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虹色幻想

紅と涙(虹色幻想4)

作者: 東亭和子

 紅子は私立和泉高等学校の一年生だ。肩までの栗色の髪と大きな目が特徴の可愛い顔立ちをしていた。紅子には秘密があった。それは大きな秘密だった。

 紅子が入学してから、半年たった。季節は夏だ。もうすぐ夏休みがやってくる。授業も半日にさしかかっていた。

「またね~」

 紅子はクラスメイトに別れを告げ、廊下を急ぐ。向かった先は、化学準備室。

 紅子は周りを確かめ、誰もいないことを確認すると勢いよくドアを横に引いた。準備室の奥に白衣を着た男がいた。男は盛大な音に驚き、ドアを振り返る。

「紅!静かに開けなさい」

 男は眼鏡を中指で押し上げ、紅子に向かって静かに言った。男は長い前髪で目が隠れそうだった。それが少し陰気な印象を与えた。紅子は笑いながら部屋に入った。後ろ手でドアを閉める。そして弾むように男に近寄る。

「ねえ裕ちゃん、今日は何時に帰ってくるの?」

 紅子は甘えた声をだし、白衣にしがみつく。

「ここは学校だぞ、気をつけろ」

 裕一は紅子を白衣からはがして言った。紅子は頬を膨らませた。裕一はため息をつき、腕時計を見た。一時だった。

「もうすぐ帰れる。先に帰っていろ」

 紅子はその答えを聞くと喜び、頬を赤く染めた。

「分かった。じゃーね、ダーリン☆」

 裕一に向かって投げキッスをして、準備室を出て行った。裕一はドアを見つめていたが、やがてため息をついた。


 家は学校から電車で三十分のところにあった。学校からは十分遠く、生徒に出会う心配はない。紅子はうきうきしながら帰宅した。マンションは駅から徒歩十分。二人の家は三階にあり、2LDkの部屋だった。玄関を入ると左手にバス、トイレ。右手にリビング、ダイニング。正面には寝室があった。

 紅子は正面のドアを開け、鞄を下ろす。制服を着替え、エプロンをする。台所に行き、もうすぐ帰ってくる裕一のために、昼飯を作る準備をした。冷蔵庫を覗くと、人参、蟹カマ、ウインナー、卵、長ネギを取り出す。紅子は手早くチャーハンを作った。

 二人が出会ったのは、一年前だった。紅子の父の知り合いの息子が裕一だった。裕一には両親はなく、天涯孤独の身の上だった。裕一はその時、すでに教員として働いていた。紅子の父が無理に頼んで、家庭教師として来てもらったのだ。受験のため、紅子は裕一から勉強を教えてもらった。分かりやすい教え方と、真面目な人柄に紅子は惹かれた。

 どんなに紅子がアタックしても、裕一は無言を通した。眼鏡の奥の瞳を少しも動かさず、紅子をかわし続けた。子供の戯言だと、裕一は思っていたようだ。そんな裕一を振り向かせるにはどうしたら良いのか、紅子には分からなかった。だから紅子はがんばって勉強するしかなかった。せめて、裕一に褒めてもらおうと。

 そして紅子は高校に合格した。もう、裕一とは会えなくなってしまう。紅子は想いを告げに、裕一の家を訪れた。裕一は困った顔をした。紅子は裕一を押し倒して、キスをした。

 精一杯の想いを拒否されて紅子は悔しかった。子供と見られることが悔しかった。紅子は裕一に乗っかったまま涙を流した。

 まいった、と言って裕一は紅子の涙を拭った。認めたくなかったんだ、と裕一は苦笑して言った。こんな小娘に煩悩するなんて、と。

 そうして二人は結婚した。

 玄関のチャイムが鳴る。紅子は急いで玄関に向かった。


 今日は終業式だった。明日から夏休みだ。明日からはずっと裕一といられる、と紅子は喜んだ。もちろん、宿題のことなど忘れている。毎日を裕一とどう過ごそうか、とずっと考えていた。

「紅子、今日カラオケ行かない?」

「いいよ」

 友達づきあいも大切だ。紅子は裕一にメールを送った。コレで良し。

 紅子と友達はカラオケに向かった。カラオケが終わった後、友人の誘いを断り電車に乗った。裕一にメールを送る。きっと裕一は駅で待っていてくれるだろう。一緒に帰ることなどないことなので、嬉しかった。改札前に裕一の姿を見つけ、紅子は微笑んだ。

