第一章18 「悪魔」
血みどろの戦場跡に新しく姿を現したのは、闇を具現化したような魔獣だった。
真っ黒な体毛は太陽の光すら吸い込み、体毛と同じく、これ以上ない程に黒く染まったねじれた二本の角は、鈍い光沢を放っている。
横に長く伸びている角の片方には、稲妻のような大きな傷跡がついていた。
全身黒ずくめの中で目立つのは、四方八方にぎょろつく濁ったガラス玉のような飛び出た赤い瞳と、明らかに『ニヤついている』体毛とは真逆の剥き出しになっている真っ白な歯牙。
その姿はまるで、暗闇の中に唐突に現れた我者髑髏のように不気味だ。
ただひたすらにこの世の影と呼べるものをかき集めて、体現したかのような一匹の山羊。その山羊が持つ不気味さと存在感は、並みの魔獣のそれを軽く凌駕していた。
『悪魔』は、枝木のように分かれている長い尾で貫いていた騎士甲冑を着ている枯れた木を、それこそ小枝でも振るかのように投げ捨てる。
中身のない甲冑が奏でるカラカラとした虚しい音が、静まり返った戦場にやけに大きく響いた。
緊張が音よりも速くその場にいた全ての人に駆け巡り、誰一人として指一本動かせず、固唾をのんでそれを見つめる。
「……バフォメット」
静寂の中、憎しみを込めてそう小さく呟いたのは、首だけを動かして闇色の山羊を目に映し、クロスグリ色の瞳を険しく細めた少年――レンだ。
まさか、再びこうしてスタンピードが起こった時にあの魔獣と遭遇するとは、一体誰が予想できよう。
本当に呪われているのかと、レンをして緊張を隠せずに頬に冷や汗を伝わせる。
――これだから、この世界は。
歯噛みして緊張と共にその言葉をすり潰し、レンは目を見張り硬直しているスノーに呼びかけた。
「答える答えないは別として、話は一旦あとだ。アイツは――」
「そう、ね。私は……この子を、安全な場所に、連れてくから。その間は、ベルとレンに、任せるわ」
生唾を呑み、レンの意図を察したスノーは、一言一言区切って話す。彼女はバフォメットから目を離さずに少女の手を取って、ゆっくりと立ち上がった。
少女の方はというと場違いにも赤面しているが、スノーはそれに気付く余裕などなく、少女の肩を抱き寄せて、慎重にすり足で歩を進める。
その様子を横目に、少女に気付かれないようにひっそりと近づいてきたベルを、レンは服の袖に隠した。
奴がいきなり現れて、一人の聖騎士を亡き者してから数十秒。誰も動けないでいる戦場を、ニタニタと笑いながら闊歩する黒山羊。
切り詰めた緊迫感が、空間全体に病魔のように蔓延する。
気持ち悪い空気が膨らみ、胃もたれをしたかのような不快感をその場にいる者全員が味わった。
ヒリヒリと体の内と外が焼け付く感覚を覚える中、レンはバフォメットの動きに最大限の注意を払い、剣の柄に手をかける。
その間、ごそごそと服の内側をまさぐるように移動していた毛玉は襟元まで来て、ピンク色の鼻面をのぞかせた。
それからベルは顔だけを出し、レンにこれからどう行動するかを耳打ちしてくる。
『キミはバフォメットの注意を引き付けてくれ。その間にボクは最大火力の魔法を準備する。でないと――」
「分かってる。……距離は、出来るだけ近い方がいいか?」
『そうだな、できればその一撃で討伐したいから、そうしてくれると助かる。より確実性は高くしたいしね』
レンは小さく顎を引いて了承し、攻撃を仕掛ける間を図る。一秒一秒と緊迫と緊張が増加し、それに呼応するかのようにマナと集中力を高めた。
今この時だけは、スノーやベルといがみ合ったり、非協力的になったりする訳にはいかない。
寧ろ、レンの方から協力を申し出たい程だったので、スノーがベルを貸してくれたのは渡りに船だ。
バフォメットは最初に近くにいた聖騎士を殺した後は、特に攻撃してきていない。だが、相変わらずニヤつきながら、周囲にいる人間に視点の定まらない赤い目を向けている。
