表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

アニメキャラが結ぶ“絆”

 2019年3月のはじめ、アタシは結婚した“パートナー”と一緒に、家の掃除をしていた。近々出来上がる家に引っ越すために、今から片付けておかないと間に合わないと思ったからだ。

 「……これから新しい生活が始まるのね。あの時の“独りぼっち”の状態には、全く想像できなかったわね。絶望しかなかったから」

 そんなことを言いながら押し入れを片付けていると、

 「どうしたんだ、ゆっこ先生・・。押し入れを入念に探して」

 パートナーとなったユズヒコが部屋に入ってきた。

 「もう、先生じゃないわよ、ユズヒコ。アタシたち結婚したんだから」

 アタシは、ユズヒコの背中を軽く押しながらこう言ったが、彼は、

 「先生だよ、オレにとってはね。あの時家庭教師として最後まで教えてくれたの、先生だけだったし」

 そう言うと、アタシを後ろから抱きしめた。アタシの胸をさすりながら……

 「ちょっとユズヒコ……、今は離れて。片付けできないでしょう……」

 アタシは彼に離れるように言ったが、

 「先生、顔が赤くなってるよ。お姫様みたいに・・・・・・・。まあ、実際にオレのお姫様だけど。年上の・・・ね」

 アタシをからかうように、耳元でつぶやいた。


 ――“お姫様”……。あの時もそう言ってたわね、ユズヒコは。アタシを“解放”してくれたきっかけになった――


 アタシはそう思いながら、思わず、

 「ユズヒコ、アタシとの性交は、ここを片付けてからにして。お姫様の子供が欲しいんでしょう?」

 こんなことを口にしてしまった。アタシの言葉に彼も、

 「……ゆっこ先生、今日やけに積極的だね……。オレも先生とそんな時間を過ごすのは楽しいし、先生との子供も欲しいけど、ちょっとやる時間早いよ……」

 戸惑い気味にアタシから手を離した。その時、

 「……ちょっと、アタシったら、何言ってんの……!? アンタと再び付き合いはじめてから、しきりにこんなこと言うようになったのよね……」

 アタシは、恥ずかしそうにこうつぶやいた。ところが、また彼がアタシの胸を何度もさすったことに気づき、

 「……って、さっきもそうだけど、アンタが変なところさわるから、思わずあんなこと言ってしまったでしょう!?」

 彼に大声で叫んだ。ユズヒコは、

 「……ごめん、お姫様、じゃなかった、“グロガン先生”」

 アタシに謝ると、

 「オレも先生に会えてよかったよ」

 アタシの顔をつつきながら、こう言った。

 「……お互い様ね、それは」

 アタシは笑みを浮かべながら言ったあと、

 「ところでユズヒコ、さっきアンタ“グロガン先生”って言わなかった?」

 と問いかけた。すると彼は、

 「そうだよ」

 そっけない感じで答えたあと、

 「だってその格好、先生の服装もはいてるブラウンのパンストも、アニメの『グロガン姫』の主人公にそっくりだよ」

 こんなことを話した。

 「『グロガン姫』……!? そんなアニメあったかしら……」

 アタシは考え込んだが、なぜかどんなアニメだったか思い出せなかった。

 「え-!? あの時先生、結構気に入ってたよね、ヒロインのお姫様のこと。それに『アタシと重なるわ』と言ってたり」

 ユズヒコがこうたずねると、アタシは、

 「……そう、思い出したわ。アタシを変えてくれたキャラ、カロリーナのことね」

 手をポンと叩きながら答えた。それから、

 「あのお姫様も、アンタみたいに真っ直ぐな人に出会ってから、少しずつ変わっていったのよね。アンタみたいな人に『これからずっとガングロにしてみれば?』って言われて、顔を濃くしてから、徐々に絶望から解き放たれて……」

 こう話した。

 「あの時は、正直オレも何になりたいかわからなかったんだ。だけど、ゆっこ先生に初めて会った時、どういうわけか、特別な感情が芽生えたみたいなんだ。実はオレ、あまり勉強してなかったけど、ゆっこ先生が来た時は別だったよ。他の家庭教師はオレを問題児扱いしたけど、先生は『グロガン姫』のことで話が合ったり、勉強がはかどったり本当によかったよ。その時からいいカテキョ-になるって思ったんだ。子供心に」

 ユズヒコはこんな話をしたあと、

 「先生、早く片付けてしまおう。早く先生とセックスしたいし」

 と言いながら、押し入れの中に入った。

 「……アンタって、本当にストレートすぎるわね」

 アタシは、さっきの彼の言葉にため息をつきつつ、彼と一緒に押し入れを片付けた。しばらくたって、

 「これで中は空になったわね」

 アタシはそう言うと、中に入っていた物を、必要なものかどうかで分けることにした。

 「オレも協力すっか」

 ユズヒコも一緒に、分別作業に取りかかってくれた。それから時間がたって、

 「結構入ってたんだね。分けるのに時間がかかったよ」

 ユズヒコがこう言うと、アタシも、

 「本当ね。もう11時を回ってるわ」

 そう言いながら、入っていた物を見渡していた。その時ユズヒコが、

 「なんだこれは?」

 収納ボックスの中から何かを取り出して、

 「ええと……、なになに、『グロガン先生のカテキョ-日誌』……??」

 こんなことを言いながら、ノートを見つめていた。

 「そ、それ読まないで……。アタシの恥ずかしいところが……」

 アタシは慌ててノートを取り上げようとしたが、彼は、

 「いいよね、ゆっこ先生? 日誌を見ても。先生があの時どんなことを考えてたのか、オレも知りたいんだ。だから見せてほしい。それにオレは先生、お姫様を守りたい。これは“あの時”から変わらないよ」

 アタシに頼み込むようにこう言った。その気持ちに押されたアタシは、

 「……わかったわ。それほどまでに、アンタがアタシのことを思ってるのは十分に伝わってるし、いつかは見せなければいけないとは、心の中で感じてたから。だから、一緒に読みましょう。読んだあとはアンタの望み通り、セックスしてあげるわ」

 結局ユズヒコと一緒に日誌を読むことにした。

 「ありがとう、先生」

 ユズヒコは喜びながらこう言った。そんな彼にアタシは、

 「ねえユズヒコ、読む前にひとつ確かめたいことがあるわ」

 真顔になって言いながら、彼を抱きしめた。それから、

 「ユズヒコ、アタシに抱きしめられた感想をのべて」

 今度はセクシーボイス風の口調で、こんな質問をぶつけてみた。彼はアタシの突然の行動に戸惑いを見せたが、すぐに、

 「……これ、ゆっこ先生が初めて家庭教師で家に来た時、意を決して・・・・・オレを抱きしめた時と同じ感じだ。あの時の先生、なぜか必死の形相でオレを抱いたの、ずっと忘れられなかったよ。それにデカイ胸がもろにオレの顔に入ってて、オレも顔が赤くなってたよ」

 こう答えた。その答えにアタシは、

 「……ありがとう、ユズヒコ。それでいいのよ。アンタならそう答えると思ったわ。だから、アンタもアタシを抱いて」

 彼を抱きしめたまま、こう伝えた。彼は言われた通りアタシを抱いて、

 「これでいいのか?」

 と問いかけた。アタシは、

 「それでいいわ。これはアタシなりの覚悟よ。こうしないと、途中で日誌が読めなくなるかもしれないから」

 と答えたあと、

 「しばらくそのままにして、ユズヒコ。アタシが『日誌を読むよ』と言うまで」

 彼にこう伝えた。それからしばらくたって、アタシは意を決して、

 「そろそろ読むわ、日誌を」

 と言いながら、ユズヒコから手を離し、日誌を手に取った。それから、『グロガン先生のカテキョ-日誌1』を開いた。




 ゆっここと悠子が、ユズヒコと一緒に日誌を読み始めた時から10年ぐらい前の春、彼女は逃げるように家を出ていった。

 「……もう家には戻りたくない……。このまま家にいたら殺されるわ……。だけど、どうすればいいのかわからないわ……。何も持ってないし……」

 彼女は着の身着のまま出ていったため、所持品を持っていなかった。乱れた制服姿で所々破れている黒のストッキングが、彼女の痛々しい状況を物語っていた。さらに、そんな少女を待ち受けていたのは、もっと過酷なものであったが、この時の悠子には、そんなことを感じる想像力や余裕さえもなかった。


 3日後、そんな疲れきった彼女に、一人の男が助け船を出した。男は悠子に、アイドルへのスカウト話を持ち掛け、しばらくの間、彼女を世話をすることも申し出た。彼女は、

 「こんなアタシをアイドルにしてくれるの!?」

 その話を信じて、男の申し出に応じた。この時の彼女にとっては、仮に男の話がワナだとわかっていても、生きるためにはこうするしかなかった。男は言葉通り、しばらくは悠子をアイドルにするために活動していたが、ある日彼は悠子を、アイドル活動の一環と称して、歓楽街にある店に連れていった。それから悠子は、幾人との男性と性交を結ばされることになり、その上彼女にはほとんどお金が支払われなかった。男に裏切られたことがわかった彼女は、深い絶望感におそわれた。

 

 ――……アタシ、もう死んでしまいたい……――


 そんなことを思い続けて数ヵ月後の夏の早朝、悠子は歓楽街の外れにある公園で倒れた。乱れた服装と破れたストッキングが彼女の運命を暗示するかのように、彼女が倒れてからしばらく、誰からの目にも止まらなかった。

 「……アタシ、このまま死んでしまうのね……。誰からも、愛してもらえず……」

 薄れゆく記憶の中、彼女は弱々しい声で、こんな言葉をもらした。もう少したてば意識が無くなる、というところで、

 「大丈夫!? あなた」

 一人の女性が、悠子のほおをさすりながらこう言った。

 「……助けて……」

 悠子は、力を振り絞って女性に助けを求めた。

 「わかったわ。私の家に連れていってあげる」

 女性はそう言ったあと、悠子を抱えて車に乗せた。そして、近くにある自分の家に戻って、悠子をリビングにあるソファ-に寝かせた。ちなみに、女性が悠子を連れていって数分後に、10人近くの男たちが公園を捜していた。この女性が悠子にとって、“命の恩人”となることに彼女自身が気づくのは、もう少し先の話であった。



 少したって女性は、

 「あなたが生きててよかったわ。あんな姿を目にして、見捨てるわけにはいかないでしょう?」

 悠子にこう呼び掛けながら、彼女の頭にぬれたタオルを置いた。ところが彼女は、

 「やめて……」

 と言いながら、体をそむけた。

 「どうしたの、いきなり……」

 女性が首をかしげながら問いかけたところ、悠子は、

 「……アタシ、死んでしまいたいの……」

 こんなことを口にした。女性は、悠子の思わぬ言葉に戸惑いながらも、改めて彼女の姿を目にして、

 「……あなた、ひょっとして、男に“犯された”の!?」

 こう問いかけた。すると悠子は、突然身を震わせながら、何も口にしなくなった。そんな彼女の様子を目の当たりにした女性は、

 「……なるほどね。あなたの様子、私にも心当たりがあるわ。恐らく、風俗関係の店に連れていかれて、性行為を強要させられたとか……」

 と言った。そんな女性に悠子は、

 「……ねえ、アンタアタシの何を知ってるの!? アンタもアイドルスカウトに来た男と一緒でしょう!」

 激しい口調で女性に反発した。悠子の怒りに対し、女性は、

 「ところで、あなたの名前はなんて言うのかしら? 私はセレナよ」

 悠子に名前を聞いてきた。すると彼女は、

 「……アンタ何考えてるの!? こんな時に名前を聞いてくるって……」

 怒りに任せて、セレナと名乗った女性につかみかかった。そんな悠子にセレナは、

 「あなた、高校生よね?」

 落ち着いた口調で、こんなことをたずねた。悠子は、

 「そうだったわ・・・・・・。だけどそれがいったい何の関係があるのよ!?」

 なおも怒りが収まらないといった感じで答えた時、

 「母さん、どうしたの!?」

 恐らくはセレナの娘であろう、一人の女性がリビングに入ってきた。セレナは娘に対し、

 「カナメ、心配しなくていいわ。今から彼女と大事なお話があるから」

 こう伝えたが、悠子の様子を目の当たりにした、娘のカナメは、

 「ちょっと、母さんにつかみかからないで。それにどうしたの!? そんなボロボロの姿で」

 心配そうに悠子のもとに駆け寄った。しかし、

 「……近寄らないで……」

 悠子はそう言いながら、カナメを拒んだ。その時セレナはいきなり、

 「……実はね、私もあなたと同じように高校時代、だまされて何人もの男から性交を結ばされ、犯されたの。そしてあなたと同じように、死にたいと思ったわ」

 こんなことを言いながら、悠子をそっと抱きしめた。彼女は、

 「……やめて……、アタシを、抱きしめるの……」

 セレナから離れようともがいたが、そんな悠子にセレナは、

 「大丈夫よ。もうあんなところに連れていかれることはないわ。それに、早くあなたのことに気づけて本当によかったわ。あなたのこと、男たちが捜していたのわかったから。それにあなたは決して悪くないわ。だから、死にたいなんて思わないで」

 悠子をなだめるように、こんな話をした。

 「……どうして、そこまでアタシを、助けるのよ……」

 悠子がこんなことを口にすると、セレナは悠子に、

 「あなたのことを放っておけないからよ。あんな状況で『助けて』と言われて、放っておくなんて出来るかしら? それにあなたが、かつての私と同じような苦しみを味わってるのが見てとれたの」

 こう伝えた。それから悠子に、

 「あなたの名前を教えて。私があなたの味方になるから」

 改めて名前をたずねた。悠子が、

 「……悠子よ……。3月まで高校生だったの……」

 と答えると、カナメが、

 「私はカナメよ。よろしくね」

 と言いながら握手を求めた。だが悠子は、これを拒んだ。

 「どうしてなの!? 悠子。私はあなたと友達になりたいのに。あなたが高校辞めたのなんて関係なく」

 カナメが少し厳しめの口調で問いかけると、セレナは、

 「カナメ、ここは私が話をつけるわ。まだ彼女は人を怖がっているみたいだから」

 そう言いながら、カナメを制止して、再び悠子のもとに向かった。

 「母さん、もしかして“あのこと”を悠子に言うの!?」

 カナメが心配そうにセレナに問いかけると、彼女は、

 「必要なら彼女に伝える・・・・・・・・・・わ。彼女は私と同じ苦しみを味わっているから。だから、私が来るまで別の部屋に行ってて」

 カナメにこう伝えた。

 「……母さん、本当に大丈夫なの!?」

 カナメは改めて母親を心配していたが、

 「……私の心配より、悠子の心配をしてあげて、カナメ。彼女には、同世代の友達が必要だから。それと悠子のために、着替えを用意して」

 セレナはこう伝えたあと、悠子を見つめた。カナメが「わかったわ」と言いながらリビングを後にしたのを見計らって、

 「悠子ちゃん、私に何か言いたいことがあれば言って。あなたの力になるわ。それは約束よ」

 悠子にこう話した。すると彼女は、ひたすら声をあげて泣いた。しばらく泣いたあと、

 「……アタシ、誰からも、誰からも愛されなかったの……。そればかりか、親からも、学校の同級生からも……」

 こう話したが、話の途中でまたもや泣きつづけてしまった。そんな彼女にセレナは笑顔で、

 「……本当に辛かったのね。でもね、あなた生きてて本当によかったわ。それは私が保証するわ」

 と言いながら、スーツからハンカチを取り出して、悠子に手渡した。彼女はそれを手に取り、涙をぬぐった。セレナは、

 「そのハンカチはあなたにあげるわ。ブランドものだけど、あなたにお似合いだから」

 と言うと、

 「悠子ちゃん、これから私が話すことを心にとどめて」

 ゆっくりと悠子に伝えた。


 「悠子ちゃん、実はね、私もあなたと同じ年齢の時に、逃げるように家出をしたの」

 セレナは天井を見つめながら、こうつぶやいた。それから、

 「それからしばらくたって、どこにも行くあてがなかった私を助けると言って、付き合った男がいたの。最初のうちは『親元よりも居心地はいい』と思ったけど、気づいたら、あなたと同じように犯されて、しかもお腹に子供を抱えていたの。もう何ヵ月もたってしまったから、中絶するわけにもいかなかったわ。さらに付き合った男はそんな私を捨てたの。ひどいでしょう?」

 こんな話を続けた。悠子は、

 「……そんな……」

 うつむきながら、こうつぶやいた。セレナはさらに、

 「その時の私は途方にくれるしかなかったわ。だけど子供は欲しかったし、このまま私が死んでしまったら、お腹の子供、今のカナメに申し訳が立たないと思ったの。だから私は、子供を産むことにしたわ。もちろん私を捨てた男、私を犯した男たちを恨んだわ。『絶対一生許せない』ってね」

 顔を曇らせつつ、お腹をさすりながら話した。

 「……どうしてアタシにそんな話をするの!? セレナさん」

 悠子がムッとした表情で問いかけると、セレナは、

 「『あなたのような苦しみを味わったのが、あなただけじゃない』、ってことを伝えたかったからよ。だからこそ、私はあなたの力になりたいの」

 悠子の頭をさすりながら、こう答えた。それから、

 「それでもあの時の私は、お金を稼ぐには夜の店で働いて、色々な男相手に体を売るしかなかったの。本当にただただ辛かったわ。それでも『生まれてくる子供のためなら、私のすべてを犠牲にしても構わない』と覚悟を決めたの。そこまでに来るのに何ヵ月もかかったわ。『死にたい』という声にも苦しみながら、本当に死んでしまおうと自殺を図ったこともあったわね」

 今度は、自分がはいている、薄紫色のストッキングをつまみながら話を進めたが、悠子は、

 「……セレナさん、どうしてそこまで出来たの!? アタシには信じられないわ」

 疑惑のまなざしでセレナを見つめた。そんな彼女にセレナは、

 「……そうね。あなたの言ってることはもっともよ。だけどしばらくして、私が働いてた風俗店で、私の状況を知った、同じ店で働くオリビアという女性が助けてくれたの。高校を卒業するまで、私やカナメの世話を行ってくれたわ。オリビアさんにも子供がいて、ある日私は、子供の勉強を教えることになったの。そこで私は、“人に勉強を教えるという才能”を見いだすことが出来たわ。彼女がいなければ、今ここで塾を開くなんて到底できなかったわね」

