13.姉の秘密
クラウスに手を引かれながら連れて行かれた場所は、以前贈られた髪飾りを身に付けた姉が出てきた部屋だった。
「こ、ここ……クラウス様のお部屋……」
「いいや。僕の部屋はこの隣だよ」
そう言ってクラウスは目の前の扉をノックした。
すると、姉の美しい声で返答が返ってくる。
それと同時にクラウスが、未だにスンスン言っているシャーロットの手を引きながら、その部屋に入室した。
「シャ、シャル!? ど、どうしたの!?」
部屋に入って来たシャーロットの姿を確認した姉が、驚きのあまり座っていたソファーから勢いよく立ち上がり、泣きはらした目をした妹に駆け寄った。
そして部屋にはもう一人、クラウスに少し似た中性的で繊細そうな美しい色白の男性が、驚くように目を見開いてシャーロットに視線を向けている。
「申し訳ございません。泣き落としをされてしまい、こちらの心がボッキリ折れかけたので、こちらに連れて来てしまいました……」
そう言ってクラウスが苦笑する。
だが、まだ状況が飲み込めないシャーロットは、茫然としながら自分を慰めるように頭を撫でてくる姉と、謎の男性を見比べた。
するとその謎の男性が、シャーロットに声を掛けてくる。
「初めまして、シャーロット嬢。ご挨拶が遅れてしまいましたが、クラウスの兄シリウス・エルネストと申します」
シリウスと名乗ったクラウスの兄は、男性とは思えない程の美しく穏やかな笑みをシャーロットに向ける。その瞬間、まるで周りの空気が一瞬で澄み切ってしまうような錯覚を起こしてしまう程、その男性は綺麗な顔立ちをしていた。
「は、初めまして! シャーロット・アデレードと申します」
「お会いするのは初めてだけれど、君の事はよく知っているよ? なんせ姉君のセルフィーユ嬢から、十年越しで君の話を聞いているから……」
シリウスの言葉にシャーロットが大きく目を見開き、姉を見る。
すると何故か姉が恥ずかしそうに俯いてしまった。
「あ、あの……十年越しって……」
「兄とセルフィーユ嬢は、ずっと文通をしていた間柄なんだよ」
「お、お姉様が殿方と文通っ!?」
あまりにも衝撃的な事実にシャーロットが、部屋中に響き渡る程の素っ頓狂な声を上げる。すると姉セルフィーユは更に顔を赤くして俯いてしまい、エルネスト兄弟の方は二人同時に苦笑した。
「で、でも! お姉様が文通されていたのは、ポレモニウム伯爵夫人じゃ……」
「そのポレモニウム伯爵夫人が、僕らの母の妹……つまり病弱だった幼少期の兄が追いやられた先の叔母なんだよ」
「ええっ!?」
「ごめんね……シャル。ずっと騙すような事をしていて……」
そう言って、姉がすまなそうに謝罪して来た。
そんな姉の健気な嘘をシャーロットには一切咎める事は出来ない。
それだけ姉が孤立しやすい事で苦しんでいた事をシャーロットは知っている。
するとクラウスがシャーロットを姉の隣に座るように促して来た。
そのまま兄弟と姉妹がそれぞれ向かい合うようにソファーに腰を下ろす。
すると姉が、シリウスとの文通に至った経緯を語り始めた。
まず姉が人生で初めて参加したお茶会で、ポレモニウム伯爵夫人と知り合ったのは本当の事だそうだ。
ただその前に中庭でポツンとしていた姉に声を掛けたのは、ポレモニウム伯爵夫人ではなく、クラウスの兄シリウスだった。
シリウスの方も人生で最初で最後になるかもしれないお茶会に父親によって参加させられ、誰も知り合いのいない状況で放置されていたらしい。
そんな時、同じような姉を見つけて声を掛けて来てくれたそうだ。
そんな二人は会話する中で本好きという共通の趣味がある事を知り、盛り上がる。
しかしお茶会の終りが近づいてしまい、当時六歳だったセルフィーユは、またどこかで会えるかと、シリウスに尋ねたそうだ。
だが当時、病弱で先が長くないと思っていたシリウスは、返答が出来ず、夜会などの今後の参加は自分には無いと九歳ながら、悟っていたらしい。
