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2.小指に巻き付く赤い糸

「お姉様~! これ、この間お借りした本なのだけれど……」


 そう言って、扉を開けて入室してきた妹にセルフィーユが、やや呆れ気味な笑みを浮かべる。


「シャル、入室前に先にノックでしょ?」

「あっ! ご、ごめんなさい……」


 姉の指摘にしゅんとしながら、シャーロットは少し肩をすくめる。

 そんな反省している妹の様子を見たセルフィーユが苦笑した。

 その姉の手元には、長々と文字が書かれた便箋があった。

 どうやら誰かに手紙を書いていたようだ。


「その本、もう読み終わってしまったの?」

「え? ええ。それでまた別のロマンス小説を借りたいなって……」


 そう答えつつも姉の手元の手紙が、少し気になるシャーロット。

 その事に気付いた姉が、苦笑する。


「この手紙はね、ポレモニウム伯爵夫人宛てのお礼状なの」

「ポレモニウム伯爵夫人!? あのいつも素敵なご本を贈ってくださる!?」


 ポレモニウム伯爵夫人は、幼少期セルフィーユが初めて参加したお茶会で、所在無さげに一人中庭で時間を潰していた際、声を掛けてくれた事で親しくなった親子ほど年の離れた女性だと、以前姉から聞いていた。

 その頃から本を読む事が大好きだったセルフィーユは、読書家だった夫人と本の話で盛り上がり、それが切っ掛けで交流が始まったらしい。

 それからずっと夫人は、姉に自分のお古の絵本やお薦めの本を贈ってくれる。


 妹のシャーロットもある夜会で夫人と会う機会があり、とても気品あふれる穏やかそうな美しい貴婦人という印象を受けていた。

 そしてその際にシャーロットが、ロマンス小説好きだという話をすると、夫人は、シャーロットが好きそうなロマンス小説も贈ってくれるようになった。

 その贈られてくるロマンス小説が、とても面白いのだ。

 どうやら姉は、これから夫人に毎回本を贈ってくれる事へのお礼状を書こうとしていたらしい。


「お姉様! ポレモニウム伯爵夫人にお手紙を書かれるのなら、この間頂いた騎士と姫君が駆け落ちする小説が、とても素敵だった事もお伝えして!」

「ふふっ! あの小説、すぐにあなたのお気に入り作品になったわよね。わかったわ。妹がとても喜んでいたと、お礼を申し上げておくわ」

「ありがとう! そういえばお姉様は、あの小説は読まれたの?」


 瞳をキラキラさせながら聞いてくる妹にセルフィーユが、思わず微笑む。


「ええ。とても素敵なお話だったわ。でも……」

「でも?」

「残された姫君の婚約者の王子様は、少しかわいそう……」

「そう? だってあの王子様、他の姫君や令嬢達と親しくしていて誠実ではなかったでしょう? あんな尻軽な王子様と結ばれるより、姫君には一途な強くてカッコいい騎士と結ばれた方が、絶対幸せじゃないかしら?」

「でも……王子様が他の女性と親しくしていたのは、社交的なお付き合いの関係だったでしょ?」

「でもその所為で姫君は、王子様が気を持たせた他の女性達に意地悪をされたのよ? その事に気付かないのだから、駆け落ちされても仕方ないと思うの」


 そう言って架空の人物である王子にシャーロットが、辛口の評価をする。

 するとその意見を聞いたセルフィーユが、苦笑した。


「確かに恋愛小説の王子様としては、少し姫君への配慮が足りないと感じてしまうわね……。でも現実だと、王子様のような行動をされる男性の方が多いのではないかしら? それに姫君も自身が辛い思いをしている事を王子様に相談しなかったのだから、王子様がその事に気付けなかったのは仕方ないと思うの。それは気付けなかった王子様の責任だけでは、無い気がするわ」

「でも……これは女性に夢を与える恋愛小説よ? そんな現実的な部分に注目して読んでいたら、ちっともロマンチックではないわ……。それに物語の王子様は、姫君が苦しんでいる事に気付けるくらい優しい人でないと! その点、騎士の男性は、どんな時でも常に姫君の事を気に掛けていたのだから、王子様は姫君に駆け落ちされてしまっても仕方ないと思うわ」