そして、急にバフォメットは四本の足を止めた。
――今。
時が止まったかのような、本当の意味で誰一人動いていない、瞬きのような刹那の時間。
その瞬間、ぬかるむ地面を、しかし足を取られることがないよう万力を込めて踏みしめ、直進しようとするレン。
「――っ」
が、ほんの少し、そう、本当に少しだけ、血だまりの上を足が滑り、ゼロコンマ一秒以下の時間を足元に気を取られる。
レンが視線を戻したその時には、バフォメットはぐるりと首を後ろに捻り、とある冒険者の方に顔を向けていた。
そして――、
「ああああああぁぁぁぁーー!!」
「なっ……!?」
あまりのプレッシャーに耐え切れず発狂した冒険者に、レンは攻撃を仕掛けるタイミングを見失ってしまった。
悪気など全くないが、発狂してレンの邪魔をしてしまった冒険者は、バフォメットに背を向けて一目散に逃げようとする。
しかし、それを見て、バフォメットはニタァと口を開けて笑い、
「――――がっ……」
冒険者がいた場所には、一本の干からびた黒い樹木が立つ。それを機に、張り詰めていた空気が割れて均衡は崩れ、一斉に人々が動き出し、戦いの火ぶたが切られる。
「ほら! 私達はこっち!」
「あっ、はいぃ」
スノーは腰を抜かしてしまった少女をお姫様抱っこして、跳躍をして風に乗り姿を消した。
当然、その場にいるのはスノーだけではない。ガタイの良い礼服姿の聖騎士の一人が、野太い声で同僚達に指示を飛ばす。
「議長に『悪魔』が出現したと伝令を送れ! それと同時に領主には早馬を! 急げ!」
生き残っていた聖騎士のうち、数人がその場から離脱しようと、鎧の音を立てて慌ただしく駆け出す。
彼等以外の聖騎士は素早い動作で円を作り、バフォメットを包囲した。それとは逆に、その場にいた冒険者の九割は逃げだしている。
否、逃げだす間もなく、彼等は既に人ではなくなっていた。スノーと少女、そしてバフォメットの攻撃が届かない位置にいた冒険者だけが、なんとか命を拾う。
「くそっ」
レンは攻撃のタイミングを逃し出遅れてしまった事に、剣を握りしめながら悪態を吐いた。
あの一瞬がなければ、あの冒険者が叫ばなければ、自分に注意を引き付け、近距離での一対二の勝負を挑むことが出来た。
それが出来ず絶好の機会を逃してしまったどころか、今は聖騎士が包囲網を築いていてバフォメットに近づけない。
いや、それ自体も問題ではあるのだが、アレ相手だと聖騎士達の包囲陣は――悪手だ。
「――――ッッッ!」
咆哮と共に途中で三つに分かれている尾が硬質化。急激に伸びるそれは、音速に迫る速さで荒れ狂う。
空を薙ぐ三本の尾。その先端は針のように細く、鋭く、易々と甲冑の隙間に入り込み、貫き、切断する。
振り回される一撃必殺の暴威は、数瞬の内に枯れ木を量産。聖騎士は半分以下に数を減らし、包囲網に穴が空く。
断末魔すら残せず、二十人以上の人の体がポッキリと折れそうなほど萎びて、この世を去った。
前後左右に伸びる尾。バフォメットの主要な武器であるそれは、たとえ包囲されたところで威力が半減などしない。
それどころか、逆に人的被害を増加させるような範囲攻撃を放ってくる。
尾の一振りでおよそ半分の仲間を失った聖騎士達は唖然とした。再び体を硬直させる者、彼我の力を見せつけられ絶望する者が、生き残った者の中でおよそ三分の二。
残る三分の一は、ギリギリでバフォメットの攻撃を見切って、躱すか防ぐかしてなんとか生き延び、仲間を殺された怒りに震える者達だ。
「……俺たちからすれば状況は好転したが、好ましくないな」
『この場にいたのがスノーじゃなくてキミで良かったよ。ただ、障害物は取り除かれたね』
