03
「わた……し、わたし……わたし、は……」
震える声で何かを言おうとするセレス。だがその続きの言葉は何時まで経っても出てこなかった。自分が何を言いたいのかすら分からない。ただただ、梛の言葉が脳内で反響して渦巻き、セレスの中で確実に重みとなっていく。
「ははは、効果覿面じゃあないですか! 自分の記憶に向き合わせただけでこれだ! しかも鏡の力でですよ!!」
対照的に、梛はこれでもかと言うほど子供のようにはしゃぎ回っていた。そんな姿をスイレンは呆れたように見守っている。
「ねえ、スイレン。今回は丸々全部を跳ね返したんですか? 聴かせて下さい報告してください教えて下さい楽しませてくださいよ」
「……そうね。主たる貴方には私が何をしたのか報告義務があるわね」
ひたすらテンションの高い梛に引きつつもスイレンは梛が求める通り自分が何をしたのか説明し始めた。
「貴方の指示通り、貴方がこの子に話しかけてからずっと、術をかけ続けていたわ。全反射は流石に無理だったわね。そんなことしたら、私の方が壊れるわよ。やっぱりとんでもない力ね。だから、私が今回反射させたのは『再生』の能力だけよ」
「なるほどなるほど……ふふふ、いつ聞いても自分の能力が反射されるなんて恐ろしいですねぇ。まるで呪いですよ。流石呪術師といったところでしょうか」
「呪術は関係無いわよ。こっちは私自身のアビリティで、呪術は勉強して持ったものよ」
スイレンが言うとおり、スイレンの能力は『反射』だ。梛が『鏡』と表現したのは、若干劣化して写すからである。
この能力は一対一でなければ使うことができない。だから大規模な戦闘には向いていないが、逆にこういった拷問にはうってつけだ。対象が強ければ強いほど、この能力は真価を発揮する。
相手の能力を全て、或いは選択して本人に跳ね返す。簡潔に言えば、反射はこんな能力だ。それに、スイレン自身が勉強して取得した呪術が加われば、抵抗できない相手を屈服させるには十分だろう。屈服どころか破壊してしまうのが難点ではあるが。
「精神なら破壊していいんですよ。脱け殻になったものを私が使わせていただきますから」
難点を告げれば、梛はあっけらかんとした様子でこんなことを言う。曰く、相手の肉体に乗り移ること。これが彼の能力だそうだ。
「でも、使い慣れた肉体の方が勝手がいいじゃないですか。それに壊れにくい方が色々できますし……だから、長生きがしたいんですよね。あとは好きなことをやっていればとりあえず精神は健康でしょう?」
精神が死ねば元も子もありませんからね。と梛は笑う。現時点で殺しても死ななそうだとスイレンは感じたが、決して口には出さなかった。
「さて。彼女が壊れればこっちのものです。もう一人は彼女を使えばすぐ落ちるでしょう。そうと決まれば、早いとこ彼女を壊さなければなりませんね」
楽しそうに言って、梛は刀を抜いた。
「待ちなさい」その梛の腕を掴んでスイレンが止める。「殺しすぎると彼女の記憶が消えるわ。有効な記憶が消える可能性があるんじゃないかしら」
「おや……それもそうですね。確かに、使えるものが消えてしまっては困りますし……では、スイレン。お願いできますか?」
「そう言うと思ったわ」
本当にそう言われると思っていたらしい。スイレンは、お願いできますか? と言われた直後に手を組んで術の準備を整えた。
「道具は要らないんですか?」
「あら、言葉があるじゃない。言葉は一番の呪いよ」
くすりともせず、梛に目をやることもなく、スイレンは手を組んだまま目をつぶる。その姿はまるで祈りのようだ。そして、その姿勢で歌うように唱え始める。
「『少女は堕ちる。闇へ堕ちる。闇とも知らず穴の中へ真っ逆さま。闇は包む。そして少女は夢を見る。夢と現が混ざり合い、少女は夢から逃げられない』」
