第一章 バカンス
広いベッド。全身を包みこむような柔らかさ。
今までは船の中の狭くて硬いベッドで寝かされていたからなぁ。
俺達はこのデズリーアイランドで一番高いホテル、デズリービューホテルに泊まる事にした。一泊二十万カリムもする。
あの後、一緒に船に乗ってきた商人達と報奨金を山分けし、俺の手元には八百万カリムが転がり込んで来た。金って素晴らしいな〜。
俺は金にならない事はやらない主義だ。
そして金は貯めるものではなくて使うもの。それが俺のモットーだが、今までの数々の冒険で実は銀行には沢山のカリムが貯金されてたりしている。
俺は久しぶりに普段着に着替えた。青いTシャツにジーンズ生地のハーフパンツ、そして黒いサンダル。こんな小さな島では襲われる事もないだろうと思い、腰に黒い短剣一本を装備して二丁の愛銃ネカーとネマーは枕元に置いた。
部屋を出ると、丁度隣の部屋から秋留も準備を終えて出てきたところだった。ナイスタイミングだ、と自分を褒める。決して盗賊の五感をフルに活用して秋留が出てくるタイミングを窺っていたわけではない。
「あれ? 奇遇だなぁ」
「わっざとらし〜」
少し嬉しそうな顔をして秋留が言った。嬉しそう? そう思ったのは気のせいだろうか? 今の秋留はいつもの無表情に戻っている。
「一緒に飯でも食いにいかないか?」
俺はさりげなく誘った。
「何か誘い方もうまくなったよね」
あはは。変なところを褒められたなぁ。
「いいよ。どうせカリューとジェットは飲み屋でしょ」
確かにカリューとジェットは酒がお互い好きだが、俺と秋留はあまり飲まない。これは幸運と言える。
ちなみに秋留も普段着だ。
秋らしく黄色のカーディガンと茶色のスカートを着こなしている。白い髪飾りで髪をアップにしていて魅惑的な首筋があらわになっていた。
「ブラドー装備してくれば良かったかな」
「いやいや、そんなの必要ないよ。何かあったら俺が守ってやるから」
「ブレイブが一番危険なんじゃんか〜!」
俺達は二人して笑った。
幸せだ。
まるで恋人同士のようだ。
気付いたら秋留はスタスタとホテルの下り階段へと降りていた。
「うっわ〜。海が真っ赤だよ」
階段の踊り場にあった大きな窓から外の景色が見えた。夕焼けで海が真っ赤に輝いている。
「綺麗だな……」
反射した光が秋留の顔を赤く染める。綺麗だよ……。
「ぐ〜」
腹が鳴った。雰囲気ぶち壊しだ。
「あはは。早く食べに行こうよ」
チェンバー大陸との航路で海賊が出現していたためだろうか。人が若干少なく感じるが、ホテルの外はそれなりに賑わっていた。海賊もいなくなったことだし、これからは客足も伸びるに違いない。
「魚料理以外が食べたいな」
「そうだな」
魚料理は船上で食べ飽きた。
俺達は美味しい匂いに釣られて焼肉屋にやってきた。
さすがに店内は空いていた。
何しろ観光客達は海の幸を食べに来ているようなものだから。
「お〜い! こっちこっち!」
遠くからカリューが呼んでいる。
何てこった!
