第二章 獣
「おかえりなさいませ。どうでした? サウザント・ウォーターフォール、綺麗でしたでしょう?」
デズリービューホテルの入り口では、眼鏡をかけた真面目そうな支配人が待ち構えていた。
「出迎えが派手だったな」
「ああ、売店のおばちゃんですか? あの人はサウザント・ウォーターフォールの裏の名物でして……」
尚も話続けようとする支配人を放っておいて俺達は自分達の部屋に戻っていった。
「ブレイブの部屋はそっち!」
さり気なく秋留の部屋に入ろうとしたが、見事に断られた。
俺は仕方なく自分の部屋へと戻った。部屋の時計は十六時を指している。もうそろそろ夕飯だな。
俺は今度は二丁の拳銃を装備して食事へと出掛ける事にした。装備も普段着からそれなりのものへと変えている。
外へ出ると秋留が隣に……いない。そうそう上手く行くはずもないか。俺は秋留の部屋の扉をノックした。
「今日はルームサービスで済ませるから」
寂しい返事が来た。
仕方なくカリューとジェットの部屋をノックしてみたが返事がない。二人でどこかに飲みに行ったのかもしれない。
今日も夕日が綺麗だ。
ホテルから暫く歩いた場所にある飲食街は沢山の人で賑わっている。昨日よりは人が多いようだ。
俺は灯りに群がる虫のように、一軒の焼き鳥屋の提灯に引き寄せられていった。
「らっしゃい!」
威勢の良い店屋のオヤジが言った。店内は十人程が腰を掛けられる長さのカウンターがあるだけだ。オヤジ以外の店員はいない。
「お? ブレイブじゃないか! 一緒に飲もうや!」
何てこった。
カリューやジェットと一緒に食事をするならまだしも、俺の目の前にはタイガーウォンが手招きしているのが見える。派手なアロハシャツに青っぽい短パンを履いている。治安維持協会の部屋では嫌気が差して観察をあまりしなかったが、治安維持協会にいる時もこの格好だった。
それにしても、こいつは見れば見るほど悪人面をしている。
まず眼に付くのはトゲトゲとした真っ黒な口ひげ。
そして顔を斜めに横断する真っ赤な傷跡……。
「オヤジ! 生ビール一本追加な!」
タイガーウォンが飲み物を注文した。俺は今日はビールを飲みたい気分ではないのだが、こいつはトコトン自分勝手な性格なようだ。
俺は目の前のメニューを見た。鶏つくねが美味そうだ。
「この店はな、つくねが美味いんだよ」
う……。
まるでタイガーウォンに言われて注文したようになってしまう。それならそうと、飲み物同様に俺の分まで注文してくれれば良いものを……
「はいよ! 生ビール!」
タイガーウォンがデカいジョッキを受け取ると、一気に半分程を飲みつくした。
こいつ、俺のためにビールを頼んだんじゃなかったのか!