そこでお互い素性を隠すという約束で、シリウスが文通を提案した。
そうすれば、万が一シリウスが病死するような事があってもセルフィーユが悲しむ事はないと考えたらしい。
しかし二人がその文通を始めるには、やや厳しい状況だった。
シリウスの方では父親による交流関係の監視が厳しく、セルフィーユの方ではいくら子供とは言え、どこぞの令息との文通など親に反対される可能性が高い。
そこで甥であるシリウスを不憫に思っていた叔母のポレモニウム伯爵夫人が間に入り、二人の文通を実現させたのだ。
夫人が間に入る事によって、アデレード家の方でもエルネスト家の方でも二人の文通相手は、夫人という事になる。
そうして家族の目を誤魔化しながら、二人は秘密の文通を十年間も続けた。
その間シャーロットには、姉はポレモニウム伯爵夫人と文通しているように見えていたのだ。ただここで、シャーロットの中で疑問が生じる。
「でも……シリウス様はご成長の過程で病弱な体質を克服されたのでしょ? それならばシリウス様の方から正式に姉に婚約の申入れをして頂ければ、良かったのではないの?」
「それが……うちの父はかなり野心家でね。兄程の容姿ならば侯爵クラスや王族の女性も引っかけられるから、そっちを考えていたらしく、子爵令嬢のセルフィーユ嬢との婚約に承諾してくれるには、難しい状況だったんだ……」
「そんな……」
「そんな時、セルフィーユ嬢の妹である君と僕の縁談の話を父が言い出した。しかし先方のアデレード子爵は、次女ではなく長女への婿として僕を望んでいるという話も聞かされた。だからそれを好機と捉え、僕と兄はある計画を立てたんだ」
「ある計画?」
それが今回エルネスト家を訪れたシャーロット達が、それぞれ別々の場所で、もてなされるという内容だ。
まずクラウスが、父であるエルネスト伯爵に次女を落すのに長女が邪魔なので、兄シリウスの協力を要請し、そのシリウスが長女セルフィーユを足止めしている間、クラウスが次女シャーロットを落すという名目で、週末だけ兄シリウスを屋敷の方へと戻させるように仕向けた。
だが二人の本来の目的は、兄シリウスが姉との関係醸成を行った上で、姉に婚約の申し込みをするという流れだった。
そうして父親であるエルネスト伯爵を出し抜き、兄シリウスの恋を成就させるというのが、二人が考えた計画だったのだが……。
しかし、ここで良い意味での誤算が生じる。
それは訪問初日で、セルフィーユがシリウスの婚約をあっさり受けたいと返答してきた事だ。
「そ、それじゃあ! 初めてこちらに伺った時、急にお姉様が浮かれだしたり、お洒落に興味を持ちだしたり、ロマンス小説ばかり読みふけったり、どう見ても恋する乙女にしか見えない状態になっていたのは……」
「確実にうちの兄の所為だね……」
その二人のやり取りに姉セルフィーユが、真っ赤になる。
「シャル! そんな恥ずかしい事、この場で言わないで!!」
「だ、だって! 私その時、お姉様はクラウス様に恋に落ちたのかと……」
「セルフィーユ嬢が恋に落ちたのは、僕じゃなくて兄にだね。しかも十年越しで」
「ク、クラウス様!!」
ついに姉は、恥ずかしさのあまり両手で顔を覆ってしまった。
そんな姉の様子を見た向かいに座る美し過ぎる顔立ちのシリウスが、嬉しそうな微笑みを浮かべている。
確かにそれならば、エルネスト家へ初訪問した際、行きは暗い表情を浮かべていた姉が、帰りは浮かれた状態になっていた事に説明が付く……。
しかしシャーロットは、今目の前で分かりやすい程、感情を露わにしている姉が珍し過ぎて、先程からその事で驚いている。
しかしそれならば何故シリウスは、早々に父に姉への婚約を申し入れをしなかったのだろうか……。二人の父であるエルネスト伯爵には、クラウスがシャーロットを落す事を条件として、二人の婚約を認める姿勢だったはず。
何よりも今回シャーロットが一番引っ掛かっている部分がある。
