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プロトタイプ  作者: 如月皐月樹
第一章
10/29

第一章9  「……夢」

「ねえ起きて」


「うーん」


「起きてってば」


「うーーん」


「お・に・い・ちゃ・ん!」


「うーーーん」


「起きろ! バカ兄貴!」


「ごふっ……!」


 思いの込もった重い一撃を腹にうけ、水仙(みなひさ)は目を覚ました。げほげほとせき込みながら、ずれたピントを合わせて、ぼやけた世界を修正する。

 瞬きをして朝日に目を慣らし、世界をようやく正しく認識した。

 そうして水仙の視界に入り込んだのは、腰に手を当てて怒り心頭な少女だった。


 腰まで届く艶やかな長い黒髪は、朝日を受けて光り輝き、長いまつ毛に縁どられた気の強そうな黒瞳は吊り上げられていて、彼女の機嫌が斜めだと主張している。

 すっと通った鼻筋、身内の贔屓目を通しても間違いなく美人だと断言できる、モデル顔負けの容姿にスタイル。

 本当に自分の妹なのかと疑ってしまうほど、整った美貌を持つ少女――真凛(まり)は腰を折り前かがみでこちらを見て、


「ほら朝だよ、朝ご飯作って。私、お腹空いちゃった」


「あふ、……ん、りょーかい」


 両腕を上げて大きく伸びをしてから、殴られた腹をさすり水仙は布団から起き上がる。

 時計を見れば朝の六時半、今日は珍しく真凛のほうが早く起きたようだ。

 水仙は寝巻のままキッチンに向かい、朝食を作り始める。鮭が焼ける香ばしい匂いが立ち込める中、二人分の学校の支度を整えている真凛が、おもむろに口を開いた。


「……ねえ」


「なに?」


「私もさ……バイト、してもいいかな?」


 懇願するようにそう言った真凛に、水仙は包丁を握る手を止めずに首を横に振る。


「何度も言っただろ、今はまだ駄目だ。来月から俺たちはもう中三だし、受験があるんだから。真凛は勉強に集中してろ」


「でもっ……」


 真凛がこちらに振り返る気配を水仙は感じた。彼女は後ろにいるので、今どんな表情をしているのか水仙には分からないが、きっとこちらを心配する様な表情なのだろう。

 双子の妹の事なのだ。真凛が何を考えているのか、どんな顔をしているのか、水仙には手に取るように感じられる。


「どうせ、俺が体を壊さないか心配してるんだろ。別に、そんなこと心配しなくて大丈夫だから」


「だってお兄ちゃんってば、いっつも疲れた顔して帰ってくるし。帰ってきたと思ったらすぐ寝ちゃうし、心配にもなるよ!」


「そっかそっか、そうやって心配してくれるなら、朝はもうちょい寝かしてくれるか、優しく起こしてくんないかな!」


 先程の事を揶揄(やゆ)するように、水仙は笑いながら言う。それを受け、真凛は凛々しい顔を尖らせて、


「だって……お腹空いちゃったんだもん」


「はいはい、あと少しででできるから、もうちょい我慢してろ」


 おざなりに手を振る水仙。いつもは凛々しい真凛だが、こうして自分にだけは甘えてくれるので、そこが可愛いし愛おしい。

 だからこそ水仙は、毎日をこうして暮らしていけるのだ。もし彼女がいなかったら、自分は今頃生きてなどいないと水仙は思う。

 そこだけ……本当にその点に関してだけは、親に感謝している。


「あっ、それとさ、修学旅行のことなんだけど……私も、行かなくていいから」


 鰹節と昆布のだしを取って、味噌汁を作っているところで、真凛が再び声をかけてきた。

 その淡々とした言い方に、水仙は眉間にしわを寄せ、


「別に金のことなんか心配すんな。お前には仲の良い友達だっているんだし、修学旅行ぐらい行ってこい。留守番するのは俺だけで十分だ」


「でもっ、私はお兄ちゃんと一緒がいい。もし本当にお兄ちゃんが行かないなら、私も……!」


「そんなこと言うなって、人生で一度きりのイベントだぞ? きっと橋本さんとか中島さんとか、真凛と一緒に京都に行くのを、楽しみにしてるんじゃないか?」


「それはっ……ちゃんと謝るし……。それに、一度きりのイベントなのはお兄ちゃんも一緒じゃん!」


「俺はいいんだよ、別に楽しみにしてるわけではないし、真凛がお土産の一つでも買ってきてくれれば。……真凛は何のために俺が学校に無断でバイトをしてるのかぐらい、分かるだろ?」


