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6.掴みどころのない令息

 笑顔で部屋に入って来たクラウスの左手に釘付けになっていたシャーロットだったが、その後ろに姉のセルフィーユがいない事に気付く。


「あ、あの姉は……」

「セルフィーユ嬢なら書斎だよ。兄の蔵書の中にずっと読んでみたかった本があったみたいで。読書の邪魔をしては悪いから、好きなだけ書斎で楽しんで貰おうと思って、僕はこちらに戻って来たんだ。メイドを一人付けてきたから、姉上の事は心配しなくていいよ」


 先程の堅苦しそうな口調ではなく、明らかに子供に話しかけるような口調になっているクラウスにシャーロットは、ムッとした表情を向けた。


「クラウス様。先程の姉の前とでは、随分を印象が変わられたように思うのですが、何か意図的な策略でもあおりなのですか?」


 口元を引きつらせながら、それでも何とか笑顔を保ったシャーロットが尋ねると、クラウスがにっこりと笑みを浮かべた。


「いいや? そもそも僕は本来こういう口調だよ? ただ初対面の子爵令嬢方に対して、いきなりこの口調は失礼かと思って」

「わたくしもその初対面の子爵令嬢の一人なのですがっ!」

「でもシャーロット嬢は、先程のような堅苦しい口調での会話は、苦手そうだったから……。だってさっき君は、僕らの堅苦しい会話に一切入って来なかっただろ? だから今は敢えて本来の砕けた口調にしているのだけれど、もしかして君にも姉上に接するような口調の方が良かったかな?」

「今更、戻されても違和感しかありません!」


 そう言って、シャーロットはメイドが出してくれたチーズケーキに手を掛け、それをバクバク口に運んだ。その様子をクラウスが感心するように眺める。


「凄いね……」

「何の事ですか?」

「ケーキ三個目」


 その言葉にまたしてもシャーロットが喉を詰まらせ、咳き込む。

 その様子に苦笑しながら、クラウスがティーカップをシャーロットの取りやすい位置まで移動させてきた。

 シャーロットは慌ててそれを手に取り、グビグビと飲み干す。


「大抵の女性が、甘い物には目がない事は知ってはいるけれど……君は特別だね。そして本当にチーズケーキが好きなんだね?」

「何を今更……。事前に私の好物を調べていたのでしょう!?」

「うん。だってもてなすのに相手の好物を把握しておくのは鉄則だし」

「もてなす……」

「立派なおもてなしだよ?」


 にっこり笑顔を向けてくるクラウスをシャーロットが、胡散臭そうに見やる。


「けしてセルフィーユ嬢を落すのに番犬と名高い妹の君が邪魔だから、食べ物で釣って追い払おうとした訳ではないからね?」

「ああー!! やっぱり、そっちが目的だったのね!?」


 シャーロットが思わず立ち上がって、フォークでクラウスを指してしまう。


「シャーロット嬢、お行儀が悪いよ?」

「あなたが姑息な手段ばかり仕掛けてくるからでしょ!?」

「いや。本当にそういう目的ではないから。そもそも僕は、このアデレード家との縁談の話には前向きじゃないし……」


 少し困った笑みを浮かべたクラウスにシャーロットが、キョトンとする。


「どうして? だってあんなに素敵なお姉様を婚約者に出来るのよ?」


 当たり前のように姉との婚約は、幸運な事だと主張して来たシャーロットの言い分に思わずクラウスが吹き出した。

 その反応にバカにされたと感じたシャーロットが、一気に不機嫌になる。


「君は……本当に姉上のセルフィーユ嬢の事が大好きなんだね……」


 口元を押さえて小刻みに震えるクラウスの態度から、ますますシャーロットの不機嫌さが増す。


「当然でしょ!? だってお姉様は本当に素晴らしい女性なのだから! 正直あなたのような性格の悪そうな男性は、お姉様には相応しくないわ!」

「それは良かった。僕もセルフィーユ嬢のような完璧すぎる女性を伴侶に迎える自信はないからね」


 その言い分にシャーロットが眉ひそめる。


「それは……負け惜しみ?」

「いいや? 本心だよ。あんな完璧な女性と生涯共に歩んだら、その人生ずっと緊張しっぱなしだ……。その点、君はいいね! だって一切緊張しないし」

「どういう意味!?」

「それだけ君は、初対面の人間でも話しやすい雰囲気をまとっているという事だよ。君は友人が多い方ではないかい?」

「確かにロマンス小説好きなお友達は、たくさんいるけれど……」


 そのシャーロットの呟きにクラウスが、何かに気付く。


「ロマンス小説? なるほど。それで男性への評価が厳しめなのか」

「どういう事?」

「架空のいかにも理想の塊を詰め込んだような男性ばかりが出てくるロマンス小説を読んでいるから、現実の男性に夢が持てない。そうなると男性に対する理想が、もの凄く高くなってしまう」

