第一章23 「灰となりて霞へと消える」
カーテンの隙間から漏れる色素の薄い日差しが瞼の裏を柔らかく叩き、暗闇の底から意識が浮かび上がる。
寝癖がひどい少女は眩しそうに眼をぎゅっと瞑り、悩まし気な声を出して寝台の上で寝返りを打った。
昨日無理をした反動で倦怠感が酷く、体の節々が軋んで痛い。
本当の所はもっと寝ていたいが、全身に響く痛みがそれを許してくれず、寝ようにも寝れない。
うんうんと可愛らしい唸り声を上げ枕に顔を埋めるも、痛みに眉を顰める白髪のエルフは、ゆっくり、ゆっくりと、寝台の上で上半身を起こした。
「――」
スノーは開き切っていない碧い眼を擦り、それから口に手を当てふわぁと大きな欠伸を一つ。
眦には小さな雫が流れ、透き通った白い肌を透明な光が照らした。ちらと、寝台の横にある魔刻砂に顔を向ける。スノーのぼやけた視界には、青い砂がもう少しで五本目を落ちるところが映った。
スノーはうつらうつらと微睡む頭で、すごく大変な一日だったなと、昨日の一連の出来事を振り返る。
最後のあの瞬間、『悪魔』にとどめを刺そうとしたあの時は、本当に死んでしまうかと思った。
『悪魔』の執念とも呼べる純然たる悪意。あの圧倒的な存在感にスノーの小鳥の心臓は震えあがり、全身に怖気が走った。
頭を砕き、致命傷を負わせたにも関わらず、命が終わるその時まで足掻くその姿勢は、何処か妄執に取りつかれた亡霊のような感じがした。
その執念、妄執、妄念は、まるで『悪魔』が何かに傾倒し信仰心を持つ従順な信徒のようで、薄気味悪いものだった。
それでも、最後の最後まで足掻き、自分を殺そうとした『悪魔』は、その首をレンに撥ねられて、六百年の生にようやく終わりを告げた。
これで少しは、自分が望む世界に近づいただろうか。
半分しか起きていない頭でのそんな心情は、瞬く間に泡沫のように弾ける。
そして、スノーは碧い目を眠そうにしぱしぱと瞬かせ、寝言のように独り言を言った。
「『悪魔』の討伐もそうだったけど、その後も、大変だったなぁ」
これがもし御伽話なのなら、スタンピードを食い止め、『悪魔』を倒し、それでめでたしめでたし、都市の平和は守られました、で終わる。しかし残念、現実ではそうはいかない。
まず、スタンピードの事後処理。正直、これはそこまで大変な事ではなかった。だが、スノーにとっては、かなり精神的な負担が大きかったのが、このスタンピードについてだった。
後でレンから聞いたのだが、戦場にあったはずの他の冒険者の亡骸や魔獣の死体は『悪魔』が全て食べてしまったらしい。
スノーはこの事を最初に聞いた時、あの場所に何も無かった理由はそういう事だったのかと、やっと納得できた。
そして同時に、『悪魔』がそのようなことをしたのは、にわかには信じられなかったし、その『悪魔』のまさに悪魔的所業に対する怒りも再燃した。
「……今思い出しても嫌な気分になる」
スノーは寝巻の胸元をぎゅっと手で握り、悲痛な顔で頬を固くする。
人の亡骸をも食らうなんて冒涜的な行為、そんなものは断じて許してはいけなかった。
その時自分は現場にはおらず、防ぎようはなかったので、今更あれこれ考えても仕方がない。
それでも、物理的に無理だったと分かっていても、どうしても悔いが残ってしまう。
「けど、今の私にできることは、亡くなった人達に黙祷を捧げるぐらいよね……」
そうなのだ。今のスノーにできるのは、犠牲になってしまった人達に対し、その魂が安らかに眠れるように、黙祷と祈りを捧げることだけ。
スノーは今日はあとでお花を買って共同墓地に行こうと、胸元を掴む手を開き心に書き留める。
