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~第二の錦織圭たちに贈る言葉(3)~ 『心は空なり』

作者: 目賀見勝利

           〜第二の錦織圭たちに贈る言葉(3)〜

              『心はくうなり』


1. まえがき

〜第二の錦織圭たちに贈る言葉(2)〜では『心・体・技』の概要を述べた。

今回は、『心』の在り方につて考える。


2. 贈る言葉(3)

剣豪・宮本武蔵は『五輪書』の空の巻で『心』について、次のように述べている。

くうと云う心は、物毎ものごとの無き所、知れざる事を空と見る也。有る所を知りて、無き所を知る。これ、即ち空なり。心意二つの心をみがき、観見二つの眼を研ぎ、少しもくもりなく、迷いの雲の晴れたる所こそ、実の空と知るべき也。」

「空には善が有り、悪は無い。智は有なり。利は有なり。道は有なり。心は空なり。」


簡単に云えば『空とは何も無いことであり、意志も知識も利益を求める心もない状態』を云うことである。

私流に解釈すれば、意志のあるところには『気』も存在する。だから、意志を無くした心、すなわち無想の状態になり、『気を発するな』ということである。


私が伊勢神宮の外宮入口にある橋の上から下の池を何気なく見つめていて、『あれ、ナマズが居る』と思った瞬間、ナマズは慌てて池底の砂の中に身を隠したという経験がある。

たぶん、ナマズは私が何も考えず、漠然と池を見つめていた時には私の『気』を感じていなかったが、私がナマズに気が付いた瞬間に発した『気』を感じたと思われる。

また、私が自宅近くの里山の道を無心で散歩している時、蛇が道端に寝そべっていた。

私は蛇の真横に来るまでその存在に気付いていなかった。蛇の傍に来てはじめて、『あっ、蛇だ。』と思った瞬間、蛇は横の雑木林の草木の中へあわてて入って行った。

これも、私が蛇に気が付いた瞬間に発した『気』を蛇は感じたのであろう。

山道を何気なく歩いていた人が熊とすれ違ったのを気付かず通り過ぎた直後に熊にすれ違ったことに気づき、慌てて逃げたという話を聞いたことがある。熊も人の気を感じなかったので横を通過したのが人間だとは思わなかったのであろう。

忍者が追手の武士から逃げる為に『土とんの術』を使う時、自分の気を断つことが出来たと謂われている。

鍛錬によって『気を断つ』ことができると、宮本武蔵は言っているのであろう。

「迷いの雲の晴れたる所」とは「人間の意志の働いていない状態」を云うのであろう。


さて、テニスの昔話であるが、著者の経験を少しお話ししましょう。

あるチーム戦でのシングルスの試合の時、対戦相手がストロークからネットダッシュして来た。

相手がネットに出てくる前に数回のラリーがあったのだが、マッチポイントが掛った場面でもあり、ストロークのラリー中はかなりのプレッシャーを感じ、体の動きが悪くなっていた。

当時、私はプレッシャーを感じた時には、私がボールを放ち、相手がボールを打つまでの間に空手で謂うところの「逃れの呼吸法」を使うことにしていた。

「逃れの呼吸法」とは鼻から吸った空気を『はああーつ』と音を発しながら口からゆっくりと吐き出す呼吸法を云う。この為、心はかなり無心状態にあり、俗にいう『真に集中した状態』にあった。ストロークのラリーはボールを返すことのみを思って行っていた。相手にミスさせることや勝つことなど何も考えていなかった。ただ、テークバックを早くしてボールを追いかける無意識の習慣動作を繰り返していた。

そして、突然、相手がネットダッシュして来るのが判った私には、何処にパスを放つのか、何処にロブを上げるのかを決断する必要があった。通常なら、ボールがコート床面でバウンドする前にどのようなショットを何処に放つのかを決めるのであるが、その時はかなりに無心になっており、ボールが地面でバウンドして上がってくる瞬間に「パスだ!」と云う思いが湧き起こり、ライジングボールをバックハンドのドライブで力を込めて打った。

対戦相手は「アンティシぺーション(予感)」が良く働く人であったが、ラケットを出したのは、その人の足元をボールが通り過ぎた後であった。空振りに終わった訳である。

このショットが決まり、私はマッチポイントを取る事が出来、この勝利でチームも優勝することが出来たのであった。

ボールがバウンドした後に打つ場所を決めたのはこの時が初めてであった。

私の『パスの気』を感じるのが遅くなったため、相手は空振りをするという結果になったのである。

テニスボールを打つのに『気』を発せずに行うのは不可能である。

しかし、『気』を発するタイミングを遅らせて、相手の反応を遅らせることは可能であることに私はこの後、この場面を回想することによって気付いたのである。

相手が「私の打つの『う』を感じた」ときには遅かった訳である。


テニスは相手にミスをさせるゲームである。

相手が返球をネット、バックアウト、サイドアウトする『技』のミスを犯させる為に様々な技術テクニックを駆使する訳である。

ノータッチエースは相手の『体』のミスである。ボールに届く動作が出来なかった訳である。

そして『心』のミスとは、相手の打つ『気』を感じ取るのが遅れるミスである。

『心・体・技』を攻撃する術を鍛錬によって会得してください。

宮本武蔵・五輪書入門の著書の中で奈良本辰也氏は言っています。

くう』とは「頭で得た知識を体で一度吹き飛ばす。」ことである。


試合の場では、鍛錬で得た技術をすべて忘れろ、と云う訳である。

頭脳を含む『からだ』がすべての『わざ』を覚えているのだから・・・。



3. あとがき

  

  『アンティシぺーション』の日本語訳を英語辞書で見ると、予期・予想・予防・先回り・見越すことと書かれています。

  先回りして、相手の思うようにさせないことによって『権を制する(主導権を握る)』わけです。

  それには「空な心を持って、相手の気を感じる」ことが必要です。

  2020年の東京オリンピックに向けて、テニス練習に励んでください。

  ぜひ、日本に金メダルの栄光をもたらしてください。(無心でないかな・・・?)



            『諸君の健闘を祈る』

        〜目賀見勝利より第二の錦織圭たちへ(3)〜

             2016年9月6日



参考文献:

宮本武蔵五輪書  神子侃訳   徳間書店  1963年8月  発行

宮本武蔵五輪書入門 奈良本辰也著 徳間書店 昭和47年10月 発行

宮本武蔵五輪書入門 桑田忠親著 日本文芸社 昭和55年4月 発行

孫氏の兵法   安藤亮著  日本文芸社  昭和55年8月 発行

孫氏の兵法入門 高畠穣著  日本文芸社  昭和55年4月 発行

わが空手五輪書 大山倍達著  講談社   昭和50年11月 第1刷




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