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オクリモノ

 女の子の口にした質問に対する答えが、わたしには思い当たらなかった。

 小さな女の子の、小さな疑問一つにすら答えられないとは。もう少しまともに人生を積み重ねてきておくんだった。今まで漠然と、ただ漫然と人生を送ってきて、具体的な<夢>なんて物はいだいたことが無かった。ずっと、流れに身を任せて生きてきた。大学まで進んだのも、みんながそうするから同じようにしただけだし、今の会社も大学の先生に言われるがまま選んだに過ぎない。

 熱中できるもの、これしかないって言えるもの。……わたしには無い。

 もちろん、わたしだって学校や親に将来の夢くらい聞かれたことはあるし、人並みに『未来の自分がこうあればいいな』なんて夢想した事くらいはある。ケーキ屋さんになりたいとか言ってみたり、漫画家になりたいとか、女優さんになりたいとか、学校の先生になっていみたいとか……。

 だけど、そのどれも、一つだって本気じゃなかった。

 ケーキ屋さんになりたかったのだって、ただ単純にケーキの可愛い見た目が好きで、ケーキの甘い香りと味が好きで、ケーキを食べることが好きだったからだ。そんな自分の大好きなものに囲まれて生活がしたい。思い返せばとても<夢>だなんて言えないような、まさに子供じみた願望、妄想でしか無かった。漫画家になりたかったのも、絵を書くことが好きで、ちょっとだけ周りよりも絵を書くのが得意だったから。漫画を読むことも好きだったから。……それだけの理由。たくさんの人に自分の書いた話を読んでほしいとか、みんなを笑顔にしたいとか、そんなんじゃない。

 女優だって、学校の先生だってそう。好きなことをして生きていきたい。毎日を楽しく過ごしたい。ただ、それだけ。浅はかでバカみたいな妄想で、欠片かけらも本気じゃなかった。輝かしい<お仕事>の影にある苦労なんか考えもせず、その職業にくために具体的な努力を重ねていた訳でもなかった。

 そんなわたしに、<夢>を語る資格なんか、ない。

 <夢>を見ることすら出来なかったわたしには。

 だまったままのわたしに、女の子は続けて問いかける。


 「じゃあ、おねえさんの<夢>は何?」


 「わたしの……<夢>?」


 残念ながら、わたしには彼女が期待するような返答の持ち合わせはない。わたしには首を横にふるしか出来ない。


 「……ないよ」


 わたしには……<夢>なんてない。何にも熱中することもなく、目の前の『<夢>のようなもの』に安直に飛びついてきたわたしには、そんな立派なものは無い。


 「どうして?」


 立て続けの質問に、言葉が口をく。


 「だって……わたしは、もう大人だから」


 言い訳だった。自分でも痛いほどに理解していた。大人とか子供以前の問題だ。今に至るまで、一度も<夢>なんて抱いたことが無いんだから。

 わたしの答えに、少女は少しムッとしたような表情を浮かべて言い返した。


 「そんなの、おかしいよ」


 「そうかな?」


 そうかもしれない。

 わたしには、よくわからないけれど。


 「だって、大人は…せんせいも、お母さんも、お父さんも…あたしに<夢>を聞いてくるくせに。なのに<大人>は<夢>を持ってないの?」


 確かにそのとおりだな、と思った。反論の余地なんかどこにもない。

 けど、今度は自然に言葉が出てきた。


 「それでも……ううん、だからこそ、かな。あなたには、<夢>を持っていて欲しいんだと思う。<大人>になると、見つけるのがとても大変なものだから」


 「子供じゃないと、<夢>は見ちゃ駄目?」


 「そんなことはない、と思う」


 少し迷いながら、そんな言葉を返した。

 そうさせたのは『わたしでも、まだ<夢>を見られるのかな?』というあわい希望だったのかもしれない。

 わたしは言葉を続ける。


 「けど、<大人>になっちゃうと……ある程度人生を進めてきて、選んできた道があると、そこから方向転換するのはすごく、勇気のいる事だから。<大人>には、色んな事が()()()しまうから」


 ()()()()()()()()()()()()()()()から。だから、現状が悪化する事をおそれてしまう。だから、ためらってしまう。……<大人>は、臆病だ。


 「だから、<子供>のうちに見つけておいて欲しいんだと思う。これから進む人生みちがブレてしまわないように、迷わないで進めるように、真っ直ぐ目指せる目印を……さ」


 言いながら、自分の歩んできた人生みちを振り返る。

 ずっと漠然と生きてきて、どこをどう進んだのかも、今どこにいるのかも、どこへ向かえば良いのかもわからない。一寸先どころか、現在地すらやみの中だ。これだけは正しかった、と言い切れるものなんか一つもない。

