな笑顔を向けられるものだ。一体どんな精神をしているのやら。

 それに、スノーのその自信は一体どこから来ているのだろうか。まだスノーと出会って三日と少し。この僅かな期間の中で、何がそこまでスノーに信じさせているのか、レンには理解できない。


 レン自身、スノー達と友好な関係を築いたという自信はない。それどころか、寧ろベルの反応の方が自然だと思っている。

 何故だかは知らないが、スノーの方は自分に積極的に構ってくる。レンとしては迷惑極まりなく、ほっといてもらいたいし、スノーのことは遠ざけたい。


 もっとも、レンはこの約束を破るつもりは毛頭ないし、これでスノー達との関係とも呼べない関係も断ち切るつもりだ。これは自分のためでもあるのだから、破る必要性が存在しない。

 なので、スノーが無条件に信じてくれているのは、レンにとって好都合。所謂、都合の良い女となるわけだ。


「はぁ、分かったよ。スノーが彼をそこまで信じるなら、ボクはスノーが信じた彼を信じることにするよ」


 溜息を吐いて肩を落とし、ベルはこれを承諾する。スノーはベルの方に顔を戻し、その頭を優しく撫でる。


 その様子を目に収め、レンは「それじゃあ、また後でな」と言ってから、ゲートを宿付近へと繋げてそれを潜った。



                   ▲▽▲▽▲▽



 いつも通りシャワーを浴び、一人で朝食を食べ、身支度を整えて宿を出る。

 荷物は必要な物しか持っていない。ただそれは、普段の冒険者として必要な物ではなく、大きな荷物にもなっていないかった。


 愛剣が昨日の戦いで残念ながら折れてしまったというのもあるが、レンは武器となるものを今は持っていない。

 それというのも、今日はいつもと同じようにギルドへと向かい、それからクエストをこなす訳ではないからだ。

 もっとも、今日のこれも、レンのここ三年の習慣となっていることではあるが。


「……昨日の『悪魔』討伐は、タイミングだけで言えば良かったか」


 タイミングだけは、『悪魔』が現れたのは昨日で良かったと言えよう。

 この世界での一年はおおよそ三百六十日で、前世とそう変わりはなく、一年は十二ヶ月で数えられている。


 どことなくご都合主義を感じなくもないが、これはこれでこの世界で暮らすにあたり、以前までの感覚を矯正せずに済んだので楽だった。

 それはともかく、レンは毎月の終わり頃、月に一回の頻度でとある場所に必ず赴いている。


 レンの足取りは迷いがなく、自動人形の如く機械的に足を前に踏み出す。一定のリズムで石畳を靴裏が叩き、やがてレンは最初の目的地へと辿り着いた。


 色とりどりの花々が綺麗に並べ立てられた店頭。その扉を開けて中へと入る。


「あら、いらっしゃい。昨日は大変だったわね〜」


 顔馴染みのふくよかな店主が、店に入ったレンに微笑みそう声をかけてきた。

 レンは会釈で返し、開店してくれていて良かったと、内心安堵の息を漏らす。


「今日も同じ物で良いのよね?」


「そうですね。……いえ、それともう一つ、白系統の花束を」


 レンの淡々とした返答に、確認をとってきた店主は意外そうな顔をして一瞬動きを止める。

 しかし、すぐに気を取り直して「まいど、今から準備するから少しだけ待っててね」と、店内を歩き手を動かし始めた。


 レンは注文した品が出来上がるまで、店内に設置してある椅子の一つへと腰を掛ける。今日は二つ頼んだというのもあり、普段よりは時間が掛かるだろう。


 レンがここで頼む花束は毎回決まっている。その為、店主は素早い手つきで最初に注文した品を仕上げ、もう一つの方へと取り掛かった。

 いそいそと花を選びながら、店主はレンに尋ねてくる。


「どんな感じの花束に?」


