エピローグ
「それじゃあ、ちょっと行ってくるね」
クリアが父であるパルメザンに手を振っている。
「くれぐれも気をつけるんだよ」
パルメザンが涙を流してオロオロしている。右手に持ったハンカチも風にオロオロと揺れているようだ。
ここはレッジャーノ邸の庭。さすが金持ちなだけあって庭がほとんど修繕されている。今は色々事件があった翌日の昼間だから修繕させる時間なんてほとんど無かったはずなんだけどな。
あれから俺達は負傷者の手当てを終えて、クタクタになって宿屋に戻った。そして翌早朝から治安維持協会への出頭、書類手続き、カリューに関する誓約書の記述……。
カリューは治安維持協会の人間を殺めてしまったが、そこはラムズに操られていたと言う事で無罪放免となった。
治安維持協会での手続きを終わらせた俺達は、レッジャーノ邸へとやって来た。昨日預けたカリューを引き取りに来たのだが……。
「どういう事かしら?」
秋留も俺の隣で呆けている。
俺達は目の前で父親に別れの挨拶をしているクリアと、それに従う四匹の獣を見つめた。
そう。四匹。
赤黒い毛並みを光らせた紅蓮。
青い毛並みが風に揺れるカリュー。
改めてみると普通の亀の甲羅よりも黒い色の甲羅を背負ったタトール。
そして、自分の身体より大きな荷物を背負ったシープット。
俺の視線に気付いたのかシープットが執事らしい控えめな会釈をしてくる。
「どうも」
俺達三人と一匹、久しぶりに銀星も俺達に付いてきているのだが、シープットの会釈に合わせて頷いた。
「何が起きているの?」
秋留が小声でシープットに聞く。
「え? 聞いていませんか? お嬢様が貴方達のメンバーに加わるとか……」
『えーーーーー!』
俺達は叫んだ。
その叫び声でようやく俺達の存在を思い出したらしいパルメザンとクリアが、仲良く近づいてくる。
「よろしくお願いしますな」
パルメザンがバンバンと秋留の肩を叩く。痛そうに顔を歪ませて秋留が話し掛けようとするが、クリアが勝手に話し始める。
「お姉ちゃんと冒険が出来る〜!」
秋留の口が「あ」や「う」を発し続ける。言葉にならないようだ。
「どういう事ですかな? イマイチ、理解出来ないのですが……」
俺達の保護者役でもあるジェットが、秋留の代わりに話をした。
「ペットのカリューが大人しくなるまで、アタシがお姉ちゃん達について行ってあげる!」
そう来たか。
秋留がようやく心を取り戻したのか、ジェットの前に出て話し始めた。
「レッジャーノさん、この島で発生した事件とは比べ物にはならない程の危険が、これから行く大陸には待っているかもしれないのです」
秋留はパルメザンに言ったが首を振るだけだった。
「クリオネアは言ったら聞かない娘でして……」
パルメザンが頭を掻いて続ける。
「まぁ、それでもかの有名なレッド・ツイスターさんのパーティーに加えてもらえるなら、私も安心ですよ」
金持ちときたら、こちらの都合等ほとんど考えてくれていない。
この先はアステカ大陸。俺は行った事がない大陸だ。どんな危険が待っているのか分からない。そんな中で自分の身も守れないような初心者を連れて行くなど……。
「安心して下さい、クリオネアの宿代等を含めて一千万カリムを貴方達にお渡しします」
「任せて……むぐぅ」
俺が一千万カリムの入った銭袋を受け取ろうとしたところで、秋留に口を押さえられた。ああ、秋留の手の良い匂いが……。
はっ!
これはさすがに変態だから止めておこう。俺は秋留の眼を見て後方に、銭袋から少し離れた。
「危険過ぎます。これから向かうアステカ大陸には、何が待っているのか分からないのですから!」
「ふむ……」
秋留の説得にパルメザンが悩む。
しかし昨夜はクリアに散々説得されたのだろう。今もクリアの痛い視線がパルメザンに刺さっているのもあるかもしれないが、パルメザンは諦めない。
「万が一、何かがあっても貴方達には一切の責任はありません」
パルメザンは力強く頷く。
「貴方達が直接クリオネアに何かをする訳ではないですしな」
そこは念を押すように俺達を睨み付ける。
俺に対してだけやたらと視線が止まるのが長い気がするのは、気のせいだろうか。
「何かがあったら、その時は私の全財力をもってクリオネアを傷つけた者を打ち滅ぼします!」
そこでパルメザンは握りこぶしを作る。
「はぁ、レッジャーノさん、それでも……」
秋留もそう簡単には説得に負けない。
しかし反論のスキも与えずにパルメザンが続ける。
「いやいや、もう決めました! それに……」
パルメザンが嫌らしい眼つきで俺達を眺め回す。こいつ、何か切り札を用意してやがったな!
