-3- 背に負う過去
<3> ‐背に負う過去‐
俺が突然言い放った計画は、当然すぐに行われることはなかった。
いつも軽いダイスケもマコも、真剣な俺を見て、いつものように茶化すことはなかったけれど、計画には賛同しようという気にはならないようだった。
みんな、無謀なことはよく理解している。
毎日飲まなければいけない薬、腕につけられた点滴。
俺自身、今は平気でも、これを絶ったら、いつか必ず倒れるのであろう。
そんなこと、俺だって十分わかっていた。
以外だったのは、冷静なコウが少し乗り気だったことだ。
もし脱出したときのことをじっくりシュミレーションして、急に問題点を指摘し始めたのには驚いた。
結局、この日はみんな複雑な表情をしたまま、それぞれの病室へと戻っていった。
アヤだけは、ずっと目を輝かせていたけれど。
俺は病室に戻り、よく脱出計画について考えてみる。
さっきコウがいろいろ言っていた。
この病院から一番近い海の場所だとか、そこまで行く交通手段だとか。
遠出をするにはお金だって当然必要になる。
だけど、その中でも一番の問題はみんなの体調を保つ薬のことだった。
俺はアヤにカモメを見せてやりたい。けれど、俺自身も病人だということを、決して忘れてはいけない。
考えれば考えるほど、この計画は無謀だった。
病人5人で、海を目指して病院を抜け出す。
確実に、無事で済む旅ではないだろう。
この病棟を出ること自体不可能かもしれない。
そんな状況でも、何故か俺はこの計画を思いついた時点で、これは自分に科せられた使命なのだと思っていた。
次の日、みんながまた休憩所に集まる。
アヤだけが、いなかった。
まだ体調が安定していないのだろうか。
昨日、計画を提案したときは、あんなに目を輝かせていたのに。
不安がまた込み上げてきたけれど、近づいていくと、マコが、少し薬が強くなって睡眠時間が長くなっているのだと教えてくれた。
少しほっとしたものの、それは病気が進行しているということだ。
胸の奥には、不安が残ったままだった。
昨日の計画のことを考えているのだろう。
それぞれ、複雑な表情。
いつもあるはずの笑顔がないこの状況を、自分が作り出してしまったことに、胸が痛んだ。
少し沈黙が流れた後、ダイスケが咳払いをして言った。
「シュウ…。脱出するって計画のことだけどな…。
俺達も、考えたことがあった。」
驚いた。俺と同じ考えを持っていたのか。
「何かを見てみたいとか、そんな目的はなかったけど…
ずっと気が狂いそうだった。
俺達は、かなり長い間ここにいるからな。
……みんな、ばらばらだったんだ。
今よりも、体調が悪くて、笑い合うこともなくて。
こんな病棟にいるからだって決め付けて、自分達の弱さに気付いてなかった。
けど、みんなで集まって笑ってると、体調も良くなったし、毎日が楽しくなった。
こんな場所でも、生きる方法を見つけたんだよ。」
初対面の俺にも、全く違和感なく接してくれたみんな。
その笑顔の中には、苦しい過去があったのだろう。
俺は、一番幸せなタイミングで入院して来たのかもしれない。
「もうこの先長くないことは分かってる。
けど、残った時間を、何もなくても、その何もない時間を幸せに過ごすための術を手に入れたんだから、それでよかった。
そんな中にシュウが来て、もっと賑やかになって、このまま笑っていられると、そう思ってたんだよ。」
ダイスケは、いつもより少し低い声で語ったあと、俺の目を見て、最後に聞いた。
「ここにいれば、終わりまでは笑っていられる。
それは俺達が保証してやる。
それでも…それでも。
行きたいか。外へ。
見せてやりたいのか。アヤに。」
ここに、アヤはいない。
頭の中で、「死」の文字が迫り来るのを感じた。
俺は、言った。
「行きたい。
見せてやりたい。アヤに。
俺だって長くないんだろう。
なら、せめて誰かを笑顔にさせてやりたい。
今よりも、もっと、もっと。」
何も、考えていなかった。
ただ、弱っていくアヤの姿だけが俺の思考を支配して、いつの間にか言っていた。
真剣な俺の顔。
それを無表情で見つめるダイスケ。
すると、ダイスケが二カッと笑って、言った。
「カッコイイな、お前。
いいよ。その計画。俺達も乗る。
それだけの決意があれば、何とかなるかもな。
……よかったな、アヤ。」
(へ?アヤ?)