 笑みを浮かべながら、こんな話をした。それから、

 「だから悠子ちゃん、どんなに辛いことや苦しみにあっても、必ずあなたを助ける人は現れるわ。生きていればね」

 悠子の両手を握りながら、こう伝えた。そして、

 「その一人は私よ・・・・・・・、悠子ちゃん。恐らく、あなたは親元には戻れないでしょうから、私が世話をするわ」

 悠子を抱いて、彼女の世話をすることを伝えた。

 「……セレナさん、アタシ……、うわあああん……」

 悠子はただひたすら、大声をあげて泣きつづけた。セレナは、そんな悠子を母親のように、彼女が落ち着くまでずっとあやした。


 しばらくして、悠子が落ち着いたあと、

 「悠子ちゃん、着替えようか。その格好じゃちょっとね……。着替えはこちらが用意するわ」

 セレナは悠子を連れて、2階に向かった。それから一室に入って、

 「ここで待ってて。すぐに着替えを持ってくるから」

 悠子に待つように伝えた。彼女は、

 「……セレナさん……、ええと……」

 口ごもるように、こうつぶやいたあと、

 「……頼んでも、いいの……」

 こんなことを口にした。

 「どうしたの? 悠子ちゃん」

 セレナが首をかしげながら問いかけると、悠子は、

 「……ストッキング、お願い、出来ますか……」

 こう答えた。

 「今日は気温35度をこえるみたいだけど、暑くない? まあ、私も薄紫色のパンストはいてるから、あまり言えないけどね……」

 セレナがこう言った時、電話が鳴った。

 「ちょっと待ってて、悠子ちゃん。これから大事な話があるから、カナメに着替え持ってきてもらうわ。後はカナメに頼んでね」

 そう言いながら、セレナは部屋を出た。しばらくして、

 「悠子、着替え持ってきたわよ」

 着替えを手にしたカナメが入ってきた。それから、

 「悠子、下はミニスカートだけどいい? ストッキングもあるけど、色はどれでもいいの?」

 こう聞きながら、着替えを下に置いた。悠子は、

 「……アタシ、ブラウンがいいわ……」

 と答えると、カナメは、

 「わかったわ」

 と言ったが、改めて悠子を見た時、

 「……悠子、先に風呂に入らない? 服が汚れてるわ。風呂はすぐ沸かすから」

 と言いながら、風呂場に向かった。

 「……どうしてここの家の人たちは、ここまでアタシにここまで優しくしてくれるの!? アタシなんて、生きてても……、生きてても……」

 悠子は部屋の中でうずくまりながら、こうつぶやいた。数分後、彼女は部屋を出て階段を降りる途中、

 「悠子、どこ行くの?」

 カナメとばったりあった。

 「……やっぱり、アタシ、ここを、出て行くわ……」

 悠子はこう言いながら、階段を降りようとしたが、カナメは、

 「……どうして!? 私も母さんも、本当にあなたを助けたいのに、ここから出ていこうとするの!?」

 そう言いながら止めに入った。だが悠子は、

 「……離して、アタシなんて、もう生きることなんて……、死んでしまった方がいいの」

 振りほどこうともがいていた。そんな彼女に対してカナメは、

 「……私、あなたと友達になりたいの。私だって、母さんやあなたほどじゃないけど、苦しかったわ。母さんを助けてくれたオリビアさんがいなければ、もっと……」

 と言いながら、悠子を抱きしめた。それから、

 「だから、母さんや私が、“あなたにとってのオリビアさん”になるわ。だから悠子お願い、『死んでしまった方がいい』なんて言わないで」

 必死に説得するように、こう伝えた。カナメの思いに負けた悠子は、

 「……ごめん。アタシ、何度も何度も死にたいと思って……。アタシ、どうかしてるわよね……」

 その場にうずくまって、涙ながらにこうつぶやいた。そんな彼女に、

 「……悠子は悪くないよ。私にも、あなたが苦しんでるのが痛いほど伝わったから。あなたがそう思ってても不思議じゃないわ。あ、そうそう、私も一緒に風呂に入るけど、いい?」

 カナメがこんなことを言い出した。

 「……カナメ……、いいわ……。アンタと一緒だったら……」

 悠子は小さな声でこう答えた。するとカナメは、

 「ありがとう、悠子」

 笑顔で悠子の両手を握りながら、お礼を言った。

 「もう少ししたら沸くから、風呂場に行こう」

 カナメは着替えを持って、悠子の左手を引っ張りながら風呂場に向かった。

 「あら、どうしたの? カナメ。着替えを持って」

 二人に気づいたセレナが問いかけると、カナメは、

 「今から悠子と一緒に風呂に入るの。汚れたままじゃかわいそうだし、一緒に入ると仲良くなれると思うの」

 こんなことを話した。二人に対しセレナは、

 「そう、じゃ、二人で仲良く入って。私はこれから塾の仕事があるから、隣の教室に行くわ。おかずは作ってあるから、ご飯ついで一緒に食べてね」

 笑顔でこう言ったあと、隣にある、彼女が経営する塾の教室として使っている部屋に向かった。

 「悠子、母さんが開いてる塾、結構習う人が多いの。私も母さんから教わったけど、母さんって教え方本当にうまいの。母さんには、私から悠子に勉強を教えるように頼むわね。もちろん、お金はいらないわよ」

 カナメは、悠子に対し、『悠子に勉強を教えるように母に頼むこと』を約束した。そんな時、

 「風呂が沸いたわよ」

 カナメは音が鳴ったことを確認した上で、

 「早く行きましょう」

 そう言いながら、急いで風呂場に入った。


 「あなた本当に胸が大きいのね。どうしたらそこまで大きくなるの? 私も大きくしたいよ」

 浴槽の中でカナメが、悠子の胸を触りながら問いかけると、彼女は、

 「……『アイドルをめざすなら、胸が大きい方がいい』って言われて、スカウトした男が色々なことをやって、アタシの胸を大きくしたの……。それからは……」

 顔を赤くしながら、うつむき加減に小さな声でこう答えた。

 「……そうだったのね……。聞いちゃってごめんね、悠子」

 カナメも、少しうつむいてこう言った。そんな彼女に悠子は、

 「……でもね、アンタみたいに、性的な理由以外で胸のことを聞いてきたの、初めてよ。だから、ちょっとうれしかったわ」

 少しばかり笑みを見せながら、こう話した。それから、

 「……アタシ、ほんの少しだけど、生きる力を戻せたのかな……」

 こんなことをつぶやいた。

 「そう、よかったわ、悠子。風呂から出たら、私の部屋に行こう。昼飯を食べてから」

 カナメはこう言うと、

 「体を洗おうか、悠子」

 二人は湯船を出て、体を洗った。その時カナメは、

 「どうしたの!? 悠子、その足。すごい青じみが出来てるわよ」

 心配そうに、悠子にこう伝えた。すると彼女は、突然体を震わせた。それから、

 「……アタシ……、ひどい目に……」

 涙を流しながら、こんなことをつぶやいた。

 「……悠子、風呂から出よう。私の部屋に行こう」

 カナメがこう言って湯船を出ると、悠子もうなずいて湯船を出た。そして二人が体をふいて着替えている時、

 「悠子がこんな暑くなる時にストッキングをはく理由、わかったわ。その青じみを隠したいからでしょう?」

 カナメは悠子にこう問いかけた。その問いに彼女は何も答えず、ただうなずいたまま、服を着替えた。着替えたあとの悠子を見たカナメは、

 「ストッキング、似合うんだね、悠子。いろんな服を着こなせそうね」

 今度はこんなことを口にした。

 「……そう、……ありがとう……、カナメ」

 悠子はぎこちなさを出しながらも、カナメにお礼をした。それから二人は、セレナが用意した昼飯を一緒に食べて、片付けを終えたあと、カナメの部屋に向かった。


 「このアプリ、結構楽しいね」

 カナメが携帯電話をいじっていると、悠子は、

 「……ねえ、右手に持ってるの、何? カナメ」

 と問いかけた。

 「ええ!? ケータイ知らないの!? 悠子」

 カナメはまさか、という表情を浮かべながら、悠子に問い返した。彼女は、

 「……ううん、携帯電話は知ってるけど、アタシ、自分の携帯電話を持ったことないから……」

 顔を背けながら、こう答えた。するとカナメは、一冊のファッション誌を持ってきて、

 「悠子、これ見てみない? 90年代に流行ったファッションを取り上げてるんだけど」

 悠子にそれを渡した。彼女はそれを受け取り、1ページ1ページをじっくりと読んだ。すると、あるページのところで手を止めて、

 「……アタシ、このメイク、やってみたいわ」

 こんなことを言い出した。そのページを目にしたカナメが、

 「……これ、ガングロメイクよね。悠子、これをやりたいの?」

 こう問いかけると、悠子は、

 「……うん。これやると、アタシ、変われると思ったの……」

 何度かうなずきながら、こう答えた。

 「わかったわ、母さんに聞いてみる」

 カナメがこう話したところ、悠子は、

 「……今からじゃ、ダメ?」

 こんなことを言い出した。そんな彼女にカナメは、

 「……別に悪いわけじゃないけど、ガングロメイク用の道具が無いから。母さんだったら持ってるかも」

 こう伝えた。

 「……わかったわ、カナメ」

 悠子はそう言いながら、再びファッション誌を読みはじめた。


 しばらくして、セレナがカナメの部屋に入ってきて、

 「カナメ、今日は弁当を注文するけど、何がいい?」

 こう問いかけた。するとカナメは、

 「母さん、弁当じゃなくて、うな重を頼んであげて。オリビアさんと一緒に食べにいった、あそこの店のもの」

 セレナにこう頼んだ。彼女は、

 「……わかったわ、カナメ。お金は十分貯まってるし、悠子ちゃんにいいものを食べさせてあげて、少しでも元気をつけてもらわないとね」

 笑顔でこう答えたあと、

 「今から注文するから、来た時は取りにいってね。今日は夜まで仕事があるから。お金は棚に置いておくわね」

 そう言いながら、部屋を後にした。と思いきや、すぐに部屋に戻り、

 「カナメ、話をチラッと聞いたけど、悠子ちゃんがガングロメイクをしたいって言ってたの?」

 カナメに問いかけた。彼女は、

 「そうなの。だけど、道具が無いから、母さんだったら持ってると思って」

 こう答えたところ、セレナは、

 「わかったわ。道具なら私が持ってるから、すぐに渡すわね」

 そう言いながら部屋を出た。数分後、

 「これね。私はすぐに教室に戻るからメイクできないけど、どんどん使っていいわよ、カナメ」

 カナメにガングロメイク用の道具が入ったカバンを渡したあと、すぐに部屋を出た。

 「……それ、アタシに貸して……」

 悠子がこう言うとカナメは、

 「いいわよ、悠子。私も一緒にメイクしてあげるから。早くやろう」

 そう言いながら、悠子と一緒に鏡の前に立った。そして、

 「出すわよ、道具を」

 と言いながら、カバンから道具を取り出して、台のところに置いた。すると悠子はすぐにメイクを始めたが、動きにぎこちなさを感じたカナメは、

 「悠子、ひょっとしてあなた、メイクをやったことないの?」

 と問いかけると、悠子は、

 「……アイドル目指してた時に多少やったぐらいで……」

 言葉をにごしながら答えた。しばらくして、メイクが終わったという感じの悠子が、

 「……これで、どう……?」

 おそるおそる問いかけたところ、カナメは、

 「あはははは……、なんなの、そのメイク……」

 思わず笑いこけてしまった。いやな顔をした悠子だが、改めて鏡を目にすると、

 「……そう、よね……」

 こうつぶやいたきり、顔をうつ伏せてしまった。

 「でもね、あなたガングロ案外いけるかもしれないわね……。なんかのアニメで見たような感じの」

 カナメがフォローする感じでこう言うと、悠子は、

 「……そうなの……」

 と言いながら、カナメの方に顔を向けた。

 「どうする? 悠子。メイクの方」

 カナメがこう問いかけると、悠子は、

 「一旦落とすわ……。それと後で少し練習させて」

 と答えた。

 「わかったわ、悠子。母さんの仕事が終わったあとにしよう。私もガングロメイクは詳しくないから」

 カナメがこう言ったのを耳にした悠子は、

 「洗面台に行くわ」

 と言いながら、カナメの部屋を出た。


 洗面台に立って、改めて鏡を見つめた悠子は、

 「……なんだか、よくわかんないけど、このメイク、アタシを変えてくれる、かもしれないわね」

 こうつぶやいたあと、メイクを落とそうとした。その時、カナメが慌てた様子で洗面台に来て、

 「悠子、メイク落としがないと落とせないわよ」

 メイク落とし用のコットンを洗面台に置いた。

 「……カナメ、ありがとう……」

 悠子はそう言ったあと、メイク落としに入った。メイクを落としたところでカナメが、

 「悠子、ガングロメイクやってみてどうだった?」

 こう問いかけた。悠子は、

 「……何となくだけど、“違う感情”を感じたの。それが何かはわからないけど……」

 こう答えると、

 「……部屋に戻るわ」

 カナメにこう伝えた。それを耳にした彼女は、

 「わかったわ、悠子」

 と言いながら、悠子と一緒に自分の部屋に戻った。


 しばらくして、

 「あ、誰か来たわね」

 と言いながら、カナメが部屋を出た。そのまま玄関に向かうと、出前を持った男性が来ていた。カナメは、リビングの棚にあったお金を取りにいき、男性に渡した。それから、おつりと3人分のうな重を受け取り、テーブルに置いた。すぐに部屋に戻り、

 「悠子、今日の晩ごはんが届いたわよ。下に降りよう」

 悠子に、注文した夕飯が届いたことを告げた。

 「アタシの分も、あるの?」

 悠子がこうたずねると、

 「うん」

 カナメは笑顔で答えた。それから二人は、一緒にリビングに向かった。


 「母さん、もう終わったの?」

 二人がリビングに入ると、セレナがイスに座って待っていた。

 「ちょうど授業のコマが終わったところなの。二人が来るのを待ってたわ」

 セレナはこう言うと、

 「悠子ちゃん、一緒に食べよう。あなたのために頼んだから」

 と言いながら、うな重が入った箱を分けた。二人がイスに座ったところで、

 「それじゃ、しっかりと食べてね」

 セレナのこの言葉を合図に、

 「いただきます」

 3人はこう言って、夕飯を食べ始めた。

 「おいしいわね、ここのうな重。オリビアさんと一緒に食べた時のことを思い出すわ」

 セレナがかみしめるように食べている様子を目にした悠子は、

 「……本当に食べていいの?」

 セレナにこう問いかけた。

 「いいのよ、あなたのために頼んだのだから」

 彼女は笑顔でこう答えると、

 「悠子ちゃん、ガングロメイクしてみてどうだった?」

 悠子にガングロメイクについて問いかけた。彼女が、

 「……アタシ、なんだかわからないけど、ちょっと変われるかなって思ったわ……。ガングロメイクして」

 と答えると、セレナは、

 「……そう、それじゃ仕事が終わったら、ガングロメイクのやり方、教えてあげるわね」

 悠子にこう告げた。それから、改めて彼女の服装を見て、

 「結構似合ってるじゃない、ブラウンのパンスト。“あのお姫様”みたいに」

 こんなことを口にした。すると悠子は少し恥ずかしげに、

 「……そうなの……」

 とつぶやいた。それからうな重を食べ始めると、

 「……こんなの、これまで食べたことなかったわ……」

 涙を流しながら、こんなことを言い出した。そんな様子を目にしたセレナは、

 「あらら、あの時の私と同じね、悠子ちゃん。私もオリビアさんに店に連れられて、初めてそれを食べさせてもらった時、涙が止まらなかったわ」

 悠子にこう告げた。それから、

 「その時にオリビアさんが口にしたことが、今も忘れられないわ。『“女性に残酷な社会”なんて、この国には決して似合わないわ。アンタみたいに苦しんでる女性に会ったら、絶対に助けてやって』って」

 こんなことを話した。

 「だから、あなたが一人で生活出来るようになるまで、世話をしてあげるわね」

 セレナが、悠子の頭をさすりながらこう言うと、カナメも、

 「私はあなたと友達になるわね。色々話したいし」

 こんなことを悠子に告げた。彼女は、ただ涙を流しながらうつむくだけだった。


 夕飯を食べ終えて、しばらくたったあと、

 「ただいま」

 塾の仕事を終えたセレナが、カナメの部屋に入ってきた。

 「どうしたの? 悠子ちゃん」

 セレナが悠子の様子に疑問を感じると、カナメが、

 「母さん、悠子、『何か恥ずかしい』とか言って、顔を押さえたまま下を向いてるの……」

 セレナにこう告げた。うずくまる悠子にセレナは、

 「悠子ちゃん、一緒にガングロメイクしよう。風呂に入ってからね」

 と呼びかけた。

 「……うん」

 悠子はそう言いながら、セレナを見つめた。

 「それじゃ、風呂に入ったら、私に伝えて」

 セレナはこう言ったあと、部屋を後にした。

 「悠子、風呂に入ろう」

 カナメが悠子にこう伝えると、彼女は、

 「うん」

 と言ったあと、

 「……ストッキング、用意して」

 カナメにこんなことを頼んだ。カナメは、

 「……寝る時にはくの?? ストッキング」

 首をひねりながらこう問いかけたが、悠子の表情を目にして、

 「……わかったわ。寝る時、ストッキングはかないと眠れないのね、悠子。着替えと一緒に用意しておくわ」

 と言った。悠子は、

 「……そうなの」

 とつぶやいたあと、

 「……今から入るわ」

 カナメにこう伝えた。

 「いいわよ。一緒に入ろう」

 カナメは笑みを浮かべながら言うと、早速準備を始めた。準備が終わったあと、二人は風呂場へと向かった。


 しばらくして、風呂から上がった二人に対してセレナは、

 「悠子ちゃん、カナメ、私の部屋に来て。ガングロメイクを教えてあげるわ」

 そう言いながら、二人を自分の部屋に入れた。それから悠子に、

 「悠子ちゃん、私の前に座って。これからメイクを始めるわ」

 こう伝えると、おもむろにメイクを始めた。しばらくたって、

 「あなたの顔を見て」

 と言いながら、悠子に鏡を手渡した。彼女はそれを受け取り、自分の顔をじっと見つめた。すると、

 「……これが、アタシ!?」

 と言ったあと、しばらく動かなくなった。

 「どうしたの? 悠子」

 カナメが心配そうに問いかけると、悠子は、

 「……アタシ、これで行きたいわ。なぜだかわからないけど」

 と答えた。それから、

 「……アタシ、このメイク、落としたくないわ。セレナさん、このままでお願いします」

 こんなことを口にした。

 「気に入ったのね、ガングロメイク」

 セレナがこう話すと、悠子は、

 「気に入ったかどうかはわからないわ。だけど、このままだったら、これまでの苦しみを少しは忘れられそうなの……」

 そう言ったあと、再び鏡を見ながら動かなくなった。するといつの間にか、彼女のほおからつたった涙が鏡面をおおっていた。

 「……どうしたの? 悠子。さっきからずっと涙を流して」

 カナメが不思議そうに問いかけると、悠子は、

 「……アタシ、こんなメイク、してもらったことないから、少しうれしかったの……」

 ぎこちない感じでこう答えた。その様子を見ていたセレナは悠子に、

 「悠子ちゃん、落ちたメイク、塗り直そう」

 こう呼びかけたが、悠子は、

 「……このままで、いいわ」

 ゆっくりとした口調で断った。

 「わかったわ。寝る時になったら私に知らせて。今日はあなたと一緒に寝るから」

 セレナはこう言うと、二人分のござとタオルケットを用意した。二人は一旦セレナの部屋を出て、カナメの部屋に向かった。それから、しばらく話などをしたあと、

 「カナメ、もう寝るわ」

 悠子がこんなことを言い出した。カナメは時計を確認すると、

 「もうそんなに時間がたってるんだ。11時過ぎって」

 こうつぶやいた。それから、

 「悠子、また明日ね」

 と言うと、悠子も、

 「また明日ね」

 と言いながら、部屋を後にした。彼女はそのままセレナの部屋に向かい、

 「……セレナさん、アタシ、もう寝ます」

 セレナにこう告げた。彼女は、

 「悠子ちゃんも、寝る時にパンストはくのね。私は寒い時だけだけど」

 と言ったあと、

 「先に寝ててね。私は明日の仕事の準備が終わったら、すぐに寝るから」

 と言いながら、準備を続けた。

 「セレナさんも、寝る時ストッキングはいてるのね……」

 悠子はこうつぶやきながら、体を丸めて眠りに入った。しばらくして、準備を終えたセレナが悠子の様子を目にすると、

 「……悠子ちゃん、どんな寝相してるの……!? がに股みたいに足を大きく開いて……」

 少し困った表情を浮かべながら、こうつぶやいた。それからもう少し様子を見ていると、

 「笑みを浮かべてるみたいね。何か夢の中で男性といいことでもあったのかしら」

 今度はこんなことを口にした。そしてセレナは、

 「また明日ね、悠子ちゃん。ガングロメイクで、いい人にめぐりあえたらいいわね」

 と言ったあと、電気を消して眠りについた。このガングロメイクが、後に悠子の人生を変えてくれる“大きなきっかけ”になるとは、この時の彼女には想像がつかなかった。



 「……ええ!? 真夏にパンストはいたまま、大きくまたを開いて寝てたの?? ゆっこ先生」

 「……だから恥ずかしいって言ったのよ……。しかも大声で言わないで……。それにそんなこと、アタシは日誌に書いてないわ」

 「何か他の男とたのしいセックスでもしてたんじゃないの? 夢の中で」

 「そんなんじゃないわよ……。昔寝る時に、ストッキングをはかないと眠れなかったのは本当よ。今でも、アンタとセックスしたあとは、ストッキングをはいて寝るわ。その時の名残だけど」