俺とした事がつい匂いに釣られて、店内の様子を観察するのを忘れていた。
「やっぱり魚は食べ飽きたよね〜」
秋留は嬉しそうにカリューとジェットのいるテーブルに座った。
「俺もまだまだだな」
俺はボソリと言うと同じテーブル席に腰を下ろした。
「ビール一つ」
「お? 珍しいな。ブレイブがビールとは……」
「ま、たまにはな」
カリューが嬉しそうに俺を見つめる。気持ち悪いから止めてくれ。
「じゃあ私もカシスオレンジにしようかな」
俺は店員を呼ぶと飲み物を注文した。
カリューとジェットは既に酒を飲んでいたが、改めて乾杯する事になった。
「リーダー、乾杯の挨拶!」
秋留が言った。
久しぶりの大地と久しぶりの休みに、秋留のテンションも高くなっているようだ。
カリューが黙って立ち上がった。
「え〜、激しい船旅を乗り切ったレッド・ツイスターに……乾杯!」
『かんぱ〜い!』
その後、焼肉食べ放題という事もあり、俺達はたらふく食べた。
会計はリーダーのカリューが払った。これだから金に頓着がない奴は扱い安くて便利だ。
「ふう」
ホテルの自室に帰ってきた俺は、一杯になった腹をさすりながらベットに横になった。部屋の荷物は無事のようだ。誰かが勝手にいじると罠が作動するようにしておいたが、何の異常もない。
風呂に入って寝るか。
俺は久しぶりの清潔な湯船に身体を沈めた。船の風呂は汚くて最悪だったからな。
風呂を出ると俺は寝巻きに着替えてベットへと身体を沈めた。
部屋のドアを軽快に叩く音で起こされた。壁の時計は十時を指している。
寝ぼけ眼でドアを開けると、秋留が外に立っていた。
「泳ぎに行くよ、ブレイブ!」
「遅いぞ! 早く支度しろ!」
「老人より起きるのが遅いとは何事ですかな?」
男二人はほっといて、秋留の台詞に一気に眼が覚めた。
「すぐ行く」
俺はドアを再び閉めると即行で支度を始めた。
「お待たせ!」
俺は勢い良く外に飛び出した。
奴らはまだ階段を下りようとしているところだった。
「はやっ! エロエロパワー全開だね」
俺は走って秋留達に追いついた。
今日は念願の海だ。そして秋留の水着姿が見れる!
波が軽やかに音楽を奏でている。船上で聞いていた時とは全く違う気がするのは、気持ちの問題か。
更衣室で着替えて来た。俺はトランクスタイプの水着を着ている。さすがにブーメランタイプはヤバイだろう。カリューも同じくトランクスタイプ。ただし獣人のため、全身毛だらけだ。ジェットは全身を覆うタイプの水着を着て老人らしさをアピールしている。
「秋留はまだか。んじゃあ先に泳いでくるかな」
カリューはそう言うと、海に向かって四本足で走り出した。
「邪魔しちゃいかんよのぉ。ワシも行きますかな」
ジェットも意味深な台詞を残して海に向かって歩き始める。
これで邪魔者はいなくなった。
いよいよ女神とご対面だ。
「きゃははは」
遠くで若い女の笑い声が聞こえるが、全く興味がない。秋留はまだか。俺は女更衣室の出口を凝視し続けた。
「きゃはははは」
なおも女性の黄色い笑い声が聞こえてくる。
「チャリーン」
俺は思わず海の方に視線を送った。
「お金落としたわよ」
「ああ、スマンスマン」
若い男女が話している。俺とした事が思わず金の落ちる音に反応してしまった。
「あっれ〜? カリューもジェットも先に行っちゃったんだ〜」
俺は思わず振り向いた。
そこには薄い布を身にまとった天女が…。
「ブレイブも砂浜を歩く女性を眺めていたしねぇ。私の事なんか皆ほったらかしだよね〜」
秋留が口を尖らせる。
秋留は真っ白のビキニを着ていた。腰には布を巻いている。パレオという奴だろうか? その布邪魔だな〜!
更に観察するとビキニの左胸の所に、同じく白で薔薇の模様が刺繍されていた。
「良かったね〜、ブレイブ。若い女の子の水着姿が沢山見れて」
俺が見たいのは秋留の水着姿だけだ。俺は秋留の水着姿を網膜に焼き付けた。
「さて、私も泳ぎに行こうかな」
「あ! 置いていくなよ!」
俺は秋留の後を追いかける。引き締まった秋留の後ろ姿……最高だ。ありがとう! って誰に感謝しているんだ、俺は……。
「やっと来やがったか!」
カリューが犬かきをしながら言った。やたらと様になっている。
隣では秋留も犬かきをし始めた。前も犬かきしてたなぁ。何でだろう。得意なのかな?
