ナンパ男と猫耳少女とクリスマスの夜
冬空の真っ暗闇も掻き消してしまうほどに眩いネオン街。
そこかしこでサンタはチラシを配り、トナカイは道を行く人々に必死で声をかけている。そして若い男は聖夜を共にする女を探し、まるで亡者の様に女に憑いて回る。
信也もそんな男の中の一人だった。
「こんばんわー。お姉さん、これから予定とか――」
そう話しかけようとしたときには、既に女は自分のことを避けて行ってしまった。どうやら先約があったらしい。落胆することもなく、また次の女へ声をかける。
それから30分ほど不発が続き、信也は少し休憩でもするかのように自動販売機で缶コーヒーを買った。手袋の上から指を温めつつ寒空を眺める。
信也にとってこれぐらいは『よくあること』だった。ナンパなんてものは下手な球でも数撃てば当たるのだ。ましてや今日はクリスマス。そんな夜に一人で洒落た格好をして歩いている女なんて、相手が居るか、相手を求めているかのどちらかだ。
体が程良く温まりまた女漁りを再開しようとしたその時だった。
「うん?」
後ろから服の裾を掴まれたような気がした。後ろを振り向くと、そこに居たのは一人の女の子だった。その姿に思わず目を見開く。
多分高校生ぐらいだろう。自分よりも頭1つぐらい小さい。ほんのり茶色がかった髪、街の灯りを反射して輝きを瞳に宿す。
まるで漫画の中からなによりも特徴的だったのは彼女が頭に猫耳を着け、ミニスカートの中から尻尾をのぞかせている事だった。自分のズボンの裾を掴みながらその猫耳の付いた頭を傾げている。
まるで漫画の中から現れたようなその少女は、一瞬で俺を虜にした。
「しんやさん?」
「えっ?」
「あっ、いや......」
聞き間違えだろうか。この子が自分の名前を言った気がした。この子と前に会ったことは無いし、こんな綺麗な子なら忘れるはずも無いのだが、そう言われてみれば少し懐かしい気がする。
いきなり自分の名前を呼ばれて動揺してしまったが、せっかく話しかけて貰えたのだ。この機会を逃す手は無い。
「何か聞きたい事があるのかな? だったらここで話すのは寒いだろうし、そこに入って話そうか。」
落ち着いた印象を与えるために、なるべくまくし立てない様に話しながら喫茶店を指さす。
少女はどう受け答えしていいのか分からないようでコクコクと頷いていた。頷く度にやわらかそうな髪が揺れる。
こんな男どころか人に慣れていないような少女が、よくこんなコスプレをして男に声なんかかけられたなと思う。
俺は慣れた仕草で少女を喫茶店の中にエスコートする。俺は少女が座ったのを確認して、あまり間を開けないように話し始める。
「君の名前は?」
「あっ、はい! そ、その、みー......みかんです!」
「......ッ! 可愛い名前だね。」
俺はその名前に聞き覚えがあった。同級生の子の初恋の人の名前だ。良い思い出と言うよりは苦い思い出なので早く忘れてしまいたい。
そういえばこの子の容姿も結構似ているかもしれない。だがもしもあの子であれば、今頃もっと大きく育っているだろう。
「そう言えば君、何か言いかけてたよね。」
「あっ、そのー、それはもう良いんです。」
「別に遠慮しなくて良いんだよ?」
俺は出来るだけ警戒されないようににこやかに語り掛ける。俯きながら何かを悩んでいるみたいだ。首を傾げる度に耳がぴょこぴょこと動く。
たまらなくなって猫耳に触れる。
「えいっ。」
「にゃふっ!?」
「ああ、つい。ごめ......ん? 温かい?」
猫耳がほんのりと温かい。最近の猫耳はこんな機能も携えているのか?
......そんなわけないだろう。流石に俺でもそれぐらいは分かる。でもだとしたら――
「これ、ホンモノ?」
「な、なななな、なに言ってるんですか! そんなことある訳ないじゃないでしゅか!」
「ああ、大丈夫。こっちも頭を整理するから、君も落ち着こう。」
ちょうど喫茶店の店員が注文していたアイスコーヒーを持ってきた。怪訝な視線でこちらを見ていたが、俺がにこりと微笑みかけると苦笑いをして帰っていった。ばつが悪かったのだろう。
ズズッとコーヒーを飲み、みかんちゃんにもさりげなくアイスコーヒーを差し出す。慌てたままちょっとだけ舐めてカップを置いた。舌を出しながら眉に皺を寄せている。自分は無言で砂糖とミルクを差し出した。
ほっとした顔でちびちびとなめている姿を見ていると心が和む。
みかんちゃんがそっとカップを置いた。ふぅっと短く息を吐く。
「他の人には言わないで下さいねっ。」
上目遣いでこちらを見つめてくる。その瞳は少し潤んでいた。瞼を動かすだけで俺を魅了する。
あざといっ......!