「で、でも! それならば何故シリウス様は、うちのお父様にお姉様との婚約を望んでいるお話をすぐにされなかったの? 私とクラウス様の事でエルネスト伯爵はお二人の婚約には承諾してくれたのでしょ? そもそも……何故私だけ、この事をひた隠しにされていたの……?」
最後の方は悲しくなってしまい、シャーロットの声が小さくなってしまう。
自分だけその事をひた隠しにされていたので、除け者にされた気分なのだ。
その妹の様子に姉が、すまなそうな表情でシャーロットを抱きしめる。
「ごめんね……シャル。でも意地悪であなたに内緒にしていた訳ではないの」
「だったら、どうして……」
再び瞳に涙を溜め出してしまったシャーロットに向かい側に座っているクラウスが、気まずそうにゆっくりと片手を上げる。
「ええと……。実は今回の計画を君には内密で進めようと提案したのは、僕なんだよね……」
「ク、クラウス様がっ!?」
そう叫んだシャーロットの瞳は、今にも泣き出しそうな程、涙を溜め出した。
その様子にクラウスが慌てだす。
「違うよ!? 除け者にしようとした訳ではなくて……いや、結果的にはそうなってしまったのだけれど……。その、シャーロット嬢の性格を考慮して、仕方なく内密に事を勧めた方がいいと判断しただけなんだ!」
「それを除け者にしたと言うのでは……?」
姉に甘えるように寄り添っているシャーロットが、恨みがましそうにクラウスにジッと視線を向ける。
そんな静かで根深いシャーロットの抗議にクラウスが困り、左手で頭を掻く。
「それには色々と事情があって……。まず兄がすぐに婚約を申し入れしなかったのは、君らのお父上であるアデレード子爵が、僕が次女である君に婿入りしてしまう事を懸念していたからだ。この状態で、もし兄が長女のセルフィーユ嬢に婚約を申し込んでしまうと、必然的にアデレード家は次女の君の夫となる男性が継ぐ事になる。ようするに、ますます僕が君に婿入りする可能性が上がるから、エルネスト家に家業を乗っ取られる事を懸念されて、兄の婚約の申入れを断られる可能性があったんだ……」
「で、でも……お父様ならお姉様の気持ちを汲んでくださると……」
シャーロットのその意見にクラウスが盛大にため息をつく。
「君のお父上はそうかもしれないけれど、僕らの父は違う。そもそも父が子爵令嬢であるセルフィーユ嬢を兄の婚約者候補として承諾したのは、僕が君への婿入りを実現させるという条件が前提だ。でももし先に兄上達の婚約が決まると、アデレード子爵は家業を乗っ取る可能性がある僕ではなく、別の男性と君を婚約させるはずだ。そうなれば僕は父が出した条件を満たせず、結局は兄たちの婚約もダメになってしまう……」
「そ、そんな……」
だがそれならば、シャーロットとクラウスの婚約が実現しなければ、姉達はいつまで経っても結ばれないという事になる……。
その辺りはどうするつもりだったのだろうか……。
「だから僕らは、今回の計画を持久戦に持ち込む事にした。とりあえず、まずは僕という人間を君とお父上であるアデレード子爵に信用してもらわなければならない。アデレード子爵に関しては、ある程度君との関係醸成が出来てから、定期的に手紙をやり取りする事で信用して貰ったんだ。だけど……君はなかなか手強くてね……。お姉様至上主義過ぎて、初日から僕の事を害虫扱いしてくるから、本当困ったよ……」
「だ、だって! もし変な人だったらお姉様が困るでしょ!?」
「ほらぁ……。自分も縁談対象だって事、ちっとも分かってないじゃないか」
「私の事はどうでもいいの! 大事なのはお姉様なんだから! だから尚更、私にだけ内緒にして除け者にするなんて、凄く酷いと思うわ!」
