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プロトタイプ  作者: 如月皐月樹
第一章
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第一章15 「恐怖の源」

 朝、珍しくいつもの夢を見なかったレンは、椅子の上で目を覚ました。

 昨夜、彼女のことを部屋まで運んだのだが、部屋を出ようとした際、彼女に手を掴まれ離されなかったので、自分はそのまま椅子に腰をかけて眠ってしまったらしい。


 目を開けた時に最初にレンの視界に映ったのが、何故か慈愛に満ち満ちた表情と羞恥が入り混じったスノーの顔だった。

 レンはスノーが自分の事を見つめていたことと、先に起きていたくせに自分の手を彼女が握りっぱなしだった事に面食らうも、特に表情に出したりせず、状況を瞬時に認識して自分の部屋に転移した。


 昨夜は風呂に入れなかったので、軽くシャワーを浴びてから朝食を食べたレンは、今日もクエストをこなそうと宿を出たところで、スノーとばったり出くわしてしまった。

 レンはスノーの顔を見て目を細めるも、彼女は生暖かい目でこちらを見つめ返してくる。


「さっきは言いそびれちゃったけど、おはよう、レン」


「……」


 レンはスノーのその目が気に食わなかったので、そのまま睨みつけるが、やはり彼女には特に気にした様子がない。

 レンは彼女のせいで早朝の日課が出来なかったということもあり、現在絶賛情緒不安定だ。

 なので、変に他人にあたらないよう、彼女の挨拶を無視して、ギルドの方へと足を向ける。

 靴裏が綺麗に舗装された道を叩く中、後ろからも同じような音が聞こえてきて、その音はレンの隣に並んだ。


「昨日はありがとう、私の事を部屋まで運んでくれたんだよね。……重く、なかった?」


 躊躇(ためら)いがちに、レンの顔を覗き込みながらそう聞いてきたスノー。女性にとって体重の話などかなりデリケートな問題だろうに、何故わざわざ自分からその話を振ってくるのか。

 レンは目だけを動かしてスノーを上から下まで見る。見た目からして、すでに軽そうな体重だと分かる細身のシルエット。


 実際レンは彼女を抱っこして運んだのだが、発泡スチロールでも持っているかのように軽かった。

 故に、スノーを運搬する作業自体は簡単だった。問題はその後だったのだが。

 ともかく、彼女の体は軽かった。ただそれを伝えればいいだけの事だが、レンにとってはそれすらも億劫(おっくう)だ。というより、こんな会話すらする必要性を感じない。


 だが、このまま黙っているというのも角が立つだろう。そう思って、小さく息を吸い込み、レンは口

を開こうと――、


『緊急警報! 緊急警報! グラミディアの森から魔獣の大軍がこちらに移動しているのを確認! スタンピードです! 都市民の方は速やかに避難所へ避難してください! 都市内にいる創神教の聖騎士、並びに組合に加入している冒険者は、全員直ちに都市庁舎に集合するべし! 繰り返す、全員直ちに集合するべし!」


