02
当然のことながら、セレスには帰る場所というものが存在しない。そして、人との関わりを出来るだけ無にするために宿というものも利用しない。つまり、セレスは女の子でありながら毎日転々とした場所で野宿をするという暮らしを送っていた。
もう夕暮れ時である。そろそろ今日の寝床を探さなければならない。
寝るんだったら地面よりも木の上がいいなぁ、なんて考えながら、セレスは町外れへと歩いていく。幸い、町外れには山があり森があるのだ。ただし、その場所が平和で静かなところだとは限らない。
「あーれれ?」
気が付けば、セレスは森のなかで数匹の狼のようなモンスターに囲まれていた。どうやらモンスターたちはセレスを獲物と判断したらしい。グルル……と唸り声をあげながら、セレスとの距離をじわじわと詰めてきている。いつ飛びかかってきてもおかしくない状況だ。
「困ったワンコたちだよ」
セレスはそんなモンスターたちをワンコ呼ばわり(分類的には一応あっている)して、やれやれといった風に眉を下げた。それから目つきを少しだけ変えると「おいで」なんて言う。まるで、遊んであげる、と言わんばかりに。
セレスの声を合図にモンスターたちは一斉に動き出した。それぞれが我先にと、セレスを噛み千切ろうと牙をむく。セレスはそれらから距離をおくわけでも、跳んで逃げるわけでもなく、その場で待ち構えた。
まず一番最初にセレスに辿り着いた狼の顎を膝で思い切り打ち上げる。次に左からやって来た狼の横っ面を、ついさっき狼を打ち上げた脚で体を捻りながら蹴り飛ばし、その近くにいた狼にぶつける。蹴りの勢いを利用して一気に体を半回転させると、自分の背後に回ってきた狼に急接近し掌底で顎を打ち抜く。
ただの純粋な身体能力。それだけを使って、セレスは狼を一匹ずつ丁寧に潰していった。
待ったも慈悲もなく、セレスは止まらない。すると狼たちは段々セレスがとんでもない化け物だったのだと理解し、尻尾を巻いて逃げようとする。
セレスはその瞬間を見逃さなかった。
「きっちり貰うまでは逃がさないよ」
たった今焼き付けた恐怖を、セレスに関する記憶を、例えそれがモンスターだろうと人間だろうと差別なく区別なくセレスは回収する。
全ての狼から光が放出されると、セレスはそれをまた指輪の中へ閉じ込める。そこでやっと、セレスの動きは止まった。終わってみれば呆気ない、ほんの一瞬の出来事だったが、セレスを中心に倒れた狼たちがそれが異常なことであるとしっかりと物語っていた。
一瞬の静寂。
静寂はすぐに破られ、パキリと何かを折ったような音がセレスの耳に響いた。何者かに見られたようだ。
目撃者を逃がすわけにはいかない。セレスは勢いよく音のした方へ振り返り、目撃者の姿を探した。だが、とても機敏な動きを披露したというのに、目撃者は実にあっさりと見付かった。
相手は男だ。
そして変な奴だった。
肉弾戦でモンスターたちを蹴散らしたセレスを目撃したにも関わらず、男は逃げることも声をあげることもせず、それどころか顔色ひとつ変えなかった。
「へえ、圧倒的だね」
「はぁ?」
更に感心したように声をかけてくる始末である。
まさかそんな行動に出られるとは夢にも思ってなかったセレスはすっとんきょうな声をあげ、思わず困惑してしまう。この男をどうしたらいいのか分からなくなる。
男はそこそこの長身で細身だ。その細身の体には似つかわしくないほど大きくてゴツいリュックを背負っており、服装からも彼が旅人だということを容易に想像できる。
セレスほどではないが特殊な髪色をしており、黒髪のなかに赤や緑、黄色など様々な色が散りばめられまるで虹だ。どうしてそんな髪色になったのか不思議で仕方ない。
顔はなかなか整っている。その整った顔が浮かべるのは、人懐こいような、人を小馬鹿にしたようななんとも言えない笑みだった。それはセレスにとって、決して愉快なものではない。
更に男は、セレスに対してもっと不愉快になるような言葉を投げ掛ける。
「ねえ、記憶泥棒って君のことだよね?」
誰の記憶にも残らない、残さない筈のセレスが、目の前の男にしっかりと記憶されていた。