「あふぅ……アレ、今日は随分と早起きじゃないか。おはよう、スノー」
「あっ、おはようベル。ベルの方こそ、いつもよりすごく早いじゃない」
「うん、昨日はかなり早く寝ちゃったからね」
そんな風に、今日の予定をなんとなく頭の中で思い描いていたスノーに向かって、今しがた起きた銀色の小狼が朝の挨拶をしてきた。スノーは体を後ろに回し、宙に浮く精霊に顔を合わせてベルに応じる。
ベルは猫のように顔を洗い、両手を上にあげて大きく伸びをすると、
「それに関してなんだけど、昨日はごめんね、途中で眠っちゃって。……それと、『悪魔』はちゃんと討伐できたんだね」
「うん、そうなの。私、とっても、頑張ったんだから」
スノーは相変わらず眠そうな顔で、こくりと体を横に傾ける。
ベルは腕を組んで金色の瞳を閉じ「そうかそうか」と嬉しそうな顔で頷いた。
それからベルはスノーの頭付近までふわりと近づき、ぼさぼさの寝癖がついた髪を魔法で丁寧にとかしてくれながら、
「スノーがちゃんと無事ということは、彼は、ちゃんと守ってくれたんだね?」
「そうね、危ないところを助けてくれはしたけど……」
スノーはそこで昨日レンのがしたことを思い出し、言葉を濁す。
確かに、昨日は二度も危ないところを助けられた。だが、それよりも、彼の横暴とも自己中心的とも言える行動に、どうしても意識が偏ってしまう。
レンの判断と行動、そのどちらも『悪魔』を倒す上で必要不可欠だったのは認めるまでもない。
事実、もしレンがいなければスノーは死んでいたし、『悪魔』を討伐することも叶わなかっただろう。
そうだとしても、もう少し配慮というものがあっては良かったのではないだろうか。
それに輪をかけるように、あの少女――アメリ―をいじめていた事も含め、それこそ胸に『悪魔』の棘でも刺さったような、不快感とも不信感とも違うモヤモヤした何かが生まれる。
「急にどうしたんだい? まさか、彼に何かされたんじゃ……!」
「えっ、ああ違うの。別に、レンから何か酷いことをされたわけじゃなくて」
唐突に押し黙ったのを気にして、ベルはここにはいない少年を疑う。そのベルの疑念をスノーは否定しつつ、あながち間違いではないとも思い、内心苦笑い。
ベルはスノーのおっとりとした否定の言葉にジト目を向けてくるも、諦めたかのようにはぁと息を吐き、
「まあ、スノーがそう言うのなら大丈夫か」
と、一応は信じてくれた。
そして、「それはそうとして」とベルは前置きし、
「ボクが寝てしまった後はどうなったんだい? あの『悪魔』を討伐したんだ。ニンゲン達は大騒ぎしたんじゃないか?」
「えっと、それが……あんまり」
「ふーん、そんなもんなのかねぇ」
ベルはいつも通りの真っすぐになった白髪を、手慣れたように風で編み込みつつ、淡白な言葉をこぼす。
スノーは寝台に手をついて降り、朝の身支度を整えながら、
「実は、レンがいろいろと手回しをしてね……」
そう切り出し、スノーはベルが知らない昨日の『悪魔』討伐のその後を語って聞かせる。
△▼△▼△▼
レンは『悪魔』を討伐し終えた後、すぐにその死体を回収し、スノーを引き連れ都市庁舎に赴いた。
因みにスノーが一緒だったのは、彼女が勝手についていったのではなく、レンに「お前も当事者だから一応は一緒に来い」と言われた為である。
都市庁舎で一悶着あったものの、レンは都市庁舎からとある人物を呼び出し、そのまま人目のつかないところで空間魔法を使い、先日行ったレンの研究室へ。
レンが呼び出したのは、この都市の魔術研究所の所長をしている人だと、その時教えられた。