「落ち着けっ、落ち着け俺!」
いかんいかん、冷静さを欠いてしまった。昔の純情が呼び起こされたかもしれない。そんなものはとうに捨ててきてしまったはずなのに、恋心が顔をのぞかせた気がする。
平静を装わなければいけない。俺は心が惑わされたことを悟られぬように表情を作った。
「言わないよ、もちろん。なんでそんなことになってるのかは聞いてみたいけどね。」
「それは、その......なんというか、」
「別に話せないなら話さなくても良いよ。それよりちょっと他のところへ行かない?」
彼女が話しにくそうに口をまごまごとさせるので話を切り上げることにした。別にそこまで彼女の身の上話に興味がある訳ではない。会話を繋げるための言葉を言っただけだ。
それに先程のでかなり体が火照ってしまった。今はこのきつめに暖房の効いた空間が恨めしく思えてくる。
みかんちゃんはぐいっと残りのコーヒーを飲み干した。
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とりあえずネオン街を抜け、商店街に潜り込む。相も変わらずサンタたちが甲高い声で自分の店に客を呼び込んでいる。
俺達は手近な女性ものの服を売っていそうなところに入り込む。彼女がそんなに飾った服を着ていないので、何か買ってあげようと思ったのだ。ナンパ前提だったのでお金は用意してきている。
普通だったらこんなことはしない。事を済ませて終わりである。だがそれではもったいないと思ってしまった。自分の恋心と一緒に貞操観念まで復活したのか、それだけで別れてしまうのは少し罪悪感のようなものが生まれてしまった。
「ど、どうですか。」
試着室から出て来た彼女に俺は目を奪われた。
「可愛いよ、とっても可愛い!」
「そんなに言われると照れちゃいますよ。」
「ご、ごめん。」
彼女がかぁっと頬を赤らめている。
俺は女の子のコーディネートについては良く分からないので、とりあえずマネキンに着せていた服をそのまま試着させてみた。判断は正しかったみたいだ。
体がスレンダーなので何でも着れるし、何を着てもよく似合う。
「その格好で、にゃ......にゃんって言ってみて。」
場違いな事は分かっている。いや、失礼というか失言、ドン引きされてもおかしくない。というかドン引きするのが普通! 俺は何を言ってしまったんだ!? だが欲望を抑えきれなかった。
「にゃ、にゃん。」
猫ポーズで少し照れながら可愛い声が鼓膜を震わせる。
萌え袖、ハイソックスとスカートの間の絶対領域、それに猫耳と尻尾も追加。追加されすぎだ。可愛すぎる。
完全にノックアウト。頭がキャパオーバーした。
「生きててよかった......」
「シンヤさん! 正気を取り戻して、シンヤさん!」
その声に慌てて正気を取り戻す。
「ああ、ごめん。じゃあ買い物済ませちゃおうか。」
「で、でも私お金持ってないから。」
「いいよいいよ。自分が払うって。」
「え......良いんですか?」
俺はそう言えばと思い、値札を確認する。少し高い、いや結構高いが払えない額じゃない。
「大丈夫大丈夫、全然平気。」
「顔真っ青ですよ? 大丈夫ですか?」
俺はすぅっと長く息を吸い、呼吸を整える。俺は表情を作り動揺を隠した。
金を払って店を出た俺達は何の気なしに歩いていた。このままことを為すにしても多分相手は高校生だ。自分は別に構わない、というか出来るなら何でも大丈夫だが、事を荒立てられては困る。今回は多分、連絡先を交換するぐらいの方が良いだろう。
「みかんちゃん。携帯とか――」
みかんちゃんに話しかけようとした時だった。
ゆっくりとみかんちゃんの体が傾いていく。倒れていく体が昔見た光景と重なってトラウマをよみがえらせる。
「美甘!」
俺は倒れかかったその体と地面の間に体を滑り込ませるようにして抱きかかえる。体がとても熱い。予想よりもはるかに軽い体を持ち上げ、一目散に自宅に帰った。
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まさかこんなことになるとは思わなかった。
俺は自宅に運んだ少女を自分のベッドに寝かせて、風呂桶の中に湯を貼りいつも体を洗っているタオルを濡らして額に当てる。
もう少し小さい手ぬぐいとかがあればよかったのだが、こんな場所にそんなものはない。俺は床に散らばったペットボトルを足ではねのけ、座る場所を確保する。家には寝るときぐらいしか帰らない。
俺は息を荒げる彼女の隣に座りながら少し昔のことを思い出していた。