 こんなやり取りをしていると、ユズヒコが、

 「先生、泣いてない? メイク取れそうだけど」

 こんなことを言い出した。

 「やだ、いつの間に泣いてたの!? アタシ……」

 ユズヒコの言葉にアタシは動揺を隠しきれなかったのか、思わず顔をごしごしふいてしまった。

 「……ああ、ガングロメイクが……」

 メイクが取れたのを見たアタシは、

 「ユ・ズ・ヒコ……、ちょっとからかわないでよ……」

 少し怒り気味にこうつぶやいた。するとユズヒコは、アタシの言葉を無視するように、

 「なあ、セレナって誰なんだ?」

 こう聞いてきた。

 「アタシの“命の恩人”よ、セレナさんは。アタシが現在、こうして家庭教師をやっててアンタと結婚出来たのも、すべて彼女のおかげなの」

 アタシはこう答えると、その場を立って、天井を見つめた。

 「へぇ、その人のこと、初めて耳にしたけど」

 ユズヒコがこうつぶやくと、アタシは彼に、

 「アンタが聞かなかったから、話さなかっただけよ。聞いてくれたら、いつでも話してあげたわよ」

 こう話した。そんな時、玄関のインターホンが鳴った。アタシはすぐに玄関に行って、

 「どなたですか?」

 と言いながらドアを開けると、

 「ひさしぶりね、悠子ちゃん。いや、今はゆっこちゃん、でよかったわよね?」

 セレナさんが、紙袋をかかえながら立っていた。

 「セレナさん、おひさしぶりです」

 アタシはうれしさのあまり、そのままセレナさんに抱きついた。それから、

 「アタシ、無事に結婚出来たの。あなたのおかげで、最高のパートナーにめぐりあえたの」

 こんなことを伝えた。そんなアタシにセレナさんは紙袋を置いて、

 「おめでとう、ゆっこちゃん」

 アタシの頭をさすりながら、笑顔でこう言った。それから、一旦アタシから離れて、

 「今日はね、あなたたちに結婚祝いを持ってきたの。それとあなたたちの様子も見たかったし」

 と言いながら、置いていた紙袋をアタシに手渡した。

 「これをアタシに!? ありがとう、セレナさん」

 アタシはセレナさんにお礼を言ったあと、すぐに中身を確認しようとしたが、

 「ゆっこちゃん、中で確認しよう。これからあなたとお話がしたいから」

 セレナにそう言われ、アタシは、

 「そうね。セレナさんと一緒になるの、1年以上なかったですから」

 と言いながら、紙袋を玄関の中に置いた。それから、

 「中に入ってください、セレナさん。ここだと寒いですから」

 セレナさんを家に入れて、彼女が脱いだコートをハンガーにかけた。そして、彼女をリビングに案内した。


 「セレナさん、飲み物は何にします? すぐにお菓子も持ってきます」

 アタシは、イスに座っているセレナさんに、飲みたいものをたずねた。彼女は、

 「コーヒーをお願いね」

 と言ったあと、アタシに、

 「ところでユズヒコはどこにいるの?」

 と問いかけた。その時、リビングにユズヒコが現れたのを見たアタシは、

 「ユズヒコ、そこに座ってる女性がセレナさんよ。アタシの“命の恩人”のね」

 ユズヒコにセレナさんを紹介した。すると早速、

 「立派になったのね、ユズヒコ。私が以前塾を経営してた時、一緒に働いてた家庭教師を困らせたの、今でも覚えてるわ。だけどあなたとゆっこちゃんが結婚するなんて、本当に“神様が導いた”と思ったわ」

 セレナさんはこんなことを口にした。

 「……セレナさん、そんな大げさに言わないで……」

 アタシは少し恥ずかしい気持ちを感じつつ、こうつぶやいた。そんなアタシを見つめていたセレナさんは、

 「大げさじゃないわ。それにゆっこちゃん、“グロガン先生”として子供たちに親しまれてるでしょう? やっぱりあなたにはガングロメイクと、その格好が似合うわね」

 今度はこんなことを言い出した。アタシは、

 「ありがとうございます、セレナさん」

 セレナさんにお礼を言ったあと、

 「ところでセレナさん、さっき『以前塾を経営してた』と言ってたのが気になったのですが……」

 と問いかけた。セレナさんは、

 「ええ、その通りよ。個人の・・・塾は数年前に辞めたけどね」

 と答えたあと、

 「実はね、その後“総合学習塾”の会社を立ち上げて、子供たちだけじゃなくて、生涯学習を考えてる大人も対象にしてるの。それに、貧困にあえぐ子供たちのための教育サポートも行ってるわ」

 こんな話をした。その話を聞いたアタシは、

 「すごいんですね、セレナさん」

 ただ感心するだけだった。そんなアタシにセレナさんは、

 「ゆっこちゃんも、いずれは私の会社に入れたいと考えてるの。どう? 私の会社に入る気はある?」

 こう問いかけた。

 「アタシが?」

 突然の“スカウト”にアタシは戸惑いを見せた。

 「すぐに答えを出さなくていいわ。名刺を渡すから、決まったら私に連絡して」

 セレナさんはそう言ったあと、財布の中から名刺を取り出して、アタシに渡した。アタシはそれを受け取ると、

 「わかりました。大切なことですから、しばらく考えさせてください」

 こう言った。その時セレナさんは、

 「そこにあるノート、ひょっとして、私があなたに勧めたという日誌?」

 こんなことを口にした。アタシは、

 「ええ。セレナさんがアタシを助けてくれた翌日に、あなたに『日誌を書いたら?』と言われて書くことになったの。そのタイトルは、ユズヒコがきっかけでつけることになったわ」

 と話したところで、セレナさんが、

 「ユズヒコ、改めて本当に立派になったのね。これからゆっこちゃんを大切にしてね」

 ユズヒコにこう伝えると、彼は、

 「この人がゆっこ先生の命の恩人なんだ……」

 こう言ったあと、

 「この人ゆっこ先生と同じ、胸がでかい美人だよ。もう40過ぎてるのにね……。何かやってるんじゃないの?」

 いきなりこんなことを言い出した。その話に、アタシはユズヒコに少し声を荒らげながら、

 「ユズヒコ、アンタなんてこと言ってんの!? セレナさんに失礼でしょう」

 と言ったあと、

 「その口ぐせは絶対に直して! 言っていいことと悪いことの区別くらいは考えて。そのままだと、他の場面でもそんな悪いくせが出てくるわ」

 彼をしかる感じでこう話した。するとセレナさんが、

 「あなたの言う通りね、ゆっこ先生」

 と言いつつ、ユズヒコに、

 「昔から変わらないわね、ユズヒコ。思ったことをすぐに言うところ。まあ、まっすぐな性格で、色々なことに興味を持つところがいいところだけどね。だから、ゆっこちゃんを“救いだせた”と今は考えてるわ。だけど、私を美人って言ってくれたのはうれしいわ、ユズヒコ」

 こんな話をした。それから、

 「それでも、口ぐせの件は考えた方がいいわね、ユズヒコ。グロガン先生からしっかり学んでね。私の会社でも、マナー講座を開いてるから、そこでもいいわ」

 ちゃっかり宣伝を入れる感じでユズヒコに伝えた。アタシも、

 「せっかくだから、セレナさんとこの講座受けて、ユズヒコ。お金はアタシが出すわ」

 ユズヒコに講座を受けることを勧めた。彼は、

 「……わかったよ。受けることにするよ」

 と答えたあと、

 「両方・・の講座を」

 こんなことを口にした。

 「それがいいわね、ユズヒコ。お金は安くしておくわ」

 セレナさんはこう言ったあと、

 「よかったら、あなたも彼と一緒に受けてみて。決して損はしないわ」

 アタシにも講座を受けるように勧めた。

 「わかりました。アタシも一緒に受けます」

 アタシは、彼女の勧めに快く応じた。彼女は、

 「わかったわ、後で講座のリストを家に送るわね。住所を教えて」

 と言いながら、カバンからメモ帳を取り出して、何かをメモしていた。アタシは、今度引っ越す家の住所を彼女に伝えたあと、

 「セレナさん、アタシたち、新しく出来た家に引っ越します」

 新築の家に引っ越すことも伝えた。

 「“新しく出来た”って、あなたたち、家を買ったの!?」

 セレナさんは驚いた感じで、アタシに問いかけた。アタシは、

 「ええ。ユズヒコも一緒に、家を買うためにお金を貯めてくれたのです。あと、色々ありまして、なんとか借金せずに買うことが出来ました」

 このように答えると、セレナさんは、

 「本当によく買えたわね、あなたたちの年齢で」

 ただただ感心していた。それから、

 「今度訪れる時に連絡入れるけど、大丈夫かしら?」

 こう問いかけた。アタシが、

 「ええ、セレナさんが訪ねてくれるのでしたら、喜んで」

 と言ったところで、ユズヒコが、

 「あ、そうそう。ゆっこ先生って、オレとセックスした日以外でも、寝る時にパンストはくの、日誌を見て初めて知ったよ。しかもまたを大きく開いて寝てたなんてね……」

 いきなりこんなことを言い出した。

 「ユ・ズ・ヒコ……、アンタいきなり何言い出すの!?」

 アタシはユズヒコに怒りを向けたあと、すぐに何かに気づいて、

 「セレナさん、ひょっとして、日誌に『またを開いて寝ていた』こと書いたの、あなたじゃないの!?」

 セレナさんにこう問いただした。すると彼女は、

 「……ごめんね、ゆっこちゃん。あなたを助けた日の夜、あなたの寝相があまりにもすごいものだったから、思わず日誌にこっそり書いちゃったわ」

 と謝ったあと、

 「そういえば、あなたたちって、どんな出会いだったのかしら?」

 こう問いかけてきた。それから、

 「ゆっこ先生、日誌の続きを読もう」

 ユズヒコもせがむ感じで言ってきたので、アタシは、

 「わかったわ。続きを読むわね」

 そう言いながら、続きを読むことにした。



 悠子がセレナに助けられた日の翌日、悠子が起きた時、

 「おはよう、悠子ちゃん。昨日は眠れたみたいね」

 セレナは笑顔でこう言った。その言葉を耳にした悠子は、

 「……はい」

 と軽くうなずいたあと、

 「……実はアタシ、ひとりの男とセックスしてる夢を見たの……。信じられないけど、その時のアタシは、本当に気持ちよかったわ。なんだか“男と一緒になってる”感じがしてたの……」

 こんなことを口にした。その話に、セレナは思わず言葉につまった。

 (……悠子ちゃん、何人もの男に犯されながら、そのような夢を見てたの……!?)

 考え込んだセレナの様子を目にした悠子は、

 「……セレナさん、どうしたの……?」

 こう問いかけた。その問いにセレナは、

 「いえ、何でもないわ。“その夢が、あなたにとっていい形で実現するといいね”、と思っただけよ」

 と答えたあと、

 「朝ごはん出来てるわよ。早く食べよう」

 こう呼びかけた。悠子は、そのままセレナの後についていった。


 「おはよう、悠子」

 すでに朝食を食べはじめているカナメがあいさつすると、悠子も

 「おはよう、カナメ」

 と言いながら、席に座った。

 「昨日は眠れた?」

 カナメが問いかけると、悠子は、

 「……うん」

 とうなずいたあと、

 「それとね、夢を見たの。気持ちいい夢を」

 こう話した。

 「気持ちいい夢?」

 カナメが問いかけると、悠子は、

 「うん。アタシ、ある男とセックスしたの。最後はその男と“一緒になる”というのか、もしも本当に愛し合えたら、あんなことになるのかな、って。気持ちがよくて、今でも感触が残ってるの」

 自分が見た夢の内容を話した。するとカナメは、

 「ええ!? 悠子、あなた母さんと同じような苦しみを味わってたんでしょう? そんな夢を見たなんて、信じられないわ」

 驚きの表情を浮かべながら、こう言った。そんな彼女に悠子は、

 「アタシも起きた時はそう思ったわ。だけど、セレナさんが『実現してくれるといいね』と言ってくれたから、少し信じてみようかなって」

 少し笑みを浮かべながら、こう話した。

 「昨日より元気になってるわね、悠子ちゃん」

 セレナはこう言うと、悠子に対して、

 「悠子ちゃん、日記か日誌を書いてみない? きっとあなたのためになるわ」

 こんな提案を持ちかけた。

 「……日記を?」

 悠子が問いかけると、セレナは、

 「実は私も、オリビアさんに勧められて、一時期つけたことがあったの。今振り返ると、色々たまった苦しみの感情を、日記を書くことで吐き出せたのは、私とカナメにとって非常に大きかったわ。書いてなかったら、私もずっと迷って苦しんでたかもしれないわね。ひょっとすると、カナメに手を出してた可能性も」

 こう答えた。その話を耳にしたカナメは、

 「……母さんが日記つけてたなんて、はじめて知ったわ。それに、オリビアさんと一緒に暮らしてからも、長い間色々と苦しんでたことも……」

 驚いた様子でこう話した。

 「それでもカナメ、あなたが元気でいてくれたから、私もなんとかここまで来ることが出来たの」

 セレナはこう言ったあと、食事を終えて食器を片付けた。

 「……母さん……」

 カナメは、あふれる涙を止めることができず、しばらく何も動かせなかった。悠子も、セレナの突然の提案に戸惑いを隠せないまま、時間だけが過ぎていった。


 しばらくたって、塾の準備を終えたセレナがリビングに入ると、

 「あなたたち、まだご飯の途中だったの?」

 少し驚いた様子で、こう問いかけた。

 「……うん」

 カナメがうなずくと、セレナは、

 「今日は9時から塾が始まるから、あとは自分で片付けておいてね」

 と言いながら、教室がある部屋に向かった。


 しばらくたって、片付けまで終えた二人は、カナメの部屋にいた。

 「悠子、着替えはどうするの?」

 カナメがこう問いかけると、悠子は、

 「……短いパンツとTシャツをお願い……。薄いストッキングも」

 と答えた。カナメは、

 「わかった。それと歯をみがこう。着替えを一緒に用意しておくから」

 こう言うと、悠子もうなずいた。しばらくして、二人は脱衣室に向かった。そこで悠子は、カナメから渡された服に着替えたあと、脱いだ服を洗濯機に入れた。そしてカナメは、

 「悠子、ガングロメイクどうするの?」

 こう問いかけた。悠子は、

 「……一旦落とすわ」

 と答えると、洗面台で顔を洗いはじめた。顔を洗ったあと歯をみがいて、改めて鏡に映った自分の顔を見つめた。すると、

 「……アタシ、何かいい気持ちがしないわ。昨日まで男たちに色々されたシーンがよみがえってくるの」

 こんなことをポツリともらした。

 「……悠子、やっぱりガングロメイクの方がいい?」

 カナメがこう問いかけると、悠子は何も言わず、ただうなずいた。そんな彼女にカナメは、

 「悠子、その格好似合うわね。あなたがストッキングはくと本当に様になるわ」

 こんなことを伝えた。

 「……そう? そんなこと言ってくれたの、アンタだけよ」

 悠子はそう言うと、ふいに右足の太ももをさすった。それから、

 「部屋に戻りたいわ」

 こんなことを言いながら、太ももを見つめていた。カナメも、

 「わかったわ、悠子」

 と言ったあと、二人は再び部屋に戻った。


 部屋に戻ってからしばらくして、カナメが、

 「ねえ悠子、あなた勉強は出来るの?」

 ふいに悠子にこう問いかけた。

 「……勉強?」

 悠子は首をかしげながら、こう言った。少し間を置いたあと、

 「……うん、それなりには……」

 言葉をにごすようにつぶやいた。

 「そう、わかったわ」

 カナメはこう言ったあと、一冊の本を持ってきて、

 「これ、解いてみない?」

 と問いかけた。悠子はそれを受け取り、表紙を見ると、

 「これ、高校の数学の問題集!? アタシに解け、というの!?」

 驚いた表情を見せながら問い返した。そんな彼女に対してカナメは、

 「悠子、あなたが高校に通ってたの、母さんとの話を耳にしてわかったから」

 と伝えた。悠子は、

 「わかったわ。解いてみるわ」

 と言ったあと、問題集を開いて考え込んだ。その時カナメは何かに気づいたか、

 「あ、そうそう。メモ帳渡すから、答えはそこに書いて」

 と言いながら、束になったメモ帳のうちの一冊とシャーペンを渡した。悠子はそれらを受け取り、改めて問題集を開いた。そして、あれこれシャーペンを動かしながら、メモ帳に答えを書き込んだ。しばらくして、

 「……とりあえず終わったわ」

 とつぶやいたあと、メモ帳をカナメに手渡した。彼女はそれを受け取ると、

 「母さんに見せるわね、これ」

 と言いながら、問題集と一緒に机に置いた。そんな彼女に、

 「……どういうこと? カナメ。アタシに解かせてアンタは何もしないの!?」

 悠子はムッとした表情で問いただした。カナメは、

 「それは母さんが来てからわかるわ」

 と答えると、携帯を扱いはじめた。それから何かを入力して、

 「母さんに『悠子が高校の数学の問題集解いたから採点して』ってメールを送ったの」

 こう話した。


 しばらくしてセレナが、

 「カナメ、悠子ちゃんが高校の問題集解いてたって?」

 こう言いながらカナメの部屋に入った。カナメはセレナに、

 「母さん、これ、点数つけて」

 こう言いながら、メモ帳と問題集を渡した。セレナはそれらを受け取ると、早速採点を始めた。採点を終えてメモ帳を机に置いたあと、問題集を見ながら、

 「悠子ちゃん、正直あなたがここまで勉強が出来るとは思わなかったわ……」

 驚きの表情とともに、悠子にこう伝えた。それから、

 「悠子ちゃん、家庭教師やってみない?」

 こんな提案を持ちかけた。思いもよらぬ提案に悠子は、

 「ええ!? アタシが家庭教師を!?」

 ただ戸惑いを見せるだけだった。そんな彼女にセレナは、

 「すぐじゃないけど、しばらくは私もレクチャーするわ」

 と言ったあと、

 「あなたには小学生を担当してもらうことになるわ。さすがに中学生相手だと、荷が重いでしょうから」

 こう伝えた。

 「信じられないわ、悠子。家庭教師が出来るくらい頭がいいって」

 カナメも驚きながらこう言った。相変わらず戸惑いの様子を見せる悠子に対してセレナは、

 「とりあえず、あさってから塾のアシスタントとして、私と一緒に授業に参加して」

 このように頼んだ。それでも悠子は、

 「……アタシなんかが、他の人に教えるなんて……。どう接すればいいのか、わからないわ……」

 尻込みする感じで、小さくつぶやいた。

 「心配しないで。私がフォローしてあげるわ。それに、あなたには家庭教師の才能があるから」

 セレナは悠子にこう話すと、後押しするように彼女の背中をさすった。そんな彼女の行動に悠子は、

 「……やってみるわ……、家庭教師」

 とつぶやいた。

 「ありがとう、悠子ちゃん」

 セレナはお礼を言いながら、悠子を抱きしめた。それから、

 「それと、あなたが働いた分のお金はちゃんと出すわ。給料として」

 悠子にこう伝えた。彼女が、

 「……アタシなんかに払ってくれるの、お金……」

 いぶかしげにつぶやくとセレナは、

 「あなた、夜で働かされてた時、ほとんどお金をもらってなかったでしょう? 私はそんなことはしないわ」

 こう答えた。さらに、

 「だけど、しばらくたってあなたの仕事の出来がよくなかったら、少なくなることはあるわ。そこは意識しておいてね。いずれはあなたも社会人になるし、働く上での現実を知っておくべきだから」

