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7.赤い糸の意味

  夕日が差し込む帰りの馬車に揺られながら、シャーロットは小指を見つめた。


 あの後、書斎から姉が戻ってから、しばらく三人で談笑し、少し遅めの昼食でもてなされた。その後はアデレード領産の絹糸について少し話した後、クラウスが軽く屋敷内を案内してくれた。

 すると、あっという間に夕刻が近づき、初のエルネスト家の訪問は終わった。


 ずっと読みたかった本に出会えた姉にとっては、今回の訪問は楽しい物だったようだが、シャーロットにとっては、何とも複雑な気分になる訪問だった。

 そんな珍しく浮かれ気味の姉が、シャーロットに声を掛けてくる。


「シャル、チーズケーキは美味しかった?」


 ニコニコしながら聞いていた姉にシャーロットは、曖昧に微笑む。

 正直、最後に食べたチーズケーキの味は、あまり覚えていない……。


「そういえば私が書斎にいた時間帯、シャルはクラウス様とお話をされていたのでしょ? クラウス様はどんな方だったの?」


 今回セルフィーユは、エルネスト家滞在中の殆どの時間を読書に費やしてしまったのだ。これは父に報告する際、非常に困る……。


「ええと……。もの凄く性格がわ……かりやすい方だったかな~」

「分かりやすい?」

「じゃなくて! もの凄く物腰の柔らかい話し方をされる優しい方って言いたかったの!」

「そうね。確かにクラウス様は、とても柔らかな口調で話される方よね」


 危うく『もの凄く性格が悪い』と言おうとしてしまったシャーロットは、苦しい誤魔化し方をする。

 そもそもクラウスが柔らかな口調になるのは、姉に対してのみだ。

 シャーロットには、かなり砕けた口調で無遠慮にこちらが苛立つような事を好き勝手に言っていた。

 しかし姉が戻って来た途端、人が変わったように見事な紳士ぶり……。

 あの変わり身の早さは、もう完全に詐欺の領域である。


 だがここで、そのクラウスの本性を暴露する訳にはいかない。

 父からの指令は『出来るだけ姉とクラウスの仲を取り持て』だ。

 いくらクラウス自身にその気がなくても父親であるエルネスト伯爵は、次男とシャーロットの婚約を望んでいるはずだ。

 そうなればアデレード家が扱う良質の絹糸が、エルネスト家の手に落ちる……。

 その事態を避ける為には、姉とクラウスの仲を取り持った方がいい。

 だが、姉の方こそ今回クラウスの印象は、どう感じたのだろうか?

 その事が少し気になったシャーロットは、姉に質問を返してみた。


「お姉様は、クラウス様の事をどう感じられたの?」


 すると、姉は花が綻ぶような笑みを浮かべた。

 その姉の珍しい反応にシャーロットが、大きく目を見開く。


「とても心のお優しい方だと感じたわ……」


 そう答えた姉は、どこかうっとりするような表情を浮かべている。

 シャーロットがチーズケーキにフォークを突き立てている間、クラウスは一体どんな方法で、姉にこんな表情をさせるような振る舞いをしたのだろうか……。

 男性の接し方で姉と落差が出てしまう事は、シャーロットにとって日常的な出来事ではあるが、この姉がそんな姉妹間で態度を変えるような姑息な令息に懐柔される事は、今まで一度も無かった。

