06
椿から手を離したチェルカは、次にセレスの後ろに来てしゃがみ、セレスを支えるようにして肩を抱いた。そして苦々しい顔で言う。
「ごめんね。微妙に間に合ってなかったみたいだ。……取り敢えずナイフを外して、毒を戻すけどいいかい?」
「……? 毒を、戻す?」
毒の作用による高熱で思考がうまく回らなくなったセレスはその言葉の意味を理解できない。もしかしたら、通常の思考でも分からなかったかもしれないが。
「うん。とても申し訳ないんだけど、俺の力じゃ毒を抜くことはできないんだ。……血を抜き出して毒を取り除くとか出来たらよかったんだけどね。だから、毒を回る前の入ってきた位置まで戻して、そこで固定する。多分、ある程度毒の作用は残るだろうけど、一応毒が回ってそれ以上酷くなることはない」
眉間にシワを寄せて言うチェルカ。自分が一番納得していなさそうだ。それ以上のことをすることが出来ない自分に不甲斐なさを感じているのだろう。
「……まあ、君がなんと言おうとやるんだけどね」目を閉じ、息を吐き、刺さったナイフに軽く手を添えながらチェルカは言う。「不老不死だから死んでもいいなんて事はないんだよ」
そしてチェルカは一気にナイフを引き抜いた。手加減なく三本ともすべて抜いたのだが、不思議と痛みはなかった、とセレスは記憶した。もしかしたら、チェルカが痛みの伝達を時間を操作することによって防いでくれたのかもしれない。
確かにチェルカの言う通り、身体には鈍痛と若干の熱っぽさ、それから視界の不順が残った。だが、それ以上悪くなることはない。そればかりか、先程よりかは随分と良くなった方だ。身体は多少重いが、動けないわけではない。チェルカは申し訳なさそうな顔をしたが十分だった。
「さて、それじゃあさっさとここを抜けるよ」
セレスの膝の下に右腕を通し、セレスを姫抱きにして持ち上げると軽い口調でチェルカは言った。セレスはそんなチェルカに「歩けるから」と下ろしてもらうよう抵抗するのだが、「血が回ると毒が動くかもしれないから却下」とか言って聞き入れてもらえなかった。
「ここを、抜けて……どうするの?」
敵がどのくらい居るかは分からないが、ここを抜けたって襲われる気がするのに。この場所を抜けるつもりはあっても、この島から脱出する気は無いようだし、戦うのだとしたら尚更下ろした方が良さげだと考えてセレスは言ったのだが、チェルカはやはりそれを聞き入れようとはしなかった。
代わりに、少し怒ったような声色でこう答える。
「これから、あの変態男を探しだしてぶん殴る」
「変態男?」
「梛だよ。椿が出てきたってことは、当然やつが居るだろう? 実際、彼女は言われたからセレスを襲いに来たみたいだしね」
時間を固定されたまま動かない少女にちらりと視線をやるチェルカ。当分は戻すつもりはないようだ。厄介だと判断したのだろう。
「此方としては、貴方をぶん殴りたいぐらいなんですがねぇ」
少女に背を向けて場を移動しようとした時だった。頭上から、やけに柔らかいのんびりとした声が降ってくる。勿論、その声には聞き覚えがあり、チェルカは忌々しげに舌打ちをした。
「可愛い可愛い私のペットにこんなことをしてくれたんです。怒らない筈がないでしょう?」
梛はそう言って木から飛び降り、チェルカとセレスの目の前に着地する。木はかなりの高さがあり、梛はその天辺にいた筈なのだが、その着地音はとても静かなもので、羽が落ちた程度のものだった。
糸目の奥の瞳は見えず、その目にチェルカとセレスが映っているのかどうかは分からない。前に見たときと同じ、柔和な笑みを浮かべているため怒っているかも怪しかった。故に、考えが読めず下手に動けない。
「へえ、マゾが自ら殴られに来たんだ」
揺さぶるためか、チェルカは心底バカにしたような目で梛に視線をぶつけつつ、そんな軽口を叩いた。案外本音だったかもしれない。
「マゾとは誰のことでしょう?」
「君しかいないだろ。いいよ、俺の趣味じゃないけどいたぶってあげるよ。若者の教育も大人の仕事だよね」
自分が不死であることを既に言ってあるのだろう。チェルカはそう言って梛を見下すようにした。
そんなチェルカを梛は鼻で笑う。
「ご老体は大人しく引退したらどうでしょう? 折角だから、私が幕を引いて差し上げますよ」
「……セレス」チェルカは露骨に苛立った表情を見せて、セレスを静かに地面に下ろす。「ごめん、ちょっと離れてて」
それからチェルカは近くの木に手を伸ばす。すると木がどんどん枯れていき、次にどんどんと小さくなり、やがて消えてなくなった。
彼が今、何をしたのか。それを知るのは恐らく彼しかいない。
チェルカの右手が不思議な光を帯びる。それは若葉色のような、空色のような、茜色のような、群青のような、虹色のような、白色のような、黒色のような、無色透明のような、よくわからない光だった。
チェルカの専門分野は時間。
その右手の光には、たった今木から奪い取った未来と過去と現在、すべての時間が在る。
時間を宿した右手を固く握ると、チェルカは一気に駆け出し、跳び、梛の頭上からその拳を問答無用に降り下ろした。