「聞けば、ペットのカリューの暴走を直すためにも早くアステカ大陸を目指したいとか?」
「う……」
思わず秋留の反論も止まる。そこを突かれると痛いんだよな。
「それにですね」
そう言ってパルメザンはシープットを指差した。
「忠実な僕も付けましたから」
いやぁ。
それを説得の最後に持ってこられても困るなぁ。逆にシープットはいらないけど。その気持ちは秋留も一緒らしく苦笑いを浮かべている。
「お姉ちゃん!」
クリアが秋留の腰に飛び込んだ。
一緒に行くとなると、こんな羨ましい光景を毎日のように見なければならないのだろうか? 想像しただけでも生き地獄だ……。
「アタシが一緒に行った方がカリューが大人しくなるよ」
ギラリッとクリアの鬼のような視線がカリューに向けられた。カリューが耳を垂らして怯えているのが分かる。確かに大人しい。
「う〜ん……そうなんだよねぇ」
秋留の気持ちがとうとう折れた。実はクリアも言葉巧みな方なのかもしれない。これから被害に合う獣が続出しそうだ。「クリア討伐組合」なんていう組織が獣の間で広がったらどうするつもりだ。
「心配ならもう一千万カリム上乗せしますよ?」
「任せて……むぐぅ」
俺が両手で一千万カリムが入った銭袋を二つとも受け取ろうとしたところで、またしても秋留に止められた。
「分かりました。冒険者として護衛の依頼も数多くこなして来ました。お嬢さんは必ずお守りします」
秋留がパルメザンの前で肩膝をついて依頼を受けた。
これで暫くは俺達のパーティーにクリアを含めて獣が四匹追加される事になった。
それにしても……。
もう全部で二千万カリムか。下手な依頼よりも余程報酬が良い。俺が最初の一千万カリムを受け取っていたら増えなかったかもしれない。もしかしたら秋留はそれを予想して俺の行動を止めたのか?
「まとまったようですね。それでは我がレッジャーノ家自慢の船へとご案内しましょう」
俺達は港へとやって来た。その道すがら、たまたま子供と散歩していた商人夫婦に挨拶をした。この商人夫婦にはデズリーアイランドに来るまで世話になった。
カリューのことを簡単に説明し、アステカ大陸まで別の船で移動する事を告げた。
アステカ大陸に行く航路に出ると言う海賊から船を守るのが契約だったので、その心配のない今となっては商人夫婦の船を下りることに何の問題もない。
「ジェット・レッジャーノ号です」
港の桟橋で俺達は一隻の船を紹介された。
「ワグレスク大陸産の最新鋭の魔動船です。商人仲間に頼んでこっそり手に入れさせたんです。あそこは物の輸出にはうるさいからな!」
手で口を遮って内緒話を装っているがパルメザンの声はデカイので丸聞こえだ。自慢したいんだろうな。
魔動船といえば、デズリーアイランドに来るまでに乗せてもらっていた船も魔動船だったが、船の大きさはレッジャーノ号の方がだいぶ小さい。
この船はただの遊覧用なのかもしれない。
「操縦はこのシープットが出来ますので」
紹介された大きな荷物魔人、もとい、シープットが会釈する。相変わらず控えめな奴だ。
気付くと辺りに見慣れた顔が集まってきていた。
先程挨拶を交わした商人夫婦とその息子、そしてタイガーウォンをはじめとした治安維持協会員の面々、ゲーン……。他にもあまり覚えていない顔も多い。俺達が介抱した冒険者等も混ざっているに違いない。
「早いとこその危険な獣を元に戻してやってくれ」
タイガーウォンが治安維持協会員らしい台詞を吐く。その凶悪な顔には似合わないが、子猫の姿を思い浮かべるとそれ程凶悪な顔に見えなくなる辺りが不思議だ。
「なぜか森を覆っていた不気味な霧が晴れたんだ……」
ゲーンが呟いた。