 けたたましいサイレンと共に通達されたその放送は、都市の中心、都市庁舎の方からこの『魔術都市』全域に響き渡った。

 今の放送により、朝の落ち着いた空気は崩壊。多くの市民が落ち着いた態度で、しかしそれでいて素早く避難を開始する。

 通りは人で溢れるが、そこには都市の衛兵の誘導などないのに、秩序だった流れができていた。


「っ! レン、私達は……?」


 スノーは避難している人の邪魔にならないよう、道の脇に逸れながらレンに声をかけて、一緒に都市庁舎に行こうとする。

 しかし、そこでレンの様子がおかしい事にスノーは気付いたようだ。

 レンの耳にスノーの声は届いていない。それどころか、周りの状況の変化にすら気付いていない。


「スタン、ピード……」


 レンは黒い瞳を極限まで見開き、体を硬直させ小刻みに震えていた。

 呼吸は荒く、動悸は激しく、口内は急速に乾き、視界は明滅。脳裏にはあの日の光景がありありと浮かぶ。


「うっ……!」


 急激に上がってきた吐き気。道のど真ん中でそれだけは流石にまずいと、レンは口を押さえて人の波にもまれながら壁際までなんとか移動した。

 壁に手をつき、うずくまって、吐瀉物(としゃぶつ)をぶちまける。

 今朝食べた物は一瞬で吐き出されなくなるが、それでも収まらない強烈な吐き気。


 からっぽの胃から胃液だけを吐き出す。咳き込み、手足をついて、レンは尚も胃の中身全てを排出する勢いで、吐き続ける。

 そうして口の中を気持ち悪い酸味に蹂躙される中、誰かに背中をさすられる感覚がした。


「だ、大丈夫? 急に顔色が悪くなったみたいだけど」


 青白い顔をして口の端から胃液をこぼすレンの背中を優しくさするスノー。

 彼女は突然レンの体調が悪くなったことへの戸惑いと憂慮を顔に浮かべ、レンの事をどこか休める場所に連れて行こうとするが、レンは今それどころではない。


 延々と繰り返される『声』がレンの頭の中にへばりつき、決して離れようとしない。

 木霊する、反響する、繰り返される。その言葉に切り刻まれ、打ちのめされ、締め付けられ、脳を直接揺さぶられる。


 肺と脳は酸素を求めて、何度も息を吸おうとするが、呼吸が浅くまともに息を吸うことが出来ない。

 耳石が上手く機能せず、体は平衡感覚を失い、レンは糸が切れた操り人形のように崩れ落ちて、そのまま視野が狭くなっていく。

 臓腑が全て落ちたかのような錯覚を味わい、体の芯の方から凍えが広がった。


 不快感が、無力感が、罪悪感が、喪失感が、失望感が、絶望感が、絶望感が、絶望感が、絶望感が、絶望が、絶望が、絶望が、絶望が、絶望が絶望が絶望が絶望が絶望が絶望絶望絶望絶望絶望絶望絶望絶望絶絶絶絶絶絶絶絶――――、