俺は仕方なく自分でビールを頼んだ。
コーラなどのジュース類を頼んだら、タイガーウォンに馬鹿にされそうな気がしたからだ。
「あと、つくねとネギマ……」
敗北感を味わったが、つくねはどうしても食べたい。
「あんたら、この島には何しに来たんだ?」
このオッサンと余り関わりたくない気持ちを我慢して、俺は適当に話し始めた。
「カリューの呪いを解きにアステカ大陸まで向かっているところだ」
そう。
カリューは数々の不幸が重なって獣人街道まっしぐらとなってしまった。元々の原因は俺にあったのかもしれないということは勿論言わない。
治安維持協会ではカリューが獣人化したところまでしか話してなかったから、秋留の続きを説明しなくてはいけないと思うと気が重い。
それからたっぷり一時間程付き合わされた。
外はまだ少し明るい。
今夜は満月のようだ。
それなのに隣を歩いているのがタイガーウォンだという事が悲しくて、同時に怒りがこみ上げてくる。俺はタイガーウォンに言われるがままに町の見回りを手伝っている。なぜなら焼き鳥屋の代金はタイガーウォンの奢りだったからだ。
普段なら何の感謝もしないところなのだが、こいつに借りは作りたくなかった。だから仕方なく見回りに付き合ってやっている。
「やはり強い冒険者が近くにいると落ち着くなぁ! がっはっはっ!」
少し酒に酔っているらしく声もデカイしロレツも回っていない。治安維持協会はまずタイガーウォンを取り締まるべきだ。
その時、俺は女性の甲高い悲鳴を聞いた。
勿論、聴力が常人の十倍はあると自負している俺の耳だからこそ聞き取れたのだ。
「おい! 女性の悲鳴だ!」
俺は隣をご機嫌にフラフラと歩くタイガーウォンに言った。
タイガーウォンは全く聞こえていないらしく辺りをキョロキョロとし始めたが、顔は浮かれ顔から凶悪そうな引き締まった顔になっている。
「案内しろ!」
タイガーウォンが叫ぶ前に俺は既に走り始めていた。せっかくのバカンスが台無しだ、全く……。
「真っ直ぐ走り続けろ!」
俺より明らかに出遅れているタイガーウォンに向かって叫んだ。タイガーウォンが後方で小さく答える。
辺りは薄暗いが俺の眼には何の問題もない。
両手に持ったネカーとネマーを握りなおして近くの林を抜けた。目の前は険しい崖になっていて、右前方に向こう岸に渡るための吊橋がかけられている。
「助けて〜!」
橋の向こう側でモンスターから逃げ惑う黄色の髪をした少女の姿が見える。
モンスターは頭に小さなサクランボのような果物を付けた通称、桜ワニだ。こいつはデカイ図体の割りには素早い。急がないと少女はあっという間にミンチにされてしまうだろう。
ズダダンッ。
ネカーとネマーから発射された硬貨が桜ワニの頭を吹き飛ばした。
俺は急いで吊橋を渡ると少女の前に走った。
「バカァッ!」
なぜか目の前の少女は俺を睨みつけて叫んでいる。
俺が不思議そうな顔をしていると、抜けていた腰を抑えながら俺の前に立ち上がった。身長は低くて頭が俺の腹の位置にある。
「何でもっと早く助けに来ないのよ!」
俺は思わず立ち去ろうとした。
その時、別のモンスターの気配を感じて目の前の少女の腕を引っ張る。
少女のいた地面が水の塊によってえぐれた。
べちゃべちゃ……。
つい最近も聞いた水系モンスターの足音。
林の中から出てきたのは水色の鱗で全身を覆う半魚人モンスターだ。半魚人モンスターが一、二……五匹か。
俺はネカーとネマーを構え……られない。
俺の身体にしがみつく少女が両腕もろとも押さえつけていて、とっさに腕が上がらない。
「いやぁあああああ! 気持ち悪い! ヌメヌメ!」
「その手を離せ!」
半魚人モンスター達の口が俺と少女に狙いをつける。まるで銃口を突きつけられているようだ。五匹のモンスターがまるで何かに操られているように一斉に息を吸い込む。
俺は仕方なく少女を抱えたままその場を離れた。
地面が次々に弾け飛ぶ。
「あ〜ん。お姫様抱っこされちゃった〜」
俺はその場に少女を下ろす。少し高い場所から。
「いった〜い!」
両手が自由になった俺はネカーとネマーを連射した。
三匹の半魚人の身体がその場に崩れ落ちる。
しかしその姿を見ても残りの二体の半魚人は全く怯まない。
敵二体を誘き寄せるようにその場を走り出す。
びゅるる!
俺の脚に何かが巻きついた。
後方にはカラフルな八本の足をウネウネとさせているモンスター、虹タコが構えていた。
「きゃああ!」
半魚人モンスターの口が少女を捕らえる。
ぶんっ!
俺の身体が虹タコの足に掴まれながら宙を舞う。虹タコってこんなにパワーがあったっけ? と冷静に考えている場合ではない。
俺は宙を舞いながらも少女を狙う半魚人モンスターの頭を吹っ飛ばした。
「ぐはっ」
地面に思い切り叩きつけられた後、更に地面を転がる。やばい! このまま転がると!
