約束の星
いつぞやのワナビスレの統一
字数に制限があったのに加え、自身の力量不足もありかなり描写がざっくりとしていますが、ご了承ください
あれは、私がまだ小学生四年生だった時の事でした。
冬休みが始まる前日、家族四人で夕食の鍋を囲みながら食事をしている時、お父さんが言いました。
「よし、今年の冬休みは、みんなで月に行こう!」
「いけるの? お月様」
夜空のてっぺんで輝く月に行けるなら、それはどんなに素敵な事だろうか、私は期待に胸を膨らませます。
でも母は溜息を吐いて、楽しそうではありません。弟のお椀にうどんを入れてあげながら、「何しに行くの」と父に尋ねました。
「そりゃもう、天体観測さ。ちょうど今、なんとか流星群? 来るってニュースで言ってたろ」
「みたい! 星! ……でも、どうやっていくの?」
「車で行ける!」
「すごい!」
私も弟も、月への旅が楽しみで仕方がありません。
思い立ってからの行動が早いのが、私達家族の長所でもあり、短所でもあります。母は乗り気ではありませんでしたが、三人の説得もあって、翌日には出発する事になりました。
その日の夜、私と弟は楽しみで仕方がありませんでした。
驚く事に、父方の曽祖父の家が月にあるらしいのです。
楽しみで眠れないよ、と大はしゃぎしていましたが、気がついたら眠り翌日の朝になっていました。
***
その日の朝、私達の住む場所では珍しいことに、雪が降っていたのです。
全く降らない、というわけではありませんが、年に一度あるかないかというイベントに、私達は大はしゃぎです。
「念のためチェーンしておくか」
父はそう言って、慣れない手つきでタイヤに鎖を着けました。
私達は荷物を載せて車に乗り込み、二時間ほど車に揺られます。
途中寄ったコンビニで、母にお菓子と飲み物を買ってもらって、車は軽快なエンジンの音を鳴らしながら、山の奥へと入っていきます。
「パパー、いつ着くのー?」
私の隣でゲームをしていた弟は、車に乗り飽きたのか、窓の外を眺めながらそう尋ねました。
「もうすぐ着くよ」
父はそう答えますが、車が月に向かってロケットのように飛び立つ気配は、一向にしません。
私と弟は、顔を見合わせました。その時から、何となく嫌な予感はしていたと思います。
車は、山の中腹部にある村で止まりました。
「着いたぞ!」
父はそう言いますが、周りに見えるのは大きな湖と一面に広がる山だけでした。
「ウソだ!」
弟は怒りを含んだ声で言いました。
「ここはね、月っていうのよ。月集落」
母は苦笑いで私達にそう説明し、同時に父はひとりでに爆笑し出しました。私は怒って反論し、弟は泣き出し、その場は形容しがたい空気に包まれます。
「ま、降りよう! 少し登ればひいお爺ちゃんの家だからな!」
「やだ! かえる!」
弟は駄々をこねてそう言いました。私は親に説得され、仕方なく降りましたが、子供ながらに父の親父ギャグに付き合わされていたことは理解していて、無性に腹が立っていました。
弟のように駄々をこねなかったのは、姉としての威厳が僅かながらにあったからかもしれません。
結局、二手に分かれ、父は私と家に向かい、母は弟をなだめることになりました。
家に着くまでわたしはふてくされ、しんしんと降る雪にも興味を示さず、一言も口を開きませんでした。
だけど一目家を見ただけで、私の我が儘な自尊心は吹き飛んでしまいました。
「すごい!」
それは、それまで住んでいた家の三つ分くらいの大きさの木造建築の家でした。
今は誰も住んでいなく、所々に蜘蛛の巣が張っていましたが、庭も広くて、昔の日本の偉い人のような気分になりました。
「わたし、蓮呼んでくるね!」
「あ、ああ。 転ぶなよ」
父は私の切り替えの早さに戸惑っていたようでした。私は車にいる弟を呼びに駆け出します。
その途中、林の中に細く小さな一本の道がある事に気付きました。奥が気になりましたが、弟を呼ぶために再び走りました。
途中、アスファルトの下り坂に躓いて転びそうになりながらも、弟のいるもとまで無事に戻る事ができました。
幼い私にとって、たとえ短い距離であっても見知らぬ土地を駆けるのは、冒険といっても過言ではない事でした。