聖騎士という、都市防衛の観点で見れば大きな戦力が激減したことに、レンは顔を曇らせる。
これならばバフォメットに近づく事は出来るが、それでも戦える人が減るのは避けたかった。
それに対し、ベルが気にしているのはあくまでもスノーの事だけ。彼女以外の人の事をなんとも思っておらず、バフォメットを討伐するという点において、聖騎士を勘定に入れていない。
それは、ベルの自身の最大火力の魔法で、バフォメットを討伐できる自信の表れでもある。
だが、そこに関してはレンの働きが大きく関わってくるので、何とも言えない。
レンもあまり人の――この場合は精霊の事――を言えないが、この期に及んでベルは人前に姿を現す気がないようだ。
『悪魔』などという魔獣の中で例外中の例外――『二つ名』持ちが出てきたというのに、己の存在を公にしたくないとは。
それは舐めプか、あるいは己に課した縛りか何かか。それでも、今までもスノーと共に過ごして来ているのだから、ベルはこの戦い方には慣れているだろう。
取り合えずそこはベルを信じる事にして、討伐の確率を高める為に今度こそレンは足を踏み出す。
剣を両手で握りしめ、聖騎士達の間をすり抜けて、レンは一人バフォメットの前に飛び出した。
「っ、おい! それはむぼ――」
「あんたらは少し距離を取ってくれ。できれば、バフォメットの攻撃範囲ギリギリまで」
礼服の騎士が、一人駆け出したレンに注意をして引き留めようとする。しかし、その声よりもレンの冷静な声音が聖騎士に呼びかける方が早い。
一介の冒険者が聖騎士相手に指示を出したことに、彼等は怒りを通り越して困惑した。
だが、その困惑はレンの流れるような動きを見て、驚愕に塗り替えられる。
正面から再び伸ばされる漆黒の尾。それは飛び出したレンに三本全てが向けられている。触れれば一巻の終わりの攻撃。
それ自体、レンにとっては何の意味も持たないが、諸事情により目立つ怪我を負うことは出来ない。よって、レンは回避と迎撃を一度にこなす。
ダッキング、レンは横薙ぎに振り払われ、頭部を狙ってきた一本をかがんで躱した。
頭上を通過する尾が空気を切る音を鳴らすが、それよりも先に他の二本が繰り出されている。
「この程度でやられる程、俺はやわじゃない。それに、このパターンは三年前に一度見てる」
左右から同時に脇腹目掛けて突き放たれる鋭い槍。当たれば貫かれるだけでなく、胴と下半身が泣き別れになるだろう二連撃。
それに対しレンは後ろ宙返り。右から迫る槍には片手に持ち替えた剣を合わせ弾き、左の方は氷の盾に阻まれ一瞬動きを止める。
生みだした間隙、盾が破砕された時にはレンの体は何処にもなく、黒い槍は何もない空間を突いた。
金属同士を叩きつけたような甲高い音が鳴り響き、割れて役目を果たした氷は、淡い光を放ちマナへと還元される。
今の一瞬の出来事に対して、動揺を露わにする聖騎士。
体格の良いリーダー格の一人の騎士も、たった一度の余裕を見せつけるような攻防を目にして、呆然とする。
しかし、すぐに我に返り、レンが出した指示に従うように周りの同僚に改めて命令を出した。
「か、彼が言った通り、我々は一度距離を置く。この場は一旦、彼に任せよう」
しぶしぶと、しかし何処か納得した様子で距離を取る聖騎士達。それを確認しつつ、レンはニヤニヤと笑っているバフォメットに、右手に握った長年使っている愛用の剣を突き付け、
「今度こそ、ここでお前を息の根を止める。そのにやけ面、絶対に剥がしてやるからな」
凍えるような冷たい声で、『悪魔』を相手にそう啖呵を切った。
△▼△▼△▼
戦場から一時離脱したスノーは、一人の少女を抱えながら、行く時と同じように屋根の上を踏破していた。
今はベルから力を借りていない為、行きの時程の速度は出せていないが、それでも周りの景色はどんどんと変わっていく。