「ただいま」

 紅子は裕一に抱きついた。おかえり、と裕一は紅子の頭をなでた。二人は腕を組んで歩いた。今日は裕一が夕飯を作ってくれたらしい。

「夕飯は何?」

「ハンバーグ」

 裕一は一人暮らしが長かったため、料理はうまい。紅子は喜んで言った。

「じゃあ今日は一緒にお風呂に入ろうよ」

「この真夏に?」

「いいじゃん、ねぇ~?」

「嫌だ」

 紅子は口を尖らせ、頬を膨らませた。裕一は膨らんだ紅子の頬をつつく。

「じゃあ、寒くなったら一緒に入ろうね!」

「…」

 二人の声が夜空に溶けていった。


 それからの長い夏休みを、紅子は楽しく過ごした。友達とプールへ行ったり、裕一とドライブへ行ったり、実家へ帰ったり、夜は遅くまで起きて裕一とDVDを見たりした。

 八月の半ば、裕一は登校日のために学校へ向かった。裕一は二年のクラスを受け持っていた。そのため、半日学校へ行かねばならなかった。

「いってらっしゃい」

 紅子は玄関で裕一を見送った。行ってきます、と裕一が答えた。裕一に手を振りながら、紅子は考えていた。そしてニヤリと笑った。

 いいことを思いついた、と。

 裕一はホームルームを終えて、職員室へ向かった。登校日と言っても授業はなく、生徒の元気な姿を確認するだけだった。裕一の席は職員室の真ん中にあった。机の上に名簿を置く。とくにやることがないので、今日はもう帰ろうと思っていた。

 裕一が紅子と結婚したのは、純粋な彼女の想いに惹かれたからだった。一途な彼女の想いを心地よいものと思っていた。裕一は幸福だった。紅子との秘密の生活を楽しんでいた。紅子が無事に卒業するまで、秘密を守る自信があった。裕一は地味だったから、誰も疑うことはないと確信していた。

 さて、帰ったら紅子とどこかへ出かけようか、と考えていた。

 すると職員室へ女子生徒が来て鍵を探している。

「先生、化学準備室の鍵がないよ」

 女子生徒は近くにいた小沢先生に声をかけている。

「ない?そういえば、西崎先生」

 小沢先生は裕一を見て手招きした。

「先生、鍵持ってないですか?」

「ああ、あります」

 白衣のポケットに入っている。

「でも、化学準備室に用事でもあるのかい?」

 裕一の問いかけに、少しためらいを見せた後に女子生徒は話した。

「さっき化学準備室の前を通ったら、すすり泣きが聞こえたんです」

 それで確認しようと、声をすぼめて言った。

「分かった。確認しておこう」

 裕一が答えると女子生徒は安心した顔をして去っていった。ポケットの鍵を握り締めながら、裕一はこの学校の不思議を考えていた。

 化学準備室に不思議などあっただろうか?

 裕一が知っている限りでは、ない。

 ではすすり泣きとは一体?

 不思議に思いながら、準備室の前に立つ。確かにすすり泣きが聞こえた。

 裕一は鍵を回して、準備室に入っていった。


 真っ暗な室内はシンとしていた。すすり泣きは止んでいた。裕一は手探りで電気のスイッチを探す。そして、いつものように電気をつけた。

 正面に紅子がいた。

「紅?」

 裕一は驚いて紅子に近寄った。紅子は座り込み、目を赤く腫らしていた。

「裕ちゃん~」

 紅子は裕一に抱きついた。裕一はわけが分からず、とりあえず紅子を抱きしめた。

「裕ちゃんを驚かせようとして、忍び込んだの。そしたら、暗くて足を角にぶつけたの。すんごく痛くて~」

 泣いていた、という。裕一はぐったりした。

「危ないだろうが」

 もし生徒がここを開けたらどうするつもりだったのか。裕一はため息をついた。泣きじゃくる紅子のおでこをなで、裕一は苦笑した。

 いつも紅子には驚かされる。退屈しない。

「もう、ここに忍び込むなよ」

 裕一は職員室へ戻った。小沢先生がソワソワしながら待っていた。

「どうでした?」

「調べてみましたが、何も無かったです」

「すすり泣きは?」

「聞こえませんでした」

 そうですか、と残念そうに小沢先生は言った。それでは、と裕一は小沢先生に別れを告げ、職員室を出て行った。

 紅子は駅で裕一を待っていた。見つかったらどうするんだ、裕一が眉を潜めて言っても紅子は平気よ、と言って腕を組んだ。

「明日、琴子とプールに行くの」

 紅子は楽しそうに言った。その無邪気さに裕一は少しむっとした。水着を着れないくらいにキスマークをつけてやろうか。今日のお仕置きとして。

 それはいい考えだ。裕一は口元を緩ませた。

「何かいいことでもあった?」

 紅子が裕一の顔を覗きこんで聞いた。

「いや、これからあるのさ」

 裕一は紅子を抱き上げた。紅子は喜んで、裕一の首に抱きついた。

 蝉がせわしく鳴いていた。青い空が高く、太陽がまぶしかった。


 夏休みが終わって学校へ行ったら、不思議が一つ増えていた。

 化学準備室のすすり泣く女の声。

 裕一は苦笑した。きっとこの学校の不思議はこうして出来たのだろう。

 紅子との秘密の生活は、あと二年半続く。

 退屈しなくて済みそうだ、と裕一は微笑んだ。


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