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6話 男と、女と、結婚と

 ミセス・ハイブリッド邸こと岡本家の敷地は、およそ70坪。決して無駄に大きくは無いが、広くて小奇麗な作りの家屋と、色んな種類の花が咲き誇る庭。御主人の愛車が赤いアウディ、奥さんが白いプリウスで、どちらもきれいに磨かれている。どう見ても、この家族が俗にいうお金持ちであることは明白だった。


 「依頼主の岡本さんは、公療会っちゅう医療法人の理事なんやて。“いかにも”やろ? 」


 「ブルジョアですね…」


 「そう。ブルジョワやねん。俺ら労働階級の平民には、縁のない肩書や」


 夫妻の車を停めるスペースのほかに、もう一台分来客用の駐車スペースが空いていた。誠に奇妙な話だが私達は対象者の自宅に堂々と車を停め、玄関のチャイムをこれまた堂々と押した。

 インターホンのスピーカー越しに、はい、と男性の声が答えた。太田さんが躊躇なく名乗る。


 「突然お訪ねして申し訳ありません、アイビー探偵社の太田です。一度お話をお伺いしたいのですが」


 隣に居た私は驚いた。まるでアナウンサーのように、非の打ち所のない標準語だった。相談役としての顔だろうか、横顔が信じられないほどキリリとしている。完全にあの太田さんとは別人だった。


 スピーカーからプツッと小さな音がして数秒後に、モザイクガラスがはめ込まれた重厚なドアが開いた。頭の薄い、全体的に細長いシルエットの男性が警戒しながらも私たちを中に招き入れた。

 玄関口にはおとなしそうな男の子が立っていた。年子らしいので兄弟のどちらなのか分からないが、やはり私達はこの子にも警戒されているようだった。


 「…この子は上のせがれです。こちらへ」


 岡本氏は怒ったようにリビングを指さした。奥に踏み込むと、いかにもインスタントっぽい食事の匂いがまだ部屋に残っていた。得体の知れない罪悪感が私を襲った。すれ違った時、男の子の目の周りがチークを塗りたくったようにぼんやり赤くなっているのが見えた。意地でも目を合わせてくれない様子から、ひしひしと敵意を感じる。きっとミセスは普段、優しいお母さんに違いない。


 「全く。これ以上私にどうしろって言うんでしょうね」


 お茶も入れずにソファーにどっしりと腰掛け、岡本氏は疲れ切ったように言った。


 「私だってこんな事は言いたくないですけど、妻は目を引くような美人でもなければ才能も学歴も家柄も全て中の下です。掃除も手際が悪いし、リモコンの場所すら自分で覚えておけないんですよ? 本当に頭が悪いんです! なのに、一体あいつは何様のつもりなんでしょうね? 」


 私はぎょっとして太田さんを見た。“心配してた”と聞いたはずなのに、まるで様子が違う。


 「私はもちろん金だけあれば良いなんて思っていませんよ! 私はね、公療会の理事の仕事から帰って、帰る度に毎日妻に話し掛けてやって、子供たちの様子も聞いて、その上皿洗いだってしてやるのに、その報いがコレですよ? 人を馬鹿にしているとしか思えません! 私が何をしたって言うんですか! 」


 「…左様でございますか。失礼ですが、奥様は最近何か悩まれている様子はありませんでしたか? 愚痴だとか…何か、小さな事でも」


 極めて冷静な太田さんの質問に、岡本氏は噛みつくように答えた。


 「あのね! そういうことは心配しなくていいの! あいつは愚痴を言わなくても大丈夫なタイプですから。そもそもこんな生活環境で、子供たちも素直ですし、姑と同居しているわけでもないのに一体何の悩みがあるって言うんですか? 昼間働いてもいないくせに」


 話せば話すほど、この人の器の小ささが透けて見えてきた。これは私の勝手な持論だが、こういう人ほどワイドショーの隣国非難が大好きだったりするものだ。

 地肌の見える頭頂部に血を上らせて、岡本氏は遮られるまでやいのやいのと喋り続けた。


 「心中お察し申し上げます。手掛かりを探したいので、奥様の携帯電話とリビングのパソコンを拝見してもよろしいですか? 」


 もとよりどちらにも同情する気など微塵もない太田さんは、一貫してビジネスライクに話を進めていた。確かにこんな話を真面目に聞いていたら、神経も毛根もすり減りそうだった。


 「勝手に何でも見てやって下さい。私は実家の両親に連絡してきます」


 捨て台詞を吐いて、二階の部屋に消えてしまった。私の胸の奥に苦虫が住み着いた。


 「ちーちゃん」


 小声で呼ばれた。いつもの太田さんの声だった。


 「俺は対象のSNS調べるから、ちーちゃんはケータイのメールと着信履歴調べて」


 「わかりました」


 「俺、多分男やと思うねん。ワゴンRとはまた別の」


 「それって二股って事ですか? 浮気なのに」


 すでにパソコンを調べていた太田さんは、少し非難めいた言い方の私を鼻で笑いながら作業を続けた。

 私もケータイを片手に、苛立ちながら小声で愚痴を続けた。 


 「旦那さんも嫌な人ですよ。人に悩みが無いって決めつけるタイプは、絶対結婚に向いてないです。だいいち自分だって大した容姿じゃないくせに、あんなに奥さんの事を悪く言わなくたって」


 「オッサンになると色々あんねんて。依頼主かて頑張り屋なんやで? コネも使わんと、努力でこの地位に就いたんや。家族に関しては、ただ努力の方向がおかしいだけやと思うで。俺は」


 「そうですかね? ただの自己中おじさんに見えますけど」


 「…嫁が自分に不満を持っていないと自信を持って言えるだけの事を、依頼主はしてきたんやろ。奉仕の精神はあんねん。人の意見が聞こえないだけや」


 半分以上納得できなかったが、とにかくミセスのケータイ(パカパカ開くやつ)を調べ尽くした。慎重派なのか、メールの履歴も着信履歴も怪しい点は無かった。その都度消去しているのだろう。しかしどうやらSNSの機能については疎いらしく、全てのやり取りがそのままになっていたようで、太田さんがしきりにメモを取っていた。


 「ちーちゃん、多分俺の予想は当たりや。あと2人キープ君がおるわ。そのうちの1人はこの近所やで」


 「すごいですね、太田さん」


 「凄いやろ? ほな、先ずは確認や。まだ居るって決まった訳やないし、突然旦那も連れて行ったら修羅場になるからな」


 「それにしても、モテますね? ミセスは」


 「うーん、せやな。普通の女がいっちゃんモテんねん。俺から見てもまぁ、アリやしな。それに金絡みかもわからん」


 「援助交際ですか? 」


 「そや。ミセスは金持ちやから、逆バージョンのな」


 それを聞いた途端、私は軽く眩暈がした。


 「私、もうどっちが正しいのか…」


 「・・・ふふん、せやなぁ。どっちも正しくはないねん。結婚したら大モメ小モメ、あるもんやで。最大の大モメが、今来たっただけの話や」


 「なんだか、まるで一回結婚してたみたいですね? 」


 「何や、してたら悪いんか? 」


 メモを閉じ、真顔で言う太田さんの瞳はマジだった。


 「―――え? 」


 「冗談やて。さっさと行くで」


 今回ばかりは、ボケなのか本気なのか私にも分かった。

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