しかし、一刻も早くベルとレンの元に戻らなければと、スノーは焦りの色を浮かべていた。
『悪魔』――バフォメット。世界でも五体しかいない、『二つ名』を持つ凶悪な魔獣。
その内の一体がこうして『魔術都市』に姿を現した。スタンピードなんかよりも余程たちが悪いと、スノーは唇を噛む。
あれは生きる災いだ。バフォメットの攻撃をまともに受けたら最後、体内のマナ全てを吸い取られ、枯れた黒い木へと姿を変えられる。
それは人間の誇りと尊厳を踏みにじる行為であり、スノーに激しい嫌悪と唾棄を抱かせる。
木に姿を変えられた者は決して元に戻らず、持ち物などからどんな人なのかを判別するしかない。
よって、まともな葬式すら行えないこともしばしば。死後ですらそうして人の思いを踏みにじる魔獣に、スノーの義憤は収まらない
六百年前、突如として現れ、この世界の七割がたを吹き飛ばした『災厄』が残した負の遺産。それが魔獣であり、その中でも特別な種類に分類されているのが『二つ名』だ。
六百年、その途方もないほどの長い時間を生き、世界に損害を与え続けた誰もが憎しみと恨みを抱える魔獣。
バフォメットに関して言えば、単独で多くの村や町を滅ぼしている。その被害件数は、他の『二つ名』に比べて最多だ。だからこそ、余計に気がはやってしまう。
そうして前に出す足を早めるスノーに、横抱きにしている少女が話しかけてきた。
「あ、あのっ」
「っ、なにかな?」
精一杯の笑顔を作り、少女の顔を見るスノー。抱えている少女はどこか訝しげな表情を見せるも、思いなおしたかのように一息に言葉を紡いだ。
「あたしの事を助けてくれてありがとうございました」
「え!? そんな、私はあなたのことを助けてなんて……」
「そんなことないです! あの怖い人との間に入ってくれて、本当に助かりました。それに今だって、こうしてあたしのことを運んでくれて……感謝しかありません!」
先程まで泣いていた少女はどこへやら、溌剌とした声で感謝の意を伝えてくる少女。
そんな少女に対して、スノーは戸惑いを禁じ得ない。もとはと言えば、スノーが魔獣に殺されかけたいた少女の所に、間に合わなかったのが原因だ。
もし間に合えたなら、あそこまで心を傷つけられなかったろうに。それに、今は一見大丈夫そうに見えるが――、
「その、やっぱり、彼に言われたこと、気にしてる……よね?」
「ぁ――ばれちゃい、ましたか」
シュンとうなだれる少女。少女の方は隠せているように思ってたのだろう。だが、無理をしているのが見え見えだった。
そうして少女はうなだれていたが、パっと顔を明るくして、
「でもっ、今は本当に大丈夫です! そのっ……大丈夫です!」
大丈夫と、二回重ねて言う少女。それでも、その笑顔の裏には隠し切れていない苦痛があった。
その少女の嘘を、スノーは柔らかい果実の皮を剝くように優しく暴く。
「無理、してるでしょ。そうやって無理して我慢する必要は、ないんだよ?」
「うっ、鋭い……ですね」
頬をかき、再び沈んだ表情を見せる少女。ころころと表情を変え、スノーに諭された少女は、思い出したかのように感情を高ぶらせ、そのまま胸の内に隠していた思いの丈を吐き出した。
「……だって! あの人が言ってたことは全部ほんとうで! あたしは何も考えないで、流されて、死にかけたんです! あたしは無力で……だから、全部あたしが悪いんですよ! 自業自得なんですよ!」
叫ぶ少女。その瞳には大粒の涙が溢れ、顔をスノーの胸にうずめる。少女の心を占めるのは、罪悪感と自己嫌悪だ。
スノーは己の無力と無知を嘆く少女の言葉を全て受け止め、その小さい体を抱きなおした。それから少女は間をあけて、
「だとしてもっ、あんな言い方はないじゃないですか! なのにどうしてあの人はあんな風にっ……!」