 こんなことを口にした。悠子は、セレナの話をじっと聞いていた。話が終わったあと、

 「そろそろ私は授業に戻るわね。さっきの内容、授業が終わってから、じっくり内容を話すから。昼飯は何でも食べておいて」

 セレナはこう言いながら、部屋を出ていった。

 「悠子、あなたが家庭教師だって? きっとあなたに教えてほしい子供、現れるわ」

 カナメが悠子の肩を軽くたたきながらこう言うと、彼女は、

 「……アタシに……!? ちょっとそれは……」

 戸惑いながら、こうつぶやいた。そんな彼女にカナメは、

 「大丈夫よ。あなただったら、子供たちが親しみを持ってくれるわ。私にはそう感じられるの」

 悠子を励ますように、こう伝えた。後にこの話は現実になるのだが、この時の悠子は、

 「……本当なの……!? アタシには信じられないわ……」

 と言いながら、カナメの言ったことを否定していた。

 「信じられないのもわかるわ。いきなり『家庭教師の才能がある』と言われても、私でも戸惑うわ」

 カナメは悠子の話にうなずきつつ、

 「とりあえず、昼飯でも食べよう」

 と言った。悠子は、

 「……うん」

 とうなずいたあと、カナメは

 「それじゃ、下に行こう。ちょっと早いけど」

 と言いながら悠子と一緒に部屋を出た。


 昼食を食べ終えた二人は、部屋に戻ったあと、ファッションについて話をしていた。その最中、

 「……何か落ち着かないわ……」

 悠子はしきりにこんなことを口にしていた。しばらくして、

 「どうしたの? 悠子」

 カナメが首をかしげながら問いかけると、悠子は、

 「……やっぱりアタシ、ガングロメイクしてないと落ち着かないの……」

 と答えた。

 「わかったわ、悠子。一緒にメイクしようか」

 カナメはこう言うと、ガングロ用のメイク道具を持ってきた。それから悠子は、カナメと一緒にガングロメイクを始めた。しばらくして、

 「……昨日よりはよくなってるわね……」

 悠子が鏡を見ながらこう言うと、カナメも、

 「それは言えるわね」

 納得するようにうなずいた。その後二人は、ファッションやカナメの勉強について、話を続けていた。


 しばらくして、

 「ただいま。今日は早く終わったから、二人も一緒に買い物に行こう」

 再びセレナが部屋に入ってきた。

 「母さん、今日早かったの!? まだ4時過ぎよ」

 カナメが「本当!?」という表情を浮かべながら問いかけると、セレナは、

 「実はね、夜も何人か入ってたけど、生徒たちに急用が出来てこっちに行けなくなったの。今日は3人の家庭教師も休みだから、今日のところは塾もおしまいね」

 と答えると、

 「カナメ、早く着替えて。悠子ちゃんの分は用意してあげるわ」

 こう言いながら、二人に買い物に来るよううながした。カナメはすぐに着替えに入ったが、悠子は、

 「……アタシ、買い物に行きたくないの」

 と言いながら、その場を立とうとしなかった。セレナが、

 「悠子ちゃん、何かあったの?」

 首をかしげながら問いかけると、悠子は、

 「アタシ、以前何人もの男と、『一緒に行動した時にひどいことをされた』、ということがあって、それで一人で出かけるのがいやになったの……。まだ人を信じられないわ……。一緒にどこかに行くなんて、何かあったらアタシ……」

 こんなことを言い出した。

 「……昨日の今日だからね……。あなたの人間不信がすぐに解けるとは考えてないわ」

 セレナはこう言うと、笑みを浮かべながら、

 「心配しないで、悠子ちゃん。私も昔はあなたと同じだったから。だから私たちと一緒に買い物に行こう」

 改めて悠子にこう呼びかけた。そんなセレナに悠子は、

 「……セレナさんが、そこまで言ってくれるのなら……」

 そう言いながら、セレナのもとに歩み寄った。

 「よかった。あなたが『一人でいたい』って言ったらどうしようって思ったわ」

 セレナはほっとした表情でこうつぶやくと、

 「私の部屋に来て。すぐに着替えを用意するから」

 悠子と一緒に部屋を出た。

 「……悠子、母さんは信じてくれてるのね」

 カナメはそう言いながら、準備に取りかかった。


 「これでいい?」

 セレナはタンスから取り出した服を悠子に見せた。

 「……これでいいわ」

 彼女はそう言ったあと、着替えを始めた。しばらくして、

 「あらあら、セクシーに見えてくるわね。似合うけど」

 セレナがこう言うと、悠子は顔を赤らめながら、

 「……セレナさん、ちょっと……」

 恥ずかしそうにこうつぶやいた。そんな彼女にセレナが、

 「悠子ちゃん、気に入らなかったら伝えて。すぐに別の着替えを持ってくるわ」

 こう伝えたところ、悠子は、

 「……ストッキングを替えてください……。ブラウンに……」

 と言った。

 「ブラウンのパンストね? わかったわ」

 セレナはこう言ったあと、タンスの引き出しを開けて、ブラウンのストッキングを取り出した。それを悠子に渡すと、彼女はすぐ受け取り、はいているベージュのストッキングを脱いで、ブラウンにはきかえた。それから、

 「……これで落ち着くわ……」

 と言いながら、先程まではいていたベージュのストッキングをセレナに渡した。彼女はそれを取って、

 「それでいいのね? 悠子ちゃん」

 悠子に問いかけた。彼女は、

 「セレナさん、ありがとう……」

 セレナにお礼を言ったあと、

 「これがいいです・・・・・・・……」

 彼女にこう伝えた。

 「気に入ってくれたのね、悠子ちゃん」

 セレナはこう言うと、

 「そろそろ行くわよ。カナメも待ってるみたいだし」

 悠子に部屋を出るようにうながして、部屋を出た。彼女もセレナについていくように、部屋を後にした。それから、カナメの部屋の前に行き、

 「カナメ、行こう」

 カナメにこう呼びかけた。彼女は部屋を出て、

 「わかった、母さん」

 と言ったあと、悠子に、

 「やっぱり似合うわね、ガングロメイク」

 と伝えた。彼女が、

 「……ありがとう……」

 という言葉を耳にしたセレナは、笑みを浮かべながら、

 「それじゃ、出かけるわよ」

 こう伝えた。それからカナメたちと一緒に玄関に向かって、玄関でハイヒールをはいたところで、

 「あ、悠子ちゃんの靴も買ってあげないといけなかったわね」

 と言ったあと、

 「カナメ、買い物に行く間、悠子ちゃんに靴を貸してあげて」

 カナメにこう頼んだ。彼女はすぐに、自身がはいていないであろうスニーカーを靴箱から取り出した。そして、

 「悠子、これはける?」

 悠子にはけるかどうかたずねた。悠子は置かれたスニーカーを見て、はいてみた。

 「これ、アタシにぴったりね。これをはくわ。ありがとう」

 悠子はカナメにお礼を言ったあと、

 「セレナさん、今日お願いします……」

 セレナに頭を下げた。そんな悠子にセレナは、

 「わかったわ、悠子ちゃん。欲しいものがあったら私に言って」

 欲しいものがあったら言ってほしいと伝えた。それから、

 「そろそろバスでショッピングモールへ行くわよ」

 と言ったあと、二人が家を出たのを確認した上で、玄関の鍵をかけた。そして3人は、ショッピングモールへ向かった。


 3人は、セレナの家から車で15分のところにあるショッピングモールに着いて、車から出た。その時、

 「……ここ、アタシの家からそう遠くはないわ……」

 悠子がこんなことを言い出した。その言葉にカナメは、

 「……ここ、あなたの家の近くにあるの!?」

 驚きの表情を浮かべながら悠子に問いかけた。すると彼女は、

 「……そうなの。だけどアタシ、ここに連れてきてもらった経験なかったの……。しかもろくにものを買ってくれなくて、外に出ることもままならず……」

 顔を曇らせながらこう話した。

 「……そうだったのね……。辛かったよね、悠子ちゃん。どこにも連れていってもらえなくて」

 セレナが悠子にこんな言葉をかけると、悠子もただうなずくだけだった。すぐにでも涙が流れそうな表情を浮かべながら……

 「悠子ちゃん、欲しいものがあったら何でも言って。出来るだけ買ってあげるわ」

 改めてセレナがこう伝えると、悠子は、

 「……どうしてそこまでアタシなんかに優しくしてくれるの……!?」

 セレナに少しきつめの口調で問いかけた。そんな悠子に対し、

 「……昨日も言ったでしょう? あなたが昔の私のように苦しんでほしくないし、それに放っておけないからって。少なくとも、あなたが独り立ち出来るまで、私があなたの味方でいることは、ここではっきりと伝えておくわ」

 セレナは真剣な面持ちで、悠子に“彼女が自立出来るまで味方でいる”ことを伝えて、

 「行こう、モールの中に」

 穏やかな表情に戻って、二人にショッピングモールに入るようにうながした。二人はセレナの声に応じて、そのままセレナと一緒にモールに入った。


 「……にぎやかなのね。夜の店とは違った……」

 初めて入るモールの中を見渡した悠子は、ふとこんな言葉をもらした。

 (……悠子ちゃん、本当にモールとか行ったことないみたいね……)

 セレナはそう思いながら、

 「悠子ちゃん、まず何を買いたい?」

 悠子に、最初に買いたいものをたずねた。彼女は、

 「……服が欲しいです」

 こう答えると、

 「セレナさん、本当に買ってくれるのね……」

 改めてセレナにこう問いかけた。すると彼女は、

 「ええ、もちろんよ。“親として”ね」

 こんな言葉を悠子にかけた。

 「……“親として”……!? アタシ、これまで親からしてもらえなかったのに……」

 悠子は思わず言葉をつまらせた。そんな彼女にセレナは、

 「これで涙をふいて。昨日あなたにあげたブランド物のハンカチよ。洗っておいたから」

 と言いながら、ハンカチを渡した。それから悠子に、

 「行こう、服を買いに」

 笑顔でこう呼びかけた。悠子は涙をぬぐって、セレナについていった。二人の様子を見つめていたカナメは、

 (……悠子、どう思われてるのかしら……)

 と思いつつ、二人の後を追った。


 「……悠子、周りの視線、気にならなかった?」

 モール内のレストランで、カナメは悠子に対して、こんなことをたずねた。悠子は首を横に振りながら、

 「……アタシ、ガングロメイクしてるから、まだまだ視線は気になるけど、これまでとは違って少しは安心出来たわ」

 と答えた。そんな悠子にカナメは、

 「……そうだったの。私、あなたが周りから浮いてる感じがして心配したわ。だけどその様子だったら、とりあえずは大丈夫みたいね」

 こう言ったあと、

 「ところで悠子、何を食べるの? 私はもう決まったけど」

 悠子に何を注文するかを問いかけた。彼女は、

 「……アタシ、スパゲッティがいいわ。それとサラダも一緒に」

 と答えると、

 「カナメはここ、何回も来たことあるの?」

 こう問い返した。カナメは、

 「うん、このモールで買い物する時、よくここで食べるの。ここテレビでも紹介されたおいしい店なの」

 笑顔でこう答えると、

 「私は海鮮パスタ。これがこの店の一番人気なの」

 自分の食べたい料理を注文した。それからセレナを見ながら、

 「それにしてもずいぶん買ったのね、母さん」

 こんなことを口にした。その言葉にセレナは、

 「あのままだったら悠子ちゃん、どこにも行けないからね。とりあえず、彼女のために服と靴は買ってあげないと」

 こう言ったあと、悠子に、

 「悠子ちゃん、帰ってから大切な話があるわ。家庭教師に関することで」

 このようなことを伝えた。しばらくして、それぞれが注文した料理が届き、揃ったところで3人で、

 「いただきます」

 と言ったあと、一斉に料理を食べはじめた。

 「おいしいわね、ここの海鮮パスタ」

 カナメがおいしそうに料理をほおばると、悠子は、

 「……アタシ、こんなにおいしい料理、もっと食べたい……」

 一口一口を味わうようにゆっくり食べていた。前日と同じように涙を流しながら……。数分ほどたって、

 「……本当においしいものを食べさせてもらえなかったみたいね、悠子ちゃん」

 セレナは、涙ながらに食べている悠子を見つめながら、こんなことをつぶやいた。カナメも、

 「悠子、私や母さんとは違った苦しみを味わいつづけたのね……。両親がいるのに……」

 顔を曇らせながら、セレナにこう告げた。3人に重い空気が漂いはじめたところで、悠子が、

 「おいしかったわ。また食べたい」

 こう言いながら、フォークを置いた。それから、

 「……アタシ、涙を流してたのね」

 涙を流していたことに気づき、ハンカチで顔をふいた。すると、

 「……あ、メイクが……」

 と言いながら、恥ずかしそうに戸惑っていた。

 「あ、メイクが取れちゃったの? たいへん、メイクどうするの、悠子」

 カナメがメイクのことで気にかけると、悠子は迷いつつ、

 「……落とすわ、メイク」

 こう言った。カナメはセレナに、

 「母さん、ちょっとトイレに行っていい?」

 と問いかけると、セレナは、

 「いいけど、食べ終わったらすぐに帰るわよ。メイクを落とすのは、帰ってからでもいいでしょう?」

 と答えた。その答えを聞いたカナメは、

 「悠子、メイク落とすのは帰ってからでいい?」

 改めて悠子に問いかけた。彼女は、

 「……うん」

 と答えたあと、

 「……セレナさん、おいしい料理、ありがとう……」

 セレナにお礼を言った。彼女は、

 「よかったわね、悠子ちゃん。今度は私の料理を食べてね。朝は作ってるけど」

 と言ったあと、カナメとともに残った料理をたいらげた。料理を食べ終えたあと、

 「そろそろ帰ろうか、悠子ちゃん」

 そう言いながら、店員を呼び出した。それから会計をすませたあと、

 「カナメ、荷物を持つの手伝って。悠子ちゃんも少し持ってくれる?」

 二人にこう呼びかけた。カナメが荷物をいくつか持ったのを見て悠子も、

 「……アタシも持ってあげないといけないわね」

 そう言いながら、荷物を両手に持った。

 「そろそろ帰ろうか」

 セレナがそう言ったのをきっかけに、3人はショッピングモールを出て、車に荷物を乗せてから、その場を後にした。


 「これだけ買ってくれたのね……」

 改めて、自身のために買ってくれたものが入っている袋の数を見た悠子は、こうつぶやいた。

 「悠子ちゃん、これは私からの“プレゼント”よ。あなたが生きていくための、ね」

 セレナはこう言いながら、袋を持ち上げた。それから、

 「一部屋空いてるから、そこにあなたの荷物を置いておくわ。これからあなたの部屋として使ってね」

 そのまま空き部屋に荷物を持っていった。

 「……ありがとう……、ございます、セレナさん」

 悠子は涙をぬぐいながら、残った荷物を空き部屋に持っていった。メイクが落ちているのに構わず……


 しばらくして、セレナが部屋の前に現れ、

 「悠子ちゃん、家庭教師の件でお話がしたいの。私の部屋に来てくれる?」

 こう問いかけた。悠子は、

 「……はい」

 と答えたあと、セレナと一緒に彼女の部屋に向かった。二人が部屋に入ったあと、セレナはスーツを脱いでハンガーにかけた。それから、

 「悠子ちゃん、まずは私のアシスタントをして、人に慣れてほしいの。あなたの今の状況だと、いきなり個人の家庭教師、というのはちょっと厳しいと思うから」

 こんな話を切り出した。

 「……わかりました……」

 悠子はうなずきながら、こう答えた。すぐにセレナは、

 「それじゃ、あなたには3日後の月曜に行う、小学生の授業から入ってもらうことになるので、お願いね。それと申し訳ないけど、メイクはノーマルにして。いきなりガングロだと、子供たちもスタッフも戸惑うかもしれないし」

 こう付け加えたあと、

 「あとで私が使ってる教材渡すから、一度目を通して」

 と言いながら、イスに座った。

 「……ノーマル、ですね……。……わかりました……」

 悠子は顔を曇らせながら、こうつぶやいた。それから、

 「……メイク、落としてきてもいいですか?」

 と問いかけた。セレナは、

 「いいわよ。落としたらまた戻ってきて」

 こう答えると、悠子が部屋を出るのを確認した上で、机に置いてある資料を見ながら、

 「……あの子・・・、どう教えてあげればいいのかしら……。私と一緒に働いてる家庭教師を困らせてるみたいだし、家族からは続けてほしいと頼まれてるけど……」

 こんなことを口にした。この時セレナが口にした“あの子”こそ、悠子の人生を大きく変えるユズヒコその人であった。


 メイクを落とした悠子が、

 「……メイクを落としました」

 と言いながら部屋に戻ってきた。彼女の表情を目にしたセレナは、

 「悠子ちゃん、メイクを落とした素の表情、悪くないわね。ガングロでなくても大丈夫だと思うわ。メイク自体しなくてもいいかもね」

 こう伝えたあと、机に置いてある塾で使っている教材を手に取り、

 「これは小学生を教える時に使ってる教材の一つよ。どう教えるべきかは自分で考えてみて」

 そう言いながら、教材を悠子に手渡した。彼女はそれを受け取り、すぐさま教材を読みはじめた。しばらくして、教材を置いて、

 「アタシ、やってみるわ……」

 セレナにこう伝えた。

 「ありがとう、悠子ちゃん」

 セレナは悠子にお礼を言ったあと、

 「日記はどうなった?」

 こんなことを問いかけた。悠子が、

 「……もう少し、考えさせてください……」

 と答えると、セレナは、

 「そう、わかったわ。だけど、書いておいて損はないことだけは私が保証するわ。オリビアさんが言った通り、私の人生にとって大きな“財産”になってるから」

 悠子にそう伝えたあと、

 「それじゃ、月曜から頼むわね。話はこれで終わりよ」

 と言った。悠子は

 「わかりました、セレナさん」

 と言ったあと、自分の部屋となった場所に戻った。それから、

 「……日記、いつからどんな内容を書けばいいのかしら……」

 セレナから問いかけられた日記の件で悩んでいた。しばらくして、

 「……アタシは昨日、公園で倒れてたところをセレナさんに助けてもらったのよね……。誰も信じられなかったけど、今のところは、セレナさんと娘のカナメだけは、信じられるように、なったわ……」

 そうつぶやきながら、ノートを手にした時、

 「悠子、部屋の片付けを手伝いに来たよ」

 カナメが部屋に入ってきた。

 「どうしたの? 悠子。ノートを手にして」

 カナメがこう問いかけると、悠子は、

 「……アタシね、日記を書こうかどうかで、迷ってるの……」

 こう言いながら、ノートを見つめていた。

 「書けばいいじゃない。いや、書いた方がいいわよ。きっとあなたの力になるから」

 カナメがこう答えると、悠子は、

 「わかったわ。書いてみることにするわ」

 はっきりとした口調でこう言った。それから、部屋に置いてあった小さな机にノートを置いて、開いてから何か文字を書きはじめた。

 「ええと……、昨日、アタシは死にたいと思ってるところでセレナさんに助けられたわ。まだ二日目だけど、セレナさんと娘のカナメは本当にいい人だったのは、アタシにも痛いほどわかったわ。まだ他人は信じられないけど、二人は別よ」