「……いつものと同じ感じで。それ以外はお任せします」


「はいよ、すぐに用意するね」


 着々と花を選ぶ店主を余所に、レンは外へと顔を向けた。昨日の騒動が嘘のように、都市の人々は普通に生活している。

 多くの人が往来する通り、商いをする商人たち。駆け抜ける馬車は砂埃を巻き上げ、手をつないで走り回る子供。いつもと同じ、ありふれた日常の風景。


 これとは対照的に、ブルーノ達都市の中枢を担う人は今も大忙しだろう。なにせ、この都市の防衛を務めていた聖騎士はほぼ全滅。それに加え、多くの冒険者も亡くなった。

 一応、都市が元々保有していた戦力は残っているが、問題は聖騎士がいなくなってしまったことだろう。


 元来、聖騎士というのは教会に身を置く者達だ。そして教会――創神教は西国、神聖法皇国アストレアが総本山となっている。それはつまり、聖騎士はこの国に派遣されていた人ということ。

 そんな人達が大勢死んだのだ。いくら『悪魔』のせいだからといっても、これは国際問題になりかねない。


 もっとも、そんなことはレンの知る由ではない。こんな面倒くさそうなことにわざわざ首を突っ込む必要はないし、そもそも自分には関係のないことだ。あの場にいた者としてできるのは、何が起きたのかの詳細な報告ぐらい。


「お待たせしましたっと。ほれ、いつものともう一つ、できたよ」


「どうも」


 視線を店主に戻して立ち上がる。そして懐から硬貨が入った袋を取り出してお代を払って品を受け取り、足を出入口に向けた時に、その扉が開いた。


「あっ」


 声を漏らしたのは新しく入ってきた客、白髪の少女のほうだ。また後をつけてきたのかとレンは思うが、スノーの反応からするに、そうではないようだ。


「いらっしゃいませ。……もしかしてお知り合い?」


「ええ、まぁ」


 店主の問いかけに簡単に答え、レンはスノーの方に近づく。そして、どこか気まずい表情で立ち尽くしているスノーの横を通り過ぎる時に、


「丁度いい、外で待ってる」


 そう言い残し、スノーの返事を待たずに店の外へと出て、邪魔にならない位置に立つ。

 二つの花束となると、それなりの手荷物だ。レンは誰にも見られていないことを確認しつつ、ひっそりと人目につかないよう空間収納を使い、自然な動作でそこに花束を二つとも入れた。


「――」


 腹の辺りで腕を組み石壁へと背をもたれかけて、先程と同じように街の様子を眺めるレン。いつもと変わりはない街並みと思ったが、一つだけ普段と違う点があった。

 それもまぁ、考えてみれば当然のことだ。


 冒険者の姿があまり見られない。――そこだけが、今の都市の普段とは違う点だった。

 スタンピードに『悪魔』の襲来。今日ばかりは、昨日に引き続きギルドも忙しいだろうし、冒険者の多くは休息にこの一日を当てているだろう。たとえ、あの場にいなかったとしても。

 寧ろ、普段通りに見えるこの街の方が異常なほどだ。


 この街の様子を見るに、『悪魔』が出現していたことは、まだ大きな話にはなっていないということだろう。これは都市の議会で情報の統制を行っているからに違いない。

 だがそれも時間の問題だ。人の口に戸は立てられない。いずれ冒険者の内の誰かが口に出し、それは確実に広まってしまう。


 そして、誰かが『悪魔』を討伐したということも、必ず民衆には伝わってしまう。

 その誰かに、主に他の冒険者が自分へと辿り着かないよう、昨日はブルーノと話し合ったのだが、『悪魔』との戦いの後の状況はそのことに非常に都合が良かった。


 なので、その話自体は割とすぐに終わった。レンとブルーノで作成した作り話――悪く言えば虚偽の報告書。その内容は彼等にとっても都合が良く、なによりそれを否定する証拠がほぼないため、レンが何か心配することはないだろう。