「蓮! いこっ! 家すっごくでかいよ!」
「…………」
私は車のドアを勢いよく開け、弟にそう言いました。でも弟は、此の期に及んでまだ帰りたいとでも言うかのように、座席から動こうとしません。
「蓮っ!」
「わかったよっ!」
私が声を張り上げて怒ったところで、ようやく弟は観念しました。
「こっち!」
私は弟の手を引いて、来た道を走って戻りました。
車が全く通らないほどの山奥で、冷たく透き通った空気の心地良さは今でも忘れられません。
「ほら! すごいでしょ!」
「うおおおおお! でけー!」
父は家の整備をしてましたが、そんな事はお構いなしに家中を走り回りました。
マックロクロスケでておいで、と映画で見た有名なセリフを叫んだり、廊下の端から端までを雑巾掛けしながら早さを競ったり。
何もかもが楽しい一日が始まりました。
時刻は昼下がり。家の敷地では飽き足らず、私達はこっそりと外に冒険に出る決意をします。
いつもはゲームばかりやっている弟も、この日ばかりは活動的でした。
「さっき教えた小さい道、行ってみよ!」
「うん!」
私達は見つからずに敷地の外に出る事に成功し、先程見かけた少し開けた木の隙間を通り始めました。
「ねえ、瑠奈達いないんだけど」
「はぁ? さっきまでそこら辺走り回ってたぞ」
私達が居ない事に両親が気が付いたのは、それとほぼ同時だったらしいです。
母の顔からは血の気が引いて、大きな声で私達を呼びました。もちろん、私達が反応を示すことはありません。
母はすぐに警察に通報をしました。警察の到着があまりにも遅く、苛立ちを露わにしていました。
その頃、私達は林の中を潜り抜け、少し開けた草むらに出ていました。
奥に小さな祠があるのが見えて、虫が苦手な私達は、恐る恐るそこへ向かいました。
それは、小さな家のような形をしていました。中を覗き込むと、そこには小さな石像が三つ佇んでいました。
一番奥にある一つは、微笑んだ地蔵の様な姿をしており、手前に向かい合って並んでいるのは、兎の石像でした。
「あけてみる?」
弟にそう提案しますが、弟は怒られるのが不安だったのか、首を横に振りました。
その時、後ろから声を掛けられました。
「ちょっと、そこの二人。何をしてるの?」
あまりにも透き通った声に驚き、二人同時で振り返ります。
そこには白い髪をした、女の子が居ました。
真冬なのに、白いワンピースを着て。なのに不思議なことに、私達は彼女の姿に違和感を覚えなかったのです。
それが、彼女との出会いでした。
***
その女の子は、私達よりも一回り歳上に見えました。腰に両手を当て、あたかも機嫌が悪そうな素振りで私達を睨みます。
「あなた達、ここの住人じゃないでしょう? こんな所まで何しに来たの」
完全に私達は小さくなっていました。人一倍元気であるのに加えて、人一倍人見知りでもあったのです。
「星……。星を見に来た。家族で……」
小さな声で、そう答えたのは弟でした。
「星……?」
「うん。テンペルタトル彗星っていうんだって」
弟が彼女に説明する間、私は交直していて一言も喋ることができず、話に合わせて首を縦に振ることしかできませんでした。
「そうなんだ。あなた達、名前は?」
「オレは、蓮」
「わ、わたし瑠奈! ヨロシクネ!」
はじめはぎこちない挨拶になってしまいましたが、その後段々と慣れていって、私達はその子と友達になりました。
彼女の名前は、『うさ』と言うらしく、弟は失礼ながら「変な名前」と言ってしまいました。
「別にいいよ。私はこの名前、気に入ってるから」
「じゃあ、うさお姉ちゃんだ!」
「わっ!」
私はそうやってうさちゃんに抱きつきました。年齢は聞きませんでしたが、どこか大人っぽい雰囲気は、彼女を“お姉ちゃん”と呼ぶには申し分のない物でしたから。
私達はすぐに仲良くなれました。
でも、私達の家に呼ぼうとしても、それは頑なに拒みました。
お家の人に迷惑だから、と。
「……でも、せっかく星を見にきたのに、この曇り空じゃ何も見えないね」
「うん……」
雪は既に止んでいましたが、相変わらず空には分厚い雲がかかっていました。
「さてと! そろそろ私は帰らなくちゃ!」
うさちゃんはそう言って立ち上がりました。
「えっもう?」
