第一章10 「ハプニング」
早朝の鍛錬が終わり、レンは宿に戻ってシャワーを浴びていた。この世界の文明は意外と発達しているが、その中でもこの『魔術都市』は特別発達している――というのを、レンはこの宿の女将から聞いたことがある。
この話を聞いた時、レンは「それも当然だろう」と思った。魔術――というより、魔石、魔結晶が生活の中心になっているこの世界なら、この都市が発達しているのも納得だ。
今レンが使っているシャワーも、そういった物を利用して作られている。
「ふうー」
軽く息を吐いてお湯を顔から受けながら、レンは全身の力を抜く。これもレンのモーニングルーティーンの一環だ。
お湯に打たれて、マイナスイオンを浴びている間――この間も、レンが無心になれる貴重な時間。
かいた汗と荒んだ心を洗い流し、一片の雑念もなく平静でいられる。
「……今日は……新しいのを……」
目を閉じながら、今日の予定を考え整理する。この後はいつもと同じ朝食をとり、ギルドでクエストを受注。
そのままそのクエストをこなし、借りている本は読み終えたので、図書館に行って返却と新しいものを探して借りる。
結局、今回読み終えた文献にも特にヒントは無かった。得たのは新しい魔法の知識だけで……。
「次は……もっと、別のジャンルを読んでみるか」
水滴を滴らせながら、今日はどんな本を借りるのかを考える。今手元にある本は、空間属性の魔石があるのかどうかという物だった。
結局、魔石として現在あるのは基本の四属性と無色の魔石のみということで、空間属性の魔石はないという結論だった。
「一応全部読んでみたけど、あれは無駄骨だったな」
未だにシャワーを浴び続けながら、レンは細い首を鳴らす。
できることなら、いつまでもこうしていたいが、それよりも前に進む方が大事だ。
「――前というより、後ろか」
暗い声音で自分で自分に突っ込みながら、レンはシャワールームを出た。
▲▽▲▽▲▽
お日様の暖かく柔らかい光を浴びて、白髪の少女は目を覚ました。
彼女は宝石のように綺麗な碧い瞳を手でこすりながら、部屋のカーテンを開ける。
陽光が部屋中を満たす中、少女は大きく伸びをして、
「ふわー、ん、今日は一日晴れそう」
眦の涙を拭い、エルフの少女――スノーは自分の白い髪に手を通そうとするが、
「む、今日もか……いい加減直んないかな、この寝ぐせ」
スノーはくるくると毛先を指でいじる。いつもは真っすぐに伸びている白髪だが、寝起きの時だげはぼさぼさになってしまう。
四方八方にピンピンとんでいる白髪。しかしそれは、普段とのギャップも相まって、彼女の可愛らしさを引き立てていた。
「ベルは……まだ寝てるのね」
スノーは自分が頭を預けていた枕の横で寝ている小狼に目を向ける。昨日、宿の前でベルと口論している間に、レンには逃げられてしまった。
それに気付いたのは、彼がその後宿の前に現れることがなく、時刻が暗刻の十時になってからだ。
その時刻まで、レンが宿の前に来るところを見つけるのに、ベルを無理やり付き合わせたので、彼女は寝不足になってしまったのだろう。
「昨日はかなり無理をさせちゃったし……仕方ないわね」
ゆっくりとした口調。スノーはまだはっきりと覚醒してない頭で、ベルを認識した。
結局彼女に無理をさせてしまった事を、霞んだ視界の中で後悔するスノー。
魔刻砂は赤い砂が七本目を落ちているところ。本来ならば、この時間にベルは起きるのだが、彼女は昨夜の無理がたたって熟睡中。
普段、スノーはベルに寝ぐせを直してもらっている。しかし今彼女は寝ているので、洗面所に行って自分で直そうとスノーは部屋を出た。
「えっと……たしか、洗面所は……」
きょろきょろと、寝ぼけ眼で手水場を探すスノー。
そうして宿の中を見回す中、彼女の碧い目に青色の結晶が映った。
「あぁ、あった」
スノーは隣の赤の結晶に目もくれず、ゆっくりした足取りでその結晶が飾られている扉を開く。
補足、スノーは寝起きが悪い――というより、寝ぼけが酷い。
「…………!??」
スノーは眠たげだった瞳をゆっくりと、それでいてあらん限り見開く。それから徐々に白い頬を朱に染めていき、パクパクと口を開閉し始めた。
彼女の丸い瞳に入ったのは、一糸纏わぬ少年だ。
青みがかった黒髪――の白く染まった部分から水が滴り、整った顔を伝っている。――切れ長の瞳は相変わらず死んでいるが。
線の細い華奢な体。しかしその肉体は鍛えられている。肉付きがいいとは決して言えないが、筋肉がしっかりとついた角張った胸板と肢体。
腹筋は六つに割れており、滴る水滴が汗を思わせ、より煽情的な印象を受ける。
さらにそのし――、
「…………ちっ」
たにスノーの視線が向く前に、その少年――レンは無表情のまま小さく舌打ちをして、スノーの鼻に目を向けてから、扉の向こうにすっと消えていった。
「……あっ、はひゅう」
変な声を喉から漏らし、スノーは目を回して、ツーっと鼻血を流しながらその場で後ろに倒れた。
◇◆◇◆◇◆
「……最悪だ」
ぼそりと、扉の裏で呟かれたその言葉は、幸いにもスノーに届くことはなかった。




