第三章 魔法の授業
「早速来ていただけたんですか! ありがたい、ありがたい……」
先程の金持ちオッサンが葉巻を吸いながら頷く。名前をパルメザン・レッジャーノと言うらしい。そして肥えたパルメザンの陰にいるのが、クリオネア・レッジャーノという一人娘。母親はクリオネアが小さい時に病気で亡くなってしまったらしい。
目の前の生意気な少女は、男親に育てられたという感じがありありと出ている。
「お姉ちゃん……」
クリオネアが秋留の前に出てきた。秋留に少しでも怪しいことをしたら頭を吹き飛ばしてやる。
「魔法が使えるの?」
秋留がニコリとして「ちょっとね」と答えた。
秋留は過去に魔法系の職業に複数就いた事がある。
そもそも人には素質というものがあり、魔法にもそれは当てはまる。秋留のように魔法系の職業に複数就いた事があるのは大変珍しい。「ちょっとね」どころの騒ぎではない……らしいが、俺も詳しい事は知らない。
「ね〜ね〜! お姉ちゃんの職業は何?」
クリオネアが眼をキラキラさせながら尋ねる。俺への態度とはエラい違いだ。
「ちょっとマイナーだけど幻想士っていう職業に就いているんだよ」
「幻想士? それはどんな職業なの?」
秋留は微笑むと、このデカイ屋敷を出るため、玄関に向かって歩き始めた。
「ちょっと野外授業してきますね」
「ああ、よろしく頼むぞ!」
秋留の台詞にパルメザンがデカい態度で答える。もう少し自重しやがれ。
「説明するより実践あるのみでしょ!」
秋留が腰に手を当てて説明する。
クリオネアがワクワクしながら秋留の方を向いている。
よしっ!
魔法の実演でクリオネアにファイヤーバレットでもお見舞いしてやれ!
「じゃあ、ブレイブ、手伝って」
「任せろ! ……え?」
俺は意気込んで答えたが、まさか俺で魔法を試すつもりなのか?
「今からクリオネアにちょっとした魔法をかけるわね」
「クリアって呼んで〜」
クリオネアが甘えた声で秋留に言った。まさか、こいつも秋留の色香にやられたんじゃないだろうな? 俺のライバルか?
「じゃあ、クリア。これからクリアにかける魔法は別に危険なものじゃないわ。少しの間姿を見えなくする特別な霧を、クリアの周りに発生させるの」
クリアが元気よく頷く。
ん?
この状況で俺は一体何を手伝えば良いんだ?
俺の疑問などは無視して、秋留は大きく円を描くように手を動かし始めた。
「幻想術は神聖魔法やラーズ魔法の様に特別な呪文を唱える訳ではないんだ。今の秋留のように不思議な動きをする事により魔法を発動させるんだぞ!」
俺も魔法に関してちょっと位の知識はあるんだぞ、というアピールを込めてクリアに言った。
「静寂の蜃気楼!」
秋留が幻想術の一つである魔法を唱えた。
見る見るうちにクリアを中心に濃い霧が広がっていく。
「この魔法は姿を見えなくするだけじゃないの。他の人を惑わす効果もあるから、気配とか呼吸とかを察知するのも難しいのよ」
え?
それは知らなかった。以前に秋留に魔法をかけてもらったが、ただ単に姿を見えなくする魔法だと思っていた。
「そ・れ・に!」
そこでビシッと秋留が俺の方を指差した。
「呪文は唱えてるんだよ、ブレイブ。この世界で魔法と名の付くものは大抵呪文が必要なの」
え?
それも知らなかった。確かに幻想術の時は何やらモニョモニョと喋っている気がしていたが……。呪文だったのか。
「クリア、試しにブレイブに攻撃してごらん?」
秋留の悪魔のような笑みが見える。
いてっ!
俺の可愛い尻が思いっきり蹴られた。俺は咄嗟に後ろを振り返ったが、辺り一面が霧に包まれていてクリアの姿を捉える事が出来ない。
ぎゅううっ!