 故に、後の事は全てブルーノに任せればそれでいい。


 とは言え、今の()()は自分で何とかするしかない。それが凄く憂鬱だ。面倒でもあるし、なにより自分の事を客観的に説明するなど、気持ち悪いにもほどがある。

 それでも、スノーがこれ以上付き纏ってこないようにするためには、面倒でも話すしかない。


「あの……お待たせ」


 そうして思索にふけるレンの鼓膜を透明な声が叩いた。組んでいた腕を解き、もたれていた壁から背を離す。

 どうやらスノーは結局何も買わなかったようで、その手には何も持っていない。予定よりも早く、偶然こんな場所で会ってしまったのだから、それも当然か。


「――こっちだ。ついてこい」


 レンはスノーを人気のない路地裏へと導く。前を歩くレンの後ろに静々とついて行くスノー。


「こんな人気のない所に連れ込むなんて……今のうちにシメといた方がいいんじゃないかなぁ」


「ちょっとベル、物騒な事言わないでよ。それにレンが、その……乱暴なことをするとは思えないし」


「いいや、分からないよ。彼には前科があるからね」


「またそんなこと言って。ベルはもう少しレンの事を信用してあげればいいのに」


「逆にスノーは彼の事を信じすぎだ。男はみんな狼なんだよ。いくら用心しても足りないぐらいさ」


「狼なのはベルの方じゃない。……それに、仮に、仮によ。もしレンがそういうことをしてきたとしても、私だって弱くないし、何よりベルがいるじゃない。だから大丈夫よ」


 鋭いのと柔らかい視線が一つずつ、背中に浴びせかけられる。

 なにやらスノーはベルとひそひそと小声で話しているようだが、詳しい内容までは聞こえない。

 しかし、その雰囲気的に揉めているようなので、ある程度は会話の内容も予測できる。


 どうせ、自分がスノーに何かいかがわしいことでもするのではないのかと、ベルは疑っているのだろう。

 とんだ被害妄想、誹謗中傷、心外なことを話していそうだ。レンにはそんなつもりは一欠けらもないし、なによりそこまで奥に行くつもりもない。


 周囲を見回して『空間把握』も使い、誰も人がいないことを確認する。生き物の反応は無く、野良猫の一匹もいなかった。

 そしてこの辺りでいいかとレンは立ち止まり、それを見てスノーも同じように足を止める。


「俺の後に入ってこい」


 そう言いながら、レンは『ゲート』を眼前に開き目的地へと繋げ、そのまま足を進める。

 ガラリと変わる景色。狭い石造りの街から、何もない荒地へと足を踏み入れる。

 否、何もないというのは語弊があった。


「石碑……?」


 レンの後に続いて来たスノーが呟く。周囲一帯、不自然に緑が剥げている場所も、そうでない所も、白く大きな石碑が規則正しく埋められている。

 一月前と変わらない光景。緑が消えてむき出しになっている地面はひび割れ、そうでない場所は雑草が伸び放題。あまりにも不自然なその光景を前に、レンは気にすることなく再び歩き始める


 そして歩きながら首だけ振り返り、スノーがついて来ているかを確かめた。スノーは奇妙なこの場所を戸惑うようにキョロキョロと見回し、ベルは彼女の白髪から出てきて、宙に浮きながらスノーに追従する。

 スノーの背後、丁度『ゲート』が消えていく先には、何度も散策した森が見えた。


「……」


 スノーはレンの視線が自分の後ろに映ったのに気付いたのか、レンと同じように首を後ろに捻る。

 二人の視線の先、深い森の緑も、その一部分がこの一帯の地面と同様掻き消えて消失――いや、焼失していた。


「あの……ここは、どこ?」


 記憶喪失をした人が最初に言いそうな言葉を、言いそうな口調で、レンに顔を向けたスノーは尋ねてくる。

 レンも前を向き、歩きながら答えた。


「ここは、『魔術都市』と同じアードラー辺境伯の領地の村の一つ……いや、一つだった場所だ」


「だった?」


「……スタンピード」


 レンが放った一言で、スノーが息を呑んだのが背中越しに分かった。

 再び辺りを見渡すスノーを余所に、レンは前を向いたまま淡々と続ける。


「三年前まで、ここには小さな村があった。辺境の村で、特にこれといった特色のない小さな農村だった。だが、今から三年前に起きたスタンピードに、ここにあった村は丸ごと呑み込まれた。あの忌々しい『悪魔』もそれに喜々として参加してな」


