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7話 愛と、お金と、現実と

 調査班チーフの太田和義と新米探偵である渡来千春が依頼主のもとを訪ねている間、探偵歴5年のベテラン調査員小栗弘哉は件のワゴンRの男の自宅に向かっていた。

一行の住所を頼りに確実に目的地に着けるのは、彼がこの仕事で身に着けた特技の一つだった。関西地方であれば、もう大体の地図が頭の中に入っている。夜の帳が降りる中、最近愛用している調査用車両の白いアルトを迷うことなく走らせてあっという間に男のアパート前に到着した。即座に、上司に連絡を入れる。


 「もしもし太田さん? 今到着しました。ワゴンRありますよ。家の電気付いてますし、男の嫁さんの赤い自転車もあります。万がいち中で修羅場になってたら、どないしましょう? 」


 「何言うてんねん。ミセスが中におるわけないやろ」


 「今から在宅確認しますわ。何かええネタあります? 」


 「この間国勢調査のアンケート入れたで。カッチリスタイルで行ったってや」


 「りょーかいっす。ほな、5分後行きます」


 「気ぃつけてな」


 電話を切り、小栗は間髪入れずに自分のバッグから分厚い名刺入れを取り出した。

 その中から“国勢調査委員証”と印字された一枚のカードを出して首から下げる青い紐が付いた名刺ホルダーに入れ替え、身に着けた。顔写真も印鑑も本物さながらだが、油断は出来ない。気を引き締めるためにいつもは口にしないミントガムを一粒食べながら、やや長身の体を器用に動かして車のトランクに隠してあったブラックスーツに着替えた。最後に靴を履き替え、腕章と紙袋を提げてたったの3分。これも日常であまり役立たない特技の一つだ。

 通りの少ない道路のわきにアルトを停めてから、小栗は悠然と敵地へと向かった。



 「ちーちゃん」


 「はい? 」


 「俺、これから近所の方の男ン家に行って来るわ」


 はい、と言いかけて私は口を噤んだ。何かがおかしい。


 「…えっ? 」


 「ここでちょっとだけ待ってて」


 「ここで、ですか? 」


 「家の中ちゃうで、外や。張り込みしててほしいねん」


 一瞬言葉に詰まってしまった。いくら寒くは無い時期とはいえ、辺りはすでに真っ暗だ。閑静な住宅街で、人通りも少ない。私は特別いじらしい少女でもないが、人けの無い暗闇はやはり怖い。

 戸惑っている私を見て、太田さんが含み笑いの顔になった。


 「例のアレを持っとき。俺の車に積んであるから」


 それじゃあ一旦失礼します、と二階に向かって声を張り上げ、荷物をまとめてふたりで岡本邸を後にした。

 運転席側のシート下に入っていた例のアレは、一目でサブカルチャー系だとわかる棒状のケースに収納されていた。パチン、パチンと金具を開けて中身を取り出すと、太田さんがそれを投げてよこした。見た目よりは重くない。


 「ここのトリガーを引くと電気が流れんねん。有事の際は、男だったら急所、女ならどこでもええから思いっきりやり。遠慮したらアカンで。殺すつもりでいきや」


 えらく物騒な指示だったが、取りあえず頷くしかなかった。持ち手に付いているストラップを手首にぐるぐる巻きにして、しっかりと持った。


 「そこの空き地に立って、待ち合わせのフリして。20~30分で戻って来るから」


 「はい」


 「ナンパされたらこう言うんやで。“ゴメンネニホンゴワカラナイ”って」


 「・・・! なるほど、了解しました」


 「ほなね、気ぃ付けてな」


 その筋の人っぽい黒セダンを発進させ、太田さんは行ってしまった。渡されたスタンロッド(スタンガンのような警棒? )は、引き金を引くと勢い良く伸びて電流を帯びる仕組みになっている。