次は脇腹を思いっきりつねられた。
「手加減しろ! この野郎!」
「あはははははは……」
秋留、酷い。でもその楽しそうな笑顔が素敵だよ。
ごんっ。
あう! そこは痛いって……。
霧の中からクリアが大笑いしながら姿を現した。その姿がぼやけて見える。どうやら俺の眼は涙目になっているようだ。
「あれ? もう終わり?」
クリアが回りを見渡して秋留に尋ねた。
「うん。あんまりやるとブレイブが死んじゃうからね」
俺が痛みを堪えているのをさすがに気の毒に思ったのか、秋留が魔法を解いてくれたようだ。
「魔法って凄いんだね!」
そう言った後、クリアは意地悪そうな顔をして俺を見た。
「でも、ブレイブみたいに中途半端な知識は無い方がマシね!」
クリアはこれ以上ない程に上機嫌だが、相変わらず言う事がキツ過ぎる。
それにしても、さすが秋留。人を操るのが上手い。
「もっと教えて! 教えて!」
クリアが秋留の周りを回る。秋留への視線がクリアによって遮られて、うざい。
「まずは魔法系の職業にはどんな物があるのか教えてあげるね。う〜んと書くもの、書くもの……」
秋留が辺りを見渡す。
俺もつられて辺りを見渡した。それにしても広い庭だ。所々にはヤシの木が植えられ、花壇も数多くあるようだ。少し離れた所のヤシの木から覗いている怪しげな男も、なぜかこの庭にマッチしている、……って誰だ、ありゃ?
「書くものでしょ? 任せてよ!」
クリアがポケットから小さなシルバーのベルを取り出して鳴らす。
ベルから上品な音色が辺りに響いた。
その音を聞いて、木の陰から覗いていた怪しげな男が凄い勢いで近づいてくる。
「どうされました? クリア様……」
男は静かに言ったが、少しの距離を全力疾走したせいで大分肩が上下している。
「シープット、ここにホワイトボードを持ってきて頂戴」
「すぐにご用意致します」
シープットと呼ばれた男は凄い勢いで屋敷へと消えていった。あれが金持ちの必需品である執事という奴か?
俺が考えている間に屋敷からホワイトボードを担いだシープットが再登場した。
「こちらでよろしいですか?」
「ええ、ありがとうございます」
秋留が礼を言った。クリアは何も言わない。こりゃ、シープットも相当苦労しているに違いない。同じ男として同情するぞ。
そのシープットは先程と全く同じ木の陰に隠れて、再び俺達の様子を観察し始めた。
「それじゃあ説明するわね」
秋留がホワイトボードにペンで文字を書き始めた。
『ラーズ魔法』
『ガイア魔法』
『召喚魔法』
秋留は有名な三種類の魔法をホワイトボードに書き示した。そう言えば秋留の字を初めて見るけど、容姿同様に流れるような素晴らしい字を書くもんだ。
「一番有名なのがラーズ魔法かな」
「ラーズ魔法? ラーズ教会と何か関係があるの?」
「そう。ラーズ魔法を唱えるにはラーズ教団に認めてもらう必要があるの」
そう言って秋留は太腿が見えるようにスカートを捲り上げる。
そこには太陽の輝きのような奇妙な模様が彫られていた。それよりも俺は秋留の魅惑的な太腿に眼が行ってしまう。
「触っても良い?」
クリアが言う。秋留の弾ける様な太腿をクリアが撫でる。
クリアに便乗して撫でようとした俺の手は、秋留によって思いっきり払い落とされた。
「この印が教団に認めてもらったっていう証なの」
秋留がスカートの乱れを直す。ああ、良い眺めだったのになぁ。
「どういう仕組みかは分からないけど、この印がある事によって精霊の力をコントロール出来るようになって魔法が使えるという訳」
秋留が説明しながら少し離れた場所に立った。
「ブレイブ、そこに落ちている枝を持って掲げて」
またしても俺は実験台とされる訳か。
それでも秋留のお願いを断れるはずもなく、俺は素直に左手に持った枝を高く掲げた。
「炎の精霊イフリートよ、炎の弾丸で敵を撃ち抜け……」
呪文の詠唱に合わせて秋留の持った杖の前に小さな炎が生まれる。
「ファイヤーバレット!」
秋留の元から放たれた炎の弾丸が俺の持っていた枝を灰に変えた。
「あちっ!」
俺の手も微妙に焦げる。秋留の眼が「いけない事をする手にお仕置きしたのよ」と言っているから文句は言えない。
「うわ〜! 凄い! こんな間近で魔法を見たの初めて!」
クリアが嬉しそうに秋留に近寄った。
「杖を持っていると威力が上がるの?」
秋留の持つ三日月のような飾りの付いた杖に触りながらクリアが訊いた。
「そう。精霊を制御し易いように作られた杖を持つ事により、魔法の威力が上がるのよ」
クリアは秋留から受け取った杖を珍しそうに必死に眺める。そのまま味まで確かめそうな勢いだ。
「この黒い人形は?」
「それは趣味。可愛いでしょ? 堕天使のお守りだよ」
クリアが再び嬉しそうに眼を輝かせながら人形を弄ぶ。
「良いな〜。アタシはお父さんがうるさくてあんまり出掛けられないから、変わったアクセサリーとか人形とかあんまり持ってないんだ〜……」
こいつ、秋留お気に入りの人形を奪うつもりか? 何て図々しい奴なんだ!