俺は思わず地面から飛び出している木の根っこを掴んだ。
すぐ後に崖から身体が飛び出した。
嫌な音を立てて俺が掴んだ根っこが地面から出てくる。
「どりゃあっ」
俺はいつも腰に装備している黒い短剣を崖に突き立てた。右手で根っこを押さえ左手で短剣を崖に突き立てているだけで、身体は宙を浮いている状態だ。
「ふしゅるるる〜」
崖の上から虹タコが見下ろしている。その八本の手足が今にも攻撃してきそうだ。
俺は右手に持っていた根っこを離し、背中に装備している小さな鞄から機能的に収めているロープを取り出した。
そのロープを振り回して高みの見物をしている虹タコの身体に巻きつける。
つるりんっ。
何てこった。
虹タコのヌメヌメとした身体にロープを巻きつける事が出来ない。
「何やってやがる!」
反対岸からカリューの叫び声が聞こえた。よりにもよって嫌な場面を見られたもんだ。
「うおおおおおおん」
カリューの叫び声が俺の頭上をこだまする。
上を見上げるとカリューが見事な跳躍を見せているところだった。
この崖、対岸まで二十メートルはありそうなんだけどな……。
俺の見えない場所でモンスターがカリューの剣に切り裂かれる音が聞こえる。
暫くしてカリューが崖の上から手を差し出してきた。俺は持っていたロープを投げてカリューの手に巻きつける。
「ちっ。助かったよ」
「その『ちっ』っていうのは何だ?」
崖を登るとカリューが偉そうに俺の前に立ちはだかっていた。その隣にはタイガーウォンとジェットのオッサンコンビもいる。
更にその向こうに……。
「あんた、ほんっとうに情けないわね!」
さっきの生意気な少女だ。
俺はわざとシカトした。とりあえずこの場面を秋留に見られなかっただけ良しとしよう。
「丁度ここに向かっているところで、ご機嫌になっているカリューとジェットを見つけてな。念のため来てもらって正解だったようだ」
何かムカツク言い方でタイガーウォンが喋っている。この場に俺の味方はいないのか? ジェットは大分酔っ払っているようだし。助け舟は期待出来ない。
その時、俺は首筋にゾクゾクする気配を感じた。まだ何かいる! その気配はカリューの野生の勘も捕らえたようだ。
俺はネカーとネマーのトリガを引いた。だが乾いた音を発して硬貨が空しく辺りに散らばった。
「甲羅?」
俺の視界に一瞬映ったのは亀の甲羅のようなものだった。しかし今は何も見えない。
「随分出てきたじゃないか」
タイガーウォンが腕まくりをし始めた。このオッサン、戦うつもりか?
目の前には水系のモンスターがワラワラと出現し始めた。
「タイガーウォンさんとジェットはそこの少女を連れてここから逃げるんだ!」
唯一頭が使えそうな俺が指示する。
酔っ払いのジェットも腕も足も短いタイガーウォンも生意気なだけの少女も、ただの足手まといだ。こういう時こそ隣のカリューは役に立つ。
「ホテルに泊まっている冒険者や治安維持協会員を探す! それまで持ちこたえろ!」
タイガーウォンが少女を連れて走り去る。その後ろをジェットがフラフラとついて行った。ああやって見るとジェットもただの爺さんだな。
ちなみに『持ちこたえろ!』は間違っている。俺とカリューがいればこの程度の質と量のモンスターなら苦労する事なく蹴りがつくだろう。
「援護頼むぞ」
そう言うとカリューは右手で剣を構えて走り始めた。俺は両手にネカーとネマーを構える。
まずは左前方から来ている、今にも口から水大砲をぶっ放しそうな半魚人の頭を吹き飛ばす。
次は右奥から黒い銛を投げようとしていた金色の魚モンスターの身体に穴を開ける。ちなみに俺がモンスターを二匹葬っている間にカリューの剣は六匹のモンスターを薙ぎ倒していた。
まぁ、俺のネカーとネマーは命の次に大事な硬貨を打ち出す特別製だから、あまり無駄打ちは出来ない。
「うおおおおおおん!」