「レン! しっかりして!」


 青ざめて大量の冷や汗を浮かべるレンの肩を掴んだスノーは、自分の方へとレンの顔を向ける。

 ビクリとレンは一度大きく体を痙攣させ、彼の開いた瞳孔にはスノーの碧い瞳が目一杯広がった。


「――ぁっ」


 その『目』が唐突に視界に入った時、ふっと電池が切れたかのように、レンの意識は奈落の底へ落ちた。



                ▲▼▲▼▲▼



 暗い世界で、誰かが自分を嘲笑う。


 嘲笑の声はそのまま直接自分に届き、胸の中を貫いていった。


 何もない場所。目の前すら(ろく)に見えない空間。


 一寸先は闇で、何処へ進めばいいのか分からない。


 暗闇の中で、もがいて、あがいて、『彼女』の姿を探しても、その面影はどこにもなくて。


 社会の荒波にもまれて、味方になってくれる人は一人もいなくなって。


 ゆれいで、揺らいで、諦められなくて、現実を受け止めたくなくて。


 自分の居場所もどこにもなくて。


 だけど『彼女』の居場所は作ってあげたくて。


 それでも、世界は非情で、残酷で、いつも冷たく突き放してきて。


 そして、遂に、認めてしまった、諦めてしまった。


 なのに、その先は続いていて、あの人と、彼等に出会った。


 ずっと孤独で、人の優しさなんて忘れかけていて。


 そんな時に、あの人と、彼等に出会えた。


 温かみを、温もりを。優しさを、厳しさを。愛情を、友情を。多幸を、幸福を。


 多くの物を彼等からもらったのに、彼等の信用を、信頼を、期待を、冀望(きぼう)を、裏切ってしまって、踏みにじってしまって。


 だからこれは、自分への罰なんだと。


 だから彼等は、牙を剝くんだと。


 だからあの人は、たびたび現世(うつしよ)に現れるのだと。


 だから自分は、死にたくて。


 だから自分は、死ななければならなくて。


 なのにそれは、神の気まぐれによって許されない。


 闇を揺蕩い、闇に沈んで、そのまま底のない闇の()()まで、落ちていき――、







 ――温かな感触が、彼の何処かに触れていた。


 その『熱』は優しさに溢れていて。


 その『温度』は慈しみに満ちていて。


 その『手』は何処かで触れたような気がして。


 慈愛に、情愛に、友愛に。


 優しさに、慈しみに、温もりに。


 包まれて、ほだされて、『大丈夫』と呼びかけられた気がした。


 一筋の光が、闇を切り裂き、闇を照らし、一本の道を示してくれた気がした。




 ――でも、その道を歩むのは……。



               ◇◆◇◆◇◆



「ぁ――目、覚めた?」


 透き通った声がレンの鼓膜を緩やかに叩く。うすぼんやりとした視界の中、一人の少女がレンの顔を覗き込んでいた。

 何処かで見たことがある光が目の前にあったので、レンは反射的に弱々しい声で呟く。


「真、……凛?」


「……誰と間違えているのか知らないけど、私はその『マリ』って人じゃないの。ごめんね」


 覗き込んでいる少女が静かにそう言うと同時に、レンの視界は晴れる。眼前、心配そうな表情でこちらを見つめていたのは、黒髪とは見紛うはずもない白髪の少女だった。


 そう頭で認識したレンは勢いよく上体を起こし、自分がどこにいるのかを確認する。

 レンがいた場所はいつも寝泊りしている宿の部屋だった。図らずも、昨日自分がスノーにしたことを、そっくりそのままやられたわけだ。


「――――っ」


 とんだ醜態を晒してしまったと、レンは顔を歪める。大衆の面前でああも取り乱してしまうとは、まだまだ心の制御が甘い。

 感情と『声』を殺そうと、レンはギリギリと奥歯を噛みしめた。


 今、この状況であんな状態になっている暇など無かったのに、無為に時間を潰してしまった。

 今起こっているスタンピードが、どの程度の規模なのかは分からない。故に、なんの問題もなく聖騎士達が鎮圧できる可能性はある。

 だがそんな楽観的な思考を抱けるほど、レンは伊達にこの世界で生きてなどない。


「……俺が気を失ってからどのくらい時間が経った?」


 レンはスノーの顔を見ずに、握られていた手を解き、できるだけ冷静な声音で問いかけた。

 いきなり手を振り解かれたというのに、依然憂い顔をしているスノー。

 だが、レンはスノーの方を見向きもせず、自分の装備を確認して外に出るのに不足はないか確かめる。

 そうして慌ただしく動くレンにスノーは戸惑うも、魔刻砂を確認してレンに経過時間を伝えた。


「えっと、十分くらいかな」


「そうか」


 十分程度なら、問題ないだろう。遠くの方からは、魔獣の雄叫(おたけ)びが聞こえる。

 時間的にも微かに聞こえる戦闘音的にも、戦いは始まったばかりのようなので、まだ城壁を突破されたわけではないようだ。


 それでも、現場に急行しなければ。この都市はレンにとって唯一の希望なのだから、こんなところで魔獣などに壊滅させられるわけにはいかない。