「ふふ」
秋留は小さく笑うと堕天使の人形を杖から外そうとした。
「あれ?」
秋留が杖から必死に人形を外そうとしているが、全くビクともしないようだ。秋留が助けを求めるように俺を見つめている。しょうがない。秋留の優しさには逆らえないよな。
俺は秋留から杖を受け取ると堕天使の人形を外し始めた。
固い!
ただの紐で結ばれているだけなのに全く外れそうもない。
俺の隣でワクワクと見ていたクリアの顔が残念そうに俯く。
「ちょ、ちょっと待ってろよ。こんなの本気になれば……」
駄目だ。
手ごたえが全く無い。
「もう良いよ、お兄ちゃんじゃ力不足なのよ」
この生意気な娘を少しでも感心させてやる。
しかし俺の努力も空しく堕天使のお守りは全く外れようとしない。
「じゃあ、クリア。冒険先で珍しいアイテムを手に入れたらクリアに送ってあげるよ」
秋留がクリアに言った。
その台詞を聞いてクリアが嬉しそうに笑った。
「ありがとう! お姉ちゃん!」
そう言ってクリアは俺の顔を一瞥した。まるで「役立たず」と言っているようだ。
俺も人の顔で考えている事が分かるようになって来たなぁ……。
「じゃあ授業の続きしようね」
秋留はクリアに魔法に関する説明をし始めた。
それから俺達はレッジャーノ邸で豪華な夕食を平らげると、薄暗くなった通りを宿屋目指して歩き始めた。
「秋留は何かを教えたりするの上手いよな」
二人で歩く大通り。何気ない秋留との会話。俺は今、猛烈に感動している!
「そう?」
「ああ、俺も大分勉強させて貰った」
秋留が微笑む。俺もつられて思わず笑ってしまった。生まれてこの方、盗賊以外の職業に就いた事のない俺は魔法の知識がほとんどない。
そもそも人には素質という物があり複数の職業に就けるという事自体が珍しいのだ。秋留の様に数多くの職業に就いた事があるという方が特別なのだ。
「精霊が実在しないエネルギーのようなものだとは知らなかったなぁ」
そう。
一般的には精霊は実在しないという事らしい。俺は今まで魔法というものは何か神々しい存在によって力を与えられているとばかり思っていた。
「でもね」
俺の台詞に反対するように秋留が話し始めた。
「私は、魔法は誰かの力を借りていると思っているの」
俺は黙って秋留の話を聞く事にした。さすが聞き上手。自分で言うのも何だが話すのは大の苦手だ。
「この道を彩っている街路樹や草花も同じ。どんな物にも命があって、魔法を使う時は皆の力を借りているんだなって……」
慈愛の天使だ。
俺の隣を歩いているのは大いなる存在に違いない。やっぱり女神だったか。
「まぁ、これはガイア教会の考え方なんだけどね」
「秋留はガイア魔法は使えないんだよな?」
「そうなの。母はガイア教の司祭なんだけどね……」
秋留は元々優しい性格だからな。
過激な攻撃魔法の多いラーズ魔法は使いたくないに違いない。
「まぁ、ラーズ魔法はカッコイイし強力だから大好きだけどね。逆にガイア魔法はショボイの多いからなぁ〜」
がくっ。
身体の力が抜けてしまった。秋留って不思議だなぁ。
「ちょっと海にでも寄って行こうか?」
「いいね〜」
ダメモトで誘ってみたが秋留から嬉しい回答が返って来た。俺はスキップしながら浜辺を目指して突き進む。
「何でそんなにテンション高くなってんの?」
秋留が後ろからついてきながら話し掛ける。
夜の海は静かだった。砂浜の所々でカップル達が愛をささやき合っている。良いムードだ。
しかし……。
「やった! 五回いった!」
秋留はハシャいだ。
俺は秋留と海に石を投げて跳ねた回数を競っている。全然ロマンチックじゃない。
「駄目だなぁ。見てろよ」
俺は適当に平らな石を選んで海に力いっぱい放り投げる。やけくそだ。
どぼんっ。
「あっはっはっはっは〜。ブレイブ一回〜!」
おかしい。計算ではこんな筈じゃなかったのに。
「そろそろ帰ろうか?」
俺は言った。秋留は残念そうに頷く。どうやらまだ石を投げ足りないようだ。しかし周りのカップルからウザったそうな視線を俺は感じている。俺達はムードをぶち壊しているに違いない。
「明日もクリアお嬢様に魔法のご教授に行くんだろ?」
宿屋まで後少しだ。
秋留との楽しい一時も後少しで終わってしまう。
「そうだね。なるべく恩を売っといてイザという時に役に立ってもらわないとね」
「あ、秋留!」
俺は突然叫んだ。なぜ?