 だが目の前の姉は、かなり幸福そうな笑みを浮かべている。


「お、お姉様! 書斎で何かあったの!?」


 思わず姉の両肩をガシッと掴みながら詰め寄るシャーロットにセルフィーユが、驚きからキョトンとした表情を浮かべる。


「何かって……ずっと探していた貴重な本を堪能出来る素晴らしい機会を得た事ぐらいしか思い当たらないのだけれど……」

「そうではなくて! ご本を読まれる前にクラウス様と何か無かった!?」

「何かと言われても……。クラウス様は、書斎の中を軽く案内して下さった後、気を使ってくださって、早々にあなたのところに戻られたから……」

「その時、思わずときめいてしまうような事を吐かれなかった!?」

「ときめく? いいえ? 特にそういう事はなかったと思うけれど……」


 少し困った表情を浮かべながら、その時の事を思い出そうとしている姉をシャーロットが、ジーッと見つめる。


「本当に甘い言葉とかも言われていない?」

「シャル、どうしたの? もしかして……私とクラウス様が二人で先に部屋を出て行ってしまったから、変な勘ぐりをしてしまっているのかしら?」

「そういう訳じゃ……」

「でも私からすると、むしろ私が読書に夢中になっていた間、あなたとクラウス様が親しくなったのではないかと思ってしまうのだけれど」

「それはないから!」

「そうなの?」

「そうなの!!」


 親しくなるどころか、かなり失礼な扱いをされただけだ。

 大体あの性格の悪そうな令息は、どうも掴みどころがなくて、何を考えているのか分からない……。

 柔らかい極上の笑みを浮かべながら、かなりハッキリ物を言う所など特にだ。

 クラウスが四つも年上という事もあるが、どうもシャーロットの事をからかって楽しんでいるような印象を受ける。

 そしてこの縁談もどき(・・・)をまだ続けようとしている事が、よく分からない……。


「来週末も是非お越しくださいと、おっしゃられていたわね」

「ええっ!? 来週もぉ~!?」


 あからさまに嫌そうな表情を浮かべる妹にセルフィーユが苦笑する。


「そうしたら、また美味しいチーズケーキをたくさん頂けるわよ?」

「チーズケーキは確かに食べたいけれど……。そもそもお姉様は、来週もあちらにご訪問されたいの?」

「ええ。だって今日読ませて頂いた本が、まだ途中なのですもの」

「もぉ~!! 姉妹揃って物に釣られてしまっているじゃない!!」

「ふふっ! そうね!」


 そう答える姉は行きの時と違い、どこか楽しそうな雰囲気をまとっている。

 やはりクラウスが、姉を骨抜きにするような甘い言葉を吐いたのでは……。

 そう懸念するシャーロットだが、来週も訪問しなければならないのなら、その時に問い詰めてやろうと意気込んだ。



 そんなやり取りを姉としていたら、あっという間に自宅に着いてしまう。

 とりあえず父には、今日あった事の当たり障りのない部分だけを報告する。

 すると父は、何故か怪訝そうな表情を浮かべた。


「それでは……お前達は、それぞれ別の場所で過ごしていたのか?」

「そうなりますね」

「そうか……」

「お父様? 何か問題でも?」


 父のその様子に違和感を抱いたシャーロットが問うが、父は何やら煮え切らない言葉を繰り返し、その返答をうやむやにして誤魔化した。

 シャーロットの方でも今日の事は、あまり深く問いただされると困るので、そのまま父に誤魔化される事にした。


 しかし自室に戻ったシャーロットは、自身の左手をジッと見つめて、色々考えてしまう。

 この謎の赤い糸は、何故かクラウスと繋がっている。

 だがクラウスに対して甘く恋い焦がれる感情は、今のところ生まれてこない。

 ならば何故、この赤い糸はクラウスと自分を繋いでいるのだろうか……。


 今日クラウスと面会した事で小指の赤い糸は、ある方向に向かってピンと張ったままだ。それは恐らく、本日訪問したエルネスト家の方角であろう。

 シャーロットは、ぼんやりしながら何となく、その糸を弾いてみる。


 そもそもこの糸なのだが、未だにシャーロットにしか見えていない。

 左手の話題になった際、クラウスが糸の存在に気付いている様子はなかった。

 という事は、糸が結びついていても見えるとは限らないという事だ。

 では何故自分には、この赤い糸が見えているのだろうか……。


「やっぱり子供の頃、必死で見ようとしていた事が原因……?」


 そう呟きながら、机の上に置いてある『女神様の赤い糸』の絵本を開く。

 子供の頃に大好きだったこの童話だが、成長後にこの元となった神話の内容を知ると、それはこんな優しい世界の話ではなかった。

 絵本に出てくる『真面目な神様』こと制裁神ハークネスは、禁忌を犯した神を罰する為、天界で唯一殺生を許された通称『神殺し』と呼ばれていた神だ。

 そして『綺麗なお姫様』は下界で姫巫女と呼ばれていた聖女だった。


 しかしこの二人が出会ってしまった事で、聖女の力が消滅する事となる。

 制裁神ハークネスは、神と人が交わる禁忌を犯しただけでなく、使命とは言え殺生を繰り返していた汚れた存在だった為、聖女の魂を汚してしまったのだ。