 岡本邸のほぼ真向いに位置する空き地の傍らにあるポプラの木に隠れ、スマホを弄るふりでやり過ごす事にした。月明かりが綺麗だった。




 「---どうやった、小栗? 」


 「いやぁ、太田さんさすがやわ! ちょうどのタイミングでした」


 十分後、国勢調査員に扮してワゴンRの男の家を調査していた小栗は、ひと段落して上司に電話報告をしていた。


 「おれがピンポン押したら嫁さん出はって、男も後から玄関先に来たんですけど…そん時ちょうどですわ! 携帯鳴ったの。もう、コント見てるみたいでしたわ」


 そう、ミセスの携帯は、千春が調べた後太田が預かっていた。小栗のGOサインからピッタリ五分後に、男の携帯に着信を入れたのだ。まるで悪趣味なバラエティ番組だが、しかしこれも仕事。勿論、真面目にやっているんやで。


 「すぐに切られたから俺笑ってもうたわ。慌てたやろなぁ」


 「嫁さん、“何よアンタそれ? ”って言うてましたよ」


 「せやんなぁ、あの後男からメール来たしな? 速攻で」


 「何て来たんすか? 」


 「“しつこい死ね”やて。怖いやろ」


 それを聞いた小栗は、この事件の経緯を何となく理解した。


 「…あぁ、なるほど。“死ね”って、大概やわ。女に“死ね”て」


 「今日の朝も、多分男の方からミセスの家に行ったんやろうな。ミセスが呼びつけたんやなくて」


 「縁切り、すか? 」


 「せやろな。今までもろてた金も全部返したんやろうな。ほんでミセスは荒れて何も持たんと家を飛び出して…。

 せやけどミセスは多分基本的に“構ってちゃん”やからな。飛び出したついでに近所のキープ男の家行って、これから死ぬだの裏切られただの言いに行ったんちゃうか」


 「うわ、面倒なタイプや。男も帰すに帰せないんちゃいます? 」


 「多分な。そのうちに子供が帰ってくる時間になってもうて、膠着状態に入ったんやろ」


 「ミセスの旦那はどないでした? 」


 「電話とえらい違ったわ。ボロクソ言うてたで。ちーちゃんのあんな目初めて見たわ。自己中オジサンって言うてたもん」


 「ははは…ホンマにっすか? キツかったやろ? って訊いてみて下さいよ」


 「今隣におらへんで」


 「…は?! 何で? 今太田さんだけっすか? 」


 「ミセスん家に置いてきてもうた」


 「ーーーはぁ、何言うてんすかもう。太田さんオモんないっすよ? 」


 「ホンマやで。ミセスが帰って来たり、依頼主がどっか行かないか、今張ってるわ」


 「1人で、ですか?! 」


 「おう。電気ロッド持ってるから多分大丈夫や。はよ迎え行ってあげて」


 太田が語末を言い切る前に電話は切れていた。小栗もちょっと切れていたかもしれない。

 滑らかな黒いハンドルを握る右手をちらっと見る。ギラリと光るシルバーのロレックスの文字盤は7時半を指していた。予想していたより随分早く解決しそうだが、小栗を一体どこに連れて行ってやろうか?

 バーでもキャバクラでも、何なら風俗でも良いが、とりあえず心ある上司として千春と長時間二人きりにするのは(まだ)避けてやりたい。とっととミセスを見つけて、依頼主の自己中オジサンに突き返さなければ。

 SNSに臆面もなく書かれていた“四条畷高校向かいのアパート”はわりとすぐに見つかり、2×2部屋のうち明かりがついていたのは2部屋だった。1階と2階のどちらも南側の部屋で、ベランダの様子からはどちらが“アタリ”なのか判別できなかったが、太田は速やかに両方のドアノブに豹柄のバスタオルが入ったコンビニ袋を掛けて、受信機を手に車に戻った。

 危険な手かもしれないが一応袋にメモを貼っておいたし、短時間であればよくやる方法だった。


 “ベランダに落ちていました。違ったら101号室前に置いといて下さい”


 バスタオルの中には、もちろん盗聴器が入っていた。

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