 水仙は首を捻って後ろを見る。いつの間にすぐ近くに来ていたのだろうか、真凛は顔をうつむけ服のすそを引っ張り、


「……そんな言い方は、卑怯だよ。……私、お兄ちゃんに何にも返せてないのに」


「卑怯で結構。それに、俺はもう十分真凛からもらってるよ」


「……」


「もしお前が納得できないなら、ちゃんと勉強して、高校大学って進学して、良い会社入って、俺の事を将来養ってくれれば、それでいいさ」


 そうだ、それでいい。真凛がちゃんと進学して、良い会社に入って、自分で暮らせるようになってくれれば、それ以上の喜びは水仙にはない。

 水仙は前を向き、調理に集中する。すると、後ろで未だに服のすそを離さない真凛からは、鼻をすする音が聞こえてきた。


「……こんなことで泣くなよ、もう十四だろ? それに、真凛には泣き顔より、笑ってる顔の方が似合ってるんだから、笑え。ほんと、俺は真凛が笑ってくれてれば、それでいいんだから」


「……バカ兄貴、ほんっとうに、バカなんだから」


「おいおい、そんなバカバカ言われると、俺も傷つくぞ」


「……嘘、大好き」


「ああ、知ってる。俺の事を誰だと思ってるんだよ? お前の双子の兄貴だぞ。真凛のことで知らないことなんて、俺にはないと思ってるんだが?」


 肩をすくめながらそう言って、水仙は手を止める。


「ほら、泣き止んだか? 泣き止んだんなら、朝ごはんにするか」


「ん、する」


 そこでようやくすそを離し、真凛は顔を上げた。そして二人で出来立ての朝食を食卓に運び、黙々と食べる。

 水仙は食べ終わった後、身支度と片付けがあるので、真凛は水仙より先に学校へと行く。

 朝食を食べ終わった真凛は、食器を片付け鞄を背負い、


「それじゃ、先に行ってきます」


「おう、いってら」


 玄関から出ていく真凛を見送る水仙。真凛の細い背中が遠ざかっていく。

 この時の水仙は数年後、彼女の背が絶対に手が届かないどこかへ行ってしまう事を……。



               ◇□◇□◇□



 淡い陽光を受け、レンは目を覚ました。時刻は暗刻(あんこく)の五時、いつもと同じ時間だ。レンはゆっくりと上体を起こして、深く息を吐いた。

 ずっと昔、それこそ二十年近く前の出来事だが、今でも彼女のことなら鮮明に思い出せる。


 誰よりも愛しく、誰よりも尊く、誰よりも大切な、己の半身である双子の妹。

 ある日を境に消えてしまった、魂を分かち合ったと言っても過言ではない双子の妹。

 彼女の夢を見ることなどここ数十年あまり無かったが、あの夢を見た理由ははっきりしている。


 昨日出会ったあの少女だ。あの『目』が最愛の人のと被って見えたから。

 あの少女の影に、いるはずのない妹の姿が見えてしまったから。


「……ままならないもんだな」


 かなりの年月をこの異世界で過ごしてきて、未だに彼女に執着している自分がいる。

 随分と女々しい男だと、ほとほと自分自身に呆れるレン。


 それに加え、昨夜、結局スノーとベルには自分の居場所が割れてしまった。

 泊まる場所を変えるのも面倒なので、とりあえずレンは彼女達とあまり関わらないようにと決めた。


 『マーキング』が意味をなさず、寧ろ逆効果だったのはレンにとっては完全に誤算だった。

 さらに言えば、自分の行動範囲は狭い。故に、なるべく関わらないという対症療法しか手段がないのだ。


 とりあえずはいつも通りの一日を過ごそうと、レンは軽装に着替え始めた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 何やらワケありな感じ。スノーを何となく遠ざけていたのにはこれも関係していたんだなぁと納得です。 にしても20年とは随分と昔の話を……いつまでも過去に囚われてしまう気持ち、分からなくもないで…
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