第一章12 「逃走と闘争」
非常に、とても、凄く、物凄く、不本意ではあるが、レンは森の中をスノーと一緒に歩いていた。
スノーとベルに行先を予測され、検問所で待ち伏せされたわけだが、レンを捕捉した時のスノーの第一声は「ごめんなさい!」だった。
地面に頭をぶつけるぐらいの勢いで、彼女は頭を下げたのだが、レンは特にそのことに触れずスノーをスルーして検問所を通っていった。
それでも、後ろについてきた彼女等の話は、一応耳に通してはいた。ベル曰く、なんでもスノーは寝ぼけがひどいらしい。
それに加え、いつもは寝ぐせを直すベルがその時寝ていたこともあり、スノーは寝ぐせを直しに洗面所を使おうとしたとか。
そこで誤って男湯に入り込み、全裸のレンと遭遇したとのこと。
まったくもって、なんともタイミングが悪い。だが、この世界で起きる多くの事は、偶然から生まれている。
当然、必然的な事もあるが、偶然から生まれる事の方が多いわけで、今回の事も間が悪い出来事だったと片づけるしかない。
スノーの寝起きが云々かんぬんの話をどこまで信じればいいのか、レンには判断がつかない。
しかし、それでもスノーが変態エルフであるという認識は、多少なりとも改めた。
心の中でスノーを痴女呼ばわりしたことも、早計だったと反省する。
――そんなこと、会ったばかりの他人に面と向かって言ったりするほど、レンは人の良心を忘れた訳ではないが。
何はともあれ、レンとスノー、そしてスノーの白髪に潜っているベルを含めた三人組は、鬱蒼と茂る森の獣道を慎重な足取りで進んでいる。
「ねえ、レンはどうして魔獣の討伐クエストを選んだの?」
「……」
「……聞いてる?」
「…………」
「あの……」
「………………」
圧倒的無視。スノーは何とかレンとの会話に持ち込もうと、問いを投げかけるが、レンはただ沈黙を守る。
別に、風呂場で裸を見られた事に怒っている訳ではない。そのことについては、先程謝罪をされたし、レンの中ではすでに気にも留めてない。
ただ、レンはもう彼女達に対して、興味を失っている。ベルが特異な存在であることは分かった。
だが、それはレンが求める『特別』ではなく……。
『スノー、彼はもうキミの事が眼中にないみたいだ。今は大人しくして、彼の方から口を開いてくれるのを待ったほうがいいんじゃない?」
「……そう、ね」
後ろからなんとも物悲しい声と雰囲気が漂ってくるが、それすらもレンは気にせず、五感を最大限に働かせ今日の金を探す。
足裏に土と落ち葉を踏む柔らかい感触が伝わり、聴覚は過敏になって森が発する音を拾う。
視覚は満遍なく木々の影を貫き、嗅覚は獣の臭いと自然の香りを判別する。
そうして歩き続け、十分程が経過し、レンはピタリと足を止めた。
「ちょっ……!」
突然レンが止まったので、スノーは高い声をあげながら前につんのめる。
しかし、ベルが風で支えてくれたので、何とかレンにぶつからずに済んだ。
『危なかったね、大丈夫?」
「うん、ありがとうベル」
レンは後ろで交わされるやり取りを尻目に、眉根を寄せる。ここまで来て、未だに魔獣の痕跡が見つからない。
こういったことも、ここ数か月の間に顕著に表れている変化だ。
ここまで魔獣の残痕がないとなると、場所を変えた方がいいだろう。
とすれば、『ゲート』を使いたいところだが――、
「――ぁ、どうか、した?」
半身振り向き、レンは背後に立つスノーを見る。彼女は細く声を漏らすと、小首を傾げて唇を震わせる。
どうもこうも、仮にレンが『ゲート』を使おうとしたら、少女の保護者が黙っていないだろう。
