07
チェルカが降り下ろした拳は、不思議な光を纏っている以外にはなんの捻りもないものだった。
炎の熱さも、氷の冷たさも、闇の破壊力も、光の浄化する力も何もない。ただ、時間を纏っているだけ。そこだけが唯一の特異点だった。一瞬見逃してしまいそうである。
しかし、時間と言うのは余りにも大きく、『だけ』と表すには相応しくないほどの力がある。この世は皆、全て平等に時間と言う概念に縛られている。
チェルカは、そのたった一つの例外とも言える存在だ。
確かに、セレスだって不老不死である点においては生きる時間を無視していることになるため例外と言えば例外だが、それでもまだ縛られている。死なないと言うだけで、現在を進むしかない者だ。しかし、チェルカは違う。現在だけではない。過去も未来も行き来できる。時間を自由に操り、縛られることなく、それを使うことすらできる。
例外の拳を前に梛は、それを受けようとするわけでも、流そうとするわけでもなく、地を蹴りその場から全速力で逃げ出した。チェルカはもう重力に従って拳を降り下ろしているのだからそこまで遠くへは逃げられないが、それでも速く。恐らくチェルカが跳び自分の頭上に現れた辺りから思い切り逃げた。途中、固まったままの椿を抱えて、ほとんど目の前の木々に突っ込んでいくような形で。
すると、少ししてから梛が先程までいた場所を中心に地面が抉れ、クレーターが出来上がる。クレーターはどんどん広がり、それに足をとられた梛は派手に転んだ。しかし、転んだだけで済んだのだから幸運だったと言えよう。もしこれが直撃していたら、五体満足でいられる保証はない。
時間は掛け算だ。
チェルカの放った拳は、時間を纏った以外は純粋なチェルカの力であるため、ここまでの爆発的な力はない。
だが、これを何発、何十発、何百発と重ねていったらどうだろうか? それの力が全て等しくて、それらを全て一度に放つことができたらどうなるだろうか?
チェルカがしたことは、つまり、そういうことである。先程木から吸収した時間を全て拳に使った。結果、木が今まで生きた時間、そしてこれから生きることの出来た時間の分だけの量の拳が一度に集約されることとなったのだ。その数は一体何発分のものだったのだろうか。
「はははは」うつ伏せの状態から起き上がった梛が笑う。「流石ご老体。現役であることを示すために必死ですね」
そう無理をされるとお身体を悪くされますよ、と腰に下げた刀に手をやりながら言う。
「身体を悪くさせるのは君の方だろ」
また木に手を掛け、時間を奪いながらチェルカは言う。その顔には苦々しい笑みが張り付いており、梛が無傷であることと、刀に手を掛けさせてしまったことへ嫌気がさしているようだった。
「いえ、身体は悪くなりませんよ」
「斬る気満々の癖に何を」
「だってその状態で事切れれば悪くなることもなくなるじゃないですか」
開いてるかどうか分からない糸目が、一瞬開いたような気がした。
その、一瞬の間にズッという音と共にチェルカの身体がずれる。首と腕と上半身と下半身が別々の動きをしはじめて、それぞれの方向へと飛び、落ちていく。
それからやや遅れて、梛はいつの間にか抜いていた刀を鞘に戻した。
「…………え」
その光景を目の前で見ていたというのに、セレスが何が起きたのかを理解するために要する時間が一秒。
「いやいや、バラバラになったらこれ以上悪くならないとか意味分からないよね」
セレスが叫び出す前に、胴体から離れたチェルカの口が喋りだし、元の状態へ、斬られた部分がくっついていくのが一秒。
難なく復活したチェルカが、それから時間を纏わせた拳を放つのが二秒。
「……っ、バラバラにされてから反撃まで三秒ですか。まるで化け物ですね」
その衝撃をギリギリのところでかわした梛は冷や汗を垂らしながらそう言った。とてつもない爆発音と共に梛の後ろの木が木っ端微塵にされ吹き飛んでいく。恐らく、梛が寄越した剣士や魔術師たちなどがいくらか巻き込まれただろう。しかし、そんなことを気にしている余裕などあるはずもない。
「まるで、じゃなくて化け物だよ」梛の一言にチェルカはシニカルな笑みを浮かべて言う。「バラバラにされても生きてる時点で十二分に、ね」
そしてチェルカは地を蹴り空中で一回転しながらセレスのような動きで、いつの間にか時間を纏わせていた右足を梛の脳天めがけて降り下ろすのだった。
「また空中ですか。捻りがないですね」
「シンプルだからこそ強いんだよ」
「外しているのに何が強いのでしょう?」
残念ながらその足は斬られてしまい、梛に当たる前に宙を舞うことになってしまったのだが。




