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全てを諦めたはずだったのに、意識が途絶えそうになる暗闇の中で突然温かいものが身体を覆った。それはセレスの身体を強く締め付けていて、微妙に痛い。いや、セレスは現在傷だらけなのだからとても痛い。
一つの痛みを意識すると、連鎖的に全ての痛みを意識するようになる。
痛い。全身に海水が滲みる。痛い。
視界は何かに覆われていて真っ暗だ。なにも見えない。何かを押し当てられているような気もする。
そして何より、自分の身体がどんどん浮上していっているような、そんな感覚を覚えた。先程までは沈んでいた筈なのに。
「っぷぁ!」
誰かの声がした。それと同時に、水の感覚が消えた。ような気がする。
何だかよく分からないが、それにセレスはとても安心してしまい、強烈な眠気に襲われた。ちょうど暖かいことだし、耳から聞こえてくる誰かの声も心地いい。このまま身を任せてしまおう。
そうしてセレスはやっとここで意識を手放した。
次にセレスが目を覚ましたとき、セレスの視界はまだ暗いままだった。
とても温かくて気持ちいい。
それは、誰かに抱き締められているからだということが次はわかった。そしてここは海の中ではなくベッドの中だ。
そこまで認識すると、セレスは急に恥ずかしくなって飛び起きようとした。だが、力が入らない。自分を抱き締めている人物を自分から引き剥がすことが出来ない。
しかしその行為が効を奏したのか、自分を抱き締めている力が緩んだ。そして声がかけられる。
「…………セレス? 起きたのかい?」
「出来れば、離して欲しいんだけど」
「やだ」
そこまでいうとチェルカは逆に力を強めて、セレスを思いきり抱き締めた。
「心配したんだからこのぐらい許してくれてもいいんじゃないの……君ってば、勝手に沈んでるし、意識無いし、息も無いし……」
ぐちぐちと愚痴りながらチェルカは深いため息をつく。力を緩めるつもりはこれっぽっちもないようだった。
「よかった…………」
最後にぽつりとそう言われてしまうと、セレスから抵抗する気が一気に失せた。かなり心配をされていたらしい。それは少し、申し訳無いことだった。海におちたのは完全にセレスの自業自得だったのだし。
「ああ……えっと、何か食べた方がいいのかな? あっ、君は絶対に動かないで。多分貧血とかでろくに動ける状態じゃないから」
暫くセレスを抱き締めていると、急にチェルカは我にかえってセレスから離れた。そして起き上がり、ベッドから降りる。
そこでやっと自分の身体を見ることが出来たセレスは、自分の身体中に包帯が巻かれていることと、服が着替えさせられていることに気が付いた。
確かに、スイレンに買ってもらったあのワンピースは焔やら雷やら血やらでズタズタのボロボロになってしまっていたため、これは有難い気遣いだった。今は、寝巻きとして活躍しているチェルカに貰った真っ白なワンピースが身を包んでいる。
真っ白なワンピースから覗く腕や足が全て包帯でぐるぐる巻きなので全身が真っ白だ。最早肌が見える部分がほとんど無い。きっと、脱いだら見えるのだろうが……と、ここでセレスはやっと一つのことに気が付いた。
「も、もしかして……あの……」
包帯を巻かれた。服を着替えさせられた。誰に? この船には一人しかいない。
「や、夜食をとってくるよ。お腹が空いたろ?」
「ばっ、ばかー‼」
珍しく顔を真っ赤にしたチェルカが逃げるようにその場から去ってしまったが、同じく顔が真っ赤なセレスはそれに気付かなかったのだった。
それから暫くして、いい加減セレスは待っているのが嫌になった。夜食をとってくると言ったきりチェルカが戻ってこないのだ。夜食と言うのだからまさか手の込んだものを作っているわけでもないだろうに、時間がかかりすぎである。
「……っう、……チェルカ?」
動く度に軋み、悲鳴をあげる身体を引き摺りながらセレスはチェルカを探して船内をさ迷う。キッチンスペースにいるのだろうか。覚束無い足取りで、フラフラと壁に手をあてながら歩く。
セレスが居た部屋以外は真っ暗で、とても寒かった。裸足にこの床は氷のような冷たさを感じさせる。早くチェルカを見つけて何か温かいものを貰いたかった。つい最近まで暑い町にいて、熱中症にまでなったというのに不思議なものだ。今は真冬の極寒の地にいるような気さえするのだから。
漸くキッチンスペースに辿り着くと、そこから光が漏れているのがわかった。きっとチェルカはそこにいるのだろう。
「ねえ、いつまでーー」
少し怒ったような声で呼び掛けながら扉を開く。が、その言葉は扉を開けた瞬間にふわりと漂った香りによって最後まで続かなかった。
香りの次に飛び込んできたのは強烈な視界。
壁や床、天井にまでぶちまけられた赤。見渡す限りの赤。その中央に鎮座する赤い塊。赤くて黒い肉塊。その中に紛れ込んだ、虹色の頭と右肩が抉れてなくなった男の上半身。
それに対面するように立つ、和服の男。
「あ……う……」
言葉を失ったセレスは、一瞬目の前の光景が何なのか分からなくなりそうになった。分からなくて良かったのかもしれない。しかし、直に理解してしまった。
「あーーああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
叫ぶ。
ただただ叫ぶ。
何も考えられず、何も動けず、ただ、感情に動かされるがままに叫ぶ。
「ああーー」その声でやっと存在に気づいたのか、和服の男がゆっくりとこちらを振り替えって、その糸目でにっこりと笑って言う。「そちらから来てくれたんですね。探す手間が省けました」
有難うございます、と。
言うが早いか、梛はその右手に持った刀を構えると一歩踏み出し、セレスの左胸ーー心臓めがけて突き出し、そして突き立てた。
「あっ…………?」
ごぽり、と血の泡を吹いて、セレスの視界はそこで暗転した。