かといって、このまま歩いて森を捜索するのは効率が悪い。
「……」
纏わりつかれるのも、絡まれるのも面倒。やはり彼女等は――邪魔だ。
『っ、また逃げる気か!』
ベルが声を大にして叫び、それにスノーは碧い瞳を見開いてとっさにレンの腕を掴もうとする。が――遅い。
「待って! ……また、消えちゃった」
『……また、キミ達の力を借りるよ。彼がどこにいるのか、教えてくれないかい?」
掴もうとしていた腕は消え、スノーが伸ばしていたその細腕をだらりと下げる中、ベルは精霊に呼びかけレンの居場所を聞き出そうとする。
『ふんふん、え? 本当かい?」
「どうしたの?」
スノーは耳元に手を差し出し、ベルはその上に乗る。そしてスノーは、ベルを自分の目の前に持ってきた。
ベルはつぶらな瞳でスノーを見上げながら、
「それが……彼等にもう一度レンの居場所を聞いてみたんだが、分からないそうだ」
「どうして!?」
「恐らくは、かなり遠くの方まで転移したんじゃないかな。精霊の知覚範囲外まで」
ベルは歯ぎしりをしながら、スノーに答える。その様子をスノーは瞳に収めてから、何かを決意した表情で、キッと顔を前に向けた。
▲▽▲▽▲▽
レンは自分がポイントを付けた場所に、正確に転移出来たか、辺りを見渡して確認する。
レンの正面、他の木と大差ない見た目の樹木の表面には、小さめのバツ印が二つ書かれていた。
「うまく出来たか」
長距離の転移。事前の準備――あらかじめ転移したい座標に印をつけ、さらに術式を編む時間もかかる、なにかと面倒くさい魔法。
移動手段としてはそれなりに優れているが、その分前準備とデメリットもある。
ベルに邪魔をされないかヒヤヒヤしたが、やはり彼女は体内で完結する、もしくは人の体に直接干渉する系統の魔法の妨害は、出来ないようだ。
「そこに救われたな」
レンは掌を痙攣させながら、ほっと息をつきその場に座り込む。
やはり『ゲート』の方が負担的な意味では使いやすい。
というより、転移魔法と『ゲート』を比較した場合、転移魔法は『ゲート』の下位互換となるかもしれない。
長距離転移の欠点。それは体に掛かる負担が大きすぎる事。転移とは即ち、質量を持つ物質を別の座標へ無理矢理移動させることだ。
とくれば、当然移動させられる物質には負荷が掛かる。そこまで長距離を転移した訳ではない。
それでも、ここまで負担が掛かるものなのかと、レンは額に冷や汗を浮かべる。
この程度の移動距離でこの負担なら、リンゴぐらいは軽く潰れそうだ。
今回はスノー達から逃げるために止む無く使ったが、できる事ならば使用するのは控えたい。
「……やっぱり、これもか」
眉間にしわを寄せ、レンは溜息交じりにそう呟く。痙攣と体の硬直。そのどちらも、ものの数秒で綺麗さっぱりなくなった。
移動する分には問題はなくなったが、この『力』はやはり忌々しい。
「――とりあえずはこの近辺を……!」
立ち上がり、移動を開始しようとしたレンの鼻腔を獣臭が突く。周囲に警戒を張り巡らせ、レンは戦闘態勢に入った。
帯剣している剣の柄に手を添え、全身にマナを滾らせる。
草木をへし折り、茂みを踏みつぶして、レンの目の前に現れたのは一頭の巨大な牛だった。
曲線を描く紅色の角は凶悪な鈍い光を放ち、人間の顔ほどもある大きな蹄は地面をかき鳴らしている。
角と合わせたかのような真っ赤な体毛で覆われた、ブルドーザー並みの巨躯。黒い鼻と口元からは白い息が漏れ出ていて、レンを威嚇していた。
赤気牛――ミノタウロス。創作物だと半人半牛で描かれる事が多いが、この世界ではそのままの牛だ。