「うん。今日来たばかりなら、お母さんが心配してるはずだよ。いくら冬とはいえ、山には危険がいっぱいなんだから」
私は、その時まで完全に両親の事を忘れていました。
まだ明るいとはいえ、心配性な母が今どうしてるのか、かえってそれが心配でした。
「あとさ、もし明日晴れてたら、昼過ぎにもう一度ここにおいで。いいものを見せてあげる。じゃ、祠にいたずらしないでね」
そう言い残して、うさちゃんは祠の裏手、山の斜面にさりげなく付いていた石の階段を駆け上がって行きました。
「蓮、わたしたちも急いで帰ろう!」
「うん」
私達は大慌てで家まで戻りました。
家には警察の方もいて、後でたくさん両親に叱られました。
その当時は、何でそこまで心配するの、とそう思っていた自分が何処かにいたかもしれません。
その日の晩、釜で炊いたご飯を食べながら、私は今日あったことを両親に話しました。
小さな道の先に祠があったこと、
そこでうさちゃんという女の子と会って、なかよくなったこと、
そして、明日も会う約束をしたこと。
「ダメです」
でも母はそういって一蹴しました。
「なんで!」
「今日こんなことがあって警察の方に迷惑をかけたばかりじゃない!」
「でも約束――」
「ダーメ! その子には悪いけれど、許しません!」
「やだ! 絶対行く!」
「そうだ! オレも行く」
私達姉弟も、意思は曲げませんでした。
「はぁ……パパもなんとか言ってやってよ」
「……俺は、別にいいと思うよ」
「ちょっと……」
父を味方に付けたら、もう決定のようなものです。私と弟はハイタッチしながら喜びを分かち合いました。
「だけど一つ教えておく」と、父は口を開きました。
「この山には、神様が住んでいるんだ」
「神様?」
「そう。その神様は、とっても優しい人なんだけど、怒ると凄く怖い。
心が清らかな人の前には姿を現して助けてくれるけど、汚れた人は容赦なく何処かへ連れ去ってしまうんだと。
その友達は、晴れたら来いと言ってたんだよな? じゃあ、簡単だ。明日晴れたら、きっとそれは山の神様が認めてくれたっていうことだから、思う存分遊んでおいで。
だけど約束だ。日が暮れる前には帰ること! それと、あまり遠くにはいかないこと。これだけ」
「わかった!」
私達は父と約束をしました。ティッシュでてるてる坊主を一つずつ作って、部屋に吊るしておきました。
どうか明日は晴れますように。
心から山の神様にそうお願いして、私は眠りにつきました。
***
翌朝、私と蓮は母の呼び声で目を覚ましました。
「ほら、あんた達起きなさい。遊びに行くんでしょ」
「うーん……」
外からは小鳥のさえずりが聞こえ、私は昨日の約束を思い出して飛び起きます。
未だに寝返りを打ちながら横になっている蓮を叩き起こしつつ、勢いよく大きな障子窓を開け放ちました。
まだ起きたばかりの目は、部屋の外から差し込む陽の光に驚いてしまいましたが、空は雲一つない晴天でした。
「やったぁ!」
私は弟と飛び跳ねながら喜びました。
一度、床が大きく軋む音を立てて、その勢いは止められてしまいます。
それでも嬉しい気持ちに変わりはありませんでした。
家族で朝食をとっている時、弟が何かを思いついたかのように「そうだ!」と言いました。
「ママ! 昼ご飯いらないからお弁当作ってよ!」
「えー……。やだよ、パパに言って」
弟と私は父の方を向きました。正直、父が料理が出来るとは微塵にも思っていませんでした。
ですが父は「任せとけ」と、言ってくれたのです。
母は心底驚いた表情をしていましたが、それが何を意味しているのか、この時はまだわかっていませんでした。
その後少し空き時間があったので、台所に立つ父の様子を覗いてみると、父はひたすらにおにぎりを作っていたところでした。
「な、何これ!」
私は驚いた声で言いました。部屋でゲームをしていた弟も、その声につられてかゲームを片手に覗き込みます。
そして、私と似たような反応をしたのです。
「見ればわかるだろ! おにぎりだよ。山に行くならおにぎり。これはルールだよ」
そんなルールが無いことくらい、いくら幼い私達でもわかりました。
そもそも、そのおにぎりは一つ一つが、丸くて大きく、とてもじゃないけど食べきれる量ではありませんでした。