俺には初恋の相手が居た。名前は美甘という。背丈はこの子より少し小さかったと思うが、面影はこの子にそっくりだ。
笑顔がとても晴れやかな彼女に俺だけではなく、クラスのどの男子も目を奪われていた。
俺の初恋は結論から言えば、成功した。
必死になってアプローチした。二回も断られたがそれでも諦めなかったから付き合うことが出来た。彼女と二人の時間はとても幸せだった。毎週週末になればどこかに一緒に行っていた。
あの頃は子供だったから大したことも出来なかったし、してあげることもできなかったけど彼女とともにいるだけで幸せだった。彼女も最初は仕方なく了承してくれたみたいだが、一緒にいる間に段々と自分のことを好きになってくれたみたいだった。
将来は結婚しようだなんて、指切りげんまんで誓い合った。あの頃は結婚どころかキスもしたことが無かった。
付き合って二年ほど経った頃だった。
彼女が死んだ。
原因は良く分からなかった。説明されたのかもしれないがよく覚えていない。俺が覚えているのは、目の前で倒れていく彼女の姿と、病室で衰弱していく彼女を見られなくなってしまった自分だった。
「どうか、どうか無事で......」
俺はただ祈ることしかできなかった。あの時も、今も。
手先まで燃えるように熱くなっている。あの時は手を放してしまった。もう二度と話さない。
「シンヤ、さん?」
「みかんちゃん......」
目を覚ました彼女はゆっくりとこちらを見てニコリと微笑んだ。彼女のことを思い浮かべたせいか、美甘が笑ったように見えた。あの時に失ってしまった笑顔を取り戻したような気になって、それでも戻ってこないことを知り、また俯いた。
「私、実は見た瞬間にシンヤさんだって分かったんです。」
「え?」
俺は顔を上げながら彼女の声に耳を傾けた。
そう言えば彼女が女の子に俺を見た時に自分の名前を知っていたことを思い出す。そんなことはどうでもよくなって、すぐに忘れてしまったけれど。
「シンヤさん、私の家でよく遊んでたから。」
「もしかして美甘なのか?」
あり得るはずのない投げかけをする。彼女は確かに死んだはずだ。
「みかんは私の母......飼い主の名前です。」
「もしかして......」
俺は古い記憶を呼び起こす。彼女の家には猫が居た。名前は確か――
「ミーちゃん!?」
「あたりです!」
ガッツポーズをしてからちょっと恥ずかしくなった。
これしきの事で柄にもなく喜んでしまった。まるであの頃のようだった。
「私、美甘さんが亡くなった後、なぜか人間になれるようになったんです。彼女が思っていたことなんかも分かるようになって、一年もしたころには人の言葉が話せるようになっていました。」
俺はそんな夢のような話を未だに飲み込むことが出来ないでいる。
「今思えば美甘さんの心残りを果たすためにこうなったのかもしれません。」
「心残り?」
「あなたと一緒になることですよ。でも――」
彼女は言葉に詰まったように俯いた。
「私はいわゆるキスとかそう言った行為はすることが出来ません。分かるんです。繋がってしまえば魔法は解けてしまう。」
俺は彼女が死んでから、そのことを忘れるために多くの女性と関係を持つようになった。できるだけあの出来事を自分の中から無かったことにしてしまいたかった。
彼女はこんな俺を許してくれるだろうか。もしも彼女が俺の所業をずっと天から見ていたのだとしたら許してはくれないだろう。
「そんなこと、どうでも良いよ。どうでも良い。」
「そんなことじゃないですよ。大事です。これからも付き合っていくなら。」
その言葉を聞いて、何か心のかけていた部分が戻った気がした。俺がしていたのはそういう行為だったのだ。
彼女がどんな思いで俺に話しかけたのか分かった気がする。
許してくれるならもう一度。いや、彼女は美甘ではない。
「俺の事を好きになってくれますか? やり直すわけじゃなく、新しく。ゆっくりと時間をかけて俺を好きになってくれますか?」
あの時、美甘が俺のことを好きになってくれたみたいに。
「シンヤさんが私を虜にしてくれるなら。」
彼女はそう言った後、ちょっとわがままでしたかね、と笑った。俺は目からしょっぱい水を垂らしながらかぶりを振った。
「そうだ。今度、耳が隠せるような帽子を買いに行こう。それに尻尾が隠せるようなロングスカートも。」
「私はいつでも良いですよ。なんせ猫ちゃんですから。」
彼女はにゃん、と言って猫の様なポーズをする。俺はその悩殺ポーズにノックアウトしてしまった。当分これには慣れそうにない。
これからの事を思うとついニヤけてしまう。
もう絶対にこの手を離さない。俺は彼女の笑顔を見ながらそう決意した。