「何言ってんだよ。アヤは病室…」
と言いかけとき、テレビの陰から、アヤが出てきた。
顔が一気に熱を帯びてく。
「これは当然の報いなのだよ、秀一君。」
また、それか。
「アヤが戻ってきたところを、いきなり一人占めしたのだから。
アヤはみんなの癒しっ子なのだよ。」
コウとマコが、フォフォフォと笑いながら言う。
流石のアヤも、俺の告白じみた決意の言葉に、顔を赤らめていた。
「あのとき、散々いじってたじゃねーか!
というか、ダイスケが珍しく真剣にいい話してたのに、なんか台無しになってんじゃん。」
「いいんだよ。あの話は本当だけど、重い話もドッキリに使っちゃうのが、俺たちのクオリティーさ。」
ウインクしながら、親指をグッと立てて言う。
全然カッコよくない。
その後も、顔を赤くしたまま、ギャーギャーと騒ぐ。
みんな笑顔で、俺の計画には賛成してくれているようだった。
けれど、俺の責任は重大だった。
折角みんなが作り上げた幸せな空間から、危険な場所へと連れ出そうとしているのだから。
気を引き締める俺に、コウが言ってくれた。
「みんな、同じ気持ちだったんだよ。
このまま終わっていくのは、なにか寂しく思いながらも、笑ってきた。
一度止めた計画を、もう一度やろうって言い出すのは難しいしね。
感謝してるよ。
僕も、アヤにカモメを見せてあげたかった。」
(……コウも、アヤが好きなのかな。)
そんなことを思ったけれど、聞かないことにした。
「アヤって、前からカモメに興味持ってたのか?」
と、代わりにコウに聞いてみると、
「うん。なにがきっかけかは知らないけど、テレビにカモメが映ると、いつも釘付けになってたよ。朝早く起きるのも、毎日やってる、五分くらいの短い自然特集見るためみたいだったし。」
そうだったのか。知らなかった。
まだまだ、アヤのことも、みんなのことも、知らないことがあることを感じて、少し悔しく思った。
早速、俺達は準備を始めた。
言いだしっぺの俺より、コウの方が何かと気がつくので、総指揮はコウが執っていた。
金銭面では、何故かダイスケが相当な金額を隠し持っていたのでクリア。
衣服に関しては、とりあえず自分の服が病室に多少あったのでそれを着ることにする。
アヤはこの病棟での暮らしが相当長いのか、患者用の服しか持っていなかったから、脱出後にすぐ買ってやるとみんなで約束した。
周辺の地理は、コウが完璧に記憶していると胸を張っていた。
あとは、海までの交通手段と、それぞれの薬。
薬のことは、みんな分かっていながらも、後回しにしていた。
無理だったとしても、少しの間だけでも、希望を長く持ちたかったから。
「うーん。バスとか電車はこの辺は全くないんだな。」
「おかしいよね。普通病院の近くって、アクセスしやすいはずなのに。」
「まあ、ここはZ棟だからな、病院から余計離れちまってる。」
ダイスケとマコが、頭を抱えて考えている。
アヤは自分の病室で荷物をまとめていて、コウは役に立つものを探すといって、どこかへ行ってしまった。
「こっちの病棟に止めてある車を奪って行くとか?」
「確かに、看護士なんか、こっちの仕事少ないからカギつけっぱにしたりするけどな…
それ以前に、運転できないだろが。」
「あんなの簡単だって、少しいじればすぐ慣れちゃう、私に任せてっ。」
「マコが運転したら、計画開始と同時に、全員天国行きだよ。」
「はっはっは。面白いこと言うねえ。」
ダイスケが、いつもより強めにどつかれて沈んでいた。
(あ。というか、車?)
「俺、免許持ってるよ。」
思い出し、さらっと、口にする。
「「ええっ!!」」
二人の驚きの悲鳴が、休憩所に響いた。
コウが戻ってきた。
懐中電灯をどこかから持ってきていた。
「どうしたの、やけに楽しそうだけど。」
「コウっ、シュウが車の免許持ってるんだってよ!
