5.お邪魔虫
「父が大変失礼な提案をしてしまい、本当に申し訳ございません……。お二人のどちらかとの縁談だと話を聞いていたのですが、まさかその選択権を自身に委ねられているとは思わなかったもので……。私の父は世間ではやり手と囁かれておりますが、どうも相手の立場や心情などへの配慮が足りない人間でして……。ですので、そのような父の失礼な提案を快く受け入れてくださったアデレード家の方々のお心の広さには、思わず感銘を受けてしまいました」
穏やかな口調で申し訳無さそうに語るクラウス。
数カ月前に王立寄宿学校を卒業したクラウスは、今年で十九歳になるらしいので、シャーロットよりも四つ年上だ。
だが年の割には、かなりしっかりした対応をするので、シャーロットには姉と同じタイプのように見えてしまう。
「こちらと致しましてもクラウス様のような優秀な方を婿養子にという事だったので、父にとっても良いお話だったのだと思います。そもそもわたくし達姉妹のどちらかと提案致しましたのは、我が父です。その所為でクラウス様に心苦しい選択を託してしまい、申し訳ございません……」
同じく姉も十七歳とは思えない大人の対応の返しをしている。
そんな中で年相応……というよりも実年齢よりもやや幼い中身のシャーロットは、この二人の大人な対応のやり取りに目を白黒させていた。
どうしよう……。私だけ場違いな気がする……。
何故か後ろめたさを感じてしまったシャーロットは、出されたタルトを黙々と食べる事に専念しようとした。しかし社交性が高いのか、そんなシャーロットにクラウスがニッコリと話を振って来た。
「シャーロット嬢、そちらのタルトはお気に召して頂けましたか?」
急に声を掛けられたシャーロットは、思わずタルトをムグッと詰まらせた。
そして慌ててカップに手を伸ばし、出来るだけ上品さを心掛けて飲み干す。
「は、はい。とても美味しいです……」
「よろしければチーズケーキもございますが、お召し上がりになりますか?」
「チーズケーキ!?」
チーズケーキに目がないシャーロットは、思わず目を輝かせてしまった。
しかし、すぐに自分の役割を思い出して姿勢を正す。
だが、チーズケーキは食べたい……。
その葛藤で押し黙ってしまったシャーロットを見て、クラウスがメイドの一人に何かを伝える。
「クラウス様、恐れ入ります」
「いえ。そんなに美味しそうに召し上がって頂けるのであれば、こちらも用意した甲斐がありました」
やや苦笑気味の姉に返答しながら、ニッコリ笑顔を向けてくるクラウスにシャーロットは、どう反応していいのか分からなくなり困ってしまう。
するとメイドの一人が、シャーロットの前に真っ白にコーティングされた雪のようなケーキが乗った皿を丁寧に置いた。
それを見た瞬間、シャーロットの大きな瞳が更に大きく見開かれる。
「クリームチーズケーキ!!」
チーズケーキの中でも一番シャーロットが好きなケーキだ。
それを前にした瞬間、己の役割を忘れて再び瞳を輝かせてしまう。
「よろしければ、どうぞお召し上がりください」
満面の笑みで勧めてくるクラウスの声が合図となり、シャーロットが吸い寄せられるようにフォークへと手を伸ばす。
そして一口分を取ろうとケーキにフォークを押し当てると、その柔らかさがフォーク越しに伝わって来た。
そのまま掬い上げ、ゆっくりと口の中に運ぶ。
「!!」
口に入れた瞬間、ほのかな生クリームの味がする滑らかなクリームチーズが、口いっぱいに広がる。更にクリームチーズの酸味と中にこっそり隠されていたハチミツの甘さが、見事なハーモニーを生み出し、あまりの美味しさにシャーロットは思わず、両頬を押さえた。
「そちらもお気に召して頂けましたか?」
「はい! こんな美味しいクリームチーズケーキ、初めて食べました!」
あまりの美味しさに興奮したまま、勢いよくそう答えてしまったシャーロットは、ハタと我に返る。
しまった……。完全に食べ物で懐柔されてしまった……。
しかしそれに気付いた時には、もうすでに遅く……。
目の前では、クラウスが満足げにニッコリと笑みを浮かべている。
恐る恐る姉の方にも視線を向けると、何とも言えない苦笑した表情をしている。
「シャーロット嬢は、本当にチーズケーキがお好きなのですね?」
「は、はい……。チーズケーキには本当に目がなくて……。その、はしたない振る舞いをお見せしてしまい、申し訳ございません……」
まるで勝ち誇ったような満面の笑みを浮かべているクラウスにシャーロットは、心の中で「やられた!」と思った。
恐らくクラウスは、事前にシャーロットがチーズケーキに目がない事を調べていたのだろう……。そうでなければ、こんなにもシャーロットの好みに特化したクリームチーズケーキを用意する事など出来ないはずだ。
姉を落とすには、まず妹を懐柔させる。
今まで多くの令息達にやられて来た事なのに……。
まさか初対面の相手が、ここまでシャーロットの事を調べ上げ、万全な準備をしているとは思ってもみなかったのだ。確かに父からは、姉セルフィーユが婚約者に選ばれる方向に持って行くよう言われてはいる。
しかし……こんな姑息な手段を使う令息に姉を渡す訳にはいかない!
