14.大事な大事な赤い糸
シャーロットが事の真相を聞かされてから五日後。
アデレード家の長女セルフィーユと、エルネスト家の長男シリウスの婚約が正式に決まり、その噂はあっという間に社交界へと広まった。
今まで次男クラウスの意欲的な社交場への参加によって、父親から社交関係を免除されていた長男シリウスだが、この婚約を切っ掛けに率先して参加するようになる。
それ以前のエルネスト家のイメージは次男クラウスの印象が強かった為、そのシリウスの社交場への参加は、大きな話題となった。
特に年頃の令嬢達は、こぞって姉セルフィーユを羨んだ。
中性的で繊細な雰囲気をまとった美し過ぎる令息が突如現れたかと思ったら、すでに結婚間近の婚約者を伴っていたのだから、それは仕方ない事だろう。
二人は、来年姉が成人すると同時に挙式予定なのだ。
どんなに他の令嬢達がシリウスに熱烈に恋い焦がれアプローチしても、姉との仲を壊すには、あまりにも準備期間がない上に遅すぎる。
そんな未発掘だったロマンス小説に出てきそうなシリウスが、同じくロマンス小説のヒロインが似合いそうな姉に射止められたら、姉が周りの令嬢達に嫉妬で呪い殺されるのではないかと、本気で心配したシャーロット。
しかし悔しがるそれら令嬢達は、姉に対し一切嫌がらせをして来なくなった。
というよりも出来なくなってしまったのだ……。
姉がエルネスト家に嫁入りするという事は、姉は将来のエルネスト伯爵夫人になるという事だ。すなわち、織物関連を売りにしている領地を治めている貴族達にとって、姉は絶対に喧嘩を売ってはならない存在となる。
その為、以前姉に対して辛辣な態度だった令嬢達は、見事に掌を返したような媚びへつらう態度を見せている。
その事でシャーロットは目くじらを立てているが、大人な姉はそんな彼女達の事をやんわりと、穏やかに受け流していた。
そして姉達の婚約の話題で霞んでしまったが、妹シャーロットの方も次男のクラウスとの婚約が決まる。
クラウスが宣言した通り、二日前に父よりクラウスからの婚約の申し入れがあった事を伝えられたシャーロットは、その場で有無も言わさず父によってサインを強要された……。
シャーロットにとってクラウスとの婚約は喜ばしい事ではあるので、承諾する事に特に問題はないのだが、どうもこの父の変わり身の早さが気になった。
少し前まではシャーロットがクラウスと婚約してしまうと、アデレード領産の絹糸が独占されてしまう事を懸念していた父が、素直に婚約を受けようと改めた事が、かなり引っかかる。
そこでその理由を父に聞くと、なんとクラウスは婿入り後はアデレード家の取引先に関して、父の意向を常に尊重すると言う念書を血判付きで書いたらしい。
どうやらクラウスは、徹底的に自分の父であるエルネスト伯爵に嫌がらせをする姿勢の様だ……。
何にせよ、行き遅れを懸念されていた姉妹の嫁ぎ先が無事に決まり、尚且つ領内自慢の絹糸を守ってくれる優秀な入り婿まで得た父は、最近かなりご機嫌だ。
そんな父を喜ばせる事に貢献したシャーロットは、今現在エルネスト家の温室で、婚約者となったクラウスと一緒にお茶をしていた。
その髪にはピンクのリボンにペリドットがあしらわれた髪飾りが挿されている。
その為、今日のシャーロットのドレスは、淡いピンク色だ。
「ほらぁ。やっぱりその色、凄く良く似合うじゃないかー」
「絶対、子供っぽく見えていると思うのだけれど!」
「だからそれが可愛いのだろう?」
「クラウス様、以前から思っていたのですが、もしかして幼女趣味では?」
「うわぁー。シャーロット嬢は婚約者に対して、本当に失礼だねー」
姉達の方は、社交界でも羨まれる程の麗人カップルとして、すっかり有名になってしまったが、シャーロット達の関係は以前とあまり変わっていない。
クラウスは相変わらずシャーロットをからかって楽しんでいるし、シャーロットもここエルネスト家を訪れると、クリームチーズケーキを満喫している。
ただ不思議な事に訪れる度にこのクリームチーズケーキの美味しさが、上がっているのは気のせいだろうか……。
そんな事をぼんやり考えていると、クラウスが髪飾りに触れてきた。