秋留がネクロマンサーの力で浮かばれないカップルの霊を供養したのかもしれない。
「そろそろ行きますかな」
ジェットが言った。
パルメザンの話だとこの魔動船を使えば約三日でアステカ大陸の港に到着出来るという事だった。小さい分、速さ重視という事なのだろう。椅子の座り心地も良さそうだ。
「毎日手紙を出すんだぞ〜」
パルメザンがクリアに手を振って無茶な事を言っている。冒険の途中に都合よく手紙が出せる訳ないと思うのだが、その辺の事情は理解出来ていないらしい。
俺達は魔動船、ジェット・レッジャーノ号へと乗り込んだ。シープットが操縦席で何やらボタンやハンドルを操作している。
軽快な音を立てて魔動船のエンジンが稼動したようだ。船全体が小刻みに揺れる。
俺は改めて船に乗ったメンバーを見渡した。
まずは愛しい秋留、どこから取り出したか不明な茶を飲んで落ち着いているジェット、またしても失恋したらしい銀星……。一時的に俺達と仲間となった暴れん坊を彷彿とさせるクリア、そしてその付き人シープット……。
溜息を付いて船の前方を見ると、腹を出して寝ている獣のカリューとその隣に身体を丸めて寝ている紅蓮、そして操縦席を珍しそうに眺めているタトール……。
思えば一気にメンバーが増えたものだ。人間種族が四人、その他の種族五匹か。世にも奇妙な大パーティーだな。
俺はこの先の旅に沢山の不安を覚えながら、遠ざかる海岸を見つめた。
「予想通り、ゆっくりなんて出来なかったね」
秋留が呟いた。
「俺達冒険者に安息の地なんてないんだろうな」
「詩人じゃん」
俺の回答に秋留が茶化す。
「アステカ大陸ですなぁ……久しぶりですじゃ」
「あれ? ジェットは行った事があるの?」
秋留が聞いた。俺もジェットがアステカ大陸に行った事があるなんて知らなかった。
「ええ。魔族と戦闘を繰り広げながら色々な大陸に行きましたからなぁ……」
ジェットが遠い眼をする。
確かにジェットにとっては遠すぎる日の記憶だろう。生前の記憶……。
「アタシ、楽しみ!」
クリアが秋留に抱きついて会話に加わってきた。こいつ秋留にくっつき過ぎだ!
「そうだね。せっかく夢にまで見た冒険に出れたんだから楽しくしないとね!」
秋留が請け負った。
俺にとっては決して楽しくはない旅になりそうな予感がしてならない。胃、胃が痛いぞ。
「それにしても大人数になったもんだよなぁ……全員で九人パーティーか」
「へ〜、そんなに増えたんだぁ!」
秋留が辺りを見渡した。クリアも秋留にならって辺りをキョロキョロと見渡す。そうやって同じような行動と取って並んでいると仲の良い姉妹のようにも見える。
「あれ?」
秋留が呟いた。
「ブレイブ、数え間違いしてるじゃん!」
「え?」
盗賊であるこのブレイブの眼で数え間違いなど起こるはずもない。俺は改めて辺りを見渡した。
……やっぱり九人だけどな。
パリンッ。
パシンッ。
ん?
今の音は何だ?
「あ〜、これが有名なラップ現象だね」
秋留が嬉しそうに言った。
え?
「紹介してなかったね。新しく私達の仲間となったツートンとカーニャア」
ピシッ。
パシッ。
まるで挨拶でもする様に不気味なラップ音が辺りに響いた。
「ま、まさか……身投げしたカップルを連れてきたのか?」
俺は恐々と周りを見渡して秋留に聞いた。
「だって、あんな所で人々を呪ってたって勿体ないし、可哀想でしょ?」
秋留が何もない空間を撫でる。
何かが見える。
うっすらと秋留に頭を撫でられている二人の男女が……。
「皆でアステカ大陸を遊びつくそう〜!」
『お〜!』
秋留の叫びに全員が各々の返事をする。雄叫びやら不気味な音やら。
俺は一人呆然としながら、新大陸での冒険を想像して泣きたくなった。