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第三幕 仏法  第二場面 善なるもの

No.108


第二場面 善なるもの


   竹林。


作家 (下手より登場し、客席に語りかける)先ほどの私は、仏陀に対して、永遠や、魂、死後というものに対しての疑問を尋ね、それらが清浄の修行、即ち梵行の役に立たないという事を面前で証明され、理解しました。そして、次は、知性界や、神について、善行や悪行、徳や不徳とは何かについて、尋ねてみたいと思います。私の演じる役割は先ほどと同様です。

 では、始めましょう。


   暗転。

   スポットライトが作家に当たる。

   作家は僧侶の格好をしている。


作家 (モノローグ)或る人々は、善なるものを論じて、一つである者であると説く。

 また、或る人々は、善なるものを論じて、永遠不変の姿形であると説く。

 また、或る人々は、善なるものを論じて、ただ一つの創造主であると説く。

 また、或る人々は、善なるものを論じて、永遠不変の道であると説く。

 仏法の梵行も、また善なるものへ向かう方法であるはずであるが、一体、如何なる善なのであろうか。これらの内の一つであろうか。それとも、これら全ての要素が含まれた複合的な善であろうか。


   スポットライト消える。

   夕方の竹林。

   仏陀、中央で客席側を向いて、座禅をしている。

   作家、下手より歩いて行き、仏陀を礼拝して、傍らに座る。


作家 世尊よ、私は、世尊の教えを信じているつもりでありますが、どうしても、私の中に疑問があり、それが私の念の障害となっております。その疑問を世尊にお尋ねしてもよろしいでしょうか。

仏陀 (眼を開ける。沈黙して同意する)