婚約が決まってからというものクラウスは、最近やたらとシャーロットの頭を撫でてくるようになっていた。
「この髪飾り、本当に君に良く似合っているね」
「ええ。どうやら第三王子のアルフレッド殿下はご趣味がいいみたいね」
「えっ……?」
その瞬間、何故か急にクラウスが沈黙した。
「クラウス様?」
「何でそこでアルフが出てくるの?」
やや不機嫌そうな顔したクラウスが第三王子を略称で呼ぶ。
「え? だってこれ、ルリジアに行かれたアルフレッド殿下が選んでくださったんじゃ……」
その瞬間、クラウスが盛大にため息をついた。
「シャーロット嬢……どこの世界に婚約者候補の女性への贈り物を他の男に選ばせる人間がいるんだい? 確かにその髪飾りの石はアルフに買いつけを頼んだけれど、デザインの方はこの国で僕がオーダーメイドした物なんだ」
「ええっ!?」
「ちなみにセルフィーユ嬢の髪飾りは兄がオーダーメイドしたものだよ」
「そ、そうだったの? ごめんなさい……。そうとは知らず、ベッドの上に放り投げてしまっていたわ……」
「それ、どういう状況?」
クラウスに白い目を向けられ、シャーロットはケーキを口に運ぶ事で誤魔化す。
そんな婚約者の態度に再びクラウスがため息をつく。
「大体、君は初めてこの屋敷に訪れた時から、僕の事を姉上に群がる害虫扱いしていたからなぁ……」
「だ、だって! 私の周りの男性の殆どは、お姉様目当ての人ばかりで!」
「それ、本当にセルフィーユ嬢目当ての令息だったの? 僕の方には、シャーロット嬢に振られたっていう令息の情報が、かなり耳に入って来たよ?」
「振られた? 振られるも何も私、告白なんてされた事ないはず……」
「あー……。じゃあ、あれだ。必死でシャーロット嬢を口説いているのに姉上に群がる害虫と勘違いされたってやつだ。うわー。その令息達の気持ち、僕には痛い程よく分かるよ……」
「なんでクラウス様が分かるのよ!!」
「だって……。君がこの屋敷に初めて訪れるとなった時、僕は凄く会うのが楽しみで、満面の笑みで出迎えたのに君は何だか、ずっと僕の事を警戒して、なかなか懐いてくれなかったじゃないか……」
「人を動物みたいに言わないでください! そもそもクラウス様とは、このお屋敷にお邪魔するまで面識なんてなかったはずよ!?」
すると何故かクラウスが、何かを企てるような笑みを浮かべた。
その様子にシャーロットが警戒するような表情で返す。
「面識はなかったけれど……僕はずっと前から君が、どういう女の子か知っていたよ? それこそ十年前くらいから」
「またそういう事を……」
「本当だよ? じゃあ、いくつか君の過去を当ててあげようか? 君はお蚕様には触れるのに他の虫は大の苦手」
「それは前に青虫で!」
「チーズケーキに目がなくて特にクリームチーズケーキが大好き」
「それも私が訪問する前に調べた事でしょう?」
「小さい頃、姉上の真似をしてヒールの高い靴を履いてお茶会に参加し、靴擦れを起こして泣きながら馬車まで姉上に負ぶってもらった」
「なっ!!」
「十一歳くらいの頃、姉上の悪口を言って来た令嬢と口論になり、平手打ちをくらったからやり返したら、相手の令嬢を泣かせてしまった」
「ちょ、ちょっと!!」
「十三歳くらいの頃、姉上にしつこく言い寄って来た令息と口論になり、君のロマンス小説仲間の令嬢達と一緒になって取り囲んで言葉責めで吊し上げにした」
「も、もしかして……お姉様から?」
シャーロットのその問いにクラウスはニコニコしながら、無言で受け流す。
「まだ絵本も読めない頃に姉上に何度も『女神様の赤い糸』を朗読させて、必ず自分の左手の小指にその糸が結ばれていないか何度も確認していた」
「やっぱり! お姉様から聞いたのね!!」
「いいや? そもそも僕は君達がここを訪れるまで一切面識はなかったよ? それにセルフィーユ嬢はこの屋敷に滞在している時は、殆ど兄と過ごしていたし」
「だったら一体、誰が……」
そう言いかけたシャーロットだが、その情報源にすぐに気付いた。
「もしかして……シリウス様?」
「正解。でもそれが君とはその時は、まだ知らなかったけれど」
「どういう事?」
「寝たきりだった兄の唯一の楽しみは、君の姉上との文通だったんだ。そして僕は兄が追いやられた叔母の家に遊びに行く度にその文通相手の面白い妹の話を聞かされていた」