父はそれ以外料理を作る事が出来ないらしく、結局私達はそのおにぎりを大きな箱に入れ持っていくことになりました。
「いってきまーす!」
二人で両親に聞こえるように告げて、私達は昨日の祠へと駆け出しました。
途中の自販機で、飲み物を三本買って弟のリュックに入れました。
「あの子達、大丈夫かしら」
「心配ないよ。山の神様が守ってくれるさ」
「あのねー、昨日もそんなこと言ってたけど。それってようするに神頼みってことじゃないの」
「そうかもな。ハッハッハ!」
私達が家を出た後、両親はそんな会話をしていました。
祠のある開けた場所に入ると、既にうさちゃんは私達を待っているようでした。
「うさお姉ちゃーん!」
私が大きな声で呼び掛けると、うさちゃんはそれに気付いて手を振り返してくれました。
「よく、ご両親が許してくれたね」
軽く挨拶を交わした後、うさちゃんが言いました。
「うん! でも日が暮れるまでに帰るって約束したの」
「わかった。じゃ、行こっか。ついてきて!」
うさちゃんは、祠の裏手にある山の斜面に向けて歩き出します。
私達は彼女に着いて行きました。
彼女は軽い足取りでどんどん登って行ってしまいましたが、ちょうど私達が見失った頃にそれに気づいたのか、ごめんごめんと言いながら私達のもとへ戻って来ました。
「ここらへんに、滅多に人が来ないからさ。自分のペースで進んでた。ゴメンね」
「大丈夫!」
私はてっきり、うさちゃんの家にお邪魔するのかと思っていました。
「もう着くよ」
でもどうやらそれは違ったようで、彼女は山の途中でそう言ったのです。
私達の視界の先に、少し開けた場所が姿を現しました。
「わぁ! すごーい!」
私達が着いた先は、広大な景色が一望できる山の中腹部でした。
見渡すと、私達の家から、湖沿いの道路、車を止めた駐車場までが、私達の目に小さく映りました。
湖は太陽の光を反射して輝き、その向こう側に見える山の一部には雪が積もっていて、それはもう忘れられないくらいに美しい景色でした。
「ここなら、夕方でも綺麗な星空が見えるんだよ」
そう言いながら、うさちゃんは大人が二人座れるくらいの小さな木の椅子に腰掛けました。
私達はまだ小さかったので、三人でそこに座って景色を堪能していました。
「あまり、崖の方へ出ないでね。柵がないから危ないよ」
「うん!」
そこは人の手が加えられていない、自然の展望台のようでした。
「ここに椅子置いた人は、センスがあるね」
弟はいたって真面目にそう言いました。うさちゃんは笑いながら「そうだね」と、頷きました。
「でも、あんまり他の人に教えないでね。私達の、秘密だよ」
「うん! わかった! あ、そうだ」
その時になって私は手に持ったお弁当箱を思い出し、ひざの上に乗せました。
「それは?」
「おにぎりだよ! 一緒に食べよう!」
そう言って私は弁当箱を開けました。そこにはやっぱり、大きくて丸いおにぎりが詰め込まれていて、予想していたようにうさちゃんは顔を引きつらせて驚いていました。
「あ、ありがとう。いただくね」
私達は三人でお喋りをしながら、おにぎりを口に運び始めます。
「おいしいね。やっぱり山で食べるのはおにぎりに限るよね」
うさちゃんがそう言って、思わず私と弟は茫然と驚いてしまいます。
「ん? どうしたの?」
「ぱ、パパと同じ事言ってる」
「――てことは、これを作ってくれたのはあなた達のお父さんなんだ」
「うん! ちなみにあそこで湯気が出てるのがうちの家だよ! わかるかなぁ」
私はそう言って指差しました。
「…………そうなんだ……」
うさちゃんの返事が震えていたことに気付き振り向くと、彼女はいつの間にか涙を流して泣いていました。
「どうしたの! もしかしてまずかった?」
私は慌てて彼女に問い掛けましたが、彼女は「ううん」と首を横に振るだけで、何も答えてくれません。その間もおにぎりを口に運んでいたので、味の問題ではないようでした。
場にはしばらくの沈黙が訪れて、しまいには弟はリュックに入れたゲーム機で遊び始めてしまいました。
カラスが西日の射す空を飛びながら、鳴いている声が聞こえました。