「そういう性格だから、内緒にせざるを得なかったんだよ……。君はあまりにも正直で真っ直ぐ過ぎる。だから人を騙す事に向いていない。自分にとって大切な人の前だと特にだ。もし初日でこの計画を君に話してしまえば、確実に君はお父上の前で不自然な行動をとる! そうなれば僕は、次女をタラシ込んで思い通りにしようとしている男として、ますますアデレード子爵から信用を得る事が難しくなる。それを初日で僕が見極めて、君にはこの計画を内密にして事を進めようって提案したんだ」
「だ、だからって!」
「ちなみにこの件は、姉であるセルフィーユ嬢も納得してくれたよ?」
そのクラウスの言い分にシャーロットが、抱き付いていた姉を見やる。
「ごめんね、シャル……。でもあなたが、嘘が苦手なのは姉の私が一番よく知っているから……」
「お、お姉様ぁ……」
シャーロットが訴えるように抗議すると、姉が美しい顔に困ったような笑みを浮かべて謝罪して来た。
正直、そうやって謝られてしまうとシャーロットは弱い……。
「だたその辺は、もう心配しなくても良くなったんだけどね。この間、歌劇場で父にセルフィーユ嬢を面会させた時、まんまと気に入ってくれたようで、僕とシャーロット嬢の縁談の件を抜きにしても、エルネスト家に迎え入れたいと言っていたから。その辺は流石、君が崇拝するだけはある優秀な姉上だね!」
「ちょっと待って? 歌劇場で……面会させた?」
「うん。あれはアデレード子爵に手紙でお願いして、偶然を装って歌劇場に君らを連れて来て欲しいと頼んだんだ」
「う、嘘でしょう!? わ、私、行かなくて本当に良かったわ……」
「来てくれても良かったのに。そもそも君はいつも通りにして貰えば良かったから。頑張らなくてはならなかったのは、セルフィーユ嬢だからね」
そう言ってクラウスが姉に目を向けると、姉は困った様な笑みを浮かべる。
「まぁ、兄と同じタイプのセルフィーユ嬢をうちの父が、気に入らない訳はないんだけれどね……」
クラウスのその言葉で、シャーロットが改めて姉とシリウスに目を向ける。
確かにこの美し過ぎる容姿の二人が商談の席にいたら、すぐに決まりそうだ。
そして王都でエルネスト伯爵の補佐をさせられている兄シリウスは、弟のクラウス以上に頭が切れるのだと思うが……その繊細で穏やかそうな雰囲気からは、その事は想像がつかない。何よりも弟と違い、策士的な雰囲気を一切感じないのだ。
「シャーロット嬢……。陰で『傾国の貴公子』とか言われている兄に見とれる気持ちは分かるけれど、兄は僕以上に策士だからね?」
「まさか……」
「本当だよ? でなければ君の自慢である姉上が引っ掛かる訳ないだろう?」
「ひ、引っ掛かる!?」
「人聞きが悪い言い方をしないでくれ。むしろ私の方が先にセフィに引っ掛かったんだ」
急に会話に入って来たシリウスの言葉にシャーロットが、一瞬ドキリとする。
姉が家族以外の男性から愛称で呼ばれている状況が、初めてだったからだ。
だが十年間も文通をしていたのだから、この二人の中では愛称で呼び合うのは、当たり前の事なのだろう。
「それにしてもさっきは本当に参ったよ……。やっと兄達の婚約が確定して、今日は君に事の真相を打ち明けられると思って嬉々として客間に入ったら、まだ何にもしていないのに急に大泣きだもんなぁー。正直、寿命が五年くらい縮んだよ……」
「だ、だって! 私にとっては一大事な事が起こっていたのですもの! 大体、あれぐらいで寿命が縮む訳ないでしょう!?」
「縮むよ? 君に泣かれると、今まで僕が積み重ねた数少ない善行が、一気に消滅するくらい罪悪感に駆られる」
「そんな大袈裟な……」
「大袈裟じゃないよ? 可愛すぎて大切にしたくて堪らない女性にあれだけ泣かれたら、流石に鋼の精神である僕でも心がボッキリ折れる」
「え……?」
シャーロットの反応にクラウスが、ニッコリと笑みを浮かべる。
「シャーロット嬢。僕はこの縁談話を君と進めたいと思っているから、近々お父上に婚約の申し入れの話を切り出されたら、前向きに検討してね?」
「ポレモニウム伯爵夫人って誰やねん!」と思われた方は、本編2話の『小指に巻き付く赤い糸』をご参照ください。(^^;)