呪文が終わる。ややあってから、セレスが急に首をあげた。梛とスイレンには何が起きているのかは分からないが、しっかりと呪いが効いたようだ。
彼女は今、スイレンの呪いによって幻覚を見せられている。
「なん、で……やだ、やだ、やだよ……」
弱々しい声でセレスは宙へ呟く。幻に語りかけたところで意味がないというのに、それに全く気付かずに弱々しく拒絶をする。
目はやがて光を失い、虚ろになっていく。ガチガチと歯を鳴らしながらセレスは震えていた。心なしか、寒さも感じる。徐々に恐怖がセレスを支配していった。
「……ふむ」そんなセレスを梛は嬉しそうに見つめる。「そろそろいい具合ですね」
だが念のため、と梛は改めて刀を抜き、スイレンが止めるより早くそれをセレスの首めがけて降り下ろした。その単純な動作だけでセレスの首は一度胴体から離れ、そしてすぐに繋がる。
簡単に一度死に、簡単に生き返る。
息をするように自然な動作で殺し、殺され、生き返る。
「ちょっとーー」その一連の出来事に呆気にとられたスイレンだったが、すぐに我にかえって口を尖らせる。「今ので呪いが解けちゃったじゃないの。死ぬと消えるのよ、呪いって」
文句を言いたいのはそこらしい。そして、それ以外には興味もないらしい。
スイレンの文句を気にも留めない梛は、満足したような笑みを浮かべている。その視線の先には大量のヒビが入ったセレスの指輪があり、それはやがて軽い音と共に砕けて粉々になった。
その音と右手に伝わる僅かな振動でセレスが覚醒する。悪い幻覚から目を覚ます。それと同時に、彼女は理解する。ーーもう、身代わりとなる記憶は全て無くなったのだと言うことに。次からは、自分の記憶が消えていくのだと言うことに。
「あーーや、やだ」
恐怖に支配されたセレスには今、梛とスイレンはどう映っているのだろうか。虚ろになった目を向けて、未だに震えながらセレスは言葉を発する。
「やだ、嫌だ、絶対に嫌だーーやめて……やめて!」
拒絶の言葉が溢れ出す。縛られた手足に力が入り、千切らんとばかりにぎしぎしとロープに負担をかける。それは、ここに来てから初めてセレスが見せた抵抗らしい抵抗だった。
「おや? 急に元気になって、どうしたのでしょう? まだ何も終わってないし、やめても何もするのはこれからですよ?」
クスクスと笑って梛が一歩、刀を抜いたままセレスに近付く。
「寄るな!!」
瞬間、セレスは腹の底から叫んでいた。
どこにそんな気力があったのか分からない。散々絶望を与え、壊れる直前にまで来ていたのではなかっただろうか? 何故、まだ叫んだだけでこれだけの振動を起こせるのだろうか? 思わず足を止めた梛はそんなことを考える。底が知れず、改めてセレスを化け物だと認識した。
「奪わせない……もう、私から奪わせないっ!!」
必死にセレスは叫ぶ。何度力を加えてもロープは千切れないが、それでも身体中で抵抗して拒絶を示す。
確かにセレスは独りだった。親の名前も顔も、それどころか存在すら知らない。捨てられたのだと、心の奥底で思っていた。
確かにセレスは化け物だ。周囲の人間が老い、死んでいくなか、絶対に変わることのない自分を見る度に痛感していた。
確かにセレスは忌み嫌われる存在だった。記憶を盗んでいることがバレれば追い掛けられ、不老不死であることがバレれば追い払われた。だから各地を転々としていた。
だが、今は違う。
セレスの隣にはチェルカが居る。チェルカに忌み嫌われることはないし、置き去りにされることもない。追い払われることもない。そして何より、短い間ではあるが、チェルカと出会ってからの日々は今までの何百年という人生には代えられないほどの何かがあった。絶対に失いたくないと、心の底から思った。
「……たすけて、チェルカ…………」
叫びの中、ぽろりと溢れた言葉。
それは、生まれて初めてセレスが口にした、助けを求める言葉だった。