そう思ったシャーロットは、キッとクラウスを見据える。
だが、クラウスの方はニコニコと余裕の笑みを浮かべていた。
その様子に完全に自分は見くびられていると感じたシャーロットは、悔しさのあまり出されたそのケーキを一心不乱に食べ始める。
悔しいが、もの凄く美味しい……。
「さて、シャーロット嬢のお好きな物は分かりましたが、セルフィーユ嬢は何かお好きな物などはございますか?」
「わたくしですか? そうですね……わたくしの場合、読書になるかと」
「それはいい! もしよろしければ、我が家の自慢の書斎をご案内致しましょうか? 実は私の兄もかなりの読書家で……今は王都の方に父の手伝いで不在ですが、よければご案内致しますよ?」
「で、ですが、ご不在のお兄様の書斎へ勝手に入ってしまっては……」
「お気になさらず。そもそも兄は同じ読書家に対して非常に寛大ですので。むしろ同志の読書好きな方に自身の蔵書を読まれる事は、喜ばしいと感じる人間です」
そう言ってクラウスは、セルフィーユに立ち上がるよう促し、自慢の書斎への案内を始めた。その二人の動きにシャーロットは慌て出す。
このままでは、姉があの姑息な令息と二人きりとなってしまう。
そう思ってシャーロットも二人に遅れまいと、席を立とうとする。
しかしそれをクラウスが、やんわりと制した。
「シャーロット嬢は、ごゆっくりケーキをご堪能ください。姉上を書斎にご案内後、頃合いを見計らってシャーロット嬢にもお声がけ致しますので」
「で、でも……」
クラウスを警戒しつつも皿の方に目を向ければ、先程の極上クリームチーズケーキが、まだ三分の一も残っている。
「よろしければ通常のチーズケーキもご用意出来ますよ?」
しかし完全に食べ物で足止めを企てているクラウスの態度から、流石のシャーロットも食欲よりも怒りの方へと天秤が傾く。
そしてクラウスを睨みつけて、自分も同行する事を宣言しようと口を開きかけた時……それは何故か、姉の一言で引っ込めざるを得なくなった。
「シャル。折角だから、もう一つのチーズケーキも頂いたら?」
その姉の一言にシャーロットが、驚きで目を見開く。
馬車の中では憂鬱そうな表情を浮かべていた姉が、今では穏やかで少し楽しそうな表情をしていたからだ。その様子にシャーロットは、本来の目的を思い出す。
『アデレード領内の養蚕業を守る為、クラウスには姉を婚約者に選ばせる』
その父の指令を思い出し、シャーロットはゆっくりと席に腰を下ろした。
「ではお言葉に甘えて……そちらのチーズケーキも頂きます」
表情筋を総動員させ、何とか笑顔で返すシャーロットだが……その目は一切笑ってはいなかった。
シャーロットの様子にクラウスが一瞬だけ、口元に笑みを浮かべる。
そのバカにしたようなクラウスの笑みをシャーロットは、見逃さなかった。
そんなシャーロットを一人残し、二人は客室を出て行ってしまった。
「悔しいぃぃぃー!! 何なの!? あの人!!」
メイドもチーズケーキを取りに行ってしまったので、部屋にポツンと残されたシャーロットは、一人になった事をいい事に盛大に悪態を付いた。
だが、部屋の外に誰か控えているかもしれないので、出来るだけ小声で叫ぶ。
確かに今までクラウスのように策略めいた方法で、シャーロットを追い払い、姉に近づこうとした令息が何人かはいた。
でもこんな用意周到な準備をされて追い払われた事は、今まで一度もない。
恐らくクラウスと父であるエルネスト伯爵の間で、長女と次女のどちらの婿になるかで、揉めているのだろう……。
クラウス本人は姉のセルフィーユを婚約者に選びたい。
だが父であるエルネスト伯爵は、あしらい易くてアデレード家を牛耳りやすい次女シャーロットと息子の婚約を望んでいる……そんなところだろう。
だからって望んでいない妹の方を好物で釣って、放置するなんて……。
こんな不当な扱いが許される訳がない!