 自分の足の先を見つめながら、女の子はつぶやくようにたずねる。


 「<夢>は、なくちゃいけないのかな……?」


 「どう……なんだろうね」


 必ずしも、無くてはいけない物では無いのかもしれない。げんにわたしは、<夢>が無くたってこうして<生きて>いる。ちゃんと企業にも就職して、自分の力で生活出来ている。

 ガランとした公園の敷地しきち内に視線を投げて、言葉をつむぐ。


 「でも、あった方が良いんだと思う。<夢>じゃなくても……自分の中に一本通った、揺るがないしん、みたいなもの」


 少なくとも。


 「少なくともわたしは、そういうものが欲しかった。夢とか、目標とか、譲れないもののために一生懸命になれる人がうらやましかった。傷ついても、転んでも、何度でも立ち上がる姿に憧れてた。絶対にあきらめられないもののために、他の全部を捨てられる、人生だってけられるって……カッコイイなあって思ってた」


 気が付かないうちに、声がふるえていた。気が付いたら、なみだあふれていた。



 「わたしも……<夢>を、叶えたかったな……ぁ」



 顔を伝って落ちるしずくが、コートとかひざをポロポロと打つ。

 なんで、わたし泣いてるんだろう。なんで、こんなにも胸が痛くて苦しいんだろう。自分でも意外な感情に放心して涙をぬぐうことも忘れているわたしに、こちらを見上げた女の子が投げかける。


 「それが、おねえさんの<夢>……なんだね」


 「え……?」


 「だって、おねえさんは泣くぐらい強く……そう願ってるんだよね?」


 そうか……この感情は。


 「あたしには、やっぱりまだ<夢>がどんなものなのか、よくわからないけど。おねえさんにとって、それは……絶対に諦めたくないもの、なんじゃないの?」


 少女が思い出させてくれた、気付かせてくれた……想い。

 何事にも熱意を見出みいだせず、やりたいことを見つける事が出来ず、<夢>を見ることが出来なかった。それでも、わたしは……<夢>を見ることを諦められなかったんだ。

 涙を拭って、隣に座っている女の子をしっかりと見据みすえる。


 「……ありがとう」


 「なんで、おねえさんがお礼を言うの?」


 「あなたが、わたしの<夢>を思い出させてくれたから」


 「そっか」


 女の子はそう言って、ニッコリとほほえんだ。そして、一度大きくブランコを揺らすと、前に飛んで立ち上がった。彼女は、最初にわたしと会ったときと同じ、わたしの正面まで歩いてこちらに向き直った。

 もう、帰ってしまうのだろうか。


 「ごめんね、何だかわたしのほうが相談に乗ってもらっちゃって。わたし、お姉さんなのに」


 申し訳無さでいっぱいのわたしを見て、女の子は首を横にふる。


 「ううん、そんなことないよ」


 もう一度笑顔を浮かべて、口を開く。


 「あたしももう少し、探してみるよ。……あたしの<夢>。まよわず、ためらわず、進んでいけるようにね」


 こんなわたしでも、少しはこの子の役に立てたのだろうか。


 「……なら、良かった」


 小さな女の子の笑顔に、わたしもられて笑った。


 「それじゃ、あたし、そろそろ帰るね」


 公園の中央に直立する時計の針は12時手前を指していた。お昼ごはんの時間、かな。


 「うん。今日は、本当にありがとう」


 「あたしの方こそ」


 手を振って走り去る少女を、わたしも手を振りながら見送った。あの子の姿が見えなくなって、しばらく余韻よいんひたっていると、視界の端で白いものがちらついた。それは、分厚い雲に覆われた空から舞い降りていた。


 「……雪」


 それだけで、なぜだか嬉しくて、自然と表情がほころんだ。

 雪が本格的になるに連れてほおでる風も次第に冷たさを増してきた。わたしも、そろそろ帰ろうかな。

 キイ、とブランコを揺らして立ち上がる。公園の出口へ向かう途中、一度だけ誰もいないブランコを振り返った。そして、少しだけ暖かくなった体にマフラーを巻き直して公園を後にする。

 あの小さな女の子がくれた、<夢>という贈り物を胸に抱いて。

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