「ビーチボール借りてきましたぞ」
『ナイス!』
俺達は同時に叫んだ。自然と笑いが漏れた。
「ブレイブシュート!」
思いっきりビーチボールを叩いて、カリューの顔面にぶつける。
「やりやがったなぁ! カリュークラッシュ!」
ぱんっ!
カリューの一撃であっけなくビーチボールが破裂した。確かにクラッシュだ。
「皆さん、スイカ割りの準備が出来ましたぞ」
さっきからジェットは遊びの準備が的確だ。まるで俺達の執事のようだ。
「よしっ! 俺に任せろ!」
カリューが棒切れを持った。その持ち方が達人の雰囲気を漂わせている。秋留が後ろからカリューの眼を白い布で覆い隠した。
「その場で十回転ですぞ」
ジェットの説明の通り、カリューがその場で十回転する。
『い〜ち、に〜、さ〜ん』
いつの間にかギャラリーが増えている。中には一緒の船に乗っていた商人夫婦の姿まで見える。
『じゅう!』
カリューがピタッと止まった。その身体からオーラを感じる。棒切れがまるで鋭い刃物になってしまったかのようだ。その場の観客達も一斉に静かになった。
カリューが棒切れを構えた。
そして勢い良く飛び出した。俺の方に!
「あほ〜! こっちじゃねえ!」
「むう!」
俺は咄嗟に棒切れを両手で押さえた。その棒切れにカリューは更に力を込める。
「しぶといスイカだ」
「あほー! 俺だ! ブレイブだ!」
『あっはっはっはっは……』
周りから笑い声が上がった。それでもカリューは手に持った棒切れの力を緩めない。こいつ、俺が砂浜でネカーとネマーをぶっ放した時の仕返しをしてるつもりか?
「そのまま俺を後方に放れ」
カリューが顔を近づけて囁いた。俺は黙って両手に力を込めた。今のところ俺は何も感じないが、カリューの野生の勘は何かを捉えたのだろう。
俺は思いっきりカリューを後ろに放り投げた。同時にカリューも自分で飛び上がる。後方は海だ。
俺は宙を舞うカリューを眼で追った。
カリューは棒切れを構えて力を貯めている。その身体が水に達する直前にカリューが棒切れを振った。
棒切れの一撃に海中から現れた何かが宙を舞った。人間二人分はあるような大きなサメが砂浜に打ち上げられた。サメはそのまま息を引き取ったようだ。
『おおおおおお!』
周囲の人々から歓声が上がった。
さすがカリュー。
目隠ししていても凶悪なオーラを発している奴には気付くようだ。相手がスイカじゃあ気付かないかぁ。
それにしても、この巨大なサメ……。カリューがぶっ倒してなければ危険だったんじゃないのか?
「次は俺がやろう」
俺はカリューから棒切れを受け取った。
「よいしょっと」
秋留が俺の眼を白い布で覆う。俺はその場で十回転し始めた。俺の平行感覚と空間の把握能力を舐めるなよ。
ここだ!
俺は十回転して立ち止まった。
周りからは歓声が聞こえる。
匂いだ。
スイカの匂いを感じるんだ。
丸いスイカを想像して……。俺は数歩前に歩いた。俺の歩みには迷いは無い。
大きく棒切れを掲げて勢い良く振り下ろす。
周囲の観光客達から歓声が上がった。
俺は目隠しを取ると、半分になったスイカを掲げて秋留にアピールした。
「さっすが」
秋留はにっこりと微笑んだ。
「食事にしましょう」
俺達がビニールシートの上でスイカを食べていると、ジェットが焼きそばやらフランクフルトを持ってやってきた。美味そうな匂いがする。
「気が利くな、ジェット」
カリューが焼きそばの皿を受け取って言った。そして、あっという間に食べ終えてしまった。最近のカリューはやたらと食欲がある。
「はぁ〜、こんなにゆっくりするのは久しぶりだよね」
秋留がジェットが持って来たかき氷を食べている。俺もジューシーなフランクフルトを食べているところだ。マスタードが唇について辛い。
「船は、あと四日くらいで修理が完了するそうですぞ」
それじゃあ、それまではこのデズリーアイランドでゆっくり出来るという事か。毎日秋留の水着姿を見れると幸せなんだけどなぁ。今も目の前の秋留は水着姿だ。肩にかけたタオルが邪魔だが。
「さてっ! 昼飯も食べたし、また遊ぶか!」
「次は何かないの?」
毎回何かを用意して待ってくれているジェットに向かって、秋留が期待を込めて聞いた。
「ふぉっふぉっふぉ」
急に怪しげな老人の様に笑い始めるジェット。いや、元々怪しい老人だった。
「この浜辺の端……」
ジェットが指さした方向に俺達は顔を向ける。
「両方の親に反対された若いカップルが身投げした崖があるらしいのじゃが……」
ジェットの色の悪い顔で言われるとやたらと迫力がある。
「昼間でも出るらしいのですじゃ……」
ごくり。
俺達は唾を飲み込んだ。
「行きますかな?」
まるで地獄の案内人だ。ジェットがやるとリアリティがある。
俺達はジェットの後をついて歩き始めた。
まだまだ日は高いが、こんな時間から幽霊なんて出るのだろうか?