苛立ちのあまりシャーロットは、残りのケーキをバクバクと口に運ぶ。
そしてテーブルの上にあったティーポットから、空になった自分のカップへと勝手にお茶をドバドバと注いだ。
「こうなったら全面戦争よ……。絶対にあんな性格の悪そうな令息になんか、お姉様を渡さないんだから!」
そう決心を口にしながら、お茶を飲もうとカップをソーサーごと手に取る。
その際、ふと自分の左手に結びついている赤い糸が目に入った。
そういえば、この赤い糸が大変な事になっていた事をやっと思い出す。
そしてシャーロットは、再び青ざめた。
初めてクラウスがこの部屋に入って来た時、その左手からはシャーロットと同じような赤い糸が垂れ下がっていた。
そしてその糸は……何故かシャーロットのこの小指に繋がっていたのだ。
「ど、どうしよう……。すっかり忘れていたわ……」
まさかこれが女神様の赤い糸では……。
そう思ってしまったシャーロットは、ますます顔色が悪くなっていく。
もしそうならば、結果としてはあの性悪令息の魔の手から、姉を守れるのだが、それは自身の犠牲を意味する……。
しかし先程の姉からは、クラウスに対して好印象を抱いているように思えた。
ならば父の希望通り、姉への婿として考えた方がいいのでは……。
だが、そうなると姉はあの性悪令息の手に落ちる事になる。
姉の気持ちを汲み取りたいが、どう見てもあの令息の性格は良くない。
ならばいっそ自分が婚約者に収まった方がいいのでは……。
しかしそうなれば、アデレード家の養蚕業には危機が訪れ、姉までも失恋してしまう……。
何よりも恐ろしい事は、それは自分があの性悪令息の妻になる事を意味する。
そもそも何故、自分の小指に結ばれている赤い糸の相手が、好意的な感情をあまり抱けないクラウスなのかが謎だ。
もしやこれから自分は、あの性格の悪い令息に惹かれていくのでは……。
考えないようにしていた事を改めて考えてしまったシャーロットは、カップの中のお茶を見つめながら、茫然としてしまう。
すると、突然扉がノックされた。
それに驚いたシャーロットは、体をビクリとさせる。
すると玄関先で出迎えてくれたメイドの中で、一番若いメイドがチーズケーキと、お茶のおかわりを持ってきてくれた。
だがその後ろから、予想していなかった人物も姿を現わす。
先程、姉を書斎に案内したクラウスだ。
そしてその左手の小指には、先程シャーロットを青ざめさせた赤い糸が、しっかりと結ばれていた。
ちなみにクリームチーズに関しては、この作品がヒストリカルではなく、ファンタジー世界観という事で大目に見てください。(-_-;)
(クリームチーズは、一応1872年アメリカ発祥)
どうしても出したかったんです……。
作者の好物クリームチーズケーキ(レアチーズケーキ)を……。