 妹の王子に対する辛口感想に姉が再び苦笑する。

 その姉の仕草から子供っぽいと思われたと感じたシャーロットは、拗ねるようにやや頬を膨らませた。

 毎回シャーロットは、ロマンス小説の感想を言い合う場では、姉だけでなく友人間でも夢見がちや、理想が高すぎるとお子様扱いされてしまうのだ……。

 そんな妹の反応にセルフィーユが、困ったような笑みを浮かべる。


「シャルは、女性全般に甘すぎる男性への評価が本当に厳しいわね」

「だって私、大勢の女性に良い顔ばかりする男性って信用出来ないもの……」


 そう言ってシャーロットは、姉の婚約者の座を獲得しようと、まず自分に言い寄って来た令息達の事を思い出す。

 その殆どが、普段から多くの令嬢達に囲まれた自信過剰な令息ばかりだった。

 妹である自分が、美しい姉との交流の繋がりとして利用されそうになる事は、正直悔しいが仕方がない事だと思う……。


 しかし、そのようなずる賢い令息達ばかりが、あの完璧な姉の婚約者になれると思ってアプローチしてくる事が、シャーロットには許せなかった。

 優秀で美しい姉は、簡単に落せるようなそんな安い女性ではない。

 そういう令息が自分達の前に現れると、ついシャーロットは思ってしまう事がある。鏡でも見て、自身が姉と釣り合うレベルか見直して来て欲しいと……。


 そしてそんな令息達の中には、もっと悪質なタイプもいる。

 姉セルフィーユに言い寄る前にまず妹のシャーロットの方を口説き落とそうと、そういう計画を立ててくる輩もいるのだ……。

 確かに姉の番犬と化している妹のシャーロットを骨抜きにしてしまえば、姉に言い寄るのは簡単だという発想に至るのは分かる。

 しかし、そういう小賢しい作戦を企てる男性など、姉には絶対に相応しくない。

 姉の隣に立つのは、誠実で真っ直ぐな素敵な男性でなければ似合わない。


 その事を思い出す度にシャーロットは、苛立ちを覚える。

 どうしてそんな相応しくない男性ばかりが、姉の周りに吸い寄せられるように集まってくるのだろうかと。

 こんなにも素敵な姉ならば、ロマンス小説に出てくるような完璧な男性が、すぐにでも現れてもいいはずなのに……。


 そんな事を考えながら、次に読むロマンス小説を姉の本棚から物色する。

 すると、ある薄い背表紙の本が棚に並んでおり、そこで指が止まった。


「これ、懐かしい!」


 嬉々としながら叫んだシャーロットが、スッと人差し指で本棚から引き出したその絵本の表紙には『女神様の赤い糸』と書かれていた。


「お姉様! 見てこれ! 『女神様の赤い糸』!」

「まぁ! 懐かしい! シャルは子供の頃、この絵本が大好きだったわよね。よく瞳をキラキラさせながら、何度も読んで欲しいとおねだりしてきて……。あの時のシャルは、本当に愛らしかったわ!」

