自殺したいのにフードファイターが話しかけてくる
週6で一日15時間労働き続けてきた飯田は帰りの車の中でふと「何故生きているのか?」が分からなくなった。
両親は既に他界しており配偶者もおらず、それどころか生まれてこの方40年、一度も女性と付き合った事さえない。
唯一の居場所であるはずの会社に行けば、尋常じゃない仕事量と責任を押し付けられている上に、人格から否定をしてくる上司に怯えなければならない自分に果たして生きている意味はあるのだろうか?
そうして飯田は無意識のうちに山道へハンドルを切り、気づけば自殺スポットの切り立った岬を目前に見ていた。
ぼんやりと照らす街灯を頼りに進んでいき、手すりに手をかけ下を覗いてみる。そこは漆黒の闇で何も見えないが、波が打ち寄せて岩に当たって聞こえる音はまるで亡霊のうめき声だ。
——ここから落ちれば楽になれる。
飯田が片足で手すりをまたいだ時、急にクレーンが移動するような稼動音が響いてきた。
驚いて振り返った飯田はさらに驚いた。
先ほど歩いてきた岬に通じる道にポッカリと丸い穴が空いていて、そこからエレベーター式に1人の男が上がってきていたのだ。
男の前には机が置かれていて、机の上には茶碗に入ったホカホカのご飯が並べられている。
「え? だ、誰?」
異様な光景を前にしばらく固まっていた飯田は恐る恐る聞いてみた。男は答えないが自分の方を見つめて視線をそらさない。これが地面からの登場でなければ間違いなく幽霊だと確信しているところだ。
と、ここで男はゆっくり机の前に置かれた茶碗を左手で持ち上げ、右手に持った箸をカチカチと鳴らしてみせた。
この間も男はコチラを見つめて離さない。
彫りの深い顔に無精ひげ、そして冬の夜にタンクトップというアグレッシブなファッションの男に見つめられては、今から死のうとしていた飯田も謎の恐怖を感じずにはいられなかった。
「俺の名前は」
初めて口を開いた男。
しかし言葉を切って続きを言わない。
両者見つめ合ったまま動けずにいた次の瞬間、男は勢いよく白米を口の中にかっ込み始めた!
その勢いたるや水面に落ちたエサを吸い込むコイのようで、みるみる茶碗の中の白米が減っていくのが分かった。
そんな状況を飲み込めず固まったままの飯田を尻目に、蒸気の立ち上る白米を口に頬張り続ける男。
「バラメタイバ!」
ここで白米を散らしながら謎の言葉を発する。
これはご飯に何らかの恨みを持った怨霊なのかもしれないと思い始めたところで、男は乱暴に空になった茶碗を置いた。
「なんで死のうと思った?」
先ほどの狂ったような食事風景からは考えられないほど落ち着いた声を出す男。
その頬には白米が2,3粒ついたままだ。シチュエーション的にマトモではないが、どうやら亡霊ではないようではある。
「なんでお前にそんな事を言わないといけないんだ」
飯田は掠れた声でなんとか返す。
「俺がフードファイターだからだ」
それはまるで「これはペンですか?」と聞いたら「いいえ、タージマハルです」と答えられたかのようなトリッキーさをはらんでいた。男は再びご飯を盛られた茶碗を左手で持ち上げる。
「いいから、なんで死のうと思ったか話してみろ」
「……、俺は今年で40になるんだが」
「ハフッ! ハフッ!」
「もう生きるのに疲れたんだ。この歳になって大した収入もないし嫁も子供も居ない。そして両親には先立たれて」
「熱っ! 熱っ! ふぅ!」
「おまけに上司は最低で俺の人格から否定してくるクソ野郎だ。だけど俺に転職する勇気もないし、俺を拾ってくれる企業なんて無い。今更生きてても」
「コシヒカリふぅうう!」
「おい食うのやめろテメェ!!」
飯田は自分がつい先ほど死のうとしている事も忘れて叫んだ。
ここで再び空になった茶碗を机に置く男。
「それでなんで死のうと思ったんだ?」
「さっき言ったわ! 包み隠さず全部 喋ったわい!」
「すまないが聞こえなかったんだ」
「お前の咀嚼音のせいだろうが!」
「どっちにしろ死ぬんじゃない」
「どっちにしろってお前……、お前に何が分かるってんだよ」
と飯田が言っているそばから割り箸を割る乾いた音が響いた。
男の前には先ほどまでの茶碗ではなく、激しく蒸気の立ち上るラーメンの入った鉢が置かれている。まだ食う気なのか……?
だが楽になるのを邪魔された上に、目の前でひたすら白米を頬張る男に腹の立っていた飯田は怒りを吐き出すように話し始めた。
「俺は分からなくなったんだ。生きる意味が」
「ズズズ! ズバババ!」
「考えてみろ、俺たちはどうせ死ぬ。それg……」
「ズバババズ! チュババババ!」
「おい食うの止めろって言ってんだろ!」
すると突然男の動きが止まった。波の音だけが二人の間を覆っている。
「シシブンババビ!」
また謎の言葉を発する男。ついでに鼻から麺が飛び出す。
「テメェ食いながら喋るんじゃねぇ! きったねぇな!」
「ビンビンボビブボバ、ビッボウベンベイビビババベバ」
もう一切何を言っているのか分からないが、どうやら飯田を説得しようとしているようだ。おそらくラーメンを頬張りながら自殺を止めに入るというのは史上初の試みだ。
麺を食べ終わったのか、男は鉢を両手で持ってスープをあおった。そして机に置いたあと飯田を見つめて言った。
「そういう事だ!」
「どういう事だよ!?」
「ラーメンは早く食べないと伸びて美味しくないって事だ!」
「『死ぬな』って説得してたんじゃなかったのかよ! もう良い、 俺は死ぬからな! 放っておいてくれ!」
この男に付き合って居てはラチがあかないと思った飯田は広場の方に残していたもう片足を海の方へ投げ出した。
それを見て表情を険しくする男は机の下からホクホクのカツ丼が入った丼を取り出した。
カツ丼片手に神妙な表情で男は言った。
「どうして頑なに死のうとするんだ!」
「お前こそ、どうして頑なにメシ食ってんだよ!」
「ハフハフ!」
「もうええわ! 食うなつってんだろうが!」
その時、まるで時間が止まったかのように男の動きがピタリと止まった。
「むぐっ。ぬうううううう!」
彼が再び動き出すと今度は激しく噎せ、喉をおさえて苦しがり始めた。
どうやらカツ丼が喉に詰まったようである。
「ああもう、何やってんだよ!」
飯田は男の元へ向かい、カツ丼を吐き出させる手助けを始めた。
そうして男が回復する頃には、飯田の頭の中からは「死ぬ」という意識は完全に忘れ去られているのだった。
おわり
※フードファイトは危険ですので絶対に真似しないでください。あと自殺も。
お読みいただきありがとうございました!