「きゅ、急に大声出してどうしたの?」
俺の心臓が大きく波打つ。一体何を言おうとしているんだ?
「あ、明日も付き合うよ」
俺はこんな台詞を言うのにも勢いが必要なのか。悲しくなる。
「ふふ。よろしく」
そう言うと秋留はホテルの自分の部屋に消えていった。
いやぁ。今日は良い一日だった。
俺は雨の音で眼が覚めた。どうやら今日は雨らしい。これでは船の修理も手間取る事だろう。
朝食を部屋に運んできたメイドの話では、デズリーアイランドに雨が降るのは珍しいという事だ。
俺はパンを頬張りながらカーテンの隙間から見える外を眺めた。
こんな雨でも秋留と出掛けられるなら恵みの雨に見えるところが不思議だ。
俺は鞄からフード付きマントを取り出す。少し不恰好となるが冒険者にとって片手の塞がる傘は危険だからだ。
「待てよ……」
俺は取り出したマントを再度しまい、折りたたみ式の傘を取り出した。
神のお告げだ!
今日は傘で行こう!
がっくし。
外に出た俺を待っていたのは、ジェットの持つ傘の下に入った秋留の姿だった。秋留と俺の相合傘の大いなる夢が……。
俺は恨めしそうにジェットを睨みつけた。
「滅多に雨の降らないデズリーアイランドに雨が降る……。少しでも不穏な空気を感じたなら用心するのが正しいでしょ?」
秋留が俺を納得させるように言った。
確かにそうだ。
そもそも不思議だと思いつつ片手の塞がる傘を持ってきた俺の考え方がおかしいのだ。しかし今更引き返す事も出来ない俺は、傘を差しながらレッジャーノ邸への道を歩き始めた。
「昨日は身体に力が入らなかったからのぉ……。風邪が復活したのか心配したんじゃが、今日は元気バリバリですぞ!」
ジェットが言った。自分が死人だという事を忘れているんじゃないだろうか? あまりにも残酷な内容なので秋留もジェットには説明していないらしい。
「歳なんだから気をつけてね」
秋留が言った。
死人で不死身なジェットが何を気をつける必要があるのやら……。
「まだまだ若いですぞ!」
ジェットが力拳を見せつける。生きていれば百十六歳の爺さんが良く言うよ……。
「どうしたんですかな? あまり元気がないようですぞ、ブレイブ殿。風邪じゃないですかな?」
「いや、大丈夫だよ。ちょっと気分が悪いだけだ」
間違っても『機嫌が悪い』とは言えない。
暫くすると大きな豪邸が見えてきた。
初めて見るジェットは眼を丸くしている。
「チェンバー大陸の英雄と言われたワシも、こんな豪邸は見たことないですなぁ」
ジェットが関心している。
どこかで俺達の到着を監視していたかのように静かに目の前の門が開き始めた。
「雨の中、本日もようこそいらっしゃいました」
確かシープットと呼ばれていた執事だ。
「シープルさん、今日もよろしくお願いしますね」
いや、秋留、その人はシープットさんだよ。
「どうぞ、こちらへ……」
シープットは否定する事なく俺達を豪邸へと案内した。これが職人魂という奴か?
俺は小声で執事の名前はシープットである事を秋留に言った。秋留は顔を赤らめて下を向いてしまった。悪いことをしたかな?
「秋留おね〜ちゃん!」
豪邸のドアを開けた途端にクリアが秋留の足に抱きついた。こいつドンドン馴れ馴れしくなってないか?
