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-2- 陽の下へ

<2>  ‐陽の下へ‐


Z棟に移って一週間。

みんなと知り合って一週間。

ダイスケから聞かされた事実に軽いショックは受けたけれど、今はもう平気だった。

何も病気を負わずに、平凡に命を長引かせるよりも、みんなと短い間でもいいから、笑い合っていたいと、そう思えた。

まだ、知り合ったばかりだというのに、自分がこんな気持ちになれるなんて、本当に不思議だった。

あっさりと事実を述べたダイスケは、後でコウに諭されて、少しすまなく感じていたようで、俺と話しにくそうにしていた。

けれど、いつもマコがやるように、思いっきり背中を叩いて、「気にしてないから」と笑顔で言ってやると、いつもの軽いノリで楽しませてくれた。

みんな、本当にいいやつだ。



薬が届く時間。

仕方なく、俺は病室に戻る。

薬を飲む瞬間だけは、俺にはっきりと病気の存在を認識させてくる。

普段からつけている黒のテープは、もう見慣れてしまって、あまり「病人」だという意識を呼び起こさせる物にはなりえなかったけれど、この瞬間だけは、いつまで経っても慣れることはないだろうと思った。

看護士が入ってくる。

銀色のトレイに沢山の錠剤がのせられている。

(少し、薬の量、増えてないか…?)

今まで見たことのない色の錠剤が、一番奥の方に見えた。

看護士は、俺の様子に気付いているはずだろうに、なにも説明もせず、表情を変えないまま、淡々と作業をこなしていく。

結局、この日から、俺の薬は二種類増えた。



全部薬を飲み干し、点滴を付け替えてもらってから、病室を出る。

あんな部屋の中に閉じこもっていたら、気が狂う。絶対に。

昨日見た音楽番組に出ていた、俺の大好きなスウェーデン出身のバンドの話がみんなにしたくて、休憩所に向かう。

相変わらず廊下にまでダイスケの声が聞こえてきて、自然と笑みがこぼれる。

「よっ。」

小さく声をかけて、テーブルに近づいていく。

すぐに、気付いた。

「あれ?……アヤは?」

何も考えず、口にしていた。

「え…うん。いま、あの子調子悪いみたいだから…。」

いつもがさつなマコが、答えにくそうに言った。

「あ…そっか。」

自分にしか聞こえないぐらいの小さい声で、俺は情けなく相槌を打った。

ショック、だった。

この病棟の意味を知ったときよりもショックを受けた。

当然、みんな病人なのだから、いつ調子が悪くなるのは当たり前だ。

調子が悪くなるどころか、死んでしまうことだって…

そこまで考えて、頭を振る。

とにかく、この仲良し五人組の中から、誰かが欠けているのを初めて見た俺は、言いようのない不安を覚えていた。

それに、俺は昨日のバンドの話を、アヤにしてやれないのが何故かすごく悲しかった。

話している中で、アヤが音楽をよく聴くのは知っていた。

その音楽の好みが俺に近かったから、きっと昨日のバンドも好きに違いないと思って、ずっと話したかったのだ。


みんなは誰かが欠けているこの状況を、何度も味わっているのかもしれない。

いつものように休憩所のテレビを見て、笑い合ったりしている。

俺は、そんなみんなが、誰かが欠けることに平気そうに見えて、腹が立った。

けれど、みんなの様子を見ていると、すぐに強がっているだけだと分かった。

誰かがいないときに、ただ気分を沈め続けても、良くなるわけではないし、体調を崩した方も悲しむ。

そう悟ったみんなが考えた、精一杯の強がりなのだろう。

だから、俺も心の中ではアヤの無事を祈り続けながら、いつものように軽くジョークを飛ばす。

昨日のバンドの話は、アヤが来るまでとっておくことにして。



次の日。

朝一番で飲み干さなければいけない薬の山を、複雑な気持ちで飲む。

アヤの調子はどうなのだろうか。

そればかり考えてしまう。

思えば、みんなの病室の場所は全く知らなかった。

最後の一粒まで飲み干し、少し気分が沈む。

流石に、朝からこの量はキツイ。

それでいてこの精神状況なのだから、自然と顔色は悪くなっていただろう。

看護士が一言二言、体調について聞いてきたけれど、俺は大丈夫とだけ繰り返していた。

看護士が出て行った後、ゆっくりベッドから出る。

少し自分の体が重く感じた。

絶対、体重など増えていないのに。

病室から出て、いつものように廊下を歩く。

いつもより少しだけ静かな気がしたけれど、ダイスケとマコがふざけあっている声が聞こえた。

廊下が広くなっていき、並んだテーブルが目に入ってくる。

みんなが座っているテーブルの周りに、アヤはまた、いなかった。

明らかに落胆の色を見せる俺に、ダイスケが声をかけてきた。

「よっす。どした、元気ないな。変なモンでも食ったか。」

「こんな病棟内じゃ、へんなモンが口に入ることはないよ。」

いつもの自分らしく振舞おうとする。

けれど、分からなかった。

(俺って、いつもどうやってしゃべってたっけ…)