「……ごめんね。もう、大丈夫。ちょっと……おにぎりの味が懐かしく感じちゃっただけ」
「……? 大丈夫ならいいんだけど……」
その後、再びさっきのように楽しく会話をしていました。
空はだんだんと茜色に染まり、自分の吐く息の白さが目立つようになってきた時です。
「ほら、見てごらんよ、空!」
うさちゃんが、空を指差しながら言いました。
空を見ると、まだ夕暮れ時だというのに、たくさんの星々が輝いていました。
登り始めたばかりの満月はいつもより大きく、そして赤く見えて少し怖かったけれど、地平線の方から私達の頭上にかけて、紺色から茜色に、グラデーションを描くような空と、それを飾る星々の美しさは、忘れることはないでしょう。
首が疲れて痛くなるほど、私達は空を仰いでいました。
「もうちょっと暗ければ、流れ星も見えそうだけどね」
とても名残惜しい気持ちでしたが、親との約束を守るために、私達は山を下り始めました。
足場は狭く、不安定でしたが、星々の輝きが私達の道を照らしてくれていました。
「おにぎり、食べきれなくてごめんね。おいしかったと伝えておいてね」
私達が初めて会った祠の前で、うさちゃんが言いました。
「うん!」
「明日はどんな予定なの?」
「……明日、もう帰っちゃうんだ」
「そうなんだ」
「……でもね、また絶対に来るよ! すごく楽しかった! 次は夏休みかなぁ」
「ホント? 嬉しい! 約束ね!」
私達は小指を交えて、約束をしました。
またこの場所で、一緒にこの星空を見よう、と。
「あ、流れ星!」
唐突に弟が空を指差して言いました。
ですが私達が空を見る頃にはそれは既に消えてしまっていました。
ですが、しばらく空を仰いでいると、流れ星を何個か見ることが出来ました。
ここまでたくさんの流星を見たのは初めてで、私達はお互い笑顔を交わしながら、鬱蒼と茂る樹々に囲まれた星空を、しばらく眺めているのでした。
こうして、私達の冬の思い出は幕を閉じます。
翌年の夏休み、私達は約束を守ってうさちゃんに会いに行くことが出来ませんでした。
***
その出来事は、唐突に訪れます。
父の仕事の関係で、長崎県まで引っ越す事になってしまったのです。
その当時は、引越しに浮かれるあまり、彼女との約束を忘れてしまっていました。
結局、思い出すのは夏休みの終わり頃で、月まで行くのには高い交通費がかかる事もあり、行くのは断念せざるを得ませんでした。
小学校を卒業し、中学校へ。
そして中学校を卒業し、高校へ。
その年の夏休み、ようやく親から月へ行く許しを得る事が出来ました。
久し振りに静岡県へ来たこともあり、駅から乗るバスを間違え、あらぬ方向へ行ったり、直前でバスを逃し二時間も待つ羽目になったりと、散々な目にあいましたが、ようやく私は月へと辿り着く事が出来ました。
一人でした。弟は、約束のことすら忘れてしまっていたのです。
そこは以前と変わらぬ風景で、懐かしい気持ちでいっぱいになりました。
「……どこだっけな。……ここか?」
私は必死に祠への道を探しましたが、樹々が伸びてしまったのか、なかなかそれは見つかりません。
その途中、『害獣に注意!』と書かれた兎の絵が貼ってある看板を見つけ、苛立ちを覚えました。
ですが、その後ろにようやく祠への道を見つける事が出来たのです。
以前から虫や、虫の居そうな場所が苦手だった私は、その道の狭さに躊躇しましたが、勇気を出して飛び込みました。
少しずつかつてのことを思い出していました。
この先に、開けた場所があって、祠があること。その後ろには、秘密の展望台への道があること。
道を進むと広い場所に出ましたが、かつてと違って雑草が背丈ほどまで伸びていて、周囲はとても見難い状況でした。
ようやく祠を見つけて、斜面を登って展望台まで行きました。
相変わらず誰かの作った椅子が置いてあり、そこに腰掛けて日が暮れるまで景色を眺めたりしていましたが、とうとううさちゃんと会う事は出来ませんでした。
「……そりゃ、怒ってるよね」
私は虚空に呟いて、その場を後にしました。
その後も、社会に出るまで何度か同じ場所に顔を出しましたが、うさちゃんには会えませんでした。