 踏み出す足はいつもより遅く、ゆっくりと前へと進むレン。辺りは同じような光景が広がり続けている。秩序だって並ぶ石碑、一部だけ枯れた土地、そうでない土には雑草と共に小さな花も咲いていた。

 それなりの年月があの日から経っているというのに、枯れた土地が元に戻る気配はない。そうでない所には緑が生い茂っているので、その差が余計顕著に目立つ。 


 レンはそろそろかと、それ以降は口を閉ざして歩き続け、そして目的の場所――毎月訪れている思い出の場所で足を止めた。


「――ただいま」


 祈るように静かな声で、帰ってきたことをレンは告げる。レンの目の前には、周囲のそれとは違う一際大きな石碑――人の名が刻まれた墓碑が立っていた。

 スノーは痛切な表情で、ベルは興味なさげに、それをレンの後ろで黙って眺める。


「――」


 スノーが動きを止めるのを感じつつ、レンはそっと両手を合わせて黙祷を捧げる。彼等が安らかに眠ってくれるよう、その怒りが鎮まるよう、静謐に祈る。


 まだ幼いうちに、その儚い命を散らしてしまった――散らさせてしまった子供達が眠る墓。

 毎月、毎月、あの凄惨な出来事が起こってしまった日と同じ日にちに、何度もここで彼等に祈りを捧げている。

 忘れられるはずがない罪を忘れないよう、その大罪を上塗りするよう、ここに訪れては一人黙祷を捧げ続けている。


「――――」


 そして目を開け手を下ろしたレンは、背負っていた革袋から掃除用具を取り出した。

 魔法を使って雑巾を水で濡らし、陶磁器のような白い石碑の上から水をかける。そして、優しく、どこまでも丁寧に、墓碑を雑巾で磨き上げる。


 雨風に晒され、砂埃を被っている彼等の墓。刻んだ文字の窪みの汚れも、レンは全て手作業で拭き取っていく。

 今となっては純粋な魔水晶を使ってやりたいが、今あるこれを取り壊すというのも有り得ない。

 大分頑丈に創り上げたので自然に壊れることは無いだろうが、必然、手入れをしないと汚れてしまう。


 隅々まで拭き上げ、手入れをし、一片の曇りも無くなるまで磨き上げ、磨き上げ、磨き上げ……。


「……ここには、孤児院が建っていた。俺はここにあった村の出身で、ここにあった孤児院で育てられた、この村の最後の生き残りだ。俺以外の人は全員漏れなく、スタンピードが起きた夜に亡くなった」


 掃除用具を袋にしまい、紫の花束を取り出して墓碑に添えてから立ち上がり、後ろに振り返る。

 己の生い立ちを軽く語るレン。だが、それを聞いたベルは小さく牙を鳴らして、


「ボクが聞きたかったのは、そういう事じゃないんだよ。キミの過去に何があったのかなんて聞いてない。ボクが聞きたいのは、さっきのアレはなんだったのかというこ――あいたっ!」


「ちょっとだけ静かにしてて」


 早く本題に入るよう急かしたベルの額に、スノーは表情を変えることなく指弾を放ち黙らせる。

 「精霊虐待じゃないか……」と両手で額を押さえるベルには見向きもせず、スノーは「それで?」と優しく先を促してきた。

 それに答えるようにレンは短く息を吐き出し、スノーとベルが信じられないような、しかし厳然たる事実を述べる。


「俺は『加護』持ちだ。お前らがさっき見たのは『加護』の効果。これがあったから、俺は生き残った」


「――ぁ」


 死んだと思ったあの日、死のうとしたあの日、幾度も違う死に方を試したあの日。魂が摩耗し、精神が擦り切れ、生きる意味を失くしてしまったあの日。

 一人残らず惨殺され、血と肉が焦げる臭いが体に充満し、どす黒い血と泥に塗れ、灼熱の炎に身を焼かれて死んだと思ったあの日。

 だが、この『不死の加護』があったからこそ生き残った。生き残って……しまった。


 レンの告白を聞いてスノーは碧い瞳を見開き、どこか納得したような声を漏らした。

 それに引き換え、やはりベルはその両目を鋭く細め、


「『加護』? あの気味の悪い現象を『加護』と言って済ますのか? あんなもの『加護』の範疇を超えているだろう!」


「そうだな。首を斬り飛ばしたのに、何事もなかったように新しい頭が生えてきて、こうして生きているなんて『加護』の力だとしても有り得ないだろうな。けど、実際問題、俺はこうして生きている。この力を――通常の魔法形態から外れた現象を起こすこの力を、『加護』と言わずに何と言う?」