 悠子はこんなことを言いながら、ノートに書きつづけた。

 「悠子、部屋は片付けなくていいの?」

 カナメのこんな声にも構わず、悠子はひたすら書きつづけた。

 「……私が片付けておくわ。気のすむまで日記か何かを書いてて」

 悠子の様子を目にしたカナメは、このように言いながら、荷物整理を始めた。しばらくして、

 「……とりあえず終わったわ……」

 悠子はノートを閉じてフッと息をはいた。それから辺りを見回すと、

 「カナメ、部屋を片付けてくれたのね」

 そう言いながら、彼女の近くに置いてあった、セレナから買ってもらった服やストッキングなどを見つめた。またしばらくして、

 「悠子ちゃん、どう?」

 普段着に着替えたセレナが部屋に入ってきた。

 「……アタシ、セレナさんに言われた通り、日記を書いてみることにしたの」

 悠子はセレナにこう伝えつつ、

 「……だけど、人にうまく教えること、アタシに出来るのかしら……。正直まだ、セレナさんとカナメ以外の人を信じることができないの」

 こんな不安をもらした。

 「……なるほどね。あなたのその気持ちは、私にはよくわかるわ。私も、カナメを身ごもってた時に男に捨てられたから、“誰も人を信じられない”という体験を味わってるし」

 セレナは、悠子の頭をなでながらこんなことを口にした。それから、

 「日記、書くことにしたのね、悠子。ありがとう」

 笑みを浮かべながら、こう言った。

 「……そんな、お礼を言われるほどのことは……」

 悠子が少し戸惑い気味にこうつぶやくと、セレナは、

 「いいのよ、私はいつでもあなたの味方だから」

 こんな言葉を送った。それから、

 「それじゃ3日後、あなたの“デビュー”、楽しみにしてるわ」

 こう言いながら、部屋を後にした。

 「……“デビュー”って、アタシ、アイドルを目指してるわけじゃないけど……」

 悠子はこうつぶやいたあと、

 「……なんなのよ!? このいやな感触……」

 どういうわけか、突然の震えが彼女を襲ってきた。それから、

 「……なぜ、“あの頃”のいやな思いが、蘇ってくるの……!?」

 しばらくの間、震えが止まらなかった。震えが収まった時、

 「……もうそんなに時間が過ぎてるの!? 1時間以上も……」

 こんなことをつぶやきながら、右足をさすっていた。そんな時、

 「悠子、風呂に入ろう」

 カナメがそう言いながら入ってきた。悠子は、 

 「……うん」

 とうなずいたあと、すぐに短パンとシャツ、ストッキングなどをタンスから取り出し、

 「カナメ、アタシも一緒に入るわ」

 そう言いながら、自分の部屋を出た。


 二人はそのまま風呂場に向かったあと、すぐに服を脱ぎはじめた。悠子がメイクを落としたことに気づいたカナメが、

 「あら、悠子って、素っぴんでもいけるのね。改めて見ると」

 こう話すと、悠子は、

 「……そう、なの……」

 と恥ずかしげに言いながらも、まんざらでもない様子だった。服を脱いだあと、二人はそのまま湯船につかった。それから、

 「悠子、日記書くことにしたんだって? 母さんから聞いたわ」

 カナメがこう言うと、悠子は、

 「……うん、そうよ」

 と答えたが、なぜか下を向いていた。

 「何かあったの? 悠子」

 カナメが不思議そうに問いかけると、悠子は、

 「……ううん、何でもないわ」

 首を横に振りながら答えた。その答えにカナメは、

 「……そう? アザとかを気にしてるんじゃないの?」

 こんなことを問いかけたが、悠子は、

 「……それも違うわ」

 またも首を横にふった。

 「……じゃなんなの!? 悠子が気にしてることって」

 今度は少しイラつくような感じで問いかけたところ、悠子は、

 「……アタシ、正直うまく教えることが出来るのかわからないわ……」

 こんな不安を口にした。

 「……そうだったんだ……。ごめんね」

 カナメは悠子に謝ったあと、

 「でも私には教えること出来たじゃない。それに今回は小学生相手でしょう? だったら、問題はないと思うわ」

 彼女を励ますようにこう伝えた。

 「……わかったわ。やってみる」

 悠子は改めてこう言ったあと、

 「……アタシやってみるわ、家庭教師。セレナさんからは、アシスタントとしてフォローに入るようにって言われたけど」

 カナメにこう伝えた。彼女は、

 「がんばってね、悠子。私も応援するわ」

 こう言いながら、湯船から出て、体を洗いはじめた。

 (……あの“震え”のこと、今言うべきかしら……)

 悠子はしばらく下を向いていたが、

 「悠子も体を洗ったら?」

 カナメの一言を聞いて、

 「……もうしばらく様子をみよう」

 とつぶやきながら、湯船を出た。それから体を洗い、再び湯船に入ってカナメと話をしたあと、一緒に湯船を出て着替えを終え、それぞれの部屋に戻った。


 部屋に戻った悠子は、改めて日記の続きを書きはじめた。

 「……アタシ、いやな頃の記憶がふいに戻ってきたわ。だけど今はそんなこと考えられないわ。それを考えると、アタシつぶされるの……」

 こんなことを言いながら、日記を書き終えた。それからしばらくして、

 「……アタシ、眠くなってきたわ……」

 そう言いながら電気を消して、そのまま横になった。その際、彼女は何かのまじないか、ストッキングごしの右足を何度もゆっくりさすっていた。自分の気持ちを落ち着かせるように……。ちなみに彼女の不安からくる“震え”は、後に彼女をある行動に走らせることになる。



 「……あの頃のゆっこちゃんに、震えが止まらないほどの“不安”があったなんて、私もそこまでは気づかなかったわ」

 セレナさんは考え込みながらこう言うと、改めてアタシを見つめた。そして、

 「あら、ゆっこちゃんって、以前会った時よりずいぶんふっくらになってるのね。ひょっとして、“幸せ太り”というのかしら……?」

 アタシにこう問いかけた。するとユズヒコが、

 「そうそう、やせてるゆっこ先生もいいけど、今くらい太ってる方がオレにはふさわしいよ。今のゆっこ先生、優しさの“オーラ”にあふれてるし、子供たちもそんなことを言ってるよ。オレには先生の“ありのまま”がこれだと思ってるから」

 こんなことを言い出した。

 「……ユズヒコ、アンタ女性に対して“太ってる”って、失礼よ」

 アタシはこう言いながらも、

 「……でもね、アンタがアタシに『太ってることなんて気にしなくていいよ。太ってたアタシがいいし、やせてた時より優しくなってるから』って言ってくれて、本当に救われたわ。アタシ、太ってることに恐怖を覚えてたの。命を落としかけた時に、ショックのあまり30kgほど太ってしまったあと、なかなかやせなかったし、正直不安でいっぱいになってたの……」

 ユズヒコにこんなことを伝えた。今度はセレナさんが、

 「……なるほどね。ユズヒコがゆっこちゃんにとっては“命の恩人”であり、“人生の恩人”でもあることはよくわかったわ」

 アタシにこう話すと、

 「私もさっきのユズヒコの話で、大切なことに気づかされたわ。『“ありのまま”って、人それぞれ違ってもいい』、ということにね」

 こんなことを口にした。それから、

 「今ね、私の家に太ってることで悩んでる女の子がいて、その子は散々いじめを受けて、ついには自殺しようとするほど追い込まれてたの。偶然仕事で来てたマンションで彼女を見かけて、何とか止めることが出来たからよかったけど。ただその子は『家に帰りたくない』と言ってるから、現在は私の家で彼女の面倒を見てるわ。それでゆっこちゃん、ひとつお願いがあるけど、よろしいかしら?」

 このような話をした。

 「セレナさん、もしかして『アタシにその子の面倒を見てほしい』ということでしょうか?」

 アタシがこう問いかけると、セレナさんは、

 「ご名答。その通りよ」

 笑みを浮かべながらこう答えた。それから、

 「ちなみに彼女、瞳という名前の高校生なんだけど、例のアニメ『グロガン姫』のファンなの。私もカナメと一緒に瞳ちゃんを救おうとしたんだけど、自殺を思いとどめるのがやっとだったわ……」

 こんなことを付け加えた。

 「……『グロガン姫』のファンですね、瞳ちゃん……」

 アタシは改めてセレナさんに確認すると、

 「ええ、そうよ。そして、テレビで偶然グロガン先生、つまりあなたのことを取り上げてる番組を見て、『あなたに会いたい』ってSOSを送ってきたの」

 こんな答えが返ってきた。そして、

 「だからゆっこちゃん、かつてオリビアさんが私を、私があなたを助けたのとおなじように、今度はあなたが瞳ちゃんを助けて恩を送ってあげて・・・・・・・・。おそらく彼女、人を信じられないほどの絶望的な状態になってると思うの。だからお願い、あなたが“彼女の希望”になってあげて」

 改めてアタシに、瞳という名前の高校生を助けるように頼み込んだ。

 「わかりました。必ず瞳ちゃんを絶望から助け出します」

 アタシは強い口調でこう言うと、セレナさんは、

 「ありがとう、“グロガン先生”」

 深々と頭を下げながら、こうお礼を言った。

 「オレも協力するよ、ゆっこ先生」

 ユズヒコもこう言ってくれたが、アタシは、

 「ユズヒコ、協力してくれるのはいいけど、瞳ちゃんに変なことするのはやめて。アンタの行動で彼女、また死にたいと思うようになってしまうかもしれないから、そこは絶対に意識しておいて」