「まさか……それって……」
「そう、君の事だね。でもその時は面白い子だなとしか思っていなかったんだ。でもいつの間にか、兄から聞かされるその子の話を毎回聞くのが、楽しみになっていて……。そうしたらその子が僕の婚約者候補になっているじゃないか。兄の文通相手にも興味はあったけれど、その前に僕は君に会える事を凄く楽しみにしていたんだよ」
そう言って最近見る機会が増えた優しい笑みをクラウスが向けてきた。
「そうしたら、表情がクルクル変わる小さくて妖精みたいな可愛い令嬢が来たからさ。ついつい構いたくなって!」
「それ、絶対褒めていませんよね!?」
その時の事を思い出したクラウスが、楽しそうに笑い出す。
しかし、しばらくすると先程の優しい笑みを浮かべ直した。
「シャーロット嬢。もう赤い糸は見えなくなってしまったまま?」
そう聞かれてシャーロットは、自身の左手の小指に目を向ける。
シャーロットの小指に巻き付いていた赤い糸は、切断後に再びクラウスの小指と繋がった翌日、キレイさっぱり見えなくなってしまったのだ。
「ええ。もしかして外れてしまったのかしら……」
「外れる事は絶対にないと思うよ? だって君が一度切ってしまったのに僕と再会した途端、すぐにまた繋がったのだから」
「でも……」
「そもそもシャーロット嬢は、何故あの赤い糸が姿を現したと思う?」
「そんなの分からないわ。だって気が付いたら見えていたし」
「それならあの赤い糸はどういう人間達を結び付けていたのかな?」
「それは……」
流石にもうこの年では『女神様の赤い糸』というのは恥ずかしい……。
そんなシャーロットの様子に苦笑しながら、更にクラウスが言葉を続ける。
「じゃあ今現在、僕が君に。君が僕に好意を抱いてしまったのは、あの赤い糸の影響だったって思っている?」
そう言われた瞬間、シャーロットの顔が真っ赤になる。
「わ、私、クラウス様に好意を抱いているなんて一言も!!」
「あんなに大泣きするぐらいの覚悟で糸を断ち切ってくれたのに?」
「そ、それは……」
「あれは姉上の為に切ったんじゃないよね? 赤い糸の所為で僕が自分の気持ちに反して、君に好意を抱いてしまっていると思ってしまったから……。だから君は、あの糸を断ち切ってくれたんだよね?」
図星を突かれてしまったシャーロットは、押し黙る。
確かにあの時、姉の為と言うよりも赤い糸に翻弄されているようなクラウスの為にシャーロットは、糸を断ち切った。
あの時のシャーロットには、あの赤い糸が自分の欲を満たすだけの存在にしか感じられなかったのだ……。
姉の恋を踏みにじり、惹かれ合う男女を無理矢理引き裂く。
そしてシャーロットの想いを成就させる事にしか特化していない……そんな呪いの糸にしか見えなかった。
「でもその考えは絶対に間違っている。だって僕は、君が赤い糸を見えるようになる前から、君に惹かれていたのだから。その証拠に僕は、会った事もない兄の話の中でしか知らない君に会ってみたくて仕方なかった。だからその急に見え出した赤い糸より、僕が君に惹かれた想いの方が絶対に先だよ?」
そう言ってクラウスがテーブルの上のシャーロットの左手を手に取る。
「だからもし、また赤い糸が見えるような事があったら……」
そこで一度言葉を切ったクラウスが、シャーロットの左手を両手で包み込み、その細く折れそうな小指の形を親指で確認するように優しく撫でる。
そのクラウスの行動にシャーロットが、一瞬だけ全身を強張らせた。
そんなシャーロットにクラウスが苦笑しながら、ゆっくりと口を開く。
「もう二度と切ったりしないで」
今にも泣き出しそうな笑みを向けられてしまったシャーロットは、クラウスを少しでも安心させられるように深く、ゆっくりと頷いた。
以上で『女神様の赤い糸』の本編を終了させて頂きます。
一応この後、番外編で以下の三話追記したので、ご興味あればどうぞ。
・姉メインの幼少期の出会いから再会までのお話。
・寄宿学校時代のクラウスの話。
・赤い糸のその後
この作品をお手に取って下さり、本当にありがとうございました!
よろしければ引き続き、番外編三話もお楽しみください。