「今日は何を教えてくれるの?」
尻尾があるならクリアは千切れんばかりに振っているに違いない。まるで天使でも見るように眼をキラキラと輝かせている。そんな眼で秋留を見て良いのは俺だけだぞ!
「今日は雨だからね。お家の中で魔法について勉強しましょうか?」
「え〜……」
クリアが不機嫌そうな声を出す。
何か良い方法はないかとアレコレ検討しているに違いない。その少ない脳みそで、どんなクダラナイ考えが湧き上がってくる事やら……。
「家の中じゃ魔法の実演は難しいよ。危ないし」
秋留が説得しようと頑張っている。
クリアの父親であるパルメザンも愛娘の機嫌を取ろうと必死だ。
ちなみに俺の隣には魔法の実演中であるジェットが、孫娘を見るようにクリアを眺めている。
「ワシにも孫がおってな……。懐かしい」
「え? ジェットって子供がいたのか!」
衝撃の事実。
死人ライフを送っているジェットを見ていたので、生前どのような生活を送っていたのか考えたことが無かった。少なくとも俺は。
「そ〜だ!」
俺の思考を中断するに十分な声量でクリアが叫んだ。
「アタシがよく探検ゴッゴしている洞窟に行ってみようよ!」
「たっ! 探検ゴッコ!」
パルメザンが叫んだ。娘が普段そんな危険な遊びをしているとは夢にも思っていなかったようだ。親の監督不行き届きという奴だな。
口をパクパクさせたパルメザンを置き去りにして、クリアは秋留の手を引っ張っていった。
「娘さんは責任をもって守ります故、ご安心下され」
ジェットはそう言うと秋留について行った。
最後に残された俺はパルメザンに何て言おう……。
「ブレイブ〜! 置いてくよ〜!」
今の幼い声はクリアだ!
あいつ、俺を呼び捨てだ。いつかこの甘い親父に代わって俺がお仕置きしてやる!
「娘さんの教育は任せて下さい」
俺はパルメザンに捨て台詞を残すと、傘を差して秋留達を追った。
「あと少しで洞窟に到着するよ」
デズリーアイランドの街並が見下ろせる高台。クリアお嬢様は随分遠くまで遊びに来ているんだな。こんな遠くまで来てモンスターに襲われたりしないんだろうか?
「この辺はモンスターとか出没しないの?」
俺の疑問を秋留が口にしてくれた。どうも俺はクリアと意思の疎通がし難い。
「前にお父さんから聞いたんだけど、この島はムォークムォーク大神様が守ってくれてるから滅多にモンスターは出現しないんだって」
秋留と一緒の傘に入っているクリアは嬉しくて仕方が無いようだ。意外なライバルが登場したものだ。しかし性別という壁は超えられまい。俺は秋留と結婚出来るがクリアは結婚出来ない。つまり俺の勝ちという訳だ。
「じゃあムォークムォーク大神様は休養中か? この島に来てからもモンスターに襲われたからなぁ。クリアだって襲われてたじゃないか」
クリアとの意思疎通を頑張ってみようと思い俺は話しかけた。
「ブレイブが厄介ごとを引き連れてきそうな顔してるからじゃないの?」
「あはは! クリア上手いこと言うね!」
秋留とクリアが仲良く笑っている。ああやっていると姉妹のようだ。性格は正反対だけどな!