開けた場所、周りを木々に囲まれる中、一人と一頭の間に緊迫感が走る。
「――ッ!」
ミノタウロスは咆哮を上げ、全身に陽炎のような炎を纏う。
赤気牛という名前の由来。揺らめく炎を身に纏い、彗星のごとく襲ってくる事から、赤気という名がこの魔獣には与えられていた。
ミノタウロスはそのまま地を蹴りあげ一瞬で加速。凶悪な角でレンを串刺しにせんと、直線的に迫る。
ブルドーザーが高速で迫ってくる。普通の人間なら、串刺しどころかひき潰され、全身をぐちゃぐちゃの肉塊にされるであろう突進。
しかし、レンは涼しい無表情のまま剣を下段に構え、
「今回は運がいい、こんな森の手前に出てきてくれるなんて」
「――――ッ!!」
銀光一閃。ミノタウロスの突進を完璧に見切り、最小限の動きで最大限の効果を発揮する。
レンはすれ違いざまに刃を振るい、ミノタウロスの首筋を撫で斬った。相手の突撃の威力を利用した一撃。
どす黒い血しぶきが上がり、ミノタウロスの悲鳴が大音量で大気を揺らす。
レンに斬られたミノタウロスの木の幹ほど分厚い首筋は、斜めに深くえぐられており、太い骨が外からも確認できる。
一方レンは、軽く炎に炙られただけで、特段怪我を負った様子はない。
「悪いが、今俺は機嫌が良くない。少しだけ、八つ当たりさせてもらう」
今の一瞬の攻防で、もはや息も絶え絶えのミノタウロス。しかし、その紅の目には、人間に対する憎悪が宿っており、大地を踏む四肢には未だに力が籠っている。
だが、もうこちらに攻撃する余裕などなく、立っているのに全ての力を注いでいるのが見え見えだ。
こうなってしまえば、一息に殺すのが生物に対する礼儀だろう。
レンは右手を前に突き出しマナを編む。込められた意思とマナが大気に干渉、都合三本の氷柱が空中に浮かんだ。
「死ね」
冷酷な言葉がレンの唇から紡がれたかと思えば、三本の氷柱は既にミノタウロスの脳天を貫いていた。
断末魔すら残せず、ミノタウロスは地面に崩れ落ち、息絶える。
レンは服についた土埃を手で払い、ミノタウロスの死体に近づく。ここからは単純な作業、魔獣の解体ショーだ。
解体ショーと言っても、魔獣は食肉には適さない。よって、解体の目的は食べること以外。骨や皮、蹄に角、そして魔結晶といった物の回収になる。
レンは手慣れた動作で解体を進め、必要な部位を回収し終えた。
残った肉片などは、穴を掘ってそこに投棄、燃やし尽くしてから埋める。
短く息を吐き、レンは回収した物を入れていた袋を掴む。
そして、都市へと戻ろうとそちらの方角へ足を向けた時、森がざわついているのを感じた。
「……あそこから、そこまでの距離はないか」
レンは元居た場所と今いる場所の位置関係を、頭の中に思い浮かべた。
ここは森の入口からはそう遠くなく、レンが勝手につけた『深度』で言えば二になる。
そしてこの騒めきは、今しがた倒したミノタウロスに触発された魔獣が原因か、もしくは――、
「あいつらが魔獣と遭遇したか、その二択だな」
耳に意識を集中させれば、誰かが戦っているのが分かった。となれば、やはり後者だろう。
レンは戦闘が行われている場所まで行くか迷う。別にスノーの事を心配している訳ではない。
彼女はエルフ、魔法程度難なく扱えるだろうし、何よりもあの精霊がついているのだ。
相手が余程の化け物でない限り、スノー達が負けることはないだろう。ただ――、
「さっきは試す程の余裕は無かったし、魔獣相手にちゃんと通用するか、確認だけしとくか」
漁夫の利――ともまた違うが、彼女達を利用させてもらおう。
レンは微かに聞こえてくる戦闘音を頼りに、森の中を駆けだした。