 彼に釘を刺すようにこう伝えた。瞳ちゃんを絶対に救いたいという思いから、言っておく必要があったからだ。

 「それじゃ瞳ちゃんには、あなたが受け入れることを伝えておくわね」

 セレナさんはアタシにこう言ったあと、何かに気づいたのか、

 「あ、そういえば、あなたの日誌の話の途中だったわね。つい割り込んでしまってごめんね」

 アタシに軽く謝った。それから、

 「ゆっこちゃん、日誌の話、続けてくれる?」

 アタシにこう頼んだ。アタシはそれを受けて、

 「わかりました、セレナさん」

 と言いながら、日誌を開いた。



 月曜の昼過ぎ、ついに“家庭教師デビュー”を迎えた悠子は、自分の部屋で、

 「……アタシ、大丈夫かな……」

 不安になりながら、右足をさすった。そんな時、

 「悠子ちゃん、そろそろ行くわよ」 

 そう言いながら、セレナが部屋に入ってきた。

 「……わかりました……」

 悠子がイスから立ち上がって言うと、セレナは、

 「準備はいい? 一緒に教室に行くわよ」

 その言葉を合図に、二人はセレナが塾で使っている部屋に向かった。


 「今日は新しい人が、あなたたちを教えるために来ます」

 セレナはこう言いながら、部屋に入っていった。それから、

 「今日からしばらく、私のアシスタントを担当する、悠子先生です」

 と言いながら、悠子に教室に入るよううながした。それを受けて彼女は、教室に入ったあと、

 「……皆さん、アタシが悠子と言います……。これから、よろしくお願いします……」

 生徒である小学生たちにあいさつをしたものの、見るからに不安を隠し切れない様子だった。その様子を目にした小学生たちは、どうしたのかと騒ぎはじめた。するとセレナが、

 「彼女、ちょっと人見知りのところがあるけど、教える力はあるわ。私もフォローに入るから、よかったら、彼女にも聞いてあげて」

 助け船を出すようにこう言った。

 「……あ、ありがとう、ございます……」

 悠子がお礼を言うと、セレナは、

 「お礼はいいわ、悠子ちゃん。まずは子供たちが出した宿題に目を通して。添削はまだおいてていいから。それと私の教え方も見ててね」

 こう言いながら、悠子に宿題を見るように伝えたあと、子供たちのところを回りはじめた。すると男の子の生徒のひとりが、

 「セレナ先生、あの人先生の知り合い?」

 とたずねると、セレナは、

 「ええ、そうよ」

 と答えたあと、

 「あら、今日はよく出来てるわね。ずいぶんよくなったのね、ここに来た時より」

 笑みを浮かべながら、こう言った。すると生徒は、

 「先生の教え方上手だから。それに先生きれいだし、やる気が出ちゃったよ」

 こんなことを言い出した。

 「そう? ありがとう」

 セレナは生徒にお礼を言ったあと、

 「だけどね、私がいないところでも、やる気を出して勉強出来るようにならないと、本当に身につくことにはならないわ。それは心にとどめておいて」

 生徒にさとすように話した。その話を聞いた生徒は、思わず頭をさすった。

 「あらあら、図星ね。『私の塾でないと勉強がはかどらない』って」

 セレナはこうつぶやくと、再び回りはじめた。しばらくして、

 「……セレナさん、教えるの上手なのね」

 悠子がこうつぶやくと、女の子が、

 「ねえねえ、ここ教えて」

 と言いながら、ドリルを悠子に見せた。彼女は、

 「……ええと、これね」

 と言いながらドリルを見た。その時、

 「……どうして……!? どうしてなの……!?」

 なぜか頭を抱えてしまった。女の子が、

 「ねえ、どうしたの……?」

 心配そうに問いかけると、悠子は、

 「……あ、ああ……」

 言葉につまってしまった。彼女の異変に気づいたセレナは、

 「悠子ちゃん、どうしたの!?」

 と言いながら、悠子のもとに駆け寄った。その時彼女は、

 「……どうして、言葉が出ないの……!?」

 頭を抱えたまま、息を切らせていた。そんな彼女にセレナは、

 「悠子ちゃん、今日はいいわ。ゆっくり休んで」

 こう呼びかけた。子供たちには、

 「先生はちょっと教室から離れるから、戻るまでしばらく自習してね」

 と伝えたあと、悠子と一緒に教室を出た。それから、

 「どうしたの? 突然頭を抱えて」

 心配そうに問いかけた。その問いに悠子は、

 「……わからないの……。どうしてなのか……」

 首を横に振りながら、こう答えた。その時の表情を見てとったセレナは、

 「……ひょっとして、人が信じられないのかしら……?」

 改めてこう問いかけた。その問いに悠子は何も答えられなかった。

 「……あなたの“人間不信”はまだまだ深刻ね……」

 セレナはこうつぶやくと、

 「……わかったわ、少しずつ慣らしていきましょう。次回からは私も一緒に見守るわ」

 悠子にこう伝えた。

 「……わかりました、セレナさん……。今回は本当に、すみません……」

 悠子はソファで体を横にしながら、こう口にした。セレナは再び教室に戻る際に、

 「……どうすればいいのかしら、悠子ちゃんを“人間不信”から解放するには……」

 歩きながら考え込んだ。



 悠子の散々な“家庭教師デビュー”から数日後、教室では塾で働く女子大生の家庭教師がセレナに対して、

 「セレナさん、私もう限界です。あの子の担当をやめさせてください。それがダメでしたら、家庭教師を辞めます」

 こんな申し出を行った。セレナが、

 「……わかったわ。次から私があの子を直々に指導するから、明日から他の子をお願いね」

 こう伝えると、女子大生は、

 「わかりました。それとあの子、何度もおかしな質問をしたり、私の体を触ってくるのです。セレナさんも気を付けてください」

 と言いながら、教室を後にした。

 「……とは言え、あの子の指導を担当出来る人はいないみたいね……」

 セレナはこうつぶやきながら考え込んだ。しばらくして、

 「……悠子ちゃんにお願いするしかないみたいね。リスクはあるかもしれないけど……」

 と言いながら、悠子の部屋に足を運んだ。そして、

 「悠子ちゃん、お願いがあるんだけど、聞いてくれる?」

 悠子にこう問いかけた。彼女が、

 「……アタシが、教えるの……?」

 力ない声でこう問い返すと、セレナは、

 「その通りよ、悠子ちゃん。もう少ししたらその子の家に行くわ。私も一緒に行くから、お願いね」

 と答えた。悠子は、

 「……こんな、アタシでいいの……!?」

 再びセレナに問いかけると、彼女は、

 「そうよ。心配はしないで、私がついてあげるから」

 と答えた。それから、

 「早く準備してね」

 こう言いながら、一旦部屋を出た。悠子は悩んだ末に、

 「……セレナさんがついてくれるのだったら、行かないといけないわね」

 と言ったあと、準備を始めた。準備が終わったあと、

 「セレナさん、用意は出来ました」

 こう言いながら、部屋を出た。セレナは、

 「あの子の家は、私の家から車で数分のところにあるわ」

 と言ったあと、車の鍵を取りにいった。それから二人は、玄関を出て車に乗った。そしてセレナは、車を走らせて“あの子”が住んでいる家に向かった。


 しばらくして、“あの子”が住んでいる一軒家に到着したところでセレナは、

 「悠子ちゃん、心配しないで。私がついてるから、あなたが考えた通りに教えてみて」

 こう伝えた。そして二人は車を降りて、玄関に向かった。それからセレナはインターホンを押して、

 「こんにちは。私は昨日来た家庭教師が所属する塾の塾長である、大木おおきセレナともうします」

 と言った。すると、

 「まあ、塾長自らこちらに向かってくださるとは……」

 と言いながら、“あの子”の母親であろう女性が出てきた。それから、

 「うちの息子が昨日失礼なことをしたみたいで、本当に申し訳ありません……」

 こう言いながら、セレナに謝った。彼女は、

 「わかりました。今日は新しい家庭教師と一緒に来てますから、彼女に変な真似をしないようにお伝えください。それと今回は、私も一緒に息子の部屋に向かいます」

 母親にこう伝えると、悠子と一緒に玄関に入った。母親は二人に、

 「息子の、ユズヒコの部屋に案内します。中に入ってください」

 ユズヒコの部屋に案内することを伝えた。二人が家に上がったあと、二人を案内する際、

 「うちのユズヒコが、何人もの、あなたのところの家庭教師におかしなことを……。私も初めて知りました」

 こんなことを口にした。そして、

 「ここがユズヒコの部屋です」

 そう言いながら、部屋の前のドアを開けた。セレナは、

 「こんにちは、ユズヒコちゃん。今日は新しい家庭教師を連れてきたわ」

 と言いながら、悠子と一緒に部屋に入った。ユズヒコの母親もすぐに入ったところで、セレナは、

 「こちらの女性が、今日から君の家庭教師を務めます」

 悠子を差しながら、ユズヒコに伝えた。

 「……この人が、新しい家庭教師?」

 ユズヒコは首をかしげながら、悠子にこう問いかけた。彼女は緊張のあまり、

 「……はい、えーと、アタシが、あなたの家庭教師を担当します、古田ふるた悠子です……」

 ぎこちない自己紹介をしてしまった。これにはセレナが、

 「ユズヒコちゃん、彼女ね、結構な人見知りみたいなんだけど、教える才能はあるわ。だから、ちゃんと彼女の授業聞いてあげて」

 助け船を出すように、ユズヒコに伝えた。彼の母親も、

 「ユズヒコ、今度来た家庭教師に失礼なことをしたら、お前の好きなものを取り上げるから、わかった!?」

 念を押すかのように、こう言った。ユズヒコは、

 「……わかったよ」

 渋々という感じでつぶやいたあと、悠子に、

 「……勉強をお願いします」

 と言った。彼女も、

 「……こちらも、お願いします……」

 頭を下げながらこう言った。そして、セレナたちが見守る中、悠子は、

 「……昨日は、どこを教えてもらったの? ユズヒコ君」

 ユズヒコにこうたずねて、授業が始まった。しばらくたって、セレナが母親に、

 「こずえさん、ユズヒコちゃんって、いつもこのような感じですか?」

 こんな質問を投げかけた。梢は、

 「飲み物を持って上がる時、家庭教師の『あまりはかどってない』という言葉を耳にしますね。彼に聞くと、“それなりには”という答えではぐらかされますが」

 こう答えると、

 「少し遅くなりますが、飲み物をお持ちします」

 と言いながら、一旦部屋を離れた。数分後梢が、

 「よかったら、こちらをどうぞ」

 と言いながら、小さなテーブルの上に二人分のアイスコーヒーを置いた。それから、

 「もし何かあったら、ぜひお伝えください」

 セレナにこう言ったあと、再び部屋を出た。しばらく悠子たちの様子を見ていたセレナは、

 「……少しぎこちないけど、今のところはそこまでの問題はないみたいね……」

 こうつぶやきながらメモを取ろうとした時、突然着信音が鳴り出した。

 「……わかったわ。すぐに戻る」

 セレナは電話の応対を終えると、

 「悠子ちゃん、私はこれから戻らないといけなくなったわ。だから、授業が終わったら私に電話をかけて。迎えに行くから。ユズヒコの母親の梢さんには伝えておくわね」

 と言いながら、部屋を後にした。セレナが部屋を後にしてほどなく、ユズヒコが悠子を見ながら、

 「ねえちゃんって、胸でかいんだね。どうしたらそうなるんだ?」

 いきなりこんなことを言い出した。その言葉に悠子は顔をうつむいて黙ったまま、何も言えなかった。するとユズヒコが、

 「何も答えないって変なの」

 と言ったあと、今度は、

 「……あ、ねえちゃんって、『グロガン姫』に出てくる、ヒロインのお姫様に似てるよね。だったら、一度ガングロにしてみたら? きっと人気者になるよ」

 こんなことを言い出した。

 「……“ガングロ”……!?」

 “ガングロ”の言葉を耳にした悠子は、顔を上げたあと、ユズヒコのもとに駆け寄った。そして彼も予想しなかった行動に出た。

 「ちょっとねえちゃん、いきなり何するの!? 胸が顔に入って苦しいよ」

 ユズヒコが顔を赤くしながら、もがくようにこう言うと、悠子は彼を抱き締めたまま、

 「ねえ、このまま抱かせて……」

 意を決したような表情を浮かべながら、必死に懇願する感じの声色でこうつぶやいた。はじめはもがいていたユズヒコも、

 「……ねえちゃん、そんなにオレが好きなの?」

 こう問いかけた。悠子は、

 「……アンタ、ガングロ好きなの?」

 逆にこう問い返したあと、

 「アタシ、次からガングロにしてくるわ。気に入ってくれる?」

 ユズヒコにこんなことを聞いた。すると彼は、

 「うん、ぜひやって。ねえちゃんのガングロ見たいよ」

 喜びながらこう答えた。そんな彼に悠子が、

 「じゃ、勉強してくれる? ユズヒコ君」

 こう問いかけると、ユズヒコはうなずいたあと、これまでとはうって変わったように勉強を始めた。


 しばらくして、

 「ユズヒコ、塾長は帰ったけど、勉強はどうなってるの?」

 梢が入ってくると、ユズヒコの様子を目にして、

 「ちょっとユズヒコ、勉強はどうしたの!? アニメ見てる場合じゃないでしょう。先生もちゃんと勉強教えてください」

 怒るように言った。するとユズヒコは、

 「母さん、少し休憩してるところだよ。それとこの先生、今までと違って分かりやすいから、勉強はかどったよ」

 梢にこんなことを話した。それから、

 「先生って、今見てるアニメのヒロインによく似てるんだ。最初は恥ずかしかったみたいだけど、オレが『ヒロインに似てる』って言ったとたんに抱きついてきて……」

 話を続けている途中で梢が、

 「いったい何を考えてるのですか!? 先生。小学生の息子に抱きついて、何をするつもりだったんですか!? 恥知らずなことをするのでしたら、塾長に抗議します」

 悠子に怒りをぶつけるように、こうまくし立てた。梢の怒りに悠子は、

 「……申し訳ありません……」

 と謝ったあと、

 「ユズヒコが、アタシのことを気にかけてくれたものですから、感謝の意味をこめて彼を抱き締めて……」

 声をつまらせながらこう話した。ユズヒコも、

 「そうそう、オレ先生が好きになったよ。教えるの上手だし、これまでの先生とは違って話が合うし」

 悠子のフォローに入るようにこう言った。ところが梢は、

 「お前は黙ってなさい」

 ユズヒコを怒った上で、悠子をにらんだ。そんな彼女に悠子は、“いつもの彼女”とは違って、

 「お母さん、アタシはユズヒコに“助けられた”のです。正直ここに来るまでは、あなたの息子であるユズヒコに教えることが出来るかどうか、アタシは不安でつぶされそうでした。そんなアタシに、ユズヒコは声をかけてくれたのです」

 落ち着いた様子でこう話した。それから、

 「彼は、“こんなアタシでも人気者になる”と言ってくれたのです。その言葉にアタシは助けられ、不安が消えました」

 涙を流しながら、こんなことを付け加えた。彼女の話に梢は、

 「……そうだったのですか、息子が先生を助けるなんて……」

 と言ったあと、

 「今回息子を抱いた件は、塾長には言わないでおきます。代わりに、息子をあなたにおまかせすることをお伝えします」

 こんなことを悠子に伝えた。

 「……ありがとうございます」

 彼女はお礼を言ったあと、ハンカチで涙をぬぐって、ユズヒコのもとに駆け寄った。その様子を目にした梢は、

 「……あんな息子に助けられるなんて、本当にわからないものね」

 こうつぶやきながら、部屋を後にした。

 「先生、早くアニメの続き見よう」

 ユズヒコがこう言うと、悠子も、

 「勉強はちゃんとしてよ」

 とは言いながら、ユズヒコと一緒に『グロガン姫』の続きを見た。しばらくして、

 「……“アタシと一緒”なのね、ヒロインのお姫様……。男たちにひどい目にあわされたところ」

 悠子は涙を流しながら、こんな言葉をもらした。

 「どうしたの? ねえちゃん。涙を流して」

 ユズヒコが首をかしげながら問いかけると、悠子は涙をぬぐって、

 「ううん、何でもないわ」

 と答えたが、ユズヒコが、

 「オレ、ねえちゃん守りたいんだ。本当にねえちゃんが好きだから。昔何かあったんでしょう?」

 悠子の胸をさわりながらこう話すと、彼女は顔を赤らめながら、

 「……アンタねえ、人の胸さわるのやめて。そんなことするから、他の家庭教師の人がアンタをいやがるでしょう……」

 こう言ったものの、

 「……でも、アンタはごまかせないみたいね。アタシのことを気にかけてくれてるし」

 と言ったあと、ユズヒコをそっと抱き締めて、

 「わかったわ、少しだけ昔のことを話すわ。アンタはセレナさんと同じ、アタシを助けてくれた“恩人”だし」

 こんなことを口にした。それから、

 「数日前、今日アタシと一緒に来たセレナさんが助けてくれるまで、アタシはあのお姫様と同じように、何人もの男たちにひどい目にあわされたの。もしあの日、セレナさんが公園で倒れてたアタシに気づかなければ、今ごろアタシはここにはいなかったわ。下手をすると命までなかったかも……。そこもお姫様と同じ・・・・・・ね……」

 こう話した。ユズヒコは、

 「先生、辛かったんだね」

 と言いながら、悠子の胸を何度もつついていた。彼女は、

 「……ちょっとアンタ、何でアタシの胸をさわってるの!?」

 と言いながらも、ユズヒコが、

 「あ、先生、顔が赤くなってるよ。お姫様と同じだ」

 と指摘した通り、顔を赤くしていた。

 「……“お姫様お姫様”って、アンタねえ……」

 悠子はこう言ったものの、表情は怒りよりむしろ、穏やかな感じに近かった。

 「先生、表情が柔らかくなってるよ。うちの母ちゃんも、これまで来た家庭教師も見せたことないような優しい顔だよ」

 ユズヒコがこう言うと、悠子は再び彼を抱き締めて、

 「ありがとう。アタシにそんなこと言ってくれるなんてうれしいわ」

 涙を流しながらこう言った。それから彼に、

 「そろそろ勉強始めるわよ」

 と呼びかけると、彼も、

 「わかった、先生」

 大きくうなずいたあと、テレビを切って、机に戻った。


 しばらくして、

 「今日本当に楽しかったよ。毎日でも先生の授業受けたいぐらいだよ」

 ユズヒコは喜びながらこう言うと、悠子も、

 「アタシもよ。これからもアンタと一緒にいたいわ」

 と言った。それから、

 「これはアタシからのお礼よ」

 そう言いながら、ユズヒコを抱き締めた。そして携帯を取り出して、

 「セレナさん、ただいま終わりました」

 電話でこう話した。そして電話が終わると、

 「アタシね、セレナさんに、『これからアンタの家庭教師が出来るように』頼んでみるわ」

 ユズヒコにこう伝えた。

 「……先生、オレユズヒコっていうんだけど……」

 彼は悠子にこう伝えたあと、

 「『いい』って言ってくれたらいいよね、先生」

 期待を込めるように話した。それから時間がたち、

 「先生、塾長が来てますよ」

 と言いながら、梢が部屋に入ってきた。そして、

 「今日は息子のためにご苦労様です」

 悠子にねぎらいの言葉をかけると、彼女は、

 「お母さん、感謝したいのはアタシの方です。彼はアタシのことを助けてくれましたから」

 こう言いながら、深々と頭を下げた。それから荷物をまとめて、

 「今日はこれで終わりです。アタシはこれで戻りますが、ユズヒコ、勉強は忘れずに続けてやってください」

 ユズヒコにこう伝えたあと、彼の部屋を後にした。そして靴を履いて一礼したあと、家を離れてセレナの車に乗った。そんな彼女を目にしたセレナは、

 「悠子ちゃん、ユズヒコの家で何があったの? 笑顔になってるけど」

 悠子にこう問いかけると、彼女は、

 「……セレナさん、大切なお話があります。家に戻ってからでいいですか?」

 真剣な面持ちに変わって、こんなことを口にした。セレナは、

 「いいわよ。話を聞いてあげるわ」

 こう答えたあと、

 「……ここまで変わるなんて、一体何があったのかしら……」

 悠子に聞こえないようにつぶやいた。車がセレナの家に着いたあと、彼女は駐車場に停めてから二人で家に戻った。それからセレナは悠子に、

 「悠子ちゃん、お話って何?」

 こう問いかけたところ、彼女は、

 「セレナさん、アタシにユズヒコの家庭教師を続けさせてください」

 必死の形相で、単刀直入にこう訴えた。するとセレナは表情を変えて、

 「悠子ちゃん、本当にやれるの!?」

 念を押すように問いかけた。その問いに悠子は、

 「はい。アタシはユズヒコに助けられましたし、それにアタシの授業を毎日でも受けたいと言ってくれました。アタシも彼を教えるのが楽しいです」

 こう答えると、さらに、

 「それともうひとつ、ガングロメイクで教えることを許してください。彼も『アタシのガングロメイクを見たい』と言ってます」

 セレナにこう頼み込んだ。悠子の必死の熱意に負けたのか、セレナも、

 「わかったわ。あなたにユズヒコの家庭教師を任せること、向こうに伝えておくわね」

 笑顔になってこう伝えた。

 「ありがとうございます、セレナさん」

 悠子はお礼を言ったあと、すぐに自分の部屋に向かった。

 「……あれだけ変わるなんて、何かきっかけでもあったのかしらねぇ」

 セレナは考え込みながら、キッチンに向かった。そしてすぐに夕飯の支度の続きに入った。一方悠子は部屋に戻り、

 「今度ユズヒコに会うのが楽しみだわ」

 家を出る時とはうって変わって、荷物を片付けていた。それからしばらくたって、夕飯が出来たことを知りリビングに向かった。そこで悠子は、改めてユズヒコの家庭教師を担当することを話すと、

 「よかったじゃない。あなたのことを気に入ってくれる生徒がいるって。あなたが楽しそうに教えることが出来るなんて」

 カナメは大いに喜んだ。それから、

 「悠子、そのユズヒコって小学生との授業のこと、別の日でいいから話を聞かせて」

 こう頼み込んだ。その頼みに悠子は笑顔でうなずいた。そしてセレナに、

 「セレナさん、次にユズヒコと会えるのはいつでしょうか?」

 と問いかけた。彼女は、

 「今週の木曜よ」

 と答えると、

 「悠子ちゃん、前彼を担当してた女子大生も、あなたにお礼を言ってたわ」

 悠子にこんなことを伝えた。

 「そうだったのですね……」

 悠子はこうつぶやいたあと、少し急ぎ足に夕飯を食べ終えた。そして、

 「ごちそうさま」

 と言って食器を下げてから、部屋に戻った。


 「ええと……、早速日誌を書かなきゃ」

 悠子はそう言いながら、例のノートを取り出して、今日の出来事を書き出した。それが終わったあと、

 「木曜が楽しみね。アタシこんな気持ちになったの、いつ以来かしら……」

 こうつぶやきながら横になって、天井を見上げていた。



 木曜日、準備を終えた悠子はセレナに、

 「セレナさん、これからユズヒコの家に行ってきます」

 と言った。彼女の身なりを目にしたセレナは、

 「……その格好でいいの?」

 こう問いかけた。その問いに悠子が、

 「はい。彼が先日『こんな感じがいい』ということを言ってましたから」

 と答えるとセレナも、

 「……そう、わかったわ」

 軽くうなずいたあと、

 「いってらっしゃい。ユズヒコちゃんのところに」

 そう言いながら、悠子を送り出した。彼女は家を出てから15分ぐらいたって、あの家の玄関のインターホンを押した。

 「こんにちは。先日そちらに伺いました、家庭教師の古田です」

 悠子がこう呼びかけると、

 「こんにちは……、先生、そのメイクは……」

 玄関を出た梢が、悠子のメイクを見て、驚いたそぶりを見せた。梢が何かを口にしようとした時、ユズヒコが現れ、

 「先生、ガングロメイクしてくれたんだ。カロリーナお姫様みたいで似合ってるよ」

 悠子にこう伝えた。彼女は、

 「ありがとう、ユズヒコ。これから授業始めよう」

 ユズヒコにお礼を言いながら、こう呼びかけた。すると彼は、

 「早く部屋に行こうよ、先生。早く上がって」

 うれしそうに悠子にねだった。彼女は、

 「お邪魔します」

 そう言いながら靴を脱いで、家に上がった。それからユズヒコと一緒に、彼の部屋に向かった。部屋に入ったあと、

 「先生、その格好似合ってるよ」

 改めてユズヒコがこう言うと、悠子は、

 「ありがとう、ユズヒコ」

 笑顔でお礼を言った。そして、

 「今から勉強始めましょう」

 と呼びかけて、勉強が始まった。


 しばらくして、休憩に入った二人は、梢が用意したおやつを食べながら話をしていた。話の最中ユズヒコが、

 「先生、オレ先生と結婚したいんだ。先生のような人が好きだから」

 いきなりこんなことを言い出した。

 「……け、結婚!? アタシと?? 冗談でしょう、それ」

 これには悠子が驚きの声をあげた。それから、

 「アンタまだ小学生でしょう? 結婚はまだ早いわよ。18になってからしかできないから」

 彼にこう説明したが、顔が赤くなっていた。

 「先生、顔が赤くなってるよ。照れてるんじゃないの?」

 ユズヒコがこう言うと、悠子は、

 「……アンタねぇ、アタシをからかわないでよ……。結婚するなんて言い出しされると、アタシ……」

 動揺を隠せないのか、辺りをキョロキョロしながら戸惑っていた。ところがすぐに、

 「……って、アンタ何でアタシの体をあちこちさわってるの!? それだから、他の家庭教師に嫌われるんでしょう」

 ユズヒコが自分の体をさわっていることに気づき、少し強い口調で彼に注意した。そんな悠子にユズヒコは、

 「ごめん。先生の体がどんな感じだったのか知りたかったんだ。それと先生と結婚したいのは冗談じゃないよ。オレ、何だかわかんないけど、何日か前に先生が来てから、『いつまでも一緒にいたい』って思いが芽生えたんだ」

 こんなことを伝えた。彼女は、

 「……他の人じゃなくて、アタシなの!?」

 改めてこう問いかけると、ユズヒコは、

 「うん」

 笑顔でうなずいた。悠子が、

 「……本当にアタシと結婚出来るようになるまで待てる? まだアタシと会って今日が2回目よ」

 と問いかけると彼は、

 「うん。先生が大好きだから」

 これまた笑顔でうなずいた。

 「……小学生にプロポーズされるなんて、夢にも思わなかったわ……」

 悠子はこうつぶやいたあと、

 「そろそろ勉強を始めるわ」

 と言った。ユズヒコもその言葉に応じて、勉強を再開した。


 しばらくたって、

 「先生と一緒に勉強すると、本当にはかどるよ」

 ユズヒコはこう言ったあと、机の引き出しを開けて、一枚の丸めた紙を取り出した。そして、

 「これ、『グロガン姫』の主人公のカロリーナのポスターなんだけど、先生にあげるよ。カロリーナって、絶望の底から立ち上がって、色々な理不尽なことと戦ってるんだ。先生も同じだと思うよ。だからオレ、少しでも応援してあげたいんだ。結婚出来るようになるまでは」

 手にしたポスターを悠子に渡した。

 「これをアタシに?」

 彼女はポスターを受け取ったあと、すぐにポスターを見た。

 「……本当にアタシに似てるわ……」

 彼女がうなずきながらつぶやくと、ユズヒコが、

 「そうそう、カロリーナって、パンストをはくと心が落ち着くんだって。先生もそうじゃないの?」

 こんなことを言い出した。その話に悠子は驚きの表情を浮かべながら、

 「ええ!? カロリーナってそこまでアタシと同じなの??」

 思わず声をあげた。それから、

 「アタシも毎日ストッキングをはかないと、何か不安になってくるの。正直ストッキングなしでは、アンタに教えることができないぐらい」

 ユズヒコにこんなことを告げた。すると彼は、

 「先生がパンストはいてる姿をって、本当に似合ってるよ。母ちゃんよりもね。母ちゃん今でも読者モデルやってるぐらいきれいなんだけどね……」

 こう話しながら、悠子の太ももをさすった。

 「……アンタねぇ、やたら人をさわったりするのはやめて。それ非常識よ」

 ユズヒコにこう叱った彼女だが、

 「……でもアタシだから、今回は許してあげるわ。だけど他の人にはそんなことはしないで。それと、アタシがいいと言わない時にさわるのはダメよ。さわっていい時はアンタに必ず伝えるから」

 ユズヒコの手を握りしめながらこう伝えた。すると彼は、

 「……そうだったの!? オレ、先生の緊張をほぐそうとしてさわってたけどね……。前の先生の時もそうだったし、付き合おうと思っていたけど」

 今度はこんなことを言い出した。

 「……本当にアンタって、一般常識が無いか低すぎなのか、ただ素直すぎるのか……。アタシが言うのもどうかとは思うけど……」

 悠子は、半ばあきれるようにつぶやいたあと、ユズヒコに、

 「もうすぐしたら時間が来るわ。ユズヒコ、今回から帰る時、アンタを抱き締めてもいい?」

 こんな願いをかけた。すると彼は、

 「先生がオレを抱いてくれるの!? うわあ、ありがとう」

 飛び跳ねるように喜んだ。

 「アンタって、正直すぎるのね……」

 悠子はそう言いながらも、

 「今日もありがとう、ユズヒコ。アンタのおかげで、人前で教えることが出来るようになってきたわ」

 そっと抱き締めながら、ユズヒコにお礼を言った。そんな彼女にユズヒコも、

 「オレも悠子先生に教えてもらいたいよ」

 と伝えたあと、彼女を抱いた。そして、

 「先生って、本当に温いね。カロリーナみたいだよ」

 こんなことをつぶやいた。しばらくして、

 「先生、もう帰るの? さびしいね」

 ユズヒコがこうつぶやくと、悠子も、

 「ごめんね、ユズヒコ。アタシ帰らないといけないから」

 名残惜しそうにユズヒコから離れた。それから帰り支度を済ませて、

 「また今度ね、ユズヒコ」

 と言ったあと、部屋を後にした。その後玄関に向かったところで、

 「また今度も来ます、梢さん。それとユズヒコは勉強するようになってます」

 梢にこう報告した。彼女は、

 「……あなたが来るのを楽しみにしてましたからね……、息子は。彼が勉強するようになったことに感謝します」

 悠子にお礼を言ったあと、

 「……あなたには『そのメイクはやめてほしい』と言おうと考えてました。だけど息子が『どうしてもしてほしい』と言ってますし、それと二人の姿を目にして、そのメイクが二人を結んでることがわかって、考えを変えました」