「あ、後少しだよ。あそこの丘の反対側に洞窟があるんだ」
俺の後ろではジェットが立ち止まっている。
「どうした?」
ジェットに近づいて聞いた。
「何者かにつけけられている……」
ジェットが真剣な眼差しで辺りを見渡している。あ、そうか。ジェットは知らないんだった。
「レッジャーノ邸の門で出迎えた執事いただろ? いつもクリアの様子を窺っているみたいなんだ」
俺は左後方の茂みを指差して言った。
俺に指を差されている事に気付いたシープットが慌てて隠れた。その反動で茂みが動く。
「まだまだですな」
「そうだな」
俺達は外で様子を窺うシープットを無視して洞窟へと入った。
「へ〜……。立派な洞窟じゃないか」
俺は中を見渡して言った。
誰かが狩猟用に作った洞窟らしい。至る所に石を削って作った矢や木の棒が転がっている。洞窟の天井や道具の汚れ具合から見ても、ここ何年かは使われていないようだ。
「ここなら魔法の実演も出来るでしょ?」
「そうだね。じゃあその辺に椅子とかあるから並べよっか」
秋留の台詞に対してクリアが両手で遮る。
「良いの、良いの。こういう雑務はいつもの人にやってもらえば……」
クリアが小さなリュックから鈴を取り出そうとするのを秋留が制した。
「これくらいは私達で出来るわよ。一緒に準備するのも楽しいものよ?」
今にも洞窟の影から飛び出そうとしていたシープットがズッコケた音が聞こえた。
「秋留お姉ちゃんがそう言うなら……」
クリアは小さい身体で椅子を運び始めた。秋留は猛獣の調教も上手いようだ。
こうしてワイワイガヤガヤやりながら急ごしらえの教室が出来上がった。この洞窟を作った住人が使っていたと思われる黒板まであり、なかなかの教室ぶりだ。
「じゃあ今日も魔法の授業ね。昨日の続きから……」
こうして秋留教授のご講義が始まった。
洞窟の入り口近くにある木箱の裏でシープットも説明を聞きながら頷いている。
「じゃあ、実際に召喚魔法を見せてあげるね」
「よっ! 待ってました〜!」
クリアが拍手する。遠くでシープットが小さく拍手している音も聞こえた。
「さっきも説明したように、ラーズ魔法と違って召喚魔法は実在する『霊獣』を召喚する事になるの……」
秋留が俺達から離れた場所に歩き始めた。
「まずは結構誰とでも契約しちゃう浮気な霊獣から召喚してみよっか?」
「霊獣ブレイブっていう名前?」
クリアの失礼な発言は続く。俺はシカトする事にした。そもそも俺は浮気症ではない、秋留一筋だ。
「我らが守護神バロンよ…」
秋留が召喚魔法を唱え始めた。冗談を言ったりして騒いでいたクリアも静かに見守る。
「悪を滅するため、その聖なる舞踏を我が前に繰り出し給え…」
秋留は呪文の詠唱を続けているが、いつものような何かが起きそうな気配を感じない。
「バロン・ダンス!」
……。
…………。
何も起きない。失敗だろうか?
「やっぱり無理だったね」
秋留が肩の力を抜いた。
「こういう風に霊獣は存在する生き物だから、誰かが同じ召喚魔法を発動させていると現れてくれないのよ」
残念そうにしているクリアに近づいて秋留が更に説明した。
「あと重要なのはその霊獣との友好度ね。正直私は、バロンは浮気症だからあんまり好きじゃないの」
そう言って秋留はトコトコと洞窟の奥に歩き始めた。
「今回は戦いのためじゃないけどちょっと力を貸して……」
秋留が小さい声で呟いた。
こういう事に召喚魔法を使うのはあまり気が進まないらしい。優しい秋留ならではだ。ちなみにクリアが召喚魔法を覚えたとしたら使われる側の霊獣に同情してしまいそうだ。
「岩山の巨人ジャイアントロックよ!」
お!
秋留の十八番だ。秋留はこの召喚魔法をよく使う。先程とは違い、呪文を唱え始めた途端に辺りの空気が震えだした。隣のクリアも身体を震わせながら辺りをキョロキョロしている。
「我の前にその力を示せ! ジャイアント・フィンガー!」
秋留の叫びと同時に地面から巨大な岩で出来た指が飛び出した。その指がクリアの頭を撫でるように動いた後に地面に戻って消えていった。
まるで放心状態のクリア。
心配して秋留が近づいていくとクリアが大声で叫びながら走り回った。
「凄い! 凄い! 凄い! 格好良い〜!」
クリアはドサクサにまぎれて俺の脚を蹴っていった。なぜ蹴られたんだ……。
「秋留お姉ちゃん、格好良い! クリア、秋留お姉ちゃんが大好き!」
がーん!
先に告白された。何てことだ。こんな事なら昨日、夜の海に向かって「秋留の事が大好きだ〜!」と青春しておけば良かった……。
「ふふ。ラーズ魔法とかガイア魔法と違って、召喚魔法は魔法の素質と霊獣と仲良くなる素質があれば使う事が出来るからね」
なるほど。
クリアには魔法の素質はあるかもしれないが、仲良くなるのは不可能だろう。どんな気の良い霊獣でもクリアの下で働く事はしないだろう。
あ。
霊獣シープットとかならクリアのために頑張って働くかもしれない。
「ぎゃああああ!」
その時、洞窟の入り口から霊獣シープットの叫び声が聞こえた。
俺とジェットは武器を構えて洞窟の方を振り返った。
洞窟の入り口にシープットが血を流して倒れているのが見える。しかしモンスターのような姿は確認する事が出来ない。
「気を付けろ!」
「うむ」
ジェットがマジックレイピアを構える。魔力を帯びたレイピアが薄暗い洞窟付近を照らした。
外は雨が降っていて視界が悪い。しかしこの洞窟は崖に面しているため、あまり足場は無い。鳥系のモンスターだろうか?