カリューが再び叫ぶ。その叫びだけで普通のモンスターなら怯むのだが、この辺りに出現するモンスターは肝が座っているらしく全く怯まない。
俺は木の上から愚かにも俺を狙っていた魚モンスターを打ち落とした。
「カリュー、そろそろ終わりだな」
カリューの方を振り向いて言った。
剣を使って戦っていない。爪と牙でモンスターを切り裂いている。
牙で戦っているっていう事は口を使っているという事で……。よく出来るな。そんな人間離れした事……。それにしても今日のカリューは正に獣だ。
そして最後の一匹のモンスターの喉仏に喰らいついた。
カリューが息の根が止まったモンスターを口にくわえたまま俺の方を振り向く。
その眼は最早、人間でも獣人のものでもなかった。
「おい、カリュー、大丈夫……」
俺が話し掛けようとした途端、カリューは口にくわえていたモンスターを放り投げると、四本足で俺に突進してきた。
まさか、ジャレるために向かってきているんじゃないだろうな?
カリューの鋭い爪が俺の右肩に食い込み激痛が走った。今の避けてなかったら確実に首をやられてたぞ!
「落ち着け! カリュー!」
俺の制止もむなしく、カリューが再び飛び掛ってくる。
俺は両銃をホルスターに戻すとカリューの両手、いや、前足を両手で掴んだ。
「冗談だったら、今のうちに止めておけよ」
俺は静かに、そして迫力を込めて言った。
両前足を掴まれたカリューは、俺の顔の目の前でデカイ歯をガチガチと鳴らしている。唾が飛んできた。汚い。
俺はカリューの腹に蹴りを入れると、そのままカリューを後方に投げ飛ばした。
そして再びネカーとネマーを構えると、マガジンの中身を素早く入れ替える。ここまでの動作は常人の眼には映らないほど素早い。
ズダダッ!
振り向き様に両銃をぶっ放すが、あっさりとカリューに避けられた。
今、ネカーとネマーに入れられている硬貨は、殺傷能力の低い石で出来た硬貨だ。ちなみに今までは銅で出来た千カリムを使ってモンスターの頭を吹き飛ばしていた。この石の硬貨なら運が良ければ助かるだろう。いや、カリューの生命力と頑丈さから考えて、当てても気絶させる程度にする事が出来るはずだ。
「がるるるる……」
まるで絶好の獲物を見つけたかのようにカリューが唸る。その口からはメインディッシュを目にしたかのように大量の涎が垂れてきている。
まさかカリューと戦う事になるとは。
悔しいが、カリューの強さは俺の比ではない。まともにやったらタダでは済まないだろう。
しかし、今のカリューなら話は別だ。
ただの獣と化したカリューなら勝てるに違いない。
「がうっ!」
カリューが飛び出した。
俺は右手のネマーのトリガを引く。
そしてカリューの避ける位置を予測して左手のネカーのトリガを引いた。
カリューはネマーの硬貨を左に避け、ネカーの硬貨を右前足で打ち落とした。
「馬鹿なっ!」
思わず叫んでしまった。
カリューの口が俺の左腕を捉える。
「うっ」
思わず声が漏れた。俺は右手で持ったネマーの照準をカリューの頭に向けた。
その動作を一瞬で察したカリューは俺から離れる。
俺は痛む左手をかばいながら体勢を立て直した。
こいつ、動きは正常のカリューの時のままだ。完璧に獣と化した思考なら勝てると思っていたが、危険を察知する能力や、相手の状態を観察する能力は厄介にも変わっていない。
正常だったカリューより獣としての動きが混じった今の方が、予測もし難い。
「参ったな……」
思わず呟く。
そんな事はお構いなしにカリューが突っ込んでくる。闘牛士の様にカリューの攻撃をヒラリとかわした。……が、脇腹に鋭い痛みが走る。
カリューが爪についた俺の血と肉を舐めているのが見えた。
「変態野郎がぁ!」
俺はネカーとネマーを連射した。下手な鉄砲数打ちゃ当たる戦法ではない。全てカリューの避ける軌道を読んでトリガを引いた。
カリューは状態を低くして避け、低空で襲い掛かる硬貨を右に避ける。そして飛んできた硬貨を左手の鋭い爪で砕いた後は後方に一度ジャンプして硬貨をかわす……。