「なっ……!!」

「言っておくけれど、ロマンス小説に出てくるような男性なんて、ほぼ現実にはいないからね? 早目に目を覚ました方がいいと思うよ? でないと本当に行き遅れてしまうから」


 もの凄くいい笑顔で、さらりと失礼な物言いをするクラウスにシャーロットが、口を開けたままワナワと震え出す。


「そんな事より君とは大事な話があったから、姉上であるセルフィーユ嬢と引き離したのだけれど……」

「ひ、引き離した!?」

「最初にも言ったけれど……僕自身、君らアデレード家との縁組は、特に望んでいないんだ」

「でもお父様の話では、そちらがうちの良質な絹糸を独占したがっていると……」

「うん。父はそれを望んでいる。それで次男の僕をアデレード家の婿養子にして、その良質な絹糸を優先的にエルネスト領に流れるようにしたいらしい。その為には優秀な長女ではなく、家業に疎そうな次女を落してこいと言われた」

「家業に疎そうな次女……」


 その言われように悔しいと思いつつ、何も言い返せないシャーロット。

 そんな分かりやすい反応をするシャーロットにクラウスが苦笑してしまう。


「だけどね。僕は父の事が、あまり好きではないんだ」


 満面の笑みで、そう言い放ったクラウスにシャーロットが目を見開く。


「だから父の思い通りにはなりたくない。この縁談もギリギリまで返答を渋って、最後にダメにしてやろうかと思ってたんだ」

「呆れた……。そんな下らない親子間の不仲の所為で、私とお姉様は二人まとめて縁談の話を持ち掛けられたの?」

「下らないかな?」

「下らないでしょ!? そもそも何故そんなにお父様がお嫌いなの?」


 すると急にクラウスが、困った様な笑みを浮かべた。

 初めて見た作り笑顔ではない表情にシャーロットが、一瞬ドキリとする。


「兄の扱いが酷過ぎるから」

「お兄様の……?」

「僕も君に負けないくらい兄を尊敬していてね。でも兄は昔から、もの凄く体が弱くて。幼少期の頃は長く生きられないと言われていたんだ。その際、兄は療養を理由に母方の遠い領地の叔母の家に追いやられた……。その間、父は僕を次期跡取りとして、その教育に力を注ぎ始めたんだ」

「お兄様が……ご健在なのに?」


 シャーロットの反応にクラウスが、やや皮肉めいた笑みを浮かべる。


「普通の人なら、君のような反応をするよね。まだ兄は生きているのに次男を跡取りに見据える動きをするなんて、信じられないって。でもそれが僕らの父なんだ……。でも兄は成長する上で、その体質をある程度は改善させた。その途端、父は掌を返したように兄へ過剰に仕事を任せ始めたんだ。だけど、いくら幼少期より体が丈夫になったとは言え、一般の成人男性と比べたら兄は、そこまで丈夫な方じゃない。それを知っているのに父は、優秀過ぎる兄に無理をさせ始めた……」

「お兄様も優秀な方なの?」


 シャーロットのその質問にクラウスが、ニヤリと笑みを浮かべる。


「その言い方だと、僕も優秀な人間だと君に思われているって事なのかな?」

「お、お父様や私の友人達がそう言っていたから!! ただそれだけよ!?」


 必死で言い訳するシャーロットにクラウスが、面白がるような笑みを浮かべる。


「兄は僕とは比べものにならない程、優秀な人だよ。多分、ああいう人を天才って言うんじゃないかな?」

「そ、そんなに?」

「君の姉上と一緒だよ。何をやってもすぐに出来てしまう。だけどその反面、周囲からの期待がもの凄い。兄の場合は優秀過ぎた分、病弱だった事への周囲の落胆が激しかったんだ。特に父からは……」


 そのクラウスの言葉にシャーロットは、姉セルフィーユの姿を思い出す。

 何でもすぐに出来てしまう優秀で美し過ぎる外見の姉。

 だが妹のシャーロットは知っている。

 その所為で大人達から過度な期待を掛けられ、同じ年頃の令嬢達からは嫉妬や謙遜で遠巻きにされ、姉は孤立する事が多かった事を……。

 でもその事で愚痴をこぼしたりする事は一切なかった。

 恐らくクラウスの兄もそのような状況だったのだろう。


「父のそういう兄の扱い方を見てしまうと、このエルネスト家に貢献する気持ちなんて、生まれて来なくなってしまったんだ……。でも君らのご両親は、そうではないようだね?」