あの日であったうさちゃんは、もしかしたら山の神様だったのではないか、という疑問が、今でも私の中でも渦巻いています。
父は言っていました。
山の神様は、心が純粋な人の前にしか現れない、と。
長崎県の私が越した場所は、治安が良いとは言えない町でしたし、中学の頃から私は彼女に会う資格を失ってしまったのではないか、とさえ思います。
幼い頃の経験は、大人になってしまうと記憶に埋もれて徐々に曖昧になってしまうものです。
彼女との約束を果たさず、謝る事も出来ないまま時が過ぎていく事を考えると、悲しい気持ちでいっぱいでした。
うさちゃんとの出会いを通じて、私は色々な事を人生の教訓として学んだように思えます。
うさちゃんはとっくに私の事を忘れてしまっているかもしれません。
でも私は、彼女の事を一生忘れる事はないでしょう。
***
「月じゃないじゃんっ!」
車内に子供の怒声が響きます。
私は結婚をして、子供を産み夫と三人で月に来ていました。
「ふふ、ここは月よ。お母さんは嘘をついてません。ほら、降りて! 行くよ、黎」
父親譲りのジョークに、夫は苦笑いをして、娘の黎は前の席を蹴りながら怒っています。
かつての私達も、両親から見たらこんな感じだったのかもしれません。
ある朝、ニュースで流星群の接近を知らせていました。
それはかつて私達が弟とここに見に来た、テンペルタトル彗星の再接近でした。
これは、娘に見せてやりたいと思い、私は夫と相談して、月に来る事に決めたのです。
「星が、すごく綺麗なの。行こう? 黎」
「……うん」
私達は木造の家に向かいました。
それを見た黎のはしゃぎようは、見ているこっちも嬉しくなってしまうほどでした。
「じゃ、しばらくは掃除と整備ね……」
「手伝うよ」
私達は夫婦で、家の整備を始めました。
黎は建物の中を走り回ったり、見ていて危なっかしい様子でしたが、月のジョークは忘れてくれたようで、一安心です。
使っていなくても、木造の家はすぐに劣化してしまいます。
雨漏りを修復するために、夫を屋根の上に登らせることになるとは思いませんでした。
「黎ー? 冷蔵庫からおちゃとってくんない? 黎?」
気がつくと、黎が見当たりませんでした。
夫を呼び戻し周囲を探しても、見つかりません。
私達は不安になり警察を呼びました。
大切な一人娘のことを思うと、心配で涙が止まりませんでした。
その後、黎は何事もなかった様子で帰ってきました。
私達は半泣きになりながら、黎を叱りました。
「ダメじゃない! 勝手に外に出たら危ないでしょ!」
「ごめんなさい……」
「外真っ暗なのわかる? どこまで行ってたの!」
「森の中」
そう聞いて、ゾッとしました。
山の中には、危険がたくさん潜んでいるからです。
ですが、その後放った黎の言葉に、耳を疑いました。
「うさちゃんって子と会ってた」
「え……」
私の驚いた様子に、夫と娘は不安げな眼差しを送りましたが、それどころではありませんでした。
「ちょっと……車に忘れ物したの思い出したから取ってくる」
それだけを言い残し、静かに家を出ました。
そして、駆け出しました。
それまで運動をろくにしていなかった身体はすぐに根をあげようとしましたが、構わずに走り続けました。
虫が出そうな木の通路も突っ切って、
「うさちゃんっ!」
泣きながらそう叫びました。
返事はありません。
思わず、斜面を駆け上がり展望台まで来ました。
そこにももちろんうさちゃんの姿はありませんでしたが、叫びました。
「うさちゃん! ごめん……ごめんねっ! 約束、守れなくて……」
泣きながら、服が汚れることなどお構いなしに地面に手をついて謝りました。
「……ごめんね!」
「ううん、気にしてないよ。だからさ、いい歳こいて、泣くのやめなよ」
背後から、声がしました。
あの時と同じ、凛として響くうさちゃんの声が。
恐る恐る振り返っても、そこには誰もいませんでした。
でも、確かに聞こえたのです。
私はひたすらに泣きじゃくりました。
泣くなという方が、無理でした。
ありがとう、と言おうとしても涙はとめどなく溢れてきます。
私はずっと泣いていました。
真冬の夜だというのに、どこか暖かさを感じさせる風が、私の泣き声と共に満天の星空へと消えて行きました。
おわり