銀縁の眼鏡をかけ白衣を着こんだ、まさに学者然とした人だった。くすんだ茶髪を丁寧に後ろに撫でつけた男性は、両手を組んでレンとスノーの対面に座る。
ブルーノ・エルマンと紹介された落ち着いた雰囲気を醸し出している若い男性は、スノーがいることにどこか意外そうな表情をしていたが、レンがブルーノを呼び出した理由を単刀直入に質す。
「それで、『悪魔』が出現したこの非常時に一体何の用かな? 君の事だ、まさかとは思うが、そこのお嬢さんと一緒に『悪魔』を討伐した、なんて世迷い事を言い出すんじゃあないだろうね」
「そのまさかです。たった今、『悪魔』――バフォメットを倒しました」
ブルーノはレンとスノーの格好を見て、二人が直前まで何をしていたのかあらかた想定していたようだった。
それでも驚愕を隠せず細めていた茶色の目を見開き、それから手で顔を覆って天井を仰ぐ。
レンはブルーノのことなど気にした様子はなく、『悪魔』を討伐した証拠として、淡々と何もない空間から『悪魔』の死体を取り出し、一瞬で創り上げた氷の台座に置く。
「『悪魔』は俺と、そこに座ってるスノーで討伐しました。それと、ついでですが、スタンピードは収まってます」
「それは既に報告を受けている。……そうか、それにしても、本当に『悪魔』を討伐したのか」
どことなく疲れたように感慨深く呟き、ブルーノは前を向いて『悪魔』の死体を確認する。
ブルーノが『悪魔』を隅々まで調べている間、スノーは気になっていた事をレンに小声で尋ねた。
「ねえ、どうしてそこの、ブルーノ……さん、を呼んだの?」
「……ちょっとした相談と、頼み事をするためだ」
短く簡潔に答えたレン。彼はそれ以上は口を開いてくれず、スノーも黙ってブルーノが『悪魔』を調べ終えるまで座って待つ。
「ふむ、まぁ実物があるのだから、誰もがこの事実は認めるだろうね。まずは都市を代表して礼を言わせてもらうよ。レン君、そしてスノー君だったかな、ありがとう」
ブルーノはあらかた『悪魔』を調べ終えると椅子に腰を下ろし、落ち着きを払ってそう言った。
ブルーノの謝辞にレンは目を瞑り、スノーはおずおずと頷く。
それからブルーノは「それで」と息を継ぎ、
「大方予想はついているが、君は僕にどうしてほしいのかな?」
「スノーがどうしたいのかは知りませんが、俺が『悪魔』を討伐したことを公には知られないよう、協力してもらいたいんです」
「当然、そうだろうね。それは僕たち研究員としても、そちらのほうが望ましいか」
微苦笑して肩をすくめるブルーノ。二人の間でしか成立していない会話に、スノーは内心首を傾げるばかり。
もっとも、スノー自身もレン同様、自分が『悪魔』討伐に関わったことは伏せておきたい。
なので、この話はスノーにとってもありがたいことなのだが、話の流れが掴めず困惑してしまう。
そんな考えが顔に出ていたのか、ブルーノはスノーの疑問に気付いたようで、レンに許可を求めるような視線を向ける。
レンはそれに目を閉じて黙認したため、ブルーノは方眉を上げるもスノーに顔を向けて口を開いた。
「スノー君は、彼が空間魔導士ということは知っているんだよね?」
「あっ、はい、そうです」
「ふむ、ますます意外だが……君は何故彼がこの都市で冒険者なんかをしているのか、それを疑問に思ったことはないかい?」
「えっと、多少は」
スノーの答えにブルーノは軽く頬を緩め、「そうだろうね」と同意した。
ブルーノは銀縁の眼鏡をクイッと上げ、
「レン君は、彼の願いもあって、世間一般には知られていない空間魔導士だ。もし公になれば、王城に招かれるか、王家に取り入れられるかするだろうね」