ちなみに戦闘で戦う亡霊や骸骨系の敵と違って、何で人間の幽霊には恐怖してしまうのか不思議でしょうがない。身体中にジンワリと汗をかき始めた。
「い、いや……やばそうだけど」
普段は落ち着いている秋留の言葉が詰まる。
俺達の前方に見えてきた崖は、周りが鬱蒼とした林に包まれていた。昼間だというのになぜか全体に黒いモヤがかかっている。一気に周りの気温が下がったように感じられた。
「何だ、普通の崖だな」
鈍感カリューが言った。
どこをどう見たら普通なのか。崖を構成する岩の一つ一つが顔のようにも見えるこの景色を、普通と申すとは何事だ……。
「そうだな、どうって事なさそうだな」
誰だ? そんな事いう奴は。
俺はキョロキョロと辺りを見渡そうとしたが、なぜか身体が動かない。
「へ〜、やけに勇気ある発言じゃん」
秋留が関心したように俺に言った。
うん?
俺、何か言ったっけ?
「さぁ、行こう!」
俺だ。
俺の口から勝手に言葉が出て来る。
俺の身体が崖を囲む林目指して歩き始めた。一体どうなっているんだ。
秋留に目線を送ろうとしたが、全く言う事をきかない。
俺の目線は一直線に崖を見つめている。
足元の草を掻き分けて、俺の脚が勝手に崖を目指して突き進んだ。
「待ってよ〜」
秋留が何とか俺について来る。
俺の隣ではカリューが辺りをキョロキョロしながら歩いていた。
ジェットは俺の視界には入らないが、足音からすると普通について来ているようだ。
「ここから上れるぞ」
俺の身体は勝手に急な上り坂を登り始めた。
「あと少しだね」
秋留が言った。辺りには濃い霧が立ち込めている。いつの間にかカリューとジェットの姿が見えないが、どこに行ってしまったのだろうか。
せっかくの二人きりだと言うのに、自分の身体が全く言う事をきかない事が悲しい。
「やっと解放されるのね、私達」
秋留が言った。
どういう事だろう?
気付くと目の前に崖の端が見えていた。その向こう側には何もない。ここが若いカップルが命を落とした場所だろうか。
やばい。
やっと事の重大さに気付いた。
どうやら俺の身体は命を落とした若い男の幽霊に乗っ取られているようだ。
駄目だ。
このままだと秋留を巻き込んで投身自殺しかねない。
俺は必死に抵抗しようとしたが、全く身体が言う事をきかない。
俺の手が秋留の左手を握った。
そして首が勝手に動いて秋留を見つめる。
ああ、これがリアルなら昇天ものの幸せなのに、このままだと本当に昇天しかねない。
「行こう」
秋留が言った。
まさか!
秋留も乗っ取られている?
駄目だ!
このままじゃ本当に俺達は……。
ちくしょう!
ジェット!
お前、自分の仲間を増やすために、俺達をこんな危険な場所に案内しやがったな!