そこで息切れして、少女はすすり泣き始める。嗚咽を漏らし、鼻水を流し、スノーに縋りつく。
縋りつかれるスノーはただ「うん、うん」と相槌をうって、少女の事を慰めるように、抱きしめる手に力を込めた。
こうやって本音を吐き出して泣くというのは、別に悪い事ではない。寧ろ、こうして誰かに話すだけで、気持ちが楽になることもある。
そうやって少女をなだめるスノーは、彼女の言い分に心の中で同意する。レンのあの言い方には、流石のスノーも憤りを覚えていた。
本当は他人に対する優しさを持ち合わせているだろうに、わざわざあのように言葉で責め立てるなんて。
こうして少女の心を傷つけなくてもいいのにと、スノーはレンの言動の真意が読めずに疑念を抱く。
そうしてどれほどの時間が経ったのだろう。一通り涙を流して静かになった少女は、急にスノーの胸から顔を離し、
「ああ! ごめんなさい! お召し物を汚してしまって!!」
「ううん、別にいいの。それよりも、あなたが落ち着けたならそれが一番。それに、こういう時は謝るより、ありがとうって言って。その方が、胸を貸してあげた甲斐があるってものだから」
今はレンのことを考えるよりも、こちらの少女の方が大事だと、柔らかく、それでいて茶目っ気たっぷりに微笑むスノー。その笑顔に少女は再び頬を赤くする。
その様子に、スノーは可愛らしい少女だと、クスクスと笑い声を漏らしてしまった。いけないと思いつつも、その静かな笑い声は止まらない。
スノーがそうやって笑う為、少女の方はムッと頬を膨らませるも、しかしスノーにつられて吹き出してしまう。
そうして二人してひとしきり笑った後、どこか声の調子を落として真剣な面差しで、少女はスノーに質問の許可を取ってきた。
「その……一つ、質問してもいいですか?」
少女が持つ空気の変化にスノーは笑うのを止めて、少女と同じく真剣な面持ちになる。
「――うん、いいわよ」
「ありがとうございます。あの、あなたのように強くなるには、どうしたらいいですか?」
「そうね、……厳しいことを言うけれど、それでもいい?」
スノーは碧い相貌ですべてを見透かすかのように、少女のことを見つめた。その視線を受け、少女はスノーの言に覚悟を決めたように頷く。
それを見てから、心苦しくもあるが、スノーはおもむろに口を開いた。
「まず、残念だけど、あなたには目を見張るような才能や資質はないの。マナの扱いも、どれだけ頑張ったところで凡人どまり。どうやっても、一人で魔獣の相手をできるようにはならないわ」
無常にも思えるその通告は、強くなりたいという少女の願いを真っ向から否定するものだった。少女はスノーの透き通った声を耳にして、暗い顔をする。
その悲し気な様子に、否定したスノー自身も心を痛めるが、「でもね」と前置きして、
「それが、努力をしないことには結びつかない」
「ぁ――」
そう言い切ったスノーに、少女は暗く俯けていた顔を上げて、瞳を輝かせる。その様子に、スノーは顎をひいて「そう」と言い、
「たとえ己の成長の限界が決まっていたとしても、それが強くなるのを諦める理由にはならないわ。あなたが本当に強くなりたいと願うのなら、それに見合った努力をすれば必ず結果はついてくる」
もしこの言葉がレンの耳に入ったのなら、理想論だと彼に馬鹿にされる光景が目に浮かぶ。
短すぎる付き合いだが、彼の言動を見てきて、絶対にそう言ってくるだろうという確信がスノーにはあった。
だが、例え理想論だと馬鹿にされたとしても、スノーはこの考え方を曲げるつもりはない。
確かにこの世は不平等で、生まれた時からその人の才能というのは決まっている。
その才能を持つ人というのはごく一部の人に限られ、そうでない人とは絶対的な差が生まれてしまう。