俺の放った硬貨が面白いようにかわされた。
しかし、そう全てを上手くいかせては情けない。
俺はカリューの避ける方向を予測して身体ごと体当たりを食らわせた。
硬貨の小ささなら避けられるかもしれないが、人間がそのまま突っ込んだら避けられまい。
「ガウウッ」
俺の左の肘打ちがカリューの眉間にクリーンヒットした。
そのまま右手の銃のトリガを引いて、硬貨をカリューの腹に六発叩き込む。
カリューが吹き飛んだ。俺はカリューとの距離をあけて息を整える。
まるで何もダメージを受けなかったかのようにカリューが地面を蹴って突進してきた。
「まだ早えよ!」
息を無理やり整えながらカリューの攻撃を避ける。俺の後ろにあった木の幹に鋭い爪跡が残った。目の前にあったカリューの腹に今度は膝蹴りを食らわす。
しかしカリューは吹き飛ぶ事なくそのまま俺の膝にしがみつき、太腿に食らいついてきた。全身に激痛が走る。
太腿にくっついたままのカリューの眉間に至近距離から銃をぶっ放した。鈍い音と共に野獣と化したカリューが崩れ落ちた。
今がチャンスだ。
俺はいつも腰に装備している小さな鞄からロープを取り出すと、手早くカリューを縛りつけた。まるで丸焼きにされる前の豚のように。
俺は力尽きて近くの木にもたれかかった。
服の下に装備している鋼鉄の肘あてと膝あてを確かめる。確かに装備しているよな……。それなのにカリューは全く怯まなかった。
眼が覚めたらカリューが正常に戻っている事を期待しながら、俺はそのまま気を失った。
翌日。
デズリーアイランド唯一の魔法病院には沢山の怪我人が収容されていた。
あれから、駆けつけた治安維持協会員達とタイガーウォンが状態を確認するためにカリューに近づいたところ、再びカリューが暴れたらしかった。ロープは鋭い牙で切り裂かれていたらしい。
十人がかりでカリューを抑え込んだらしいが、そのうち半分は多かれ少なかれ怪我を負わされた。
そんなカリューの所属するパーティーのメンバーである俺達は、治安維持協会の椅子に座らされていた。カリューのお陰で治安維持協会の椅子に座らされるのが初めてではないあたりが、更に情けなさを倍増させる。
「今まで手がつけられない程、暴れたことはないと……そういうことだな?」
タイガーウォンが手元のファイルを参照しながら聞いていた。ちなみにカリューを取り押さえるためにタイガーウォンも左腕にかすり傷を負ったらしい。
それにしても良くあそこまで暴走したカリューを押さえつけられたものだ……。
「無かったですね」
秋留が答えた。ちなみにカリューが徐々に凶暴化していたなどという不利になるような事は言わない。その辺はしっかりしている。
「まぁ、あんた達レッドツイスターには治安維持協会も魔族討伐組合も感謝はしているからな。そうそう酷い処分にはならんと思うが……」
タイガーウォンは大きく溜息をついた。
「カリューは何とかしてもらわんとイカン」
そりゃそうだ。
何とかなるなら何とかしたい。
俺達はそれから数え切れない程の釘を刺され、治安維持協会を後にした。
「私が部屋でスヤスヤ眠っている時に、色々大変だったみたいだね」
ここはホテルのロビーだ。
俺と秋留とジェットで緊急会議を開いている最中だ。
「首輪でもして連れて行くしか無さそうだよな」
「う〜ん……。首輪ぐらいじゃ大人しくなりそうもないよね?」
俺と秋留は頻繁に意見を出し合う。
隣では最近活躍していないジェットが傍観者となっている。どうしたのだろう。
「あ? ジェットの事が気になる?」
秋留が突然聞いてきた。
「私自身の魔力充電中だから、ジェットへの魔力も一時少なくしているの」
ジェットが秋留のネクロマンシーの力により操られているゾンビだという事を、改めて実感した。確かに今のジェットはいつもの顔色より更に白い。まるで死人のようだ……?