胸の中にある、痛いような苦しいような喪失感。

情けないくらいに小さくなる俺に、今度はコウが話しかけてきた。

「シュウ、あれか。恋煩いか。

 そんな寂しがっても、想い人がやって来るわけじゃないぞ。」

こんなときに。アヤは大変かもしれないのに。そうやってからかうのか。

そう怒ろうとしたけれど、いつの間にか俺は、顔を真っ赤にして、「そんなんじゃないって」と必死に否定していた。

みんながやらしい目線を飛ばしてくるせいで、慌てて否定し続ける俺。

コウは、ちょっと元気になった?とでも言うような顔をしている。

…わざとか。

(俺って単純なのかな…)

少し悲しくなったけれど、俺が恋愛に疎いとか、そんな人間性は、もうみんな分かってしまっているのだろうと思った。

「シュウ、大丈夫だよ。あの子、時々こうやって体調崩すけど、何日かするとまた朝一番に来て座ってんだから。落ち込まない、落ち込まない。」

「……そっか。」

優しく教えてくれたマコの言葉に少しほっとして、イスに座る。

すると横からダイスケが、

「やっぱアヤのこと好きなんじゃん?」

「ちっ、違うって。」

「顔真っ赤だし。さっきマコに言われて安心してたし。」と、コウ。

「うっ、うるさい。」

少し照れくさかったけれど、みんな落ち込んだ俺を励まそうとしてくれた。

やっぱりいいやつらだと、改めて思った。



それから何日か過ぎて。

俺たちはいつものように過ごしていた。

けれど、アヤは戻ってこない。

マコは、大丈夫だと言い切ったこともあって、必死に不安に思わないようにしているようだけど、どうしても寂しい表情をこぼすようになっていた。

ダイスケも、コウも、俺も、一緒だった。

誰かがいなくなってしまうかもしれない、よどんだ不安が胸を満たしていく。


アヤの顔を見なくなって二週間。

精一杯の強がりもほとんどできなくなってきた頃。

何故かいつもよりかなり早く目が覚めた。

この病棟に来て、いつも起きる時間には数分しか狂いがなかったのに。

朝の薬を飲む時間まで、まだ二時間もあった。

どうせ目が覚めたのならと、俺は病室を出て、休憩所へ向かう。

まだ陽の光は弱く、いつもは眩しい廊下の白も、それほど映えていない。

音が、聞こえた。

休憩所のテレビが点いているようだ。

不思議に思って近づいていく。

休憩所の真ん中のイスに、ちょこんと小柄な影。

アヤだった。

俺は最初信じられなかったけれど、すぐに固まっていた心がほぐれていく気がして、自然と笑顔になっていた。

声をかけようとして、そういえば二人きりは初めてだ、などと余計なことを意識している内に、アヤがこちらに気付いた。

「…あ。シュウ。おはよう」

いつもの、ゆったりとした口調。

二週間も顔を合わせていなかったというのに、全く普段と変わらない挨拶をしてきた。

「うん。おはよ。」

だから、俺も普段通りに挨拶で返した。

隣に腰掛ける。


二週間、本当に心配した。

みんな不安に思っていた。

ずっと、ずっと待っていた。


あの有名な女優が結婚した。

俺の応援している野球チームが連勝中。

ずっと話してあげたかった俺の大好きなバンド。


沢山、あった。

たった二週間会えなかっただけで、沢山話したいことがあった。

けれど、俺はなにから話せばいいかわからなくて、黙ってしまう。

アヤは、そんな俺に優しく笑いかけたあと、小さな音をもらしているテレビに向き直った。

ずっと、沈黙が続いた。

だけど、二人の間には優しい空気が流れていて、親しい仲だと、沈黙も全然苦にならないものなのだなと、俺は感じていた。

俺は急に眠たくなってきて、座ったまま目を閉じる。

暖かな涙が一筋、頬を伝っていたけれど、気にならなかった。



少し強くなった日差しが顔に当たって、目が覚めた。

瞼を開くと、いきなりマコの顔が視界に入ってきて驚く。

「よく眠れたかね。秀一君。」

なんだ、そのしゃべりかた。

つっこんでやろうかと思ったけど、すぐにまたマコが口を開く。

「やっとアヤが戻ってきたと思ったら、なにやってんだい、あんたら。」

アヤ。そうだ。いつもより早く目が覚めて、休憩所に来たら、二週間ぶりにアヤに会って、それで……

横にはダイスケとコウもいた。

二人とも、俺と俺の少し横をチラチラと見ている。

なにやっているかと疑問に思っていると、今度はやけに肩がこっているのに気付く。

肩のあたりに重みを感じる。

気になって隣を見ると、アヤが俺に、もたれかかるように眠っていた。

「…。」

一瞬、思考回路が遮断される。

一秒。二秒。三秒。

「…………!!」

俺は、声にならない悲鳴をあげるので精一杯だった。



その後。

マコがアヤを起こして、アヤはいつもどおりで。

ダイスケとコウに、俺がさんざんいじられている所に、看護士が来てみんなを病室へと引きずっていった。


今日は、違う意味で精神状況がおかしい。

目の前の薬の山を、複雑な気持ちで飲む。

「……ふう。」

全部飲み干した後、看護士が点滴を付け替えながら、俺に言った。

「早朝は、体調が崩れやすいので、極力病室からは出ないようにしてください。

 それに、あまり宮沢さんに負担をかけさせないよう、お願いします。

 宮沢さんは、最近やっと体調が戻ってきたところなので…」

この歳になって、怒られてしまった。

(アヤ、宮沢っていうんだ…。というか、最近調子よくなってきたってことは、やっぱり今まで悪かったってことか。大丈夫なのかな…)