作家 世間の或る人々は、善なるものを論じて、一つである者であると説きます。

 また、或る人々は、善なるものを論じて、永遠不変の姿形であると説きます。

 また、或る人々は、善なるものを論じて、ただ一つの創造主であると説きます。

 また、或る人々は、善なるものを論じて、永遠不変の道であると説きます。

 仏法における善とは、これらと同じでありましょうか。それとも違うものなのでしょうか。


   間。


仏陀 善は因縁によって成立する。善は正しい思念によって成立する。その様に理解すれば、誰も様々な見解によって生ずる妄執に陥る事はないであろう。

作家 しかし、世尊よ、

 善は一つである者であると説く人々も、また正しい思念があると言うでしょう。

 或いは、善は永遠不変の姿形であると説く人々も、また正しい思念があると言うでしょう。

 或いは、善はただ一つの創造主であると説く人々も、また正しい思念があると言うでしょう。

 或いは、善は永遠不変の道であると説く人々も、また正しい思念があると言うでしょう。

仏陀 だが作家よ、

 善なるものを論じて、一つである者であると説く人々は、正しい思念が存在しない時に、善が成立する事を説く事ができないであろう。

 或いは、善なるものを論じて、永遠不変の姿形であると説く人々は、正しい思念が存在しない時に、善が成立する事を説く事ができないであろう。

 或いは、善なるものを論じて、ただ一つの創造主であると説く人々は、正しい思念が存在しない時に、善が成立する事を説く事ができないであろう。

 或いは、善なるものを論じて、永遠不変の道であると説く人々は、正しい思念が存在しない時に、善が成立する事を説く事ができないであろう。

作家 それでは、世尊よ、正しい思念が存在しない時に、如何にして善なるものが成立するのでしょうか。

仏陀 作家よ、それは、正しい見解によってである。

 では、何が正しい見解であろうか。それはあるがままに見て、知る事である。

 あるがままに、肉体の成立と消滅を見て、知る事である。

 あるがままに、感覚の成立と消滅を見て、知る事である。

 あるがままに、表象の成立と消滅を見て、知る事である。

 あるがままに、意志の成立と消滅を見て、知る事である。

 あるがままに、意識の成立と消滅を見て、知る事である。

 では、作家よ、

 肉体の成立とは何であろうか。

 感覚の成立とは何であろうか。

 表象の成立とは何であろうか。

 意志の成立とは何であろうか。

 意識の成立とは何であろうか。

 作家よ、何時も人間は歓喜し、喜びの声を上げて、繋縛けばくされて来たのである。

 では、何に歓喜し、喜びの声を上げて、繋縛されるのであろうか。

 肉体に歓喜し、その喜びにおいて繋縛されるのである。

 感覚に歓喜し、その喜びにおいて繋縛されるのである。

 表象に歓喜し、その喜びにおいて繋縛されるのである。

 意志に歓喜し、その喜びにおいて繋縛されるのである。

 意識に歓喜し、その喜びにおいて繋縛されるのである。

 そして、これらに繋縛される事によって、喜心が成立する。喜心の成立によって想起が成立する。想起の成立によって思考が成立する。思考の成立によって妄執が成立する。妄執の成立によって感情が成立する。感情の成立によって欲求が成立する。欲求の成立によって取著が成立する。取著の成立によって輪廻が成立する。輪廻の成立によって生まれる事が成立する。生まれる事の成立によって肉体、感覚、表象、意志、意識が成立する。

 作家よ、

 これが肉体の成立である。

 これが感覚の成立である。

 これが表象の成立である。

 これが意志の成立である。

 これが意識の成立である。

 では、作家よ、

 肉体の消滅とは何であろうか。

 感覚の消滅とは何であろうか。

 表象の消滅とは何であろうか。

 意志の消滅とは何であろうか。

 意識の消滅とは何であろうか。

 作家よ、目覚めた人間は歓喜せず、喜びの声を上げず、繋縛されないのである。

 では、何に歓喜せず、喜びの声を上げず、繋縛されないのであろうか。

 肉体に歓喜せず、それに喜ばず、繋縛されないのである。

 感覚に歓喜せず、それに喜ばず、繋縛されないのである。

 表象に歓喜せず、それに喜ばず、繋縛されないのである。

 意志に歓喜せず、それに喜ばず、繋縛されないのである。

 意識に歓喜せず、それに喜ばず、繋縛されないのである。

 そして、これらに繋縛されない事によって、喜心が消滅する。喜心の消滅によって想起が消滅する。想起の消滅によって思考が消滅する。思考の消滅によって妄執が消滅する。妄執の消滅によって感情が消滅する。感情の消滅によって欲求が消滅する。欲求の消滅によって取著が消滅する。取著の消滅によって輪廻が消滅する。輪廻の消滅によって生まれる事が消滅する。生まれる事の消滅によって肉体、感覚、表象、意志、意識が消滅する。

 作家よ、

 これが肉体の消滅である。

 これが感覚の消滅である。

 これが表象の消滅である。

 これが意志の消滅である。

 これが意識の消滅である。

 作家よ、これが、正しい思念が存在しなくても存在する善である。即ち、正しい見解である。

 もし、善なるものを論じて、一つである者であると説く人々が、この様に人間の五つの構成要素の成立と消滅という正しい見解を持たず、その思念において、『この善は他の善より優れている』と思ったり、また、『この善は他の善に等しい』と思ったり、また、『この善は他の善より劣っている』などと思ったりするならば、この人間の構成要素より生ずる善なるものを、あるがままに見て、知っているとは言えないのである。

 或いは、善なるものを論じて、永遠不変の姿形であると説く人々が、この様に人間の五つの構成要素の成立と消滅という正しい見解を持たず、その思念において、『この善は他の善より優れている』と思ったり、また、『この善は他の善に等しい』と思ったり、また、『この善は他の善より劣っている』などと思ったりするならば、この人間の構成要素より生ずる善なるものを、あるがままに見て、知っているとは言えないのである。

 或いは、善なるものを論じて、ただ一つの創造主であると説く人々が、この様に人間の五つの構成要素の成立と消滅という正しい見解を持たず、その思念において、『この善は他の善より優れている』と思ったり、また、『この善は他の善に等しい』と思ったり、また、『この善は他の善より劣っている』などと思ったりするならば、この人間の構成要素より生ずる善なるものを、あるがままに見て、知っているとは言えないのである。

 或いは、善なるものを論じて、永遠不変の道であると説く人々が、この様に人間の五つの構成要素の成立と消滅という正しい見解を持たず、その思念において、『この善は他の善より優れている』と思ったり、また、『この善は他の善に等しい』と思ったり、また、『この善は他の善より劣っている』などと思ったりするならば、この人間の構成要素より生ずる善なるものを、あるがままに見て、知っているとは言えないのである。

