03
「……なんで知ってるか、訊いてもいい?」
警戒心を露骨に出しつつ、セレスは男に問う。別に、『記憶泥棒がいる』という噂だけならセレスも気にせず、会話もせず、記憶だけ奪っていただろう。しかし、こうして話しかけられてしまったことにより、セレスは確かめずにはいられなかったのだ。
どうして、この男は自分にそんな質問を投げ掛けたのか。
この男はどこまで自分のことを知っているのか。
消してきたと思っていた自分に関する記憶は、どこまで残ってしまっているのか。
すると男は、険しい顔のセレスに対してヘラヘラと腹の立つような笑みを浮かべて言うのだった。
「勘、かな」
「……勘?」
「そう。安心しなよ、誰も君が記憶泥棒だとは知らなかったよ。あるのは記憶泥棒の噂だけさ。俺は、その噂にちょっと興味があってあの町をプラプラしてたら、タイミングよく魔術で三人眠らせて去ってくやたらと足の速い女の子を見つけただけさ」
なるほど、目撃されていたのか。それはそれで問題だ、とセレスはいつでも駆け出せるように足に力を入れた。それから、右手にそっと魔力を集中させる。いつも通りタイミングを見計らって、一気に距離を詰めて魔術を発動し記憶を奪う、そのために。
「君ってば結構念入りに記憶を消していくんだね。そんなに目立つ髪色なのに、誰一人として君のことは知らない。逆に、それで俺は確信を得たんだけどね」
「……髪色に関しては、貴方だけには言われたくないよ」
「ごもっともだ」
男は可笑しそうにキヒヒと笑い、セレスはむすっとした顔のまま笑わなかった。
「取り敢えず、貴方が嘘をついてる可能性も無くはないけど……話はよくわかったよ」
ありがとう。と乾いた声でセレスは言い、溜めていた力を一気に解放させた。すると、爆発でも起こったかのように土が跳ね、セレスの姿が消える。否、消えたわけではない、高速で男の背後に回ったのだ。それから右手に集中させた魔力を男のこめかみに思いきりぶつける。いつも通り、記憶を奪うために。
「……吃驚したぁ」
いつも通り、記憶を奪えるはずだった。
魔術は確実に発動していて、男の頭を捉えていた筈だった。それなのに男は意識を奪われることなく直立していてヘラヘラと笑っている。記憶が光となってセレスの指輪に流れ込んでいる様子もない。それどころか、セレスの右腕は男の手によって、男の頭を捉えたまましっかりと捕まってしまっている。
「血の気が多いね。そんなに俺の記憶がほしかった?」
外見からは想像がつかないほど男の力は強い。押しても引いてもセレスの右腕はびくりともしなかった。これでは距離を置くことも、一旦逃げてから奇襲をかけることもできない。
「残念だったね、俺が普通の人間だったらいつも通りうまくいってたよ。……いや、普通の人間じゃなくても、上手くいってたかな? でも相手が悪かったね。俺じゃそれは通用しないよ」
男はクスクスと笑いながら、セレスの右腕をつかんだ状態のままくるりと体を回転させセレスと向き合う。そして左腕もつかんだ。その一連の動作に、どういうわけかセレスは全く反応できなかった。お陰で男の顔が突然此方を向いて、さらにいつの間にか両腕を拘束されたと感じ、恐怖に近い感情を覚えた。
「あっははは、変な顔」
「何をしたか……訊いてもいいかな?」
「簡単だよ。時間を操作しただけ」
腕は決して離さずに、男は軽い口調で言う。その口調があまりにも軽すぎたため、セレスは男の言葉を流してしまいそうになったのだが、よく考えてみればとても重要なことだった。
時間の操作。
それは当然のことながら、どんなに一流の魔術師であっても実現することはできない。それを、この男は『だけ』とまで言った。
「ねえ、どうせ俺の記憶を消すのは無理なんだしさ、もう少しゆっくり、詳しい話でもしない?」
「…………」
誰の記憶にも残りたくないセレスとしてはあまり良い提案ではなかった。しかし、この男の正体は、そんな自分の願望などどうでもよくなってしまうほど興味深いものだったため、セレスは無言で頷き抵抗をやめた。すると男の手が離される。セレスは逃げなかった。
「まずは君の名前を訊こうか? 名前は、ある?」
少しバカにしたような言い方。しかし、誰の記憶にも残らないのに名前などあるのだろうかと思われるのも当然のことだったので、なにも言わずセレスは答えることにした。
「セレス。セレスって名前のはずだよ」
言い慣れない自分の名前。果たして、最後に名乗ったのはいつだっただろうか、なんてセレスは心のなかで苦笑した。最後に名乗った日がいつだったのか、それはどんなに思い出そうとしても思い出せなかったので諦めることにする。
「そっか」男はセレスが素直に名乗ったことに満足そうな笑みを浮かべた。「俺はチェルカ。今はそう呼ばれてるよ」
「今は?」
「そう。今は。なんせ何百年も生きてるからね、時代によって呼び方が変わるのさ」
男改めチェルカは軽く言ったが、これまたとんでもない事実だった。