交通手段は、車で決まりだな。」
「そっか。よかった。車は最初から使うつもりだったけど。」
「コウ、運転できるの?」
「いや、ゲーム感覚でなんとかなるかなと。」
恐ろしいやつだ。
「まあ、免許持ってるなら、運転はシュウに任せよう。
あ、そういえば、自分の部屋あさってたけど、予備の薬がいくらか棚の一番下にある鍵付きのボックスに入ってたよ。暗証番号これね。」
そう言って、数字が並んだ紙を差し出す。
「「「……へー。」」」
付き合いの長い二人も、コウの隠された能力に驚いているようだった。
自分の病室に戻って、ありったけの薬を持ち出した後、もう一度休憩所に集まる。
アヤも、戻ってきていた。
両手で、割れ物でも扱うように、ウサギのぬいぐるみを抱えていた。
「アヤ、それ、持ってくの?」
「……うん。友達、だから。」
…友達。そう言ったアヤの顔にはふざけている気などないようだった。
(かなり小さい頃から、ここにいるのかもしれないな…)
そう思うと、悲しくなった。
幼い頃に、終わりを宣告されるなんて、残酷すぎる。
本人は教えられなくても、次々と去っていく、ここの住人達を見ていれば、いずれか悟ってしまうだろうから。
「…可愛い、でしょ?」
アヤが、にっこりと笑う。
そのぬいぐるみは、ところどころ破れかけていたけれど、アヤの胸に抱かれて、幸せそうに見える。
「うん。可愛い。」
そんな様子を見て、自然と笑顔になって返した。
なにか距離が縮まった気がして、一人浮かれていると、いつの間にか戻ってきていたダイスケに頭をペシッっと叩かれた。
「顔、にやけすぎだぞ、秀一君。」
今、ブームですか、そのしゃべり方。
「あと2時間で消灯時間だ。実行に移すのは明日か明後日だな。
準備が整い次第、出発しよう。」
ダイスケが、窓の外を見ながら言った。
「ああ、できるだけ早いほうがいいな。
…あ、この病棟から出る方法考えないと。」
「それは大丈夫だ。前計画を思いついたときに、脱出ルートは確認してある。」
「…そっか。いよいよ、だな。」
「…ああ。」
俺とダイスケは、これから飛び出していく外の世界を眺める。
アヤは、一人笑顔で、ぬいぐるみの頭を撫でていた。
そんなところにコウも戻ってきた。
暗くなっていく病棟の中で、これからの旅に想いを馳せる。
しばらくして、アヤが不安げに言う。
「……マコは?」
そういえば、遅い。
「…っ。探してくる。」
ダイスケが、スッと立ち上がる。
見ると、今まで見たことのないような顔をしていた。
思うところでもあるのだろうか。
声をかけようとしたとき、廊下の角から、マコが姿を見せる。
少しフラフラとしながら、こちらに近づいてくる。
安心して、俺はマコに話しかける。
「遅かったな。明日か明後日には出発するんだから、頼むぜ。」
いつもの調子で笑ってくると思って、少しふざけた調子で言う。
「…明日か、明後日?……脱出する、あの計画?」
「なにいまさら聞いてんだよ。当たり前だろ。」
「脱出…この病棟を、出る…。」
何故か、元気がない。やたらと肩で息をしているように見える。
ガクッと膝をついて、さらに呼吸が深くなる。
「…おいっ。大丈夫かよ!?」
「…だめ。…勝手にお外に出るなんて、悪い子…」
「え…?」
何を言っているか分からなくて、戸惑う。
マコは床で丸くなって、とうとう泣き出してしまった。
「悪いことしたら、おばさんが、おばさんが…!
やめて、怖い。おばさん、やめて…!!」
いつものマコからは考えられないしゃべり方で、泣きじゃくる。
ダイスケが俺をはねのけて、マコを優しく抱える。
「…おいっ。マコ。大丈夫。大丈夫だから…。」
耳元で、優しく語り掛けるダイスケ。
俺は、声が出なかった。
いつもあんなに元気なのに。
なんで…なんで?
何度もマコには励まされたりしたから、この光景は俺にとってショックすぎた。
みんな、病気を、負っているんだ。
分かっている。
それぞれに、暗い過去があるかもしれないことも、いつ体が悪くなってもおかしくないことも。
分かって、いた。
戸惑い続ける俺に、アヤが小さく言った。
「マコはね…、頭の中に、なにか悪いものができちゃったんだって。
難しくて覚えてないけど…、ときどき嫌な思い出とかが、急に頭に浮かんだりしちゃ うって言ってた。」
「そう、なのか…。」
「…マコのこと、嫌いにならないで…。」
俺の服の裾を引っ張って、心配そうにアヤが言う。
「…大丈夫。俺が、弱かっただけだから。」
俺は、自分の決意の甘さを痛感し、自分の心に喝を入れる。
とにかく、この状況をなんとかしないと。
看護士を呼びに走ろうと思ったときだった。
さらに、マコの呼吸が荒くなっている。
そんなマコの肩を、ダイスケがグッと掴んで、目を閉じている。
(何しようとしてんだ?あいつ…)
そう思った瞬間、ダイスケはマコへ顔を近づけていった。
…目の前で、二人の唇が重なる。
俺は走り出そうとした格好のまま固まり、コウは精一杯の無表情で見てないフリ。
アヤは何故か、顔を赤らめながらウサギの目を手で隠していた。