「で、ブレイブが午前中病院で治療を受けている間に、カリューの所に行って来たんだけど……」
秋留のその台詞に、若干嫉妬心を覚えた。
「幻想術とかでカリューを落ち着かせようとしたんだけど全く駄目。完璧にモンスターになっちゃったみたい」
秋留の術でも変わらないとはバチあたりな奴だ。さてどうしたものか。
その時、俺達の方に近づいてくる二つの足音が聞こえた。俺はホテルの入り口の方を向いていないため。誰が近づいてきているのか分からない。
俺と秋留の仲をジャマする人間の気配に、睨みつけるように振り返った。
「げっ」
思わず声が漏れる。
「あ〜! あの時のヘボ冒険者!」
俺が森の中で助けた少女が俺の目の前に立っていた。全身ピンクのフリフリドレスを着ていて、あの時と変わらない生意気そうな面を俺に向けている。
「これ! クリオネア! この方達は有名な冒険者パーティーなんだぞ!」
隣にいた傲慢な顔をした豪華なオッサンが言った。
「違うもん! この黒い奴はヘボいんだもん!」
その台詞に豪華なオッサンが生意気な少女の肩をガシッと掴んで自分の方を向かせた。そうだ、そうだ。怒ってやれ!
「これ、クリオネア……。いかに見た目がヘボくてもそれを口に出してイカン。心の中で下民共を罵る程度にしておけ」
こいつら親子だな。
俺がうな垂れていると秋留が話しかけた。
「あの……どうかいたしましたか?」
秋留の優雅な喋り方に生意気親子はパッと顔を向けた。
「ああ、貴方があの有名なレッド・ツイスターのリーダー、カリューさんですか? さすがに堂々としていて威厳が感じられますな」
豪華なオッサン暴走。ある程度は知識を仕入れてから話しかけて欲しいものだ。そもそもカリューって男の名前じゃないのか?
「私はレッド・ツイスターのメンバー秋留です。カリューは事情があって別行動を取っています」
さすがに治安維持協会に捕まっているとは言えない。
「ああ、貴方が亜細李亜大陸出身で、召喚魔法から黒魔術まで使える秋留さんですか?」
黒魔術? 万能な秋留も魔族の専売特許である黒魔術は使えない。どこまでも中途半端でガセな情報ばかり仕入れてきやがって……。
「え、ええ……」
さすがに突っ込む気も失せたのか、秋留が困りながら返事をした。
「実は相談があるのですが……。この愛娘に是非とも魔法を教えて頂きたい」
暫しの沈黙。
さすがの秋留も話の流れを予測出来なかったのか口をあんぐりと開けている。しかしそれもつかの間。秋留が気を取り直して話し始めた。
「私達が乗ってきた船もまだ出港しませんし、可愛いお嬢さんのお世話を出来るなら喜んで」
秋留はまるで天使のような笑顔で言ったが、俺は隣で悪魔のような笑みを浮かべていた。せっかくのバカンスを、どうしてこんなクソ生意気なガキの相手なんかしなくちゃいけないのか……。
俺の抗議の視線を感じたのか秋留が俺に目配せする。
その眼の意味を「後で説明するよ、大好きなブレイブ」と解釈した俺は、黙って成り行きを見守る事にした。
「そうですか! さすがはレッド・ツイスター。世のため、人のためなら例え火の中、水の中ですな!」
ちゃんと分かっているじゃないか。目の前で俺を睨んでいる少女にものを教える事は、業火の中に素っ裸で突っ込むようなものだと……。
「いつでもよろしいです。時間の空いている時間に我が屋敷にいらして下さい。この大陸で一番目立つ建物がレッジャーノ家の屋敷になります」
金持ちの大好きな自慢を織り交ぜながら、レッジャーノ親子は去っていった。
「すぐ来て下され! がっはっは」
時間はいつでも良かったんじゃないのかよ?