「――っ」


 声高に主張したことをレンに理路整然と反論され、言葉を詰まらせるベル。確かにレンのこの力は、ベルが指摘したように、およそ『加護』と呼ぶにそぐわない歪な力だ。


 『加護』とは、この世界の魔法とは根本から異なる、稀に人間に発言する特殊な異能の総称。

 しかしレンのこれは、ベルが言ったように『加護』の範疇を超えている。

 死した人間が勝手に生き返ることなど、この世の法則すら捻じ曲げる所業。本来なら有り得ない、有り得てはいけない事象。


「それでも、この力は実在している。この力は『加護』としか定義づけられない。もっとも、俺自身にもこの力の詳細は分からないが。……一つ、確実に言える事があるとすれば、俺は不死身ということだけだ」


 言いながら、レンは風の刃を左腕に向けて無造作に放つ。


「っ……!」


 まるで自分が切られたかのように、スノーは痛ましげに目を逸らす。その姿を、デモンストレーションをしてみせたレンは冷めた瞳に映した。


 風刃に肘の辺りから切断された腕。しかし、切断面から血が噴き出すことはない。

 ボトリと地面に落ちた細い腕は瞬く間に灰へと変わり、風に流される。それと同時に、新しい左腕が自我を持っているかのように、肉を覗かせている腕から生えてきた。


 最初に白い骨が腕を形作り、そこを補完するように血管が、神経が、筋肉が、骨に纏わりついて、一瞬で完全な再生が完了する。

 人体の細部まで見せつけるように再生された腕は、先程と全く変わりはない。いつも通り、自由に動かすことが出来る。


「重ねて言うが、俺は『加護』持ちだ。不死身の体を持っている、死にたいだけの冒険者。何者かと問われたら、これ以上言えることはない。……これで満足か、ベル?」


「――あぁ、ボク()もういいさ」


 間を空けて、ベルは分かったとばかりに息を吐く。

 どこか疲れた様子を見せるベルだが、そんなパートナーには目も向けずに、スノーはローブの裾を握りしめて真っすぐにレンを見つめていた。


「……ベルもこう言っているし、もういいだろ。だから、これ以上俺に関わろうとするな。はっきり言って迷惑だ」


 これで、スノーとベルに三日前に問われたことへの答えは出した。もう彼女等に語ることなど何一つなく、レンはきっぱりとスノーに拒絶を突き付ける。

 そして『魔術都市』に帰ろうとレンは『ゲート』を開き、その先へ足を向けた。

 が――、


「ちょっと待って」


「――どういうつもりだ?」


 手首のあたりを掴まれ、スノーに引き留められる。

 振り向き、手を振りほどこうとするが、スノーの握力は意外と強く、なかなか引き剥がせない。


「もうお前に話すことなんて何もない。その手を離せ」


「いいえ、離さないわ。――レンは、本当に……死にたいの?」


「そんなことより手を離せ。さもないと、痛い目を見てもらうぞ」


「それをさせるほど、ボクは甘くないよ」


 辺りの気温が急激に低下する。レンの体から迸るマナが空気を凍て付かせ、それを示威として二人に警告。すぐにでも魔法を行使できるよう、レンはイメージを固める。

 それでも、スノーが手を離す気配は一向になく、怯むこともない。ベルはスノーのすぐ傍らを飛び、レンの動向に目を光らせ牙を剥いて牽制してきている。


 スノーとベルの二人と対峙し、だんだんと苛立ちを募らせるレン。どうしても感情が入り込む。スノーの『目』に妹の影がちらついて、どうしても感情が揺さぶられる。


「――」


 迂闊だったと、レンはスノーの顔を睨みつけ歯噛みした。手を掴まれたままでは転移を使えない。振りほどくこともできず、スノーが手を離すこともなく、周囲の気温だけが下がっていく。