このままじゃ俺達パーティーは三人がゾンビで、一人が獣人という最悪パーティーとなってしまう。
と言うか、秋留が死んでしまったら、ゾンビとして復活する事もなさそうだ。
俺と秋留は崖の寸前まで足を踏み入れた。
「かああああああっつ!」
その時、どこかのオッサンの叫び声と一緒に力強い鈴の音が鳴り響いた。
俺と秋留の身体は同時にビクンッと揺れ、その場に座り込んだ。
無理な抵抗をしていたせいで、身体中が痛い。
「危ないところでしたな」
疲れた眼で声の主に振り向く。
全身を白い法衣に身を包んだツルッパゲの爺さんだ。右手には杖を持っている。
その爺さんに連れられて俺達は危険な崖から引き戻された。
いつの間にか大分日が落ちていた。
ここは崖近くの祠だ。
目の前には先程のツルツル爺さんが座っている。
「すまんですじゃ。はぐれて気付いた時には秋留殿とブレイブ殿が崖の上に仲良く立っているのが見えて……」
「その時、祠からこの爺さんが慌てて走り出て来たんだ」
ジェットとカリューが説明している。
半分放心状態の俺と秋留は黙って話を聞いているしかなかった。
「ゲーンと申します。この祠で浮かばれない霊の世話をしています」
ゲーンと名乗った老人が礼儀正しくお辞儀をした。
「この崖には心中した若いカップルの霊がいるんです。祓っても祓っても舞い戻ってきて二人で住み着くんです」
一呼吸置いて、更に続ける。
「そして、同じ様に愛し合っているカップルを見つけては、取り憑いて崖から身投げをする」
ゲーンは後ろを振り返って、壁際に並ぶ蝋燭を見つめた。
「貴方方が危うく二十組目のカップルになるところでした」
ゲーンが言った。
カップルか。
爺さんも良い事を言う。隣の秋留に目線を送ると、白い眼で見つめ返された。
「私がネクロマンサーだった事もあるから……。多分それで取り憑かれたんだと思う」
秋留が言った。
ちくしょう。そんな事だろうとは思っていたけど、いちいち説明しなくても……。
「ブレイブは運が悪かったんじゃない?」
いや。
違うぞ、秋留。俺は少なくとも秋留の事が大好きだ。愛している。と口に出せれば楽なのに。
「何はともあれ、もうあの崖には近づかん事じゃ」
祠からホテルへと帰る散歩道。俺達は無言で歩き続けていた。
疲れた。モンスターや魔族との戦闘以外で死を覚悟したのは、これが初めての経験だった。
幽霊タイプのモンスターなら、取り憑かれてもすぐに追い出す自信はある。
しかし今日は全く身体が言う事をきかなかった。
それ程に愛という力、そしてその想いは強烈なものなのか。
「詩人だね〜」
秋留が隣で言った。
いや、俺の心の中の哲学まで読まないでくれ。
「ど、どうでしたかな? 聖騎士ジェットのワクワク心霊体験は?」
俺と秋留は同時にジェットの頭を叩いた。
身近な心霊現象はジェットの存在だけで十分だ。
身体が重い。昨日無理をしたせいだろう。
せっかくの休養なのに逆に疲れてしまった。それは他のメンバーも一緒らしく、今日は昼前だと言うのに誰も声をかけてこない。
俺は布団から出ると熱いシャワーを浴びた。幾分か頭がスッキリとした。
今日は黒いシャツに黒いズボンという格好だ。俺は食事を取るためにホテルのレストランへと歩いて行った。
「おはよ」
「遅いですぞ」
「頭腐んぞ」
どうやら俺が一番最後だったようだ。
俺は空き席が丁度秋留の隣だったので機嫌良く腰を下ろした。
「昨日は散々だったな」
「そうだね。昨夜は身体が痛くてなかなか寝れなかったよ」
秋留も大変だったようだ。
隣ではジェットが申し訳無さそうに頭を掻いている。
「皆さん! お詫びと言っては何ですが、このホテルの裏山にある立派な滝でも見に行きませんかな?」
ジェットは昨日から色々と手際が良い。
こういった旅行のような計画を立てるのが好きなのかもしれない。