「きゃああ!」
突然後方で叫び声が聞こえた。
振り返ると、洞窟の天井から垂れていた水滴が作った水溜りから、何かがニュニュニュとせり上がってきているのが見える。
俺は水溜りに向かってネカーとネマーをぶっ放した。せり上がってきていた水の塊が弾け飛んだが、何もなかったかのように再び形を作り始める。
「ぬおおおおお!」
ジェットがマジックレイピアを水の塊に突き刺した。
破裂音と共に水の塊が四散したが、またしても何かを形成するかのように動き始める。
「女王シヴァの口付けは全てを凍らし、その抱擁は全ての自由を奪う……、アイスバインド!」
秋留が氷系の魔法を唱えた。
しかし秋留の掲げた杖からは何も放出されない。ラーズ魔法は精霊という名のエネルギーを使うから、召喚魔法のように使えない場合はないんじゃないのか?
とりあえず俺は時間を稼ぐためにネカーとネマーを連射して水の形成を止めようとした。
しかし俺の努力空しく、目の前には水溜りから出現した馬のようなモンスターが姿を現していた。肌の色は茶色なのに水のように攻撃を受け付けない。
「逃げるぞ!」
俺とジェットが馬モンスターの様子を窺っている間に、秋留がシープットを抱えてクリアと共に外に逃げ出す。
「ワシが時間を稼ぎます。ブレイブ殿は先に逃げて下され」
死人のジェットがそう言うならお言葉に甘えよう。俺はもう二、三発モンスターに打ち込むと洞窟の外に向かって走り出した。
しかし目の前には想像もしていなかった光景が広がっていた。
そこら中の水溜りから馬型モンスターが出現していたのだ。俺が見ている間も雨が新たな水溜りを作り、そこから馬モンスター出てくるが見える。
俺は今にも秋留に襲い掛かりそうな馬モンスターの頭を吹き飛ばした。しかしダメージは与えられないようだ。僅かに動きを止める事しか出来ない。
「魔法は?」
「駄目なの! 雨が降っていると炎系のエネルギーが集まり難いし、なぜか水系とか氷系の魔法は唱えられないし……」
話している間も馬モンスターが次々と襲い掛かってくる。
こっちは非戦闘員が二人もいる。守りながらの戦闘になってしまうため、完全に不利だ。こんな時にカリューがいれば……。
「ぐあああぅっ」
洞窟の中からジェットの呻き声が聞こえた。ジェットは死人と言っても痛みを感じる特別製だ。スマン、ジェット……。
「危ない!」
俺は秋留とクリアを突き飛ばした。
背中に痛みが走る。
「水の刃……」
秋留が呟いた。どうやらここに終結したモンスターは水を自在に操る事が出来るようだ。だから秋留は水系や氷系の魔法を唱える事が出来なくなっているのか。
ちくしょう!
こいつらにはどうやったらダメージを与えられるんだ?
「きゃあっ!」
秋留の足から血が噴出した。
駄目だ! このままじゃ全滅してしまう!
目の前から馬モンスター三匹が突進してきた。これで俺達も終わりとなってしまうのだろうか……。
「やめてー!」
クリアが叫んだ。
その声はこの雨の中で一際響いた。
馬モンスター達の動きが一斉に止まる。一体何が起きたんだ?
とりあえずこの隙にここから逃げよう!
うん? こいつらタダのモンスターだよな? 何だ、こいつらの動きは? まるで誰かに操られているかのような……。
俺は周囲を見渡した。
五感を研ぎ澄ますんだ。
俺は隣で脚を抑えて辺りをうかがっている秋留を見た。俺は何があっても秋留を守る!