 しかし、如何なる人々でも、善なるものを論じるにあたり、この様に人間の五つの構成要素の成立と消滅という正しい見解を持っているならば、その思念において、『この善は他の善より優れている』と思わず、また、『この善は他の善に等しい』と思わず、また、『この善は他の善より劣っている』などと思わず、この人間の構成要素より生ずる善なるものを、あるがままに見て、知っているが故に、正しい見解によって、正しい思念をする、善なる存在であると言えるのである。

作家 しかし、世尊よ、その正しい見解と思念による善は、永遠不変なのではないでしょうか。

仏陀 作家よ、そうではないのである。

 では、作家よ、これらの事に答えなさい。

 この肉体は、永遠不変であるだろうか、それとも変移し、無常なるものであるだろうか。

作家 この肉体は、変移し、無常なるものであります。

仏陀 それでは、この感覚は、永遠不変であるだろうか、それとも変移し、無常なるものであるだろうか。

作家 この感覚は、変移し、無常なるものであります。

仏陀 それでは、この表象は、永遠不変であるだろうか、それとも変移し、無常なるものであるだろうか。

作家 この表象は、変移し、無常なるものであります。

仏陀 それでは、この意志は、永遠不変であるだろうか、それとも変移し、無常なるものであるだろうか。

作家 この意志は、変移し、無常なるものであります。

仏陀 それでは、この意識は、永遠不変であるだろうか、それとも変移し、無常なるものであるだろうか。

作家 この意識は、変移し、無常なるものであります。

仏陀 もしこれらが変移し、無常なるものであるならば、これらは楽であろうか、苦であろうか。

作家 これらは苦であります。

仏陀 これらが変移し、無常なるものであり、苦であると見て、知っているならば、これらは我が所有物である、これらは我が意志より成立したものである、これらは我が外なる意志より成立したものである、とするのは正しいであろうか。

作家 世尊よ、これらは我が所有物である、これらは我が意志より成立したものである、これらは我が外なる意志より成立したものである、とするのは正しくありません。

仏陀 それならば、作家よ、あらゆる肉体における善なるものは、それが過去の肉体であれ、未来の肉体であれ、また現在の肉体であれ、変移し、無常なるものであり、苦であり、我が所有物では無く、これらは我が意志より成立したものでは無く、これらは我が外なる意志より成立したものでは無い、とするのが正しいであろう。

 また、作家よ、あらゆる肉体における善なるものは、それが内なる肉体であれ、外なる肉体であれ、美しい肉体であれ、醜い肉体であれ、優れた肉体であれ、劣った肉体であれ、大きな肉体であれ、小さな肉体であれ、その区別、分類に関係なく、変移し、無常なるものであり、苦であり、我が所有物では無く、これらは我が意志より成立したものでは無く、これらは我が外なる意志より成立したものでは無い、とするのが正しいであろう。

 また、作家よ、あらゆる感覚における善なるものは、それが過去の感覚であれ、未来の感覚であれ、また現在の感覚であれ、変移し、無常なるものであり、苦であり、我が所有物では無く、これらは我が意志より成立したものでは無く、これらは我が外なる意志より成立したものでは無い、とするのが正しいであろう。

 また、作家よ、あらゆる感覚における善なるものは、それが内なる感覚であれ、外なる感覚であれ、美しい感覚であれ、醜い感覚であれ、優れた感覚であれ、劣った感覚であれ、大きな感覚であれ、小さな感覚であれ、その区別、分類に関係なく、変移し、無常なるものであり、苦であり、我が所有物では無く、これらは我が意志より成立したものでは無く、これらは我が外なる意志より成立したものでは無い、とするのが正しいであろう。

 また、作家よ、あらゆる表象における善なるものは、それが過去の表象であれ、未来の表象であれ、また現在の表象であれ、変移し、無常なるものであり、苦であり、我が所有物では無く、これらは我が意志より成立したものでは無く、これらは我が外なる意志より成立したものでは無い、とするのが正しいであろう。