 そして、スノーの返事を聞いてレンはそのまますぐに部屋を出ようとするが、腕を強い力で引っ張られ動けなかった。


「ちょっと、まだそんなに顔色が悪いのに、一体どこに行くつもりなの?」


 絶対に安静にしてなさいという、強い主張を込めた声で、スノーはレンを引き留める。

 レンはスノーの言葉を無視して掴まれた腕を引っ張るが、思った以上にスノーの握力が強くて彼女を引きはがせない。


「……その手を離せ」


「いいえ、離さないわ。そんな青い顔をしてるのに、どうして無理をしてまで体を動かそうとするの?」


「お前には関係ない。いいから離せ」


「まあまあ、スノーはずっとここでキミの面倒を見てくれてたんだよ。だからというのもなんだが、理由の一つでも話したらどうだい?」


 その時、二人の問答に別の声が混じった。二人の腕の上に姿を顕現させたのは、銀色の毛並みをした小狼。

 ベルは三角の耳をピクピクと動かすと、レンの背に凛々しい顔を向けてに浮遊し、


「キミが急に嘔吐して倒れるもんだから、スノーも慌ててね。やっとこさこの部屋にキミを運び込んだら、今度はうなされ始めたし」


 そこでベルは言葉を区切り、スノーの方を向いて彼女を前足で示すと、


「それに、スノーは手まで握ってあげたんだ。この子にそこまでやらせといて、お礼すら言わないでどこかに行こうとするなんて、そんな酷いこと、しないよねぇ?」


「ッ――!」


 ベルは金の瞳を爛々と光らせ、口の端で弧を描きながらレンの罪悪感を煽る。

 未だ精神状態が安定してないレンには、その煽りはかなり効く。普段ならばスルーしたであろうが、今の状態ではやはり無理で、その言葉はレンの心にグサグサと突き刺さった。


 スノーに腕を掴まれたまま数秒、レンは静止する。その胸中は何人たりとも覗きみることはできないが、やがてレンは溜息を吐き、


「俺の事は、もう心配しなくていい。もう……大丈夫だ」


 レンはスノーの心配を解こうと出来る限りの平静を装い、全身の力を抜いてそう言った。

 それでも、スノーの碧い瞳からは憂慮は消えず、その手も離さない。

 ――何故、手を放してくれないのか。


「まだ震えてるじゃない。こんなんで『大丈夫だ』なんて言わないで。レンはここでじっとしてて」


 懇願するように、しかし、強制するようにも聞こえたスノーの言葉を、レンは一笑に付そうとした。

 震えている? そんな訳がないと、レンは振り返って自分の腕を見る。

 震えなど……『恐怖』など、自分が感じる筈がない。もしそれがあるとしたら■■■■■時だけ。そう、思っていたのに――、


「っ!?」


 レンは驚愕に目を見開く。その腕は、確かに震えていた。しかも、それだけではない。

 気付けば、それはすぐに分かるものだったのに、無意識に気にしないようにしていたのだろうか。

 それとも、自分すらだまそうと、虚勢を張っていたのか。


 脚も震え、膝は笑い、足先は冷え、心の奥底には『恐怖』が巣くっている。

 あの日の出来事が頭の中にこびりついていて、本能に『恐怖』が刷り込まれていた。


 一度気付けば逃れられない。あの日もそうだったように、全身の力が急に抜けて、レンは荒い呼吸を繰り返しながら膝を床につける。

 その姿を見て、スノーは「やっぱり」と言い、


「全然大丈夫じゃないじゃない。本当に、レンはここで休んでて。……君がこの都市の事を心配するのは分かるけど、その事については心配しないで。私とベルがこれから森まで行くから」


「そうだね、ボクもスノーがそう言うのなら、ちゃんと仕事はするし。ただの魔獣なら問題はないしね」


 スノーはベルに同意するように顎を引き、それからしゃがんで、呆然としているレンを自分の方に向きなおさせ、真っすぐにレンの目を見る。

 暗い影を落としている瞳を、力強い光を宿した瞳が見据えて、


「……本当はレンの傍にいてあげたいけど、君がそこまでスタンピードの事を気にしているなら、私達が代わりに行ってあげるから」


「――ぁ」


 そう言ってスノーは無理矢理レンを抱き上げる。その細い腕にどれほどの力があるのか、スノーは特に苦にした様子はなく軽々とレンを持ち上げて、再びベッドの上に寝かせた。


「本当に、ここでじっとしててね」


 ドアを開けて外に出ようとした時、スノーは振り返りざまに最後にそう言い残して、その場から去っていく。

 レンの瞳には白い残影だけが映っていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  不快感が、(中略)絶望絶望絶望絶望絶望絶絶絶絶絶絶絶絶――――、←ここの表現、レンの理性が崩壊してゆく様が非常に分かりやすく表現されていますね。ほかにも、心情を表す語の文字数を揃えたり、…
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