 その瞬間、聖女の力の加護を失った下界は、一瞬で荒れた……。

 大地は腐り、木々は枯れ、人々は謎の奇病に侵された。

 その事態に『神様の王様』こと王神アウレスは、汚れてしまった聖女の魂を浄化しようと姫巫女から抜き取り、転生の泉に聖女の魂を投げ入れた。

 しかし、姫巫女を失う事に堪えられなかったハークネスは、その魂を追うように自ら転生の泉に身を投げる。


 そんな二人の悲恋を哀れに思った愛の女神ユリネラが、二人の魂を赤い糸で結びつけた。

 しかし、この事で聖女の魂は何度転生しても必ずハークネスの魂と出会い結ばれ、そして汚れる為、魂の浄化は一切出来ない状態となってしまった。

 この事で下界を救う聖女の力は完全に失われてしまい、人間達はどんな苦境に追いつめられても全て自分達で乗り越えなければならなくなったという。

 この神話には、愛に溺れすぎてはならないという教訓が込められている。

 絵本ではその辺りを綺麗に隠し、美しい愛の物語のように語られているが、元となった神話の方は、かなり教訓めいた内容なのだ……。


 そして絵本では『慈愛の女神様』と称されている愛の女神ユリネラは、アウレス神話の方では、愛と美と欲望を司る女神とされている。

 そんなユリネラの神話の一つには、彼女が悪戯に人間達に恋愛感情を植え付け、彼らが醜く争っている光景を楽しんでいたという話まである……。


「そんな女神様のご加護とは知らず、幼い頃の私は……」


『運命の赤い糸』と称すれば、シャーロットに今起こっている不可解な現象は、とてもロマンチックな物となるのだが……。

 これが神話の方での女神ユリネラが、戯れに人間に植え付けた恋愛感情の名残という考え方をしてしまうと、かなり滑稽な物となる……。

 そもそもこの不可解な存在の赤い糸が持つ意味合いが、全く分からない。

 運命的な事を象徴しているのか、ただそのように見えているだけなのか……。

 もっと言ってしまえば、もしかしたら赤い糸が見えてしまう現象が先で、それに基づいて、アウレス神話の女神ユリネラの話が作られた可能性もある。


 絵本のような甘い運命的な繋がりの縁なのか。

 神話のような悪戯に結びつけられた縁なのか。

 あるいは結ばれた相手との関係性は無く、たまたま見えてしまうだけなのか。


 それによって、シャーロットがクラウスに抱く感情も変わってくる。

 運命的な繋がりなら、どうしても意識してしまうし、悪戯に結ばれた縁なのであれば、あまりいい感情は抱けない。たまたま起こる一例だったら、それは必然的ではないのだから、気にしなければいい事だ。

 しかし今のシャーロットは、この赤い糸が見える現象が、どの条件で起こっていたとしても何故かモヤモヤした気持ちを抱いてしまう。


「何でよりによって、その相手があんな癖のありそうな人なの!?」


 クラウスが何処にでもいそうな平凡な男性なら、ここまで心はざわつかない。

 だがクラウスは社交界で騒がれる程、容姿に恵まれている。

 能力的な面でも父が高評価するほどで、しかもこの国の第三王子とも親しい程、交友関係に恵まれ、本人の社交性も高い。

 性格はやや問題があるが、物腰や口調だけで言えば非常に穏やかで紳士的だ。

 正直なところ……女性全般が惹かれてしまう要素を多く持っている。


 だがシャーロットにとって、それはあまり良い事ではない。

 万が一、自分がクラウスに好意を抱いてしまえば大変だ。

 更に婚約してしまうと、クラウスは次期アデレード子爵という事になる。


 今回交流した感じでは、あのやり手そうなクラウスが、もしアデレード家に婿入りしてしまえば、確実にエルネスト家に特化した方向で、領内の絹糸の流通ルートを確立してしまうだろう。

 そうなれば、長年取引していた職人堅気の職工(しょっこう)ギルドとの取引は打ち切られ、手間暇は掛かるが芸術的で美しい絹織物が、市場から消えてしまう……。

 それだけは何としても阻止しなければならない。


 だからと言って、自分と訳の分からない赤い糸で結ばれている男性が、義兄という立場になるのは、かなり複雑な気持ちになる。

 いっそ姉共々、この縁談を辞退すると言う選択肢もあるが……父の立場からすると、優秀な入り婿を得る機会を逃す事は口惜しいだろう。


 一番丸く収まりそうな選択肢は、クラウスがシャーロットの入り婿になった後、シャーロットの力量でクラウスには、好き勝手にアデレード領を管理させないようにすれば良いのだが……。あの頭の切れそうなクラウス相手では、恐らくシャーロットでは太刀打ち出来ない。

 ましてや、うっかり好意など抱いてしまえば最悪だ……。


「私は……一体どうすればいいの?」


 ただでさえ、今日は色々あったというのに……。

 更に色々考え込んでしまったシャーロットは疲労の為、その日は一切夢を見る事もなく、深い眠りに落ちて行った。

評価して頂き、本当にありがとうございます。(^^)

作中に出てくるアウレス神話は、作者がギリシャ神話っぽい雰囲気で適当に作った似非神話になります。(苦笑)

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