空間魔導士というのはとても貴重な存在だ。現存する名の知れた空間魔導士は、クロッス魔導王国でも二人。そのどちらも、今は王都にいるという話だ。
ブルーノは人差し指を立てて続ける。
「もしそうなった場合、レン君は国の為に色々な責務を負うことになるだろう。無論、それは大変名誉なことだ」
ブルーノの説明にスノーは頷き、目だけでレンの顔を窺う。
相も変わらず無表情を貫くレンは、頬杖をついて窓の外の景色を見ていた。
あれだけの激闘の後だというのに、疲労困憊した様子はどこにもない。というより、どこかまだ余裕があり、涼し気な表情をしているようにも見えた。
「けど、彼はそれを望んでいなくてね。自分がしたい事をできなくなるからって理由でね」
ブルーノの穏やかな声が耳に滑り込み、スノーは彼の方へと視線を戻して、疲れている頭をなんとか回す。
先程の短い会話からでも、そのことは何となく読み取れた。それ以外でレンの存在を伏せる理由なんて、スノーには見当もつかない。
そしてここは『魔術都市』で、ブルーノは研究所の所長。と、ここまでくれば、スノーにも先のやり取りが理解できた。
「利害の一致……ですか?」
「おっと、まだ説明の途中だったんだが……理解が早くて助かるよ。まあ、僕たちの関係はそんなところだ」
途中で口を挟んだスノーに、ブルーノは「ハハハ」と照れ臭そうな笑いを浮かべて、頭の後ろをかく。
真面目そうな印象を受ける人だが、彼にもれっきとした研究者の血が流れているのだろう。
スノーには計り知れないことだが、レンは有名にはなりたくないようだ。
あれだけの実力を持っているのなら、なんにでもなれるだろうに、それでもこの場所で地道に冒険者をやっている。
そのこととレンの『目』と雰囲気には何か関係がありそうだが、今それをつつくのは無理だろう。
「それで、お願いできますか?」
スノーへの説明が終わった為、レンは目線をブルーノに戻すと同時に話も戻す。
ブルーノはレンの問いかけに「うーん」と唸り、顎に手を当て、
「目撃者は他にいないんだよね?」
「はい、一人もいないことは確認済みです。『悪魔』が討伐されたことを知ってるのは、今のところ俺とスノーとエルマンさんだけです」
「なるほど、承知した。それなら問題はなさそうだね。詳細については後で詰めるとして、――スノー君、君はどうする?」
この流れで言うのなら、スノーが『悪魔』を討伐したと世間に広く知らせるかどうかを聞いているのだろう。
もし承諾すれば、いろいろと褒賞が貰えることだろう。だが、スノーはそんなもののために『悪魔』を討伐した訳ではない。そしてなにより、そのことはスノーにとっても都合が悪い。
なので、
「私もレンと同様、このことは伏せてもらうと助かります」
「おや、そうかい。それなら、その方向で進めていくよ」
スノーの断りの文句に目を軽く見開いたブルーノだったが、「委細承知した」と余計な詮索もなく力強く頷いてくれた。
ほっと一息つくスノー。スノーもこのことはどうしようかと少し悩んでいたが、何とかなりそうで助かった。
「ありがとうございます」と頭を下げてブルーノに礼を述べるスノー。丁寧に頭を下げるスノーに、ブルーノはどうってことないと軽く手を振る。
そんな二人のやり取りを眺めていたレンだったが、スノーが頭を上げた時に話しかけてきた。
「……俺はもう少しエルマンさんと話していくから、お前はもう帰っていいぞ」
無機質な声でそう言って、レンは『ゲート』と呼んでいるらしい空間魔法を使う。
スノーの横、部屋の扉の手前に半透明な幕がかかったように、扉の形に空間の一部が揺らめいて見えた。