「え?」

「アデレード子爵より二人共気に入らなければ、遠慮なく断ってくれて構わないと言われているから」

「ええっ!?」


 そのクラウスの言葉にシャーロットは、話が違うと真っ先に思った。


「あれ? もしかしてお父上からは『何としてもセルフィーユ嬢と僕の仲を取り持ってこい!』とか言われている?」


 そのクラウスの言葉にシャーロットは、何度も頷いた。


「あー……。それじゃあ、長女の行き遅れを懸念しているのかなぁ」

「お、お姉様が行き遅れる!?」

「うん。だってセルフィーユ嬢って、もの凄い数の縁談や婚約の申し入れが来ているのに全て断っているんだよね?」

「お、お姉様が!? そんな話、聞いた事ない……。だってお姉様の元に変な人からの縁談関係の話が行ってしまう前に私が全部潰して……」

「シャーロット嬢。いくら君が、一生懸命姉上を守ろうと番犬に徹していても十五歳のお嬢さんが出来る事には、限界があるよ?」

「でも! それならば何故お姉様は、全てご自身でお断りしているの?」

「それなんだけれど……。もしかしてセルフィーユ嬢には、誰か意中の相手がいるのではないかと思うのだけれど……」

「お姉様に好きな人がっ!?」


 そのシャーロットの反応にクラウスが、苦笑する。


「妹の君でもそれは知らないか……。徹底した秘密主義だね、君の姉上は」

「そ、そんな……。もしそうなら、どうして私に何も相談してくれないの?」

「例えば相談出来ない相手か……」

「そ、それって既婚者って事!?」

「あるいは相談したくても相手が誰か分からないか……」

「相手が誰か分からない……?」

「社交界では、よくある事だよ。たまたま参加した夜会やお茶会で、一瞬だけ接する機会があった相手に好意を抱いてしまう。でもその相手を探したくても探す手がかりの情報が少な過ぎて、結局諦めてしまうってケースだね」

「も、もしそうだったら、お姉様はその方をずっと探し続けているって事!?」

「どうかな……。そもそも意中の相手なんていないのかもしれないし」


 だが、もしそうだったら自分が追い払ってしまった令息達の中に姉の意中の人物が、いたのかもしれない……。

 そう考えてしまったシャーロットは、急に罪悪感に襲われる。

 だが同時に何故クラウスが、そんな事を気にしているのかも気になった。


「ねぇ、あなたはどうして、お姉様に意中の相手がいるかもしれない事をそんなに気にするの?」

「そりゃ……。あれだけ好条件のご令嬢なら、あわよくば婿入りしてもいいかなと思って」

「何ですってぇ!?」

「まぁ、冗談はさておき。乗り気でない縁談とはいえ、相手の身辺調査は一応しておきたいと思って。妹の君なら、その辺の話をされているのかと思ったのだけれど……。どうやらセルフィーユ嬢は、全て自身で抱え込んでしまう秘密主義なタイプのようだね」


 そう言ってクラウスが、すっかり冷めてしまったお茶を自身のティーカップに注いで、口を付ける。

 そのクラウスの動作で、ある部分がシャーロットの目を釘付けにした。

 ティーカップを持つクラウスの左手の小指には、見間違いではなくシャーロットと同じ赤い糸が結びついている。

 そしてその糸をそのまま目で辿ると……それは自身の小指に繋がっていた。


「やっぱり……」

「シャーロット嬢? どうかした?」

「左手……」

「ああ。これ? 僕、左利きなんだ。ちなみに兄もだけれど」


 そう言って、クラウスが静かにカップをソーサーの上に置く。

 その様子から、クラウスは自身の小指に変な糸が巻き付いている事には、全く気付いていない事が窺える。

 しかしシャーロットの方は、そんなクラウスの左手から目が離せなかった。


「まぁ。先程話した通り、僕はあまりこの縁談には熱心ではないから、君らもここを訪れる際は、適当にこの屋敷内を楽しんで行ってね?」


 そう言って、クラウスがニッコリ微笑むと同時に部屋の扉がノックされた。

 すると、メイドに連れられたセルフィーユが入室してきた。


「クラウス様、申し訳ございません……。ついお言葉に甘えてしまい、こちらの素敵な蔵書を読みふける事に夢中になってしまいました……」

「いえいえ、お気になさらず。それよりもお探しの本に出会えて良かったではありませんか。もしよろしければ我が家にお越しの際は、遠慮なくあの書斎で読書を楽しまれてくださいね?」


 今さっきまでのシャーロットへの対応とは打って変わって、かなり紳士的な口調になったクラウスの様子にシャーロットは、複雑な思いを抱く。


 この掴みどころのない仮の縁談相手が、自分の赤い糸と繋がった男性……。


 しかし絵本に書かれていた運命的な想いは、今のところ全く感じられない。

 そのクラウスはシャーロットと目が合うと、再び取り繕った笑みを浮かべながら、姉に気付かれないように左手の人差し指を立て、そっと口元に当てる。

 それはまるで「さっきの話は、ここだけの話で」と念を押すように……。


 そしてその左手の小指には、先程と同じようにシャーロットに繋がっている赤い糸が、しっかりと結びついていた。

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[一言] 伯爵家との縁談に乗り気ではなさそうな姉の想い人が気になります。 伯爵家の優秀な兄だったりしないのかしらん? 姉妹とも良い子なので幸せになってほしいです。
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