スノー自身、風妖精という種族に生まれ、才能に恵まれたという自覚はある。
実際、魔法を使える人というのはごくごく限られ、マナの扱いが上手いというのも、根底にはその人の資質が関わってくる。
しかし、重ね重ね言うことになるが、それで才能や資質が無い者が、努力をしない理由にはならない。
たとえどれだけ才能がなくとも、どれだけ資質が凡人のそれであろうと、諦めなければ必ず道は見えてくる。
「だからね、才能が無いことを嘆かないで。あなたが本気で頑張れば、ちゃんと強くなれるから」
「……はいっ、はいっ」
何度も頷き、またまた涙を流す少女を、スノーは優しさに満ち溢れた笑顔で見つめる。
それからスノーは、より具体的な説明を始めた。
「えっと、因みになんだけど、私が一番おすすめする方法は、やっぱりマナの制御かな」
「マナの制御……ですか?」
「そう。身体強化は使えるよね?」
スノーの疑問に、少女は首肯で肯定してくれる。
「なら話は早いわ。自分が扱えるマナのギリギリの量で身体強化を使うの、それも毎日」
「ま、毎日ですか!?」
スノーが言った事に、声を張り上げて驚愕を露わにする少女。スノーは少女の驚きように微苦笑しつつ、説明を続ける。
「うん、毎日やるの。それでね、慣れてきたら段々と扱う量を増やしてくの。そうすれば、自然と扱えるマナも増えていくし、体も鍛えられるわ。出来る事なら、運動をしながらやるのがいいかな」
この方法は、奇しくもレンが毎日の日課で行っている物なのだが、スノーがそれを知るすべは無い。
スノーが提案した訓練方法に、少女は「うーん」と頭を悩ませるも、
「……分かりました! あたし、やってみます! そして強くなって、あの人をぎゃふんと言わせてみせます!」
そのように、必ずやって見せると決断した。大きくでた少女に、スノーは今度こそ苦笑する。
流石にレンをぎゃふんと言わせるのは、不可能に近いだろう。だが、少女の決意に水は差すまいと、スノーはひっそりその考えを胸の内に閉じ込めた。
こうして少女と話していたが、そろそろそれも終わりのようだ。スノーは少し前に出来ていた人の流れから、避難所の位置を予測しながら進んでいた。
そして、ちょうど衛兵が立って警戒をしている建物を見つけたので、そこへ向かい、抱えていた少女を石畳の上に下ろす。
しっかりと自分の足で立つ少女。都市の衛兵に迎えられる少女を尻目に、スノーは再び戦場に戻ろうと背を向ける。
すると、背後で誰かが振り返る気配を感じた。言わずもがな、あの少女だろう。なにかあるのかと、スノーは足を止めて振り返る。
日の光を浴びて輝く白髪が宙になびき、強い意志を宿す碧い瞳は、こちらを見ている少女を捉えた。
いきなり振り向いたものだから、少女は目をパチクリと瞬かせる。そんなに驚かせてしまったのだろうか。
そうして固まって何も言わない少女に、スノーは助け舟を出す。
「どうしたの? まだ聞きたいことがあった?」
「あっ、その……お名前を、教えてもらえませんか?」
ハッとしたように口に手を当て、少女は名前を聞いてきた。そういえば、まだお互いに名乗っていなかったなと、スノーはふと思い出す。
そしてスノーは、儚いような、しかしその存在感を際立たせるような、柔らかい笑顔を浮かべて、
「スノーよ、家名はないの。だから気軽にスノーって呼んで」
「スノーさんって言うんですね。あたしはアメリー、アメリー・ミシェットです! 本当に、ありがとうございました!」
元気の良い笑顔を浮かべてから、九十度に腰を折って深々とお辞儀をして、改めてお礼を述べるアメリー。
その少女の未来に幸あらんと、スノーは心の中で願いを込めつつ、表情を引き締めて戦いへと意識を切り替える。
そして、バフォメットの討伐を胸に掲げ、近くの屋根に足を掛けた。