こちらを見つめ、その死んだ目で帰るよう促してくるレン。
スノーはレンに聞きたいこと尋ねたいことが山のようにあるが、今日はもう肉体的にも精神心的にも疲れてしまって、その気力がどうしても沸きあがらない。
故にスノーは黙って椅子から立ちあがり、最後にブルーノに一礼して、『ゲート』をくぐった。
◆◇◆◇◆◇
「それで宿の近くについたんだけど、そしたらね、なんかガラの悪い人達が閉まってる宿に入り込もうとしてるのを見つけてね、ちょっと懲らしめて衛兵さんに引き渡してって、これもまた色々と大変だったの」
「ふんふん、まぁなんだ、昨日はお疲れさま」
ベルはスノーの頭の上に乗っかり、ポンポンと彼女の頭を撫でてその労をねぎらう。撫でられるスノーは唇をほのかに緩めた。
なんだか自分が惰眠を貪っている間に、スノーはかなり大きな気苦労を負っていたようだ。
後でスノーにご褒美でもあげたいところだが、生憎ベルがスノーに何か買ってあげることはできないので、それがなんとももどかしい。
それはそうと、『悪魔』を討伐した後の事まであの少年は考えていたとは。
そこまで頭が回っていたということは、レンは『悪魔』は必ず倒せると踏んでいたのか。
末恐ろしい少年だと、ベルをして思う。
そのようにレンへの評価と警戒を一段引き上げるベルを余所に、スノーは窓辺へと寄ってカーテンを開けた。外はまだ薄暗く、軽く靄がかかっている。
スノーは窓を開け放ち、外の空気を部屋いっぱいに入れた。少し肌寒い風が部屋を吹き抜けるが、スノーは外の様子を見て「あれ?」と声を漏らして目を凝らす。
「誰かいたのかい?」
「んーと、今、レンが走って何処かに行こうとしてたのがちらっと見えたの」
「へー、それで?」
「うん、こんな朝早くからどこに行くのかなって」
時刻は暗刻の五時を少し過ぎた程度。スノーはチラチラと、外とベルの様子を窺ってくる。
この子のことだ、レンの後を追いたいとでも思っているのだろう。
「別に、スノーが彼がどこに行くのか気になるならついていってもいいし、ボクも手伝うよ。スノーの好きなようにしたらいいさ」
「いいの? それじゃあ……」
言うが早いが、スノーは開けたばかりの窓を閉めてローブを羽織る。
ベルはスノーが外に出るのに合わせて彼女の髪に潜り込んだ。スノーのサラサラて居心地の良い髪を堪能しつつ、ベルは精霊に声をかける。
その姿こそ人には見せないが、精霊達はベルの呼びかけに答えてくれた
そしてベルはこの前と同じように精霊に頼み事としてレンの居場所を聞き出し、スノーに伝える。
そうして早朝の都市をスノーは走り、ベルに教えられた通りに道を進んで、ようやくレンの後ろ姿を捉えることができた。
「あんまり急いでる感じじゃないみたいだね」
「そうね。こんな早い時間だし、買い物に行くってわけでもないよね」
ひそひそと、レンの後をつけながら小声で会話を交わす。
もしレンに気付かれたらまた転移で逃げられるだろから、スノーの足取りも音を立てないよう慎重だ。
レンの走る速度は一般のそれで、この前の彼の動きと比べるまでもなく遅い。
まだ朝というには早すぎる時間で、こんな時間に開いている店もないだろうから、買い物もあり得ない。
「うーん、あの服装から見るに、運動でもしに行くんじゃない?」
スノーの髪から顔を出し、髭を撫でたベルのその予想は当たっていた。
暫くしてレンは都市の一角にある人気のない広場で立ち止まり、軽く呼吸を整えてからこれといって特徴のない氷の剣を手に生み出す。
そして、それを正眼に構え数秒動きを止めたかと思うと、おもむろに氷剣を振り出した。