「ええ!? 今は愛らしくはないの!?」

「嫌だわ。今もとっても愛らしい私の妹に決まっているでしょう?」


 そう言って柔らかな表情でクスクス笑う姉の仕草は、本当に美しい。

 一瞬、その美し過ぎる姉の表情に見とれてしまったシャーロット。

 長年、妹という立場でいるシャーロットだが、それでもこの美し過ぎる姉の行動や仕草には、思わず目を奪われてしまう事が多い。

 それだけシャーロットにとって、セルフィーユは憧れの存在なのだ。


 だが急にそれが恥ずかしくなり、慌てて視線を落す。

 すると、繰り返し読まれ過ぎてボロボロになった絵本が目に入ってきた。

 その懐かしい絵柄の表紙をシャーロットは、左手で優しく撫でる。

 しかしシャーロットは、すぐに表紙を撫でる手をピタリと止めた。

 そして唖然としながら、その左手の小指を大きく目を見開いて凝視する。


「なっ……!! ええっ!?」

「シャル? どうかしたの?」

「お、お姉様! これ見て! この小指!!」


 そう言って、焦りながら自分の左手を姉の前にバッとかざす。

 シャーロットの左手の小指には、いつの間にか赤い毛糸程の太さの糸の輪っかが結びついていた。

 そしてその結び目からは、2cm程の先が切れている糸がピンと飛び出ている。

 その糸の切れ目を指差しながら、慌てふためくシャーロットの様子を見たセルフィーユは、何故か不思議そうに小首を傾げた。


「見てって……左手がどうかしたの?」

「え……?」

「もしかして絵本で指先を切ってしまった? 大丈夫?」

「そ、そうではなくて……ほら、これ! ここ! ここに赤い糸が!」


 自身の左手の小指を立てて、必死に見せて来る妹にセルフィーユが吹き出す。


「シャルったら! 久しぶりにその絵本を見たら、昔よく確認していた女神様のお印の事を思い出してしまったの?」

「ち、違うの! ほら、ここ! 本当にここに……」

「もう! そんな可愛らしい嘘を付かないで。思わず笑みが零れてしまうわ」


 そう言って口元抑えながら、笑いを堪える姉の反応にシャーロットが青ざめる。


「お姉様には……見えない……の?」

「見えない? 何の事?」


 微笑ましそうな表情のまま、更に首を傾げる姉の反応にシャーロットが、もう一度自分の小指を恐る恐る凝視する。

 そこには先程よりも更に2cm程長くなった赤い糸が、やはり結びついていた。


「シャル? 本当に大丈夫? もし指を切ったのならば、手当を……」

「だ、大丈夫! ちょっとふざけただけ! そうだわ! お姉様、この絵本借りてもいいかしら? 懐かしくって、久しぶりに読み返したいのだけれど」

「借りるも何も……その絵本は、もともと二人の共有品だったでしょ? もちろん持って行っていいわよ?」

「あ、ありがとう! あっ、あとこれ! 借りていた本、ここに置くわね!」


 返しに来たロマンス小説を姉の机の上に置くと、シャーロットは脱兎のごとく部屋から出て行く。


「どうしたのかしら……あの子」


 不思議そうな表情を浮かべる姉の呟きは、シャーロットには聞こえなかった。



 逃げ込むように自室に戻ったシャーロットは、まず机の上に絵本を置いた。

 そして眉間にシワを寄せながら、ジッと自分の左手を見つめた後、色んな角度から何度も何度も小指部分を確認する。


「やっぱり……赤い糸が見える……」


 しかもまた糸の長さが伸びている。

 姉の部屋にいた時は五センチ程の長さだったのだが、今では二十センチ程の長さになっていた。

 だが先端は切れた状態のままで、何処にも繋がっていない。

 試しに小指から赤い糸を外そうと、シャーロットは小指をガッシリ掴み、結び目を指から引き抜こうとしてみたが……その位置から全く動かない。


「一応、掴んだり触ったりは出来るみたいだけど……」


 そう呟きながら、糸の先端を摘まんで引っ張ってみる。

 しかし結び目の輪っか部分は、ピクリともその位置から微動だにしない。

 まるで小指に結ばれた輪っか部分から、糸が生えているような感じだ。


「何なのコレ? しかも先端は、どこにも繋がってないし……」


 おまけにこの赤い糸は、シャーロットにしか見えていないようだ。

 そもそも姉の部屋に入った時は、この赤い糸の存在は全く確認出来なかった。

 小説を返そうとした時にも小指には、結びついていなかった気がする。

 そうなると……。


「やっぱり……この絵本を手に取ってから?」


 そう思って机の上に置いた『女神様と赤い糸』の絵本を手に取る。

 そして絵本を開いて軽くページを捲ってみた。

 子供の頃、瞳をキラキラさせながら読んでいた可愛らしい絵柄が次々と現れる。

 しかし、慈愛の女神が登場するページでその手はピタリと止まった。


「子供の頃、ずっとこの赤い糸の印が現れて欲しいと思っていたのに……。どうしてそんな事を一切思わなくなってから、現れたのかしら?」


 そう言いながら、シャーロットは自身の左手をプラプラさせてみる。

 小指から垂れ下がっている赤い糸が、ヒラヒラと舞う。

 そもそもこれは本当に慈愛の女神の印の赤い糸なのだろうか……。

 そんな赤い糸は、また長さが伸びて今は三十センチ程になっている。


 険しい表情を浮かべながら、赤い糸を凝視してみるが……何故かシャーロットの目の前では、その糸の長さは変化しない。

 だが、ふと目を離した隙に一気に十センチ近く伸びているのだ。


「もぉぉぉー! これ、どうなっているの!?」


 少し苛立ちながら、糸の先端を何度も乱暴に引っ張ってみるが、やはりシャーロットが見ている時には、その長さが伸びる事はない……。

 とりあえず目に付くから気になるのだと思ったシャーロットは、引き出しから白手袋を取り出して、それを左手だけにはめた。


 赤い糸に関して、この絵本では『ときどき見える』と書かれていた。

 もし赤い糸が絵本に書いてある糸と同じ存在ならば、しばらくしたら見えなくなるかもしれないと思ったシャーロット。

 明日になれば、この赤い糸はスッと消えているかもしれない……。

 そんな事を期待し、シャーロットはその日は白手袋を左手に付ける事にした。


 しかし、その考えは甘かった事が判明する。

 入浴する際に白手袋を外すと、赤い糸は三メートル程まで伸びていたのだ……。

 この状況にシャーロットは、浴槽に浸かりながら頭を抱えてしまう。


「これ……一体どうすればいいの?」


 どんどん長くなり、どこにも繋がっていない赤い糸を見つめながら、シャーロットは、しばらく浴槽の中で途方に暮れてしまった。

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