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コウエン

 どんよりと重たくし掛かる曇り空の下。

 厚手のコートと毛糸のマフラーに身を包んでいるとは言え、太陽の熱から見放された冬の大地は冷たくてつくようだ。わざわざこんな天気の日に出てこなくても良かったかな、と家を出て3分で軽く後悔する。

 しかし、さすがにここで回れ右して引き返すようなことはしない。

 このわたしが仕事でも無いのに家の外を出歩くなんてめったに無いことなのだ。この機を逃したらもう二度と無いかもしれない。特に目的地も設定していないけれど、もうちょっとだけこの辺りを歩いてみよう。

 今の仕事を始めて引っ越してきて以降、仕事への行き帰りに使う最寄もより駅と買い物に使うスーパーの他には行くことが無いから近所に何があるのかは詳しく分からない。いつも使っている道からなるべく離れるように脇道に入り、いくつかの路地を適当に折れる。

 真冬の、鋭く斬りつけるような冷たい空気。

 いつもなら――これから仕事に向かうと言う時なら、天候すらわたしを拒絶しているみたいな気持ちになるけれど。今日のような気楽なお散歩ならこんな冷酷な風も、冬の朝の澄んだ空気に思えてくるから不思議なものだ。

 などと考えながら10分くらい歩いていただろうか。ふと、住宅の建ち並ぶ小道のすみに小ぢんまりとした公園が目についた。

 ……こんなところに公園があったんだ。

 もちろん、この辺りには小学校もあるし子供だって住んでいるのだろうから全く不自然ではないし、わたしの地元にだって公園はいくつかあった。けど、わたしの日常の中ではなんだか『公園』と言うものが非日常的なものに思えて、また同時にどこか懐かしさを覚えて、導かれるようにその公園に足を踏み入れた。

 低いフェンスで囲われた小さな公園にはブランコと滑り台が一台ずつと、三人がけぐらいの背もたれのない木製のベンチが行儀よく収まっている。この寒さのせいか、単に人気にんきが無いのか、休日の朝にも関わらずわたしの他に人はいない。一般的にはこの状況を見て『寂しい』と形容するのかもしれないけれど、今のわたしにとって、この状況は幸運に思えた。

 入口の真正面、公園の奥に設置されたブランコにわたしの歩みは引き寄せられていく。心のおもむくままに、2つぶら下がった遊具のうちの片方に腰をかけた。冷たい座面と鎖がわたしを優しく迎え入れる。ブランコに乗るなんて何年ぶりだろうか。不安定に揺らぐ座面に身を預けながら、広々とした公園を見渡す。公園内に人の姿は無く、目の前の道路を通る物も無い。時折、自動車のエンジン音が遠くに聞こえ、風が木の葉を揺らす音とブランコの揺れる音だけがここにある。現実から切り離されたような空間。誰もいない公園、寒空の下でわたしの心は言い表しようもない安心感のような感覚に包まれて、息が吐き出されるのに合わせて目を閉じる。

 冷たく澄んだ空気と、流れ込んでくる音に体をひたして……どのくらいそうしていただろうか。


 ざり、と。


 すぐ近くでした物音に思わずまぶたを持ち上げる。その視線の先には、いつの間に入ってきたのか、女の子が一人。小学校の低学年くらいだろうか。その子は不思議そうにわたしを見つめている。

 現実に引き戻されたわたしはこみ上げてきた恥ずかしさに身を固まらせる。良い年した大人が一人で公園にやってきて子供の遊具を揺らしている姿は、少女の目にどう映っているだろうか。次に起こすべき行動を模索している内に、女の子が口を開く。


 「おねえさん、ひとりなの?」


 どう返すべきか一瞬迷ったが、その割には至極単純な言葉しか出てこなかった。


 「う、うん。そうなの」


 「ふうん」


 彼女は小さく首を傾げたあと、また言葉を発する。


 「あたしもね、ひとりなんだ」


 「そう、なんだ」


 「となり…すわっても良い?」


 わたしの隣、空いている方のブランコに目を向けて女の子は尋ねた。


 「あ、えっと。もちろん」


 もしかして、わたしがいたせいで彼女に気を使わせてしまっただろうか。だとしたら、申し訳ないことをしてしまった。女の子はわたしの左隣に腰掛けて、静かにブランコを揺らし始める。なんとも言えない気まずさを感じながら、その場を離れるタイミングをし量っていると少女が話しかけてきた。


 「あたし、ちょっと変わった子、なんだってさ」


 「え?」


 突然の事に思わず聞き返したわたしに、続けて、


 「あたしの言うことは……よくわからないんだって」


 だから、と小さくブランコに揺られながら言う。


 「ともだち、いないんだ」


 事も無げに、どこかさみしげに、言った。

 何か、言ってあげないと。そう思って、自分の薄っぺらい人生を振り返って、何とか言葉を絞り出す。


 「周りの子達と、話が合わないんだね」


 もう少しマシな返答は無かったものかと、自分が自分で情けなくなる。


 「……うん」


 女の子は、小さくうなずいた。いや、うつむいた、のかもしれない。揺れる髪の毛の向こう側の表情に、今度こそ返す言葉を失ってしまった。


 「ただ、あたしは思ったことを言ってるだけなのに」


 こんな小さな子でも、他人との間に生き辛さを感じることもあるんだ。いや、むしろ、周囲に合わせて自分を偽るということが出来ない子供だからこそ、なのかもしれない。


 「そういう事も、あるよね」


 相変わらず貧弱ひんじゃく語彙ごいで言葉を返す。そんなわたしに彼女は「ねえ」、と視線と言葉を投げかける。地面に足を着いて止められたブランコの鎖がチャリン、と金属音を響かせる。


 「夢が無いのってそんなにおかしいことなの?」


 答えられずにいると、女の子は付け加えて言う。


 「このまえ、学校のじゅぎょうで『しょうらいの<夢>』を聞かれたの。あたしは…わからない、って答えた。そしたら、せんせいには『本当になにもないの?』って言われて、クラスのみんなにも『変なの』って……」


 語りながら再び下を向き始めた目線を持ち上げて、女の子はわたしを見上げる。



 「おねえさん……<夢>ってどういうもの?」



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