 こんなことを悠子に伝えた。

 「……アタシ、迷惑かけてたのかもしれないのですね……」

 悠子はこうつぶやいたが、梢は、

 「そんなことはありません。ユズヒコは、あなたのガングロメイクが気に入ってるみたいです。先生と一緒に勉強するのが楽しみなのです。だから、これからもユズヒコの勉強ぶりを見てあげてください」

 悠子を励ますように話した。

 「……ありがとうございます」

 悠子はお礼を言ったあと、

 「それではアタシはこれで帰ります。次回もよろしくお願いします」

 と言ったあと、靴をはいて家を後にした。


 「アタシ、今ならユズヒコ以外の子供にも、教えてあげることが出来るかもしれないわ」

 悠子は、セレナの家に帰る道中、こんなことをつぶやいていた。家に戻ったあとセレナに、

 「セレナさん、アタシに小学生の子供の手伝いをさせてください」

 意を決したように頼み込んだ。セレナは驚いた表情を浮かべながら、

 「……急にどうしたの!? 悠子ちゃん」

 こう問いかけると、悠子は、

 「アタシ、ユズヒコに教えることで不安が和らぎました。小学生相手でしたら行けると思います」

 真剣な面持ちで答えた。するとセレナは、

 「わかったわ」

 と言ったあと、

 「ただし、しばらくは教室ではノーマルメイクでお願いね。ガングロはユズヒコの時だけにして」

 悠子にこう伝えた。

 「わかりました」

 悠子はこう言ったあと、部屋に戻って日誌を書きはじめた。それから、

 「うん、ユズヒコにはいずれお礼をしなくちゃ」

 と言いながら、日誌を閉じた。



 「……この日誌、しばらく“ユズヒコLOVE”みたいになってるわね……」

 セレナさんはこんなことをつぶやいたあと、

 「ゆっこちゃんたちって、あの頃から結婚しようと考えてたの??」

 アタシたちにこんな質問をかけてきた。するとユズヒコは、

 「オレはそうだったよ。一度別れたあともゆっこ先生のことが忘れられなくて。別の女の子と付き合ったこともあったけど、結婚は全く考えてなかったよ」

 即答で答えた。アタシはというと、

 「……ちょっと恥ずかしいわ……。あの頃のアタシ、ずっと“ユズヒコLOVE状態”だったなんて……」

 恥ずかしさのあまり、思わず顔を押さえてしまった。それでも、

 「アタシもユズヒコのこと忘れられなくて、一時期、家庭教師の仕事が手につかなかったことがあったわね」

 と言ったあと、

 「正直今のアタシは、セレナさんやユズヒコがいてこそ、だと思うの。だから他の男との結婚は全く頭になかったわね」

 と答えた。するとユズヒコが、

 「本当にゆっこ先生が他の男に取られなくてよかったよ。それにおととし、先生が誰かに刺されて意識不明になった時はオレ、どうしようかと気が気じゃなかったよ。出来れば、オレが先生に代わってやりたいと思ってたぐらいだよ」

 後ろからアタシの胸をさすりながら、こんなことを口にした。

 「ちょっとアンタ、なんでアタシの胸をさすりながら言うの!? セックスだったら後にしてよ」

 アタシは思わず声を大にして、ユズヒコに怒鳴った。セレナさんも、

 「ユズヒコ、それはまずいわ。いくら夫婦だからって、ゆっこちゃんを守りたいからって、やっていいことといけないことの区別はつけないと」

 彼をさとすようにこう言った。彼は、

 「……ごめん。先生って、さわると“人間的な温もり”を感じるからつい……」

 こう言いながらアタシに謝った。アタシはユズヒコに、

 「わかったわ。アンタは時折、家の中でアタシのことを所構わずさわるくせがあるから、それは気をつけて。アタシをさわりたい時は一声かけて。それと少しは我慢することを覚えて」

 こう伝えたところ、彼は、

 「……わかったよ。ごめん」

 頭を深く下げた。すると今度はセレナさんが、

 「だけどゆっこちゃん、私があなたを助けた時とは様変わりしたわね。今では子供たちに、『あなたの胸や体を自らさわらせる』なんて、実に大胆なことをするまでになったものね……」

 感心しながらこう言った。アタシは、

 「ええ。子供たちに勉強を教える以外のことで何が出来るか、アタシなりに考えてみたら、こういう形になりました。子供たちに“温もり”を感じてもらうことで、人を大切にすることをわかってもらおうと」

 このようにセレナさんに伝えると、

 「アタシは、これまで家庭教師として子供たちを教えてきた時、最近の子供たちには、人とのふれあいが足りないのではないかと感じたのです。実はユズヒコの家庭教師をして数年ぐらいたったあと、今やってることをしようと考えたのです」

 こんなことを付け加えた。セレナさんは、

 「“スキンシップ”ね……。メディアでも話題になってるわね。だけど生徒の親から止められたこと、あったでしょう? 一歩間違えるとクレームになるわよ」

 今度はこんな風に問いかけてきた。アタシが、

 「ええ。何度もそれはありました。ですが、アタシとのスキンシップがきっかけで、親子が仲直りしてくれたこともありましたし、何人もの子供を助けることが出来ました。ですから、出来る限り今後も続けたいと考えてます」

 このように答えると、セレナさんは、

 「あら、十分子供たちに“恩を送ってる”のね。よかったわ」

 笑顔でこう話した。その時インターホンが鳴り、アタシが玄関に向かうと、

 「悠子ちゃん、もうすぐ新築の家に引っ越すんだって?」

 梢さんが来ていた。

 「母さん・・・、来てくれたのですね。今セレナさんも来てますから、ぜひ上がってください」

 アタシがこう言うと梢さんは、

 「先生まで……。ちょうどよかったわ。先生にもお礼をしたくて」

 と言いながら玄関を上がった。それから、

 「悠子、よかったわね。あなたとユズヒコが結ばれて……。これからも、“あなたの母さん”として接してあげるから、困ったことがあったら相談して」

 こう言いながら、アタシをそっと抱き締めた。

 「梢さん、ありがとうございます」

 アタシは梢さんにお礼を言うと、彼女をセレナさんがいるところに案内した。


 「セレナさん、おひさしぶりです」

 梢さんがこう言うと、セレナさんも、

 「おひさしぶりです、矢田やださん。相変わらず若々しいですね」

 と言いながら立ち上がった。梢さんが、

 「そう言ってくれてありがとう、セレナさん。それとこれからは梢さん、でいいわよ」

 お礼を言うと、セレナさんは、

 「わかりました」

 とうなずいた。それから梢さんは、

 「よかったら、このパンの詰め合わせ食べて。それに若々しいのは先生も同じよ」

 そう言いながら、最寄りのショッピングモールにある、人気のパン屋さんの紙袋をセレナさんに手渡した。

 「ありがとう、梢さん。後でカナメと一緒に食べるわね」

 セレナさんは紙袋を受け取ると、梢さんに、

 「梢さんって、“美熟女モデル”として人気があるみたいね。だからひとつ、私のお願いを聞いてくださる?」

 こう問いかけた。

 「私にですか?」

 梢さんが首をかしげると、セレナさんは、

 「ええ、そうよ」

 とうなずいたあと、

 「私のところに講師として来てくださる?」

 こんな頼みごとをした。さらに、

 「現在はSNSで色々なことが発信出来る時代だけど、私は、あなたが直々に教えることに意味があると考えてるわ」

 こう伝えた。

 「……わかりました、セレナさん。その話、引き受けます」

 梢さんはこう答えると、セレナさんは、

 「ありがとう、梢さん。詳しいことは近々知らせるわ」

 と言いながら、梢さんの手を握った。その時母さんは、

 「……実は、悠子が太ってる姿を見て、私は『やせた方がいい』と勧めたのですが、息子がしきりに『太ってるゆっこ先生がいい』っていうのです。そこで私はあることに気づかされました」

 こんなことを口にした。それから、

 「私はネット上で“美熟女”と言われてますが、悠子には“太ってる人の魅力”が備わってることに、これまで気づかなかったのです……。実に恥ずかしい限りです……」

 こんな話をした。

 「……母さん……」

 アタシは思わずこうつぶやいた。そんなアタシに梢母さんは、

 「……改めてあなたを見ると、ユズヒコが言ってたことがわかったの。確かにあなたには、子供たちが親しみを持つ“優しさ”が感じられるわ。あなたがやせてた時は、“ガングロが似合うギャルみたいな美女”という感じだったけど、今の方があなたの魅力を十分引き出せてるわね。パンストをはいた方が似合うのも、セレナさんと同じみたいだし」

 こんなことを言ってくれた。それから、

 「セレナさん、改めて他人と向き合うことで、私も教えると同時に学べると考えました。ぜひ私を講師として採用してください。旦那にも話を伝えておきます」

 セレナさんに講師にしてもらうように頼み込んだ。するとセレナさんは、

 「もちろん、喜んで採用するわ。あなたに教えてもらいたい人は多いから」

 笑顔でうなずいた。それから、

 「あ、梢さん、もしよければ、ゆっこちゃんの日誌を一緒に読んでみる? 彼女ね、日誌を書いたことで人生が変わったの。私と同じように」

 梢さんに、アタシの日誌を読むように誘った。しかし梢さんは、

 「悠子、私はこれから旦那と一緒に“愛を確めあう”の。あんな旦那だけど、私を美熟女にしてくれたのも彼なの。日誌は、いずれ読みたい時にお願いするわ」

 こう言いながら断った。するとユズヒコが突然、

 「母さん、それっておやじとセックスすんの?」

 こんなことを言い出した。アタシは、

 「ユズヒコ、母さんに失礼なこと言わないで。アンタの妹もいるでしょう」

 こう言って彼をたしなめたが、梢さんは、

 「いいのよ、悠子。妹も見たいって言ってるし、私たちも、妹のメグミに性教育を行ういい機会だと思ってるから。そこは旦那と意見が一致してるわ。それにあの旦那、私がパンストはいてないと乗り気にならないし」

 と言いながら、天井を見上げた。それから、

 「2年ぐらい前、あの時離婚を思いとどまってよかったと思ってるの。だけど浮気されるとは思わなかったわ。メグミの必死の説得によって、旦那が誰かに甘えたかったことを気づかされたの」

 こんなことを口にした。話を聞いたセレナさんは、

 「えっ!? 梢さん、離婚しかけたことがあったの??」

 思わず大きな声をあげた。そんな彼女に梢さんは、

 「ええ。あの時の浮気が、旦那の“必死のメッセージ”だったことに気づいてなかったら、本当に離婚してたわ。だから、浮気したことは許してあげたの。そしておわびの印に、“一日中のセックス”をしてあげたわ」

 こんなことを打ち明けた。するとユズヒコはいきなり、

 「すげえや、母さん。オレもゆっこ先生と一日中したいよ」

 アタシの肩を軽くポンと叩きながら、こんなことを言い出した。

 「ちょっとアンタ、何考えてんの!? 一日中アタシとセックスしたいって……」

 アタシは、ユズヒコの手を払いながら、ため息をついてこう言った。梢さんは、

 「……まったく、ユズヒコと旦那って、ほぼ反対の性格をしてるのね。旦那は引っ込み思案なところがあって、なかなか思ったことを言ってくれなかったし。それでいざこざになったこともあったけど、今思うと、セックスする時に、いつも私にパンストをはいてほしいと頼むのも、彼なりの“優しさ”だったのかもしれないわね。私ね、以前結構な冷え症だったけど、セックスする時、してからしばらくは、冷えは消えていたわね」

 今度はこんな話をした。

 「……梢さん、いい旦那をお持ちですね……」

 セレナさんがこうつぶやくと、梢さんは、

 「ありがとう、セレナさん」

 とお礼を言ったあと、

 「実はね、“一日中のセックス”は、ユズヒコが見てたアニメがヒントになってたの。あのアニメでは、二人が長い間キスを続けたところで、次のシーンに移ったみたいだけど。ともかくあのセックス以来、冷えはすっかり収まったわ。同時にパンストも毎日はくことになったけどね……」

 こう話した。

 「“アニメ”って、もしかして『グロガン先生』?」

 セレナさんが問いかけると、梢さんは何も言わず、ただ大きくうなずいた。すると、

 「……それじゃ、家族で『グロガン先生』が好きになるのもわかるわ。梢さんの話を聞くと、そのアニメが梢さん夫婦と、ゆっこちゃんたちの、それぞれの“絆”を育んだことをになるから」

 セレナさんはこんなことを言い出した。それから、

 「ところで梢さん、さっきの話が、ゆっこちゃんの家庭教師のことと、どう結び付くのかしら……」

 こんな疑問を投げ掛けた。すると梢さんは、

 「悠子は気づいてるでしょう? 旦那にもいいところがあるのだから」

 笑みを浮かべながら、アタシに問いかけた。

 「……そうですね。アタシも出来るだけ家庭教師の仕事を通じて、子供たちに寄り添っていいところを見つけてあげたいと考えてるし、そうすることで、少しでも子供たちの手助けをしたいと思ってます。ただ、彼らがいけないことをした場合、そこはきちんと注意します」

 アタシがこう答えると、セレナさんは、

 「……なるほどね。“グロガン先生”が子供たちに親しまれる理由がわかったわ」

 感心するようにつぶやいた。それから、

 「自分をさらけ出すことで、子供たちを安心させる。また、子供たちに寄り添い、一緒にいいところを探す。だけどダメなところは注意をする。つまり、あなた子供たちに本気で向き合う姿勢を取ってるから、子供たちも信頼してるのよ」

 こんな話をした。

 「そこまで言ってくれるなんて……、恐縮です」

 アタシは、胸に手を当てながらこう言った。それから、

 「セレナさん、アタシ、いずれ個人塾を開こうと考えてますが、何かアドバイスを頂けますか?」

 セレナさんにこんなお願いをした。するとセレナさんは、

 「ゆっこちゃん、それなら私の会社に来て。あなたを個人塾の塾長として受け入れるわ」

 笑みを浮かべながら、こんな提案を持ちかけた。

 「……セレナさん、アタシはいいですけど、今働いてる塾の方が納得してくれるかどうか……」

 アタシは戸惑いぎみにこう問いかけると、セレナさんは、

 「心配はいらないわ。私のところと提携話を持ちかけてるし、あなたの塾も乗り気になってるから」

 こんな話をした。その話を聞いたアタシは、

 「わかりました。このことを塾の方に伝えます」

 と答えると、セレナさんは、

 「わかったわ、ありがとう」

 笑みを浮かべながら、アタシにお礼を言った。その時梢さんは、

 「よかったわね、悠子。セレナさんと一緒に働けるって」

 こんなことを言ったあと、

 「それじゃ、そろそろ家に帰るわね。愛しい旦那が待ってるからね。今でもお互いにとって“大切なパートナー”だから」

 と言いながら立ち上がった。それから、

 「セレナさん、これからも悠子をよろしくお願いします」

 セレナさんに頭を下げたあと、すぐに家を後にした。

 「……梢さん、本当にいい顔をしてたわね。大切なパートナーと言える夫がいるし、ゆっこちゃんもユズヒコと結婚していいパートナーに恵まれたし」

 セレナさんがうらやましそうにつぶやいたのを目にしたアタシは、

 「セレナさんにもカナメという娘さんがいますし、アタシは、セレナさんは本当に尊敬するほどすごい人だと思ってます。アタシには正直、とてもセレナさんみたいにはなれません」

 こんな思いを伝えた。

 「私みたいに……?」

 セレナさんは、突然こちらを振り向きながらこう言ったあと、

 「ゆっこちゃん、私を尊敬するのはありがたいけど、人と比べるのってあなたらしくないわよ。私はね、『他人と比べたがる人』が好きじゃないの」

 少し言葉をきつめにして、アタシにこう話した。アタシはそんなセレナさんを目にして、何も言えなかった。するとセレナさんは、

 「……ごめんね、ちょっときつく言って。私も人をうらやましいと思ってしまったのに……」

 いきなりアタシに謝った。

 「いいですよ、セレナさん。別に謝らなくて」

 アタシがこう言うと、セレナさんは、

 「……お互い、本音が出たのかな」

 今度はこんなことをつぶやいた。そんなさなか、アタシは、ユズヒコが日誌を読んでるところを目にして、

 「ちょっと、勝手に読まないでよ」

 彼に注意した。すると彼は、

 「……ゆっこ先生、あの刺された日から、何日も意識が無かったんだ……。そんな時、『オレとカロリーナが夢に出て、先生とカロリーナでオレを取り合ってた』なんてことを書いてあったから、びっくりしたよ。そんなこと初めて知ったぞ」

 こんなことを口にした。アタシは思わず両手で顔をおおってしまった。さらに彼は、

 「しかも目が覚めたのは、オレを諦めたカロリーナに『あなたはユズヒコのもとに戻ってあげて。まだあの世に行ってはダメよ』という言葉を伝えられてから、って書いてあったよ」