秋留への想いを集中力に変換して俺は辺りを観察した。
一箇所だけ雨粒が地面に落ちていない場所があった。
まるで見えない傘が宙に浮いているような……。
俺はネカーとネマーに硬貨を補充すると、その不思議な空間に硬貨をありったけ叩き込んだ。
「フシャー!」
馬ではない別モンスターの鳴き声。
その鳴き声を残して、不思議な空間は無くなったようだ。
今まで俺達をグルリと囲んでいた馬モンスター達が突然、思考が無くなったかのようにバラバラの行動をし始めた。
何匹かが俺達の存在に気付いて襲い掛かって来ようとしている。
「女王シヴァの口付けは全てを凍らし、その抱擁は全ての自由を奪う! アイスバインド!」
秋留が再び魔法を唱える。
今度は秋留の掲げた杖の先から魔法が放出された。
その魔法は馬モンスター一体を氷付けにした。俺は咄嗟にネカーとぶっ放して氷の塊を打ち砕く。
「今のうちに逃げるぞ!」
俺はシープットを背負い、秋留とクリアは手をつないでその場を逃げ出した。
ここはレッジャーノ邸の病室。
金持ちになると専用の病室まであるらしい。
そこにはシープットが寝かされていた。脇腹をざっくりといかれたようだ。
「全く……」
俺達もレッジャーノ家御用達の魔法医に傷の手当てをしてもらっている最中だ。目の前ではパルメザンが苛立たしげに病室を行ったり来たりしている。
「貴方達に任せすぎましたね!」
自慢する訳ではないが、俺達でなければ全滅していたかもしれない。しかし間違ってもそんな火に油を注ぐような反論はしない。
「申し訳ありません」
秋留が何度目だか分からない謝罪をした。
俺も合わせて頭を下げる。
「そもそもなぜモンスターがそんなに大量に出現したのですか! 貴方達、何者かに狙われているんじゃないんですか?」
冒険者をしていると色々と問題が発生する場合もある。
全く敵がいないと言ったら嘘になるが……。
「すみません」
俺達は謝りまくった末にようやく解放された。
「どうなってるんだ?」
まだ午後になったばかりだが、この島は最近モンスターが出現し易くなったという事で、観光客の姿が疎らになっていた。雨はすっかり止んでいる。
「う〜ん……。とりあえずレッジャーノ家に恩を売る作戦は失敗に終わったかな……」
「昼飯食べて行くか?」
すぐそこにあるレストランを指差して聞いた。自然な流れで誘ったため何の違和感も無く秋留は頷いた。
「良いですな。丁度腹が減っていたんですじゃ」
俺はビックリして後ろを振り返った。いつの間にかジェットが舞い戻っていた。
「何とか復活して追いつく事が出来ました……水の刃で全身をバラバラにされまして……」
食事前には聞きたくない話題だ。
食欲が少し無くなったが、俺達はレストランへと入った。
「おや! とうとう家の店にもレッド・ツイスターがお出ましになったかい!」
選んだレストランとしてはあまり良くなかったようだ。何だかツイてないな。
俺達はなるべく他の客と離れた場所で食事をし始めた。
「この大陸はムォークムォーク大神の加護でモンスターは滅多に襲って来なかったらしい……」
情報を整理するために秋留は声に出して説明し始めた。
「それが私達がこの大陸に来た後からモンスターが次々と出現し始めた」
「ワシらが戦ったモンスターの全てが水系モンスターである点も何かありそうですぞ」
ジェットは熱々の海鮮ドリアを食べながら補足した。
ここに来てまだ海の幸を食べるか……。飽きないのかな?
「統率されたモンスターの動きも気になる。まるで誰かに操られているような……」
俺もジェットに負けじと補足する。ちなみに俺の食べているのはカツ丼だ。
「モンスターを操るのは魔族と……獣使い……」
「獣使いに恨まれるような事した覚えは無いんだけどな〜」
秋留は頬杖を付きながら言った。秋留は注文したスパゲッティミートソースには手を付けていないようだ。
「最近だとラムズか?」
「あ! そっか! そんな奴いたね……」
確かにあいつは凶暴でも無かったし、あまり苦戦もさせられなかったから印象薄いけどな。秋留でも忘れてしまう程の存在だったという事か。
「今からカリューの様子を見るついでにラムズの様子も見てこようか?」
秋留の提案に俺とジェットは頷くと体力を取り戻すために急いで昼食を食べ始めた。秋留も美味しそうにスパゲッティを食べている。
さて。
カリューは元気にしているかな? こんな大変な時に暴走しやがって! 正気に戻ったら文句を言いまくってやるぞ。