 高まるマナがその場を席巻し、剣呑な雰囲気が立ち込めた。それでも動きを見せないスノー。それだけスノーは、ベルのことを信頼しているのだろう。


 膠着状態に陥り、レンは本気で魔法を使うことを視野に入れ始めた。魔法使いとしての実力は、レンの見立てではスノーよりも自分の方が上回っているだろう。

 だが、ベルの存在が邪魔だ。精密なマナのコントロールでは負けないだろうが、火力で言えばベルに敗北を喫するだろう。

 勿論戦闘とはそんなに単純ではないが、ベルの術式を破壊する技術が厄介すぎて、魔法でスノーに手を離させることが困難だ。


「……」


 いや、逆だ。確かに魔法をスノーに当てるのは不可能に近いが、その対象が自分なら別。今さっきやったことを、ベルに気取られないよう繰り返せばいい。

 そんな単純なことにようやく気付いたレンは、『ゲート』を維持した状態で、固めていたイメージを現実のものへと昇華させる。


「っ――お願い!」


「分かってるよ」


 スノーの頭上から降り注ぐ氷柱の雨。大小入り混じった氷柱は、レンの手首を掴んで離さないスノーの白い腕にその鋭い先端を突き立てようとする。

 しかし当然、ベルがそんなことを許すはずがない。ベルは前足の一振りで氷柱を全て破壊、空中で粉々に砕け散った氷柱はマナへと戻る。

 と同時に、レンが維持していた『ゲート』にも邪魔が入り、術式は崩されて『ゲート』も閉じた。


 だが、これでいい。刹那の時間さえベルから奪ってしまえばこちらのもの。ベルが氷柱に対処している間に、レンは必要最低限のマナで風の刃を放ち、再び腕を切り落とす。


「きゃ――!」


「っ、そりゃそうか。おい! まだスノーはキミに用があるんだ!」


 短い悲鳴と呼び止める声を無視して、レンは最速で『ゲート』を構築する。駆け出し、ベルが放つ逆風を強引に突破して、すぐ正面に『ゲート』を開いた。


 このまま『ゲート』を潜り、先に『魔術都市』へと戻ってしまえば、スノーはこれ以上レンを追いかけることはできない。

 宿を変え、こまめに『空間把握』を展開すれば、スノーと出くわすことは回避できる。

 だというのに――、


「私は!」


 透明な叫び声が耳朶を打った。


 妹の影がよぎる。


 彼等の声が脳内に響いて大合唱を始める。


 前に進む足が刹那の間躊躇いを覚え、それがレンの逃亡に決定的な打撃を与えた。


 都合三度目、ベルに妨害され『ゲート』は掻き消え、レンは血が滲むほど唇を強く噛む。

 逃走に失敗して立ち尽くすレンの背中に、今度は静かな声音でスノーが語りかけてくる。


「私は、レンの気持ちが分かるよ」


 静寂が、三人の中に訪れた。


 立ち尽くすレンの耳には、今のスノーの言葉はしかと届いている。


 ――俺の気持ちが、分かる……?


 自殺願望のことではないのだけは、確かだろう。ならば、何が分かると言っているのか。


 そんなもの、ただ一つに決まっている。


 レンの右手は強く握りしめられ、小刻みに震えた。


 レンの薄い背からは、マナとは異なる圧倒的な鬼気が立ち昇り、ゆらりと幽鬼のようにスノーの方へ体を向ける。


 スノーの言葉、それがレンの耳に入り、意味を頭が理解したその瞬間に、レンの揺さぶられていた感情が、限界まで振り切れた。


「……かる」


「――ぇ」


「お前にっ、お前なんかに! いったい俺の何がっ! いったい何が分かるって言うんだよ!!」


 激情が体の奥底から噴き出し、怨念じみた絶叫を喉の最奥から吐き出した。

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