「幽霊とか亡霊とかゾンビとか出ないだろうな?」
俺は念を押した。
「そんなものこの世にはおりませんぞ。ふぁっふぁっふぁ」
ゾンビのジェットが豪快に笑った。
ホテルの裏山の滝は、歩いて三十分程の場所にあった。
見渡す限りに細い滝が崖の上の方から流れてきている。
「サウザント・ウォーターフォールという名前らしいですぞ」
ジェットが近くの案内板を見て説明している。
ジェットが色々な伝説を喋っているが、俺は聞いていなかった。
周りに変な気配がする。俺は黙って銃を構えようとした。
「あ……」
うっかり銃を装備してくるのを忘れていたようだ。
腰の短剣すら無い。
「おい、皆気をつけろ……」
俺は静かな声で言った。黙って足元の手頃な大きさの石を数個取り上げる。俺が投げれば、それなりの凶器にする事が出来る。
「あ! 武器持って来てねえ」
カリューが言った。
いや、お前は自慢の牙と爪でどうにでもなるだろう。
「私は簡単な呪文なら唱えられるよ」
秋留も武器となる様な杖を持ってきてはいないようだ。杖には魔法力を高める効果もあるらしく、杖を構えていないと使えない魔法があるらしい。
「ワシは持ってきてますぞ」
ジェットは秋留のお下がりのマジックレイピアを鞘から抜き出し構えた。
「隠れてろ!」
俺は近くの売店い居たオバちゃんに叫んだ。
俺達の真剣な雰囲気に、オバちゃんは店の扉を全て閉めて奥に引っ込んだ。
べちゃ、べちゃ……。
べちゃ、べちゃ……。
水系モンスターと思われる足音が聞こえてくる。一匹だけではないようだ。
『正面だ!』
俺と同時にカリューも叫んだ。こいつ獣人になった影響でやたらと勘が鋭くなったようだ。
俺は手に持っていた小石を勢い良く投げつけた。
ドゴンッ
小石が人間大はある巨大な水の塊により吹き飛んだ。
巨大水鉄砲を放ったモンスターが滝の裏側の林から出来てきた。全身水色をした半魚人のように見える。
「あれ? 確かラムズが操っていたモンスターと同じタイプだよ」
秋留が言った。
「炎の精霊イフリートよ、炎の弾丸で敵を撃ち抜け! ファイヤーバレット!」
秋留の放った炎の弾丸が半魚人目指して突き進む。
魔法が当たりモンスターが燃え上が……らない! いつもなら秋留の魔法を食らったモンスターは燃え上がるのだが、目の前の半魚人は何のダメージも受けていないように見える。
「やっぱり! ラムズが操っていた半魚人も身体を覆うヌメヌメした鱗で炎を弾いちゃったんだよ」
「ではワシが……」
ジェットがマジックレイピアを構えた。
マジックレイピアは、魔力を込める事によって威力を増大させる事が出来る貴重な武器だ。売ったらきっと高いに違いない。ちなみにジェットは聖騎士のため、ある程度の魔力は込める事が出来る。
「はっ!」
ジェットの突きが半魚人モンスターの腹部を突き刺した。と同時にマジックレイピアに込めた魔力が爆発して半魚人モンスターを粉々にした。
俺達の目の前にいた半魚人モンスターの残り二体は、俺と秋留に襲い掛かってきた。
「ガルルー」
半魚人の叫び声ではない。カリューの野生の雄叫びと共に、俺達に襲い掛かってきた半魚人二匹の首がえぐり取られた。カリューの両手の鋭い爪には半魚人達の肉片が握られている。
「久しぶりに地上での戦闘だったが……やっぱりきちんと踏ん張れて良いなぁ」
カリューが悪人のように微笑んでいる。お前には武器は必要ないよ。
「この辺りにはよく出現するモンスターなのかのぉ?」
「小さい島だからね。海系のモンスターも多く出現するんじゃない?」
ジェットと秋留が話している。
俺は近くに他のモンスターの気配がないか観察したが、どうやらモンスターはコイツらだけのようだ。
それでも何か嫌な予感がする。
俺達の短いバカンスも終わりそうな、そんな嫌な予感が。そもそも冒険者にとって休息なんて物はないのかもしれない。