「そういえば、彼が持っていたあの剣はどうしたんだい? どうやら見当たらないようだけど」
「あっ、それは昨日折れちゃったの。『悪魔』の首を切り落とした時にパキンッって」
物陰に隠れレンの剣舞を見つめるスノーとベル。わざわざ魔法で剣を創り出したことに疑問を呈したベルに、スノーは詳細まで教えてくれた。
そして一人と一匹で息を潜め、青白い輝きが朝霧を切り裂く静かな剣戟を観賞する。
ベルは武の道には当然縁もゆかりもなく、その良し悪しも漠然としか分からない。
ただ何となくではあるが、レンが剣術に秀でているのは昨日の戦いを間近で見ていたので分かる。
それに加え、スノーもレンの動きをこうしてちゃんと見て、その凄さに驚嘆しているようだった。なので、やはりレンはかなり凄腕の剣士でもあるのだろう。
「――あれ?」
「どうしたんだい?」
ふと、そう呟いてスノーは目を擦り、眉間にしわを寄せてレンを凝視する。
ベルの問いかけにはすぐには答えてくれず、集中してじーっとレンを観察するスノー。
そんなスノーにつられるように、ベルもレンを見つめる。
川を流れる水のように、一連の動作を止める事なく広場を動き回るレン。
剣術というのをよく知らないベルでさえも、彼の動きが洗練され無駄がないことが分かる。
ただ、スノーが何をその碧い瞳にしたのかまでは分からない。
「すごい……あのねベル、レンは今『悪魔』と戦ってるの」
「うん? 『悪魔』は討伐したんだろう? それになにより、あそこにいるのは彼だけじゃないか」
「ああ、そうじゃなくて、レンは想像上の『悪魔』と戦ってるの。ほら、足を止めて防御に徹してるでしょ。あれはベルも一度は見たんじゃない?」
「む、確かに、言われてみれば……」
ベルは昨日のレンの戦い方を思い出し、それと今の彼の姿を重ねる合わせる。
スノーに言われたように、その剣の扱いは昨日のそれと近い。ひたすら攻撃を防ぎ、いなしていくような剣技。そして少しづつ足を前に進めている。
その動作は、昨日彼が『悪魔』と戦っていた時にしていた動きと同じ。
そこまではベルにも分かったが、どうしても『悪魔』の明確な姿を捉えることはできない。
やはりこれは、ある程度武術に馴染みがあるような人でないと、見えない類のものなのだ。
つまりは、自分に一生縁のないもの。
「おっと、急に固まったみたいだけど、もしかしなくても『悪魔』にやられたのかな?」
つい、そんな風に心の中で思った言葉が口からついて出てきた。だが、そう言ってから、ベルが昨日見た限りでも、彼が直接『悪魔』の攻撃を喰らってなかったことを思い出す。
その考えをスノーは見透かしたのか、軽く顎を引き、
「そうね、『悪魔』にやられたって感じじゃないみたい。それに、なんでかいきなり『悪魔』が消えちゃった」
唐突に、レンが頭の中で思い描いていた『悪魔』は消えてしまったらしい。
しかもそれだけでなく、目に見えてレンは挙動不審になっていた。
どこか怯えたように、レンは全身をこわばらせている。
スノーとベルはレンの後ろ姿しか見えない場所にいるので、彼が今どんな顔をしているのか分からない。
「――ぇ」
「……」
か細い声を漏らし、その目を凝然と見開くスノー。
ベルも、突然のレンの奇行に言葉が出ず、金の瞳を鋭く細める。
瞬きの間、本当に刹那の間に、レンは一切のためらいもなく、その首に氷剣を当て、斬り飛ばした。
血しぶきも、悲鳴も上がらず、緩慢とした動きで草の上に倒れこむ首無しの痩躯。
くるくる、くるくると宙を舞うレンの生首は地面に落ち、そして灰となって霞の中へと消えた。