俺が不機嫌そうな顔でホテルの入り口を睨んでいると、秋留が話し始めた。
「どう思った? あの親子」
「典型的なわがまま金持ち親子」
俺の即答に思わず秋留が笑う。ああ、その笑顔が素敵だよ。
「そう、お金持ちだよね。お金持ちとコネがあるのは色々有利だよ」
ふむふむ。確かに。でもそれだけか?
「海に立派なボートがあったの見た?」
秋留の急な質問。
俺の観察力を舐めてもらっては困る。確かに十人は乗れそうなボートがあった。しかも魔力で動くエンジンみたいなものが搭載されているのも見た。
「ジェット・レッジャーノ号って書いてあったな」
「それは良いネーミングですな」
今まで沈黙を保っていたジェットが言った。秋留の魔力がこもってないと、ここまでボケボケとなってしまうのか……。
「レッジャーノ……。あの親子が所有している船な訳か」
「そういう事。カリューがあんな状態だから、もしかしたら商人の船に乗せてもらえなくなるかもしれないし。乗せてもらえたとしても、あの船が出港出来る状態になるまで待てないかもしれないでしょ?」
確かに。凶暴な獣と化したカリューを船に乗せようとは誰も思わないだろう。
それに俺達が乗ってきた船の修理に時間がかかっているのだ。
今まで海賊に海路を襲われていたせいで、この島に貯蓄してあった船の修理に必要な材料も少なくなっていたのが原因だ。
「さすが秋留だな。そこまで一瞬で考えられるなんて尊敬するよ」
「へへ……」
秋留が照れた。ああ、照れてる顔も素敵だよ。
「まぁ、魔法を教えてくれって言われた瞬間は、凄い間抜けな顔してたけどな」
「ぷう! そういうところは見ないの!」
秋留の怒った顔も素敵だ……と、そろそろ暴走するのも止めておこう。仕舞いには秋留を襲いかねない。
「それに」
秋留が立ち上がると同時にジェットも重い腰を上げる。
「魔法の授業料も貰えるかもしれないじゃん?」
しっかりしてる。俺よりも金には執着心があるんじゃないだろうか?
俺達は準備をするために一度部屋に戻った。
「おっ待たせ〜」
秋留がホテルから出てきた。魔法を教えるという事もあり月の形をした、宝玉がついた杖を手に持っている。その杖にはどこかの町で購入した堕天使のお守りとかいうヘンテコな人形もついている。
「まだジェットが来ないんだ」
「ああ、ジェット? 魔力充電中につき部屋で灰になっていると思うよ」
「……」
なるべく余計な事を考えないようにして俺は秋留の隣を歩き始めた。あれ? 秋留と二人っきりじゃないか!
これは幸せだ。ああ、でもこれから向かう場所は地獄だからなぁ……。
「レッジャーノ家は大陸の西の外れにあるらしいよ」
さすがに秋留のリサーチは完了しているらしい。いつも関心するのだが、秋留はいつ色々な情報を仕入れているのだろう?
「歩いて二、三十分ってところか?」
「そうだね。ノンビリ行こう〜!」
秋留と、大陸を横に二分する中規模の川岸を歩く。
道は整備されていて所々には南国特有の花が咲いている。秋留と歩く幸せな時間。この時間がいつまでも続けばいいのに……。
「着いたみたいだよ、ブレイブ」
はっ!
ぼけ〜っとしている間にもうレッジャーノ家の前まで来てしまったらしい。何て勿体無い事をしてしまったんだ……。
「ブレイブ、何うな垂れてんの?」
秋留に袖口を引っ張られながら、俺達はレッジャーノ家の門をくぐった。