考えていると、いつの間にか看護士は病室を出ていたので、自分も休憩所へと赴く。

さっきまでいた休憩所に、もうみんな集まっていた。

みんなアヤを取り囲んでわいわいしゃべっているけど、アヤはいつものようにまったりとしている。

遠くから、その様子を見ていると、

「なににやけてんだよ。こっち来いよ。」と、ダイスケ。

アヤもこちらに気付いて、笑いかけてきた。

少し恥ずかしかったけれど、アヤは全然気にしていないようで、少し傷つく。

近づいていき、改めてアヤの様子を見てみると、異変に気付いた。

アヤの腕はわずかだけれど細くなっていて、顔も少し痩せているようだった。

先ほどの、看護士の言葉が頭に浮かぶ。

『宮沢さんは、最近やっと体調が戻ってきたところなので…』

胸の奥が、きりきりと軋んでいるみたいに痛かった。

少し目線を下げて胸の痛みに耐えていると、バンッと背中を叩かれた。

横を見ると、マコが小さくガッツポーズを作って、力強く笑っていた。


みんな、分かっているんだ。

それぞれ、重い病をその身に負っている。

それでいて、なんて強いのだろう。

(俺も、もっとしっかりしなきゃな。)

グッとこぶしに力を込めて、アヤに向き直った。


テレビを時々見ながら、くだらない話題で盛り上がる。

ダイスケがふざけて、コウがたしなめ、マコがその様子を見ながら大声で笑う。

俺がたまにツッコミを入れて、その横で小さくアヤが笑っている。


いつもの、五人だった。


しばらく談笑して、話し疲れてくると、テレビを眺めながらの、優しい沈黙。

みんな五人で一緒にいられることの幸せを噛み締めているようだった。

昼間のテレビ番組は穏やかで、自然の特集をしている。

山から場面が切り替わって、海が映された。

どこまでも続く蒼の上を、気持ちよさそうに飛ぶ影。

それを見て、アヤがはっと口にした。

「あ…。あの鳥…」

目が輝いている。

俺も画面をジッと見てみる。

「カモメ…か?」

「カモメ……。」

アヤが、愛しそうに口にする。

そんなとき、コウが横から言った。

「あれは、ユリカモメだね。

 日本産のカモメには、オオセグロカモメとか、シロカモメ、ウミネコなんかがいるね。

 渡り鳥で、神奈川県の県鳥にもなってる。

 けっこう人懐っこくて、あの『かっぱえびせん』なんかでも、餌付けできちゃうんだ。

 学名は……えっと、なんだったっけな…。」

「コウは…やっぱり、物知り、だね。」

アヤが感心していた。

「聞いてもないのに、勝手に解説始めるけどな。」

と、笑いながらダイスケが言う。

俺は、得意気に語ったコウが、アヤに尊敬の眼差しを向けられているコウが、何故か無性に羨ましかった。

(カモメか…後で、こっそり調べておこうかな)

そんなことも考えるくらいだった。

テレビはなにも語らず、ただただ蒼の世界を飛び回る、白いカモメの姿を映している。

とても、気持ちよさそうだな、と思った。

「カモメ…。」

またアヤが目を輝かせながら、カモメを呼んでいる。

「……見てみたいな。」

ぼそっと、アヤが言った。

その様子を見て、俺は思いついたことを、咄嗟に口にしていた。


何故、急にそんなことを考えたのか分からない。

今まで、俺が平凡なことしかしてこなかったから、その反動なのか。

この五人でいられる時間がなくなっていくのを、病が蝕んでいく体の何処かで感じていたのか。

とにかく、俺がこの計画を口にしたときから、この五人の人生は、大きく変わっていったのだろう。


「見に、行こうよ。カモメ。」

みんな、キョトンとしている。

この病棟に来て、俺がここは退院間近の患者が来る所だと、勘違いしたときと同じ顔。

「こんな病棟飛び出してさ。

 あんな広い世界目指して。

 みんなで…見に行こうよ。カモメ。」

みんなまだ目を丸くしている中で、アヤだけが目をキラキラさせている。

「アヤも見たいだろ?カモメ。」

「…うんっ。」

アヤにしては珍しく、強く頷いた。

またあの看護士の言葉が頭をよぎったけれど、だからこそ、行かなければいけない気がした。

限られた生命。閉ざされた未来。

そんな中で、少しくらいの光は目指してもいいんじゃないか。

だから、俺はこの病棟から脱出して、海を目指す計画を考えた。

それがどれだけ無謀なことか、入院前と寸分変わらぬ感覚を保っていた俺には、分かるはずもなかった。


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