 また、作家よ、あらゆる表象における善なるものは、それが内なる表象であれ、外なる表象であれ、美しい表象であれ、醜い表象であれ、優れた表象であれ、劣った表象であれ、大きな表象であれ、小さな表象であれ、その区別、分類に関係なく、変移し、無常なるものであり、苦であり、我が所有物では無く、これらは我が意志より成立したものでは無く、これらは我が外なる意志より成立したものでは無い、とするのが正しいであろう。

 また、作家よ、あらゆる意志における善なるものは、それが過去の意志であれ、未来の意志であれ、また現在の意志であれ、変移し、無常なるものであり、苦であり、我が所有物では無く、これらは我が意志より成立したものでは無く、これらは我が外なる意志より成立したものでは無い、とするのが正しいであろう。

 また、作家よ、あらゆる意志における善なるものは、それが内なる意志であれ、外なる意志であれ、美しい意志であれ、醜い意志であれ、優れた意志であれ、劣った意志であれ、大きな意志であれ、小さな意志であれ、その区別、分類に関係なく、変移し、無常なるものであり、苦であり、我が所有物では無く、これらは我が意志より成立したものでは無く、これらは我が外なる意志より成立したものでは無い、とするのが正しいであろう。

 また、作家よ、あらゆる意識における善なるものは、それが過去の意識であれ、未来の意識であれ、また現在の意識であれ、変移し、無常なるものであり、苦であり、我が所有物では無く、これらは我が意志より成立したものでは無く、これらは我が外なる意志より成立したものでは無い、とするのが正しいであろう。

 また、作家よ、あらゆる意識における善なるものは、それが内なる意識であれ、外なる意識であれ、美しい意識であれ、醜い意識であれ、優れた意識であれ、劣った意識であれ、大きな意識であれ、小さな意識であれ、その区別、分類に関係なく、変移し、無常なるものであり、苦であり、我が所有物では無く、これらは我が意志より成立したものでは無く、これらは我が外なる意志より成立したものでは無い、とするのが正しいであろう。

 さて、作家よ、この様に正しい見解を持ち、正しい思念をする、如来の聖なる弟子達は、肉体を厭い離れ、感覚を厭い離れ、表象を厭い離れ、意志を厭い離れ、意識を厭い離れる。

 この肉体、感覚、表象、意志、意識という五つの構成要素を厭い離れる事によって、それらにより成立する善なるものを貪る事から離れる事ができる。

 善なるものを貪る事から離れる事により、善を繰り返す生涯という輪廻から解脱する。

 善を繰り返す生涯という輪廻から解脱する事により、自己の存在が完全に了解され、証明される。

 自己の存在が完全に了解され、証明された事により、今までの、繰り返された迷いの生涯はすでに尽きたという自覚が生じ、この最後の肉体が消滅すれば、生まれる事の無い、老いる事の無い、病にかかる事の無い、死ぬ事の無い、一切の苦しみの無い、安らぎである涅槃に至る事ができるのだと、知る事ができるのである。


   幕が閉じる。

   第三幕終わり。



               『妄執と真実』終わり




参考・引用

 『阿含経典(一~三巻)』 

 増谷文雄編訳  ちくま学芸文庫



『仏法について』

No.109 四聖諦について

No.110 苦について

No.111 十二因縁について

No.112 五蘊・六処について

No.113 渇愛について

No.114 漏について

『十九行道について』

No.115 三十七道品 四念住

No.116 三十七道品 四精進

No.117 三十七道品 四如意足

No.118 三十七道品 五根

No.119 三十七道品 五力

No.120 三十七道品 七覚支

No.121 三十七道品 八正道

No.122 八解脱

No.123 八勝処 

No.124 十遍処

No.125 四禅

No.126 観の知

No.127 意の知

No.128 六神通 神足通

No.129 六神通 天耳通

No.130 六神通 他心通

No.131 六神通 三明 宿命通

No.132 六神通 三明 天眼通

No.133 六神通 三明 漏尽通

以上の説明を上げる予定でしたが、経典の引用が大部分となる為、止めることにしました(作品ではないため)。

タイトルだけ掲載します。


参考

 『パーリ仏典 中部1~6』

 『パーリ仏典 長部1、2』

 片山一良訳  大蔵出版

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