 こんな話を続けた。セレナさんも、

 「ゆっこちゃん、その時の日誌、私たちに見せて。私も“カロリーナ”のことが気になったし」

 日誌を見たいと頼んできた。

 「わかりました。一緒に読みましょう」

 アタシはそう言ったあと、“あの日”とは別の日誌から読みはじめた。



 悠子がユズヒコの家庭教師になってから1年あまりがたったある秋の日、いつものように悠子がユズヒコの家に来た時、

 「ごめんね、悠子先生。ユズヒコは今日、体調を崩して学校を休んでるの。次の時にお願いね」

 玄関から出た梢がこう言いながら、悠子に謝った。そんな梢に悠子は、

 「そうですか……。それでしたら、ユズヒコの様子だけでもお見せ頂けますか?」

 こんなお願いをした。梢が、

 「先生、気持ちはわかりますが、病気になっては申し訳がたたないですから……」

 と言いながら断りを入れようとした時、ユズヒコが、

 「……ゆっこ先生、ごめん……」

 と言いながら出てきた。

 「ユズヒコ、今日は寝てなさい」

 梢がこう注意したが、ユズヒコは、

 「先生、今日どうしてもオレの話を聞いてほしいんだ」

 悠子にこう頼み込んだ。すると彼女は、

 「ユズヒコ、大丈夫なの!?」

 と言いながら、ユズヒコのもとに駆け込んだ。それから彼の頭をさわり、

 「大変よ! 高い熱が出てるじゃない! 早く休んで!」

 そう言ったあと、梢に、

 「梢さん、私に看病を手伝わせてください。ユズヒコに恩返しがしたいです」

 こんなお願いをした。梢はしばらく迷ったあと、悠子の表情を目にして、

 「わかったわ。あなたが本気で言ってるのが伝わったから、看病の手伝いお願いするわ」

 彼女にユズヒコの看病を頼んだ。

 「ありがとうございます、梢さん」

 悠子はお礼を言ったあと、ユズヒコの肩に手を組んで、

 「ユズヒコ、時間までアタシが看病してあげるわ。部屋に戻ろう」

 一緒に家に入っていった。


 「ゆっこ先生、オレのためにどうしてここまで……」

 布団で横になったユズヒコが問いかけると、悠子は、

 「以前アンタがアタシを助けてくれたからよ。今回はその時の恩返し。もう一年もたってるのに、何の恩返しもしてないなんて、そんなのいけないでしょう」

 笑顔でこう答えた。その答えを聞いたユズヒコは、

 「……そこもカロリーナと同じなんだね。倒れた恩人を看病するところ」

 こんなことをつぶやいた。しばらくして悠子が、

 「ユズヒコ、アタシに話したいことがあるって言ったわよね?」

 こう問いかけると、ユズヒコは、

 「……オレ、先生と一緒に住む家、建てたいんだ。その家を自分で……、作りたいんだ。だからオレ、大工になることに決めたんだ」

 息を切らせてこう答えた。その答えに悠子は、

 「アタシのために……!?」

 改めてこう問い返した。

 「……うん。いずれ、先生と結婚するから……」

 ユズヒコは力を振り絞るように答えると、

 「……先生、ごめん。体調を崩して……」

 悠子に謝って、そのまま目を閉じた。彼女は、目に涙を浮かべながら、

 「……ユズヒコ、早く元気になって……。体調を崩したままじゃ、結婚できないわよ……」

 こうつぶやきながら、看病を再開した。


 「悠子ちゃん、何かあったの?」

 夕方、悠子が戻ってこないのが気になったセレナは、悠子に電話をかけた。すると彼女は、

 「セレナさん……、今日一日、ユズヒコの家にいさせてください。彼、相当な高熱を出して苦しんでるのです。病院も開いてないので、アタシが何とかしてあげたいです」

 こんなことをお願いした。彼女の願いにセレナは、

 「……悠子ちゃん、あなたの気持ちはわかるけど、他人の家庭に深く入るのは慎んだ方がいいわ」

 こう言って難色を示したが、悠子は、

 「アタシ、ユズヒコに恩返しがしたいのです。それにあんなに苦しんでる彼を放っては置けません。ですから、どうしても家にいさせてほしいです」

 必死にセレナに頼み込んだ。それから、

 「ユズヒコの親もいてほしいと言ってくれたの。だからお願い、セレナさん」

 こう付け加えた。その言葉を耳にしたセレナは、

 「……わかったわ。そのかわり、体調を崩したら承知しないわよ」

 こう伝えた。

 「ありがとう、セレナさん」

 悠子はお礼を言ったあと、ユズヒコの看病を再開した。

 「ユズヒコ、アタシ、今日ずっとアンタの看病してあげるわ」

 悠子はそう言いながら、必死に看病につとめた。しばらくたって、二人の様子を見に来た梢が、

 「わざわざ息子のために看病してくださって、本当に頭が下がります。ぜひ夕食を食べてください」

 と言いながら、悠子のために食事を持ってきた。

 「アタシのために、夕食を……!?」

 悠子が驚いた様子でこう言うと、梢は、

 「いいのですよ。家庭教師であるあなたが、ここまでしてくださるのですから」

 笑みを浮かべながらこう話した。

 「ありがとうございます、梢さん」

 悠子がお礼を言うと、梢は、

 「テーブルに置いておくから、好きな時に食べてね。お皿はあとで私が下げるから。それとユズヒコ、スポーツドリンクを持ってきたから、一緒に置いておくよ」

 こう伝えたあと、夕食をテーブルに置いて、部屋を出た。梢が部屋を出たあと悠子は、

 「ユズヒコ、しばらく休んでいい?」

 こう問いかけた。

 「……いいよ、ゆっこ先生……」

 ユズヒコがこう答えたのをきっかけに、悠子は夕食を食べはじめた。しばらくして食べ終えた彼女は、

 「ユズヒコ、今日はしっかり休んで」

 こう言いながら、またもや看病を再開した。1時間後、梢が入ってきて、

 「悠子ちゃん、体調を崩さないでね。ケーキ置いておくわ」

 と言ったあと、チョコレートケーキを置いて、お皿を回収してから、部屋を出た。それから悠子は、寝食を忘れたかのように看病に励んだ。時間がたって、いつしか彼女も、すでに寝ていたユズヒコの隣で眠りについていた……


 翌朝、悠子は、

 「……よく寝たわね……、って、ええ!? もう朝??」

 驚いた様子で飛び上がった。それからすぐにユズヒコのもとへ向かい、彼の額をさわり、

 「……よかったわ。熱が下がってる」

 ほっとするようにこうつぶやいた。その時、

 「おはよう、悠子ちゃん。……昨日、とうとう風呂に入らなかったのね……」

 こう言いながら、梢が部屋に入ってきた。

 「……梢さん」

 悠子が目をこすりながらこう言うと、梢は、

 「せっかくだから、朝食食べてね。ユズヒコのことは後でいいわ」

 悠子に朝食を食べるように勧めた。彼女は、

 「ありがとうございます」

 と言ったあと、梢についていった。


 「昨日は本当にありがとう。実は私たち、救急車を呼ぼうかどうか迷ってたの。病院も休みだったから。そんな時に、あのなたが息子の看病の手伝いを申し出てくれたのは、本当にうれしかったわ」

 梢はこう話したあと、

 「よかったら、これからも家庭教師としてでなくても、家にきていいわ」

 こんなことを悠子に伝えた。

 「本当ですか!?」

 梢の申し出に驚いた様子の悠子であった。そんな彼女に梢はさらに、

 「いいのよ。あなたと息子は、いずれパートナーになるべきだと思ったから」

 こんなことを伝えた。

 「ありがとうございます……」

 悠子はお礼を言ったあと、朝食を食べた。それから、

 「ごちそうさま、梢さん。朝食ありがとうございます」

 と言いながら、食器を下げた。そして、

 「ユズヒコの様子を見てきます」

 梢にこう伝えて、再びユズヒコの部屋に戻った。


 「ユズヒコ、大丈夫なの?」

 悠子は、起きていたユズヒコを見て、こう言った。すると彼は、

 「うん。もう体が軽い感じだし。それと腹減ってたから、そこにあったケーキ食べちゃったよ」

 空になった皿を指差しながら、こんなことを口にした。

 「あ~、アタシが食べようとしてたのに……」

 悠子はガッカリしたような表情を浮かべたが、すぐに、

 「……でもアンタがよくなってよかったわ。昨日は本当にどうなるかと思ったわ……」

 そう言いながら、ユズヒコを抱き締めた。彼は、

 「あ、あの、先生、苦しいよ……。そこもカロリーナと同じだよ……」

 こんなことを言いながらも、笑みを浮かべていた。しばらくして、

 「アタシ、そろそろ帰るから、電話をかけないといけないわ」

 悠子はこう言ったあと、すぐに電話をかけた。その時ユズヒコが、

 「ゆっこ先生、ガングロメイクめちゃくちゃだよ……」

 こんなことを言い出した。すると悠子はすぐに鏡を見て、

 「ええ!? どうしてメイク取れてるの!?」

 慌てるように顔を手でおおった。それから、

 「どうしよう……」

 なぜか頭を抱えながら、こうつぶやいた。

 「どうしたんだ、先生?」

 ユズヒコが首をかしげながら問いかけると、悠子は、

 「……アンタの目の前でガングロメイク取れたなんて、恥ずかしいわよ……」

 うつむきながらこう答えた。そんな彼女に対してユズヒコは、

 「なんだ、そんなことか。オレは気にしてないよ。それに、先生が家に来てくれるのだったら大歓迎だよ」

 こんなことを伝えた。その時悠子は携帯で、

 「……ごめんなさい、セレナさん。今ユズヒコがアタシのメイクのことで……」

 と話していた。それから、

 「ユズヒコの体調はよくなりました。アタシも大丈夫です。もうすぐ帰ります」

 と言ったあと、少したって電話を切った。そして、

 「ユズヒコ、そろそろアタシは帰るけど、勉強は決して忘れないで」

 こう伝えたあと、

 「ユズヒコ、近いうちに“恋人”として遊びに来たいけど、いいかしら?」

 こんな頼みをかけてみた。

 「先生、遊びにきてくれるの!?」

 ユズヒコはこう言いながら、両手をあげて喜んだ。その様子を目にした悠子は、

 「それじゃ、次回アタシが来るのを楽しみにしててね」

 と言ったあと、彼の部屋を後にした。それから梢に、

 「お邪魔しました、梢さん。ユズヒコが回復してくれて、本当にほっとしました。それと昨日は、アタシに恩返しをする機会を与えてくださって、ありがとうございました」

 こう言いながら靴をはいた。すると梢は、

 「お礼を言うのは私たちの方よ、悠子ちゃん。ユズヒコのために寝ずの看病をしてくれたのには、本当に頭が下がったわ」

 と言いながら、一通の封筒を取り出した。そして、

 「ぜひ受け取って。これは私たちからのお返しよ」

 封筒を悠子に手渡した。彼女はそれを受け取り、中身を確認すると、

 「このお金をアタシに……!? 20万も……!?」

 驚いた様子で梢に問いかけた。その問いかけに彼女は、

 「ええ、そうよ。あなたが看病してくれたから、ユズヒコも元気になれたし」

 笑みを浮かべながら、こう答えた。

 「……でも、こんなお金、セレナさんに気づかれたら、アタシ……」

 受けとるべきかどうか迷っていた悠子に対し、梢は、

 「わかったわ。お金について問われたら、『私が看病のお礼としてあなたにあげた』と言って。私が事情を伝えるから心配しないで。それとそのお金はあなたが自由に使っていいわ」

 こう言いながら、改めて封筒を手渡した。

 「……ありがとうございます」

 悠子はこう言うと、封筒を受け取り、それをカバンに入れた。そして、

 「ユズヒコに勉強を続けるようにお伝えください。それと、来月遊びに行くことも一緒にお願いします」

 こう伝えて、家を後にした。


 「ただいま」

 悠子がセレナの家に帰ってくると、

 「お帰り……、ってどうしたの!? そのメイク。電話で話はしてたけど」

 と言いながら、セレナが玄関に来た。

 「……いつこうなったかはわからないけど、ユズヒコの看病してる時は、そんなこと全く気にならなかったわ」

 悠子がこんな話を口にすると、セレナは、

 「疲れたでしょう? 風呂沸かすから、入ってね。話はあとで聞くわ。それと、今日は塾は休んでいいわ」

 こう言ったあと、風呂場に向かった。悠子もすぐに部屋に向かい、カバンをテーブルに置いて、着替えの準備を始めた。準備を終えたあと、カバンから封筒を取り出し、中身をじっと見つめた。

 「……アタシ、このお金使っていいのかな……」

 こんなことをつぶやいていると、セレナが、

 「風呂沸いたわよ」

 と言いながら、部屋に入ってきた。そして、

 「どうしたの? その封筒」

 と問いかけた。慌てた悠子は、

 「……ええと、これは……」

 なぜか答えにつまってしまった。するとセレナは、笑みを浮かべながら、

 「……さっき梢さんから電話があったわ。『看病のお礼に悠子先生にお金を渡した』って。もしかしたら、あなたが答えられなかったら、って思って電話をかけてきたみたいね」

 こんなことを話した。それから、

 「そのお金はあなたのものよ。自分で考えて、ムダにならないように使ってね」

 こう言ったあと、部屋を出た。

 「……梢さん、ありがとう……」

 悠子はこうつぶやいたあと、着替えを手にして、すぐに風呂場に向かった。


 しばらくして、風呂場から出た悠子は、セレナと話を始めた。しかし、なぜかこの時のことは例の日誌には書かれていなかった。話が終わったあと、部屋に戻った悠子は、すぐに日誌を書きはじめた。最初のうちは、ユズヒコの看病の件ですらすらと筆が進んでいたが、しばらくして、ペンが止まってしまった。それから悩み続けて、書いては消しての繰り返しで時間が過ぎていった……



 「なんだこれは?? ぐちゃぐちゃで何が書いてんのかさっぱりわかんないぜ」

 ユズヒコは日誌のある部分を見て、こう言い出した。アタシは、

 「それね、アンタの看病をした翌日、アタシがセレナさんに怒られた時に、『どうして怒られなければいけないの』って悩んでたの。それで書いては消してを繰り返して、自分でもわからなくなったの」

 と言ったあと、

 「でもね、その時セレナさんから怒られたことが、今のアタシの、家庭教師としてのスタンスを築くきっかけになってるわ」

 こう話した。すると、

 「……あの時、“私が怒った”……!? そんなことはないはずよ。多少は厳しい口調になったかもしれないけど……」

 セレナさんは驚いた表情でこう問い返した。それから、

 「だけど、しばらくしてからユズヒコがこの地を離れたあと、あなたの仕事が手につかない状況を見た時は、本当に厳しくしかったわ。あのままじゃダメになることが見えてたから」

 こう付け加えた。ユズヒコも、

 「オレもうかつだったよ。あの時ゆっこ先生の連絡先、聞いておくの忘れてたんだ。いつでも来てくれると思ってたから。それが何年も戻れないとは思わなかったし」

 こんなことを口にした。

 「……そうね。アタシもユズヒコのことが忘れられなくて、アンタが引っ越してからも、アンタ宛に何通も手紙を書いたわ。連絡先がわからなかったけど、アンタへの想いは絶対忘れたくなかったから。それとガングロメイクも捨てずにここまで来たわ」

 アタシがこんなことを伝えると、ユズヒコは、

 「手紙!? オレに送るつもりだったの!? その手紙どこにあるんだ??」

 アタシにこう問いかけた。

 「……残念だけど、それもう捨てたわ。2年前、キャバクラ時代にアタシを食い物にした男に殺されかけたあと、生きる気力を失った時に……」

 アタシがこう答えると、

 「……そうだったの……。ユズヒコへの想いまで砕こうとするろくでなしだったのね、犯人は」

 セレナさんは少し表情を曇らせて、こうつぶやいた。その時、セレナさんのスマホの着信音が鳴り、彼女はスマホを手にして、

 「……もしもし、わかったわ。すぐに戻るわ」

 こう言ったあと、

 「ごめんね、ゆっこちゃん。急用が出来て会社に行かないといけなくなったの。話の続きは、新築祝いを持ってくる日に頼むわね。あとで行く日を伝えるから」

 こう伝えて、急いで荷物を取り、

 「そうそう、娘のカナメだったら元気にしてるわよ。すでに係長になって、結婚して子供ももうけてるわ。幸せな家族を築いてるから、今後もよろしくね。あとで連絡先伝えておくわ。それとカナメの結婚のきっかけは、あなたたちと同じく、『グロガン姫』のヒロインがもたらしたの」

 そう言い残して、家を後にした。

 「……最後まで聞けばいいのにね……」

 ユズヒコが残念そうに言うと、アタシは、

 「ユズヒコ、セレナさんは会社の社長なの。わざわざ、アタシたちのために時間を作ってくれたのよ。だから、続きを読むのを楽しみにしましょう」

 こう伝えた。その時、時計が目に入り、

 「もうこんな時間!? まだ途中なのに……」

 時間が過ぎていることに気づいたアタシは、思わず驚いた。そんなアタシに構わずユズヒコは、

 「あ、そういえばさっき『娘の結婚のきっかけはカロリーナがもたらした』って言ってたよね、セレナさん」

 こんなことを口にした。

 「……アタシたちだけじゃなかったんだ。梢さんも、カナメも、アニメのヒロインが、それぞれの絆を結んだのね……」

 アタシは、ユズヒコの話を聞いて、思わず涙を流した。するとユズヒコは、

 「メイク大丈夫? 涙で取れないよね?」

 アタシにこう問いかけた。アタシはハンカチで軽く顔をふくと、

 「……少しメイク取れちゃってるわ」

 こうつぶやいた。それから、

 「だけど、今のアタシたちがあるのは、『グロガン姫』のおかげね、ユズヒコ」

 こう言いながら、ユズヒコを抱き締めた。

 「……ゆっこ先生、もうセックス始めるの? オレは大歓迎だけど」

 ユズヒコは少し戸惑っていたが、すぐにアタシを抱いて、

 「先生、今からセックス始めていい?」

 と問いかけた。

 「……ちょっと早いけど、いいわ」

 アタシがOKのサインを出すとユズヒコは、

 「じゃ、早速部屋を片付けて始めよう」

 喜びながら、部屋を片付けるように言った。それからアタシたちは、部屋の残りの部分を片付けて、セックスの準備を始めた。準備が終わったあと、ユズヒコが、

 「服は脱がないの? ゆっこ先生」

 こんなことを言い出した。アタシが、

 「まずは抱き合って、お互いの心を確かめてからね。おさわりや服を脱ぐのはそのあとよ」

 こう伝えると、ユズヒコは、

 「今日はじらすね、先生」

 とつぶやきながら、アタシを抱いた。アタシもユズヒコを抱いて、お互いの気持ちを確かめるように、しばらくそのまま抱き合った。しかしこの時のアタシは、二人の女性が家に来て、ひと騒動が起きるとは全く想像もしていなかった。



 悠子たちが、互いを抱き合ったのを合図にセックスを始めてしばらくして、ある女性が悠子の家の近くで、何かを探すように歩いていた。

 「……『この辺りに住んでいる』って、この街に引っ越して、子供を例の塾に通わせてる友人から聞いたけど、本当にいるのかしら、“リアルグロガン姫”。私もじかに会ってお話したいわね。ヒロインのカロリーナを担当してる声優として」

 女性はこんなことをつぶやきながら、辺りを見渡していた。それから、

 「まあ、一度北陸に旅行してみたかったし、今は新幹線が開通してるから、ずいぶん来るの早くなったわね」

 スマホに目を通しながら歩き出すと、

 「ん? あの高校生、どうしたのかしら……。顔にアザなんか作って」

 逃げるように走り出す高校生風の少女を目にして、首をかしげながらこう言った。そして女性もそのまま、少女の後を追うように走り出した。



 「ユズヒコ、そこよ。ストッキングごしでも気持ちいいわ……」

 アタシは服を脱いで、ユズヒコに全身をなでてもらっていた。塾の子供たちにも、子供の母親みたいに体や胸をさわらせて、彼らを安心させることはあるが、ユズヒコがさわった時は全然違う。正直彼の“温もり”は、これまでアタシを救ってくれた“特別なもの”だからだ。それに今回は、お互いが『子供をもうけたい』という想いを携えて行っている。想像でしかわからないけど、梢さんが夫と一日中こんなことを行えたのは、お互いが本当に愛し合っているからだと思った。

 「ゆっこ先生、そろそろ行こう。オレも先生、お姫様との子供が欲しいから」

 服を脱いだユズヒコがこう呼びかけると、アタシも、

 「……そうね」

 とうなずいて、本格的に子供をもうけるための“営み”を始めようとした時だった。ドアを開け閉めする音が鳴り、

 「何があったの!?」

 少しして、アタシが玄関を振り向くと同時に、一人の少女がアタシたちの目の前に立っていた。少女が着ている制服は乱れ、ストッキングは所々破れていた。アタシたちの姿を見た少女は、その場に立ち尽くしていた。脚や体がが震え、何かを怖れている様子だった。それから、

 「……なんなの、アンタたち……」

 少女にこう言われたアタシは、思わず言葉につまってしまった。


 ――“あの時”のアタシと同じね、あの少女……――


 アタシが心を痛めている矢先、彼女は突然家を出ようとした。すると、

 「……ちょっと、いきなりどうしたの!?」

 玄関の前にいたとおぼしき女性にぶつかってしまった。アタシは心配のあまり、ストッキングしかはいていないことに構わず、玄関に向かった。それから、逃げようとする少女をつかまえて、

 「どうしたの!? 何か怖いことでもあったの?」

 少女にこう問いかけた。彼女は、

 「……来ないで……」

 アタシを振りほどこうとしたところ、インターホンが鳴った。

 「こんにちは、MISATOと申します。古田悠子さんはここにいらっしゃいますか?」

 この声を耳にしたユズヒコは、

 「ゆっこ先生、あのヒロインの声優のMISATOが来てるよ」

 慌て気味にアタシにこう伝えた。アタシも、

 「……どうしよう、こんな状況で……」

 慌てるように少女から手を離して、ユズヒコを抱いて二人でパニックになってしまった。少女もどうしていいのかわからないまま、あちこち首を振っていた。そんな状況で、

 「どうしたのかしら……。あのアザが出来た少女がここに入ってるみたいだし、心配になるわね」

 MISATOと名乗った女性が入ってきた。それが、アタシたちを巻き込む騒動の始まりだった……

 悠子とユズヒコが、二人の愛を確かめ、子供をもうけるべく始めたセックスの最中に、突然二人の女性が悠子の家を訪れた。少女は助けを求めるべく何者から逃げるように、MISATOと名乗った女性は“リアルグロガン姫”と呼ばれている悠子に会いに、それぞれが彼女の家に来た時、悠子たちに新たなる騒動が降りかかることになる。はたして少女は、セレナが悠子たちに話している瞳と同じ人物なのだろうか、MISATOが悠子たちに会いにきた理由とはなんなのか、